ツバサ・トドロキと俺
【ツバサ・トドロキと俺】
「待てってば! 俺はなにも了承してないぞ!」
ツバサ・トドロキの宝石を梳ったような銀色の髪が、綺麗に頭の後ろで編み上げられている。俺が着ているのと同じ制服を着る彼女は、俺が今入っている身体の主、アイリの友達らしい。
彼女は俺の手を引いて、家の階段を一段ずつ素早く降りていく。
「もう! せっかくの髪が乱れる!」
ツバサは自分の編み込んだ髪が相当気になるようで、仕切りにその形を整えながら降りていく。卵型のかわいらしい顔も、今は汗が一筋垂れている。それでも、かわいい以外の感想は見当たらないくらい、完璧な女の子だ。
器用な子だった。
一方不器用な俺の話。
朝起きると、俺は美少女へと転生していた。
腰まで伸びたみずいろの髪と、碧色に輝く疑うことを知らない瞳。身体は華奢で、元の俺の身体より随分軽く感じる。羽が生えているみたいだ。
どうしてこうなってしまったのか、理由は分からない。ただ、俺は殺されてこの世界にきたということだけを覚えている。
俺は、急ぐツバサの背中に怒鳴る。
「待ってくれ! 俺、ホントは君の知ってるアイリじゃないんだ!」
「この期に及んで、そんな言い訳通用しないわ。あなたいっつもそんあことばっかり言ってるじゃない」
これほど、この身体の持ち主に呆れたことはない。美少女なのは興奮する。でも、お前普段どんな生活してんだ。友達から散々言われてるじゃねえか。
俺は靴を履くと同時に、玄関先でおおコケした。見事に鼻から顔をうった。ツバサはそんな俺を放っておいて、さっさと向こうへ行ってしまう。
「逃げるべし」
瞬時に勝機を悟った俺は、家の裏手に回り込んだ。ざあ、と朝の汚れの無い空気が俺を包む。昨日雨が降ったのか、足丈まで伸びた草には露が付いていた。
下界から、湧き上がるように冷たい風が吹いて、俺は足を止めた。
アイリの家は、小高い丘の上にぽつんと立っていた。そこから、下界の街の様子がいっぺんに見渡せた。
巨大な街は、まるで巨大な円盤のよう。茶色と銀色がまじりあった街だ。
少なくとも、ここは東京じゃなかった。
これは夢なんかじゃない。
街から見て俺の方角には山があり、反対側には海が広がっている。俺のいる山の方から、ゆっくりと河
が下っていき、街を横断して海に繋がっている。
そのとき、強烈な拍手の音が鳴り響いた。耳を澄ますと、熱量の篭った声と振動が聞こえて、俺の心が騒ぐのが分かる。いや、俺の心でなくて、これはアイリの……。
もう少しで、なにか掴める。そう思ったとき。
「そういえば、俺まだこいつの身体見てない」
重大なことを思い出した。
健全な男子なら、みたいに決まってる。俺はもう一度アイリの家に潜入し、彼女の部屋に潜りこんだ。
ちょっとくらい、バチは当たらないだろう。着替えているときは、動揺していて、それどころじゃなかったのだ。
そう思って、俺は自分のスカートを下げようとホックに手を掛けた。
なかなか開かない。慣れてないのだ。
もどかしい。自分のパンツひとつ自由にみれねぇのか!
「おし」
やっと、ホックがずれた音がした。俺はゆっくりスカートを脱いでいき……。
「あれ」
まてよ、と俺は気が付いた。
がん、と誰かに頭を叩かれた気がして、急にエロい気持ちがしぼんでいく。
俺がここにいるということは、もともとこの身体の中にいたアイリはどこにいったんだ? まさか俺の身体に? 俺は死んだんだぞ。確かに、通り魔にあって死んだんだ。
じゃあ、アイリはどこにいったんだ。
ここで、俺はさあ、と血の気が引くのを感じた。もしかして、自分は重大な事実を勘違いしているのではないのか。
俺は、勝手にアイリの身体に入ってしまっていて、彼女は俺のせいでどこかに飛ばされているんじゃないのか。他ならぬ俺のせいで、アイリはつらい思いをしているんじゃないのか。
そう思うと、スカートを脱ごうという気持ちを失せてくる。そう。彼女の身体を弄ぶのは、俺と彼女の身体が元に戻る方法が分かってからでも遅くはない。
すると、もとに戻る方法だが。
俺に全く見当がつかない以上、これはアイリとこの世界の問題だ。
幸い、ここにはツバサがいる。
ツバサに、この街と世界を案内してもらうのが手っ取り早い。
それまで、なんとかアイリを演じよう。余計な心配は、掛けたくない。
俺はツバサを探しに出かけようと、再び外に出た。
玄関を開けた瞬間。
ケモノ臭いにおいと共に、俺の面にでかい鼻が突っ込んできた。
「ひひーん」
……馬?
唾液まみれの顔の俺を、馬の鞍に跨る男の御者はすっかり憐れそうに眺めている。ふざけんな。
「あ、あ、あ!」
すでに乗車しているツバサを見つけて、俺も彼女の隣に座ろうと縄はしごに足を掛けると、ツバサに押し返された。
「なんだよ。危ないな! 早く行かないとなんでしょう?」
「い、行く?」
ツバサの綺麗な形の眉が、ぐい、と歪んだ。俺は分からくて、そのまま無視して馬車の客車に乗り込もうとした。ツバサの蹴りが俺の胸に飛ぶ。
「なんで……っ!」
ぬかるんだ泥に、背中から突っ込んだ。なんて女だ。まさか俺に歩けというのか。
ツバサは震えていた。
怒っているようにも見えた。
ツバサは俺を指して、大きく口を開けた。彼女の雷を察知した俺は、あわてて耳を塞いで叫ぶ。
「僕がなにしたっていうんだ」
「なんでスカート履いてないの!? このおバカ!」