事件簿7:暗黒侵食領域(ダークボトム) 前編
◇
「はーやれやれ。ひったくり犯と朝から追いかけっことはな……」
朝の警らを終えて交番に戻ってきた。
「お帰りなさいませ、ジュンさん」
「おかえりニー」
アルミサッシの入り口をくぐるなり、メイド服姿のキャミリアと、チュニック姿の猫耳養女のミケが出迎えてくれた。
「おぅ! 留守の間はだいじょうぶだったか?」
「特に何も……。でもご近所さんから余ったお野菜を頂きました」
「そりゃありがたい。あとでお礼を言わなきゃな」
キャミリアと会話を交わしながら事務机の椅子に座り、警ら日誌を開く。
今朝の警らであった出来事を記録して、後で本庁に提出しなければならない。仕方なくペンを走らせる。
途中で遭遇したひったくりを現行犯で追い、1ブロックほど全力疾走。
取り押さえてると生意気にも抵抗してきたので、腹パン一発で制圧してやった。
あとは通報を受けて駆けつけた衛兵に引き渡して終了。呑気な仕事ぶりに苛立ちを覚えつつ、犯人を引き渡してから戻ってきた。
「さて……と」
魔女との邂逅、そして明かされた真実。
この世界は滅亡の危機に瀕している!
そんな事も知らぬまま、平和な日々を生き、そしてそれがずっと続くかもしれないと思っていた。
衝撃も冷めやらぬまま一夜が明けた。
いつもどおりに朝日は昇るし、王都新聞も届けられる。紙面には第二王女の婚約者の浮気疑惑だの、経済は堅調だが個人消費が低迷だの。いつものと変わらない日常が続いている。
だが目の前の世界はまるで違って見えた。
今まで楽園だと思っていた場所が、実はそうでもなかった。というだけの話だが。
そういえば似たような話を思い出した。
聖書に記された『知恵の実』を食べたアダムとイヴの逸話だ。
楽園で幸せに暮らしていたアダムとイヴ。ある日イヴは悪魔にそそのかされ、『知恵の樹の実』を食べてしまう。
善悪の知識を得たアダムとイヴは次第に真実を知り、やがて楽園を追われてしまう。
二人もこんな気持だったのだろうか……。
やはり魔女の授けてくれた知恵は、破滅への罠なのか?
いや。俺には最初から知恵がある。
失ってなるものか。なにか方法があるはずだ。
「ちょっと用事を思い出した。王都警察本部にいってくる」
俺は留守を二人に再び任せ、王宮へと向かうことにした。
向かうは王都グランストリアージの中心部にある千年王宮。キラキラと眩い輝きを放つ王宮は小高い山のようにそびえ王都の何処からでも見える。
本来は王族たちの住まう場所であり、国を運営する王政府の総本山。王都警察の本部もあるが、実は王宮お抱えの魔法使いたちの組合も存在する。
王国最高の魔法使いとの誉れ高い、アイザック・オールドトーン・ギュギュリオスもそこにいる。王都警察からの資料を読み返すと、名簿にもその名が記されていた。
その人物が『白銀翼の家族達』の主要メンバーであることも間違いない。
話をすることが出来れば、魔女とは違う目線で真実について聞くことが出来るはずだ。
俺が直接乗り込むことについても、危険な事は無いだろう。
魔女の言葉が正しいなら、俺は超重要人物なのだから。
仮に魔女の告げた事実がすべて嘘八百の悪ふざけなら、笑いものになるだけで済む。
時間が惜しいので有料馬車を呼び止めて、王宮へと急ぐ。
入り口のセキュリティは王都警察の制服とバッジに埋め込まれた身分証により簡単にパスできた。
しばらく王宮の廊下を歩き、中心部に位置する『王国魔法使い組合・マジカル★ラジカル』へとやってきた。
過激な魔法使いとはふざけたギルド名だが、やっていることを考えると納得できなくもない。
受付カウンターには、トンガリ帽子をかぶった若い魔女が座っていた。
手短に用件を告げる。
「アイザック・オールドトーン・ギュギュリオス卿に、王都警察の工藤純作が会いに来た……と伝えてくれませんか」
ものの一分もしないうちに中へと招かれた。
ただし、腰の銃と警棒は外すように指示された。これは魔法協会へ入る時のルールで、客人は例外なく従うことになっている。
中は広い談話室になっていた。数えると数十人の魔法使いや魔女たちがいて、いくつかのグループに分かれてテーブルを囲んでいる。
空中に魔法円や映像を映し出しては、何やら専門的な用語を駆使し、熱い議論を交わしている。
喧騒を横目に通り過ぎ、受付をしてくれた若い魔女と共に、更に奥の廊下へと通される。
「こちらです」
「ここですか?」
「はい。アイザック・オールドトーン・ギュギュリオス卿の執務室になります」
「はい……どうも」
受付嬢の案内はここまでのようだ。一礼をして去ってゆく。
あっさりと通されたことに拍子抜けしつつ、自動的に開いた両開きの扉の中へと足を踏み入れる。
部屋は豪奢な装飾に彩られていた。
正面の壁一面が巨大なガラス窓で、まばゆい光が差し込んでいる。金色の窓枠にひと目で高級な織物とわかるカーテンがぶら下がり、光を和らげている。
部屋は広く金ピカの彫像に、高価そうな絵画などが所狭しと飾られている。
魔法使いの最高峰というので、おどろおどろしいイメージがあったが成金趣味の俗物なのだろうか。
「やぁ工藤くん。よく来てくれたね」
上機嫌な声とともに、大きな革張りの椅子がくるりと回りこちらを向いた。
「……!」
巨大な窓の手前、黒塗りの机の向こう側にあった椅子の横に、男が立ち上がった。
色素の薄い白い肌に、背中まで伸ばした銀色の髪。
逆光でよく見えないが、柔和な表情を浮かべている。しかし、柳刃のように鋭く青い瞳がこちらを見据えている。
細面に薄い唇、わずかに口角を持ち上げたそれは薄笑いか。
上着はジャケットで銀糸の刺繍で縁取られている。その上に純白の長いローブ。肩から垂らすようにラフに羽織っていた。
年齢もよくわからない。
「王都警察の工藤純作と申します」
「私がアイザック・オールドトーン・ギュギュリオスだよ」
美術館のような豪華絢爛な部屋とは裏腹に、冷たい印象を受ける。
「お忙しいところ、突然お邪魔して申し訳ありません」
まずは非礼を詫びる。
これほどの大物となれば会うことさえ難しいと思っていたが。
「構わないさ。他ならぬ君の頼みだもの」
あくまでも穏やかな口調で、ゆっくりとこちらに近づきながら指を打ち鳴らす。
パチン、という音と共に、部屋の横にあった椅子がトコトコと歩いてきた。付け根部分が蝶番のようになっており、ゴーレムのように動く仕組みらしい。
「他ならぬ……?」
座るように手で促されたので、腰掛ける。
「堅苦しいのは抜きだ。ここまで来た、ということはもう知っているのだね?」
「……世界は『暗黒侵食領域』に侵食されつつある」
「そう! それで!?」
突然、アイザック・オールドトーン・ギュギュリオス卿が興奮気味に、右手の拳を握りしめた。
黒い執務机に浅く腰掛けて、こちらが喋るのを待ち望んでいる。
「俺は、あなた達『白銀翼の家族達』によって召喚された。本来の目的は王都警察としての治安維持。だが、世界を救える可能性を秘めている。……つまり鍵として」
「素晴らしい……! ほぼ満点だ! 実に君は優秀だ! いや、はや……!」
パチパチと手を打ち鳴らしながら、机から腰を浮かす。
「あの」
「おっと、誰からどうやって聞いて理解し。そして、ここに来る気になったか……それは話さなくていい」
俺の二の句を制止するように、手のひらを軽く向ける。
手のひらには幾つもの紋章のような物が見えた。一つ一つが魔法の術に関係するものなのだろう。
「俺が来ることを初めからわかっているみたいな口ぶりですね?」
「待っていたともさ! 安心したまえ……君は最優秀賞だ!」
なんだか腹の立つ物言いだ。手のひらで動かしていた。とでも言いたいのだろう。
だが、少なくとも『闇森の魔女』は自らの意思で動き、行動していた。
俺は彼女によって真実を知らされ、ここへ来た。
この男だけが知っている、ある方法を知るために。
「単刀直入に教えてください。世界を救う方法を」
「あるよ……! あるんだよ、これが!」
笑いをこらえたような顔を俺に向ける。
「廃棄物に失敗作、ゴミを君が中和……うん。掃除してくれればいい」
「意味が……わかりませんが」
指を動かすと、カーテンがそれに連動して閉まりはじめる。部屋が徐々に闇に包まれる。同時に魔石のランプが灯り、赤い光に満たされる。
「あの『暗黒侵食領域』はね、僕らの実験の産物さ。まぁ、成功の前には数々の失敗もあるのは世の常でね。……百数回におよぶ試行錯誤と召喚実験を経て、君たち正式な量産型のシリアルナンバーズ、つまり『王都警察官』が生み出されたのさ」
「……!」
「ここまで言えば……頭のいい工藤君なら、わかるよね? 高度に発達した科学文明で高等教育を受けてきた君なら、すでに理解できるよね? ねぇ!?」
喜悦をギリギリで押し殺した狂気をにじませて、身を乗り出してくる。俺の反応を楽しむかのようなその顔を、ぶん殴りたい衝動を抑えつつ、噛み締めた奥歯から声を絞り出す。
「まさか……あれは……」
「召喚実験に失敗した成れの果て。廃棄物の塊さ」
<つづく>




