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僕の聲を聞いてくれ  作者: 白井 滓太
下幕:アルド症候群
9/10

 太陽が容赦なく照りつける午後だった。

 梅雨の合間に訪れた碧落へきらくに、視線を向ける。あの時のことがこの空みたいに、全部遠いことのように思えた。

「春になれば、ここは一面桜が咲くのよ」

 看護師の言葉に相槌を打つ。最後に「楽しみですね」と言葉を付け足した。透き通るような空に、風が森の木々を揺らす。

「そろそろ部屋に戻りましょうか?」

「……はい」

 その言葉に従い、部屋に戻る。

 ……そこは、住んでいた県の隣にある、山の麓に建てられた小さな検査施設だった。

 補導された私は、強制的に親元へ帰され、地元の警察署で厳重な注意を受けた。

 それだけでは留まらず、家に帰ると、今度は母親からも叱責を受ける。涙を浮かべて取り乱す母親に、私はただ謝った。そうすることしかできなかった。

 それから、私の行動を重く見た母親は、すぐに専門の検査施設に連れて行った。

 世間的には、広く認知されていないこの奇病を調べている人は何人かいるが、専門的に調べている施設は多くない。多分母親は、前から調べていたんだと思う。施設に入れなかったのは、母親のエゴ……単純に、認められなかっただけだ。

 施設に入って最初に会ったのは、お世辞にも健康的とは言えない、青白い顔色の痩せた男性だった。

 窓さえも無い、真っ白い部屋に案内されて、私とその医師と看護師さんが付きそう。

「君が向日ひまりさん?」

 うなずく。Tシャツとジーパンの上から申しわけていどに白衣を着たその医師は、自分のことを“キダチ”と名乗った。

「さて、早速だけどいくつか質問をします。まず、あなたはなぜこの施設に来たのか、きちんと認識している?」

「はい。病気で来ました。“アルド症候群”という病気です」

「正解だ。どうやらまだ、意識はしっかりあるようだ。まぁ、あんな事をするくらいだから、そうだろうね。では次に、病気の症状について」

主人格わたしとは別に人格が生まれてしまって、最終的に統合してしまう病気です」

「……まぁ、正解だ。君は娯楽を嗜むかい? 小説は? ダニエルキイスは? ビリー・ミリガンを知っている? 多重人格者として有名な人物だが、アルド症候群はその派生と考えていい。比較的新しい病気なんだがね。とある絵本をもじってこの病名が付けられた。この病気の恐ろしいところは、末期にある。お互いがお互いを求めはじめる頃、人格の統合が始まる。今まで視界でしか知り得なかった互いの意識が一気に交わり、脳が容量不足オーバーフローを起こしてしまう。そうなると、通常生活を行うのは困難なまでに知力が落ちていく。厳しいようだが、植物人間、とまではいかないけれど、少なくとも、今こうして私の話を聞いて、理解する事はできないだろう。でも心配しないでほしい。医療は常に進歩していてね。現在ではリハビリによってある程度までは知力の回復が見込めている。気休めだが、進行を抑制する薬もある。付き添いがいるならば、外出だって可能だ。それに、入所する施設はこことは違う場所にあるが、良い所だったよ。少なくとも、ここでこうしている僕なんかより、入所施設の彼らはずっと良い生活を送っていた。一度、機を見て見学に行ってみるといい。さて、長くなってしまったね。君も退屈だろうし、残りの質問は明日にしよう。最後に一つだけ聞いてもいいかな?」

 キダチという医師はそういって微笑みかける。まったく笑っていない目を向けて。

「そこに誰か、いるかい?」

 医師の質問に返事をした。

「今はいないです」


 ✽


 最初に面会にきたのは、母親だった。

 部屋に入って、またなにを言われるかと身構えたが、母親からでてきた言葉は謝罪だった。

 今までの束縛に対する謝罪と、病気と知りながら知らないフリを続けてきた謝罪。母親の中でどんな心境の変化があったのかは知るよしもなく、私は母の謝罪を受け入れた。

 母親は、着替えと飲み物と、店員に聞いた中で評判のいいと言われたCDを何枚か買ってきてくれた。

 さっそく、前に持ってきてくれたプレイヤーで曲をながす。

 邦楽の、聞いたことのない歌手のもので、母親にお礼を伝えると、すごくうれしそうだった。

 母親は、私にいろいろなことを聞いた。

 好きな歌手。好きな音楽。好きなジャンル。

 勉強を交えない母親との会話は、新鮮だった。

「お母さん、一つお願いがあるんだ」

 会話の途中で、私は、ノートとペンを買ってきて欲しい、と伝えた。

 また、音楽の感想を書いてみたいと思ったから。

 快く了承してくれた母親は、翌週コンビニに立ち寄って大学ノートとボールペンを買ってきてくれた。


 ✽


 冬になった。暇を持て余していた私は、施設の人に頼んで、今までの“アルド症候群”に関する資料を貸してもらった。

 最初にこの症例が確認されたのは、一九九〇年代の前半。イギリスのファーンハムで生を受けた一人の少年からだった。抑圧された状況下でこそ起こりうる奇病ではあるが、この少年が産まれたのは、ごく普通の家庭だそうだ。

 両親が異変を感じたのは、少年が三歳になった頃。ちょうど、会話というものが成り立ちはじめた時期と重なる。

 少年は家の隅の、誰もいない空間で遊んでいた。それだけなら、まだ普通なのだけど、時折誰かとはなしているように呟く素振りに、少年の母親は問いかける。

『誰かいるの?』

 少年は目の前の、誰もいない空間に指を向けた。

 見えない友達イマジナリーフレンドという存在がまだひろく知られていない時代。成長とともにもうひとりの存在の主張を強めた息子を、母親は病院につれて行った。

 だが、残念ながら少年の異常はどこにも見られなかった。なんど病院につれていっても。なんど検査を行っても。

 異常をおこしはじめたのは、少年が青年になったあとだった。

 彼がうしなったのは、まずいくつかの言葉だった。そして、毎夜のようにひどい頭痛にうなされた。ベッド上であばれる彼の姿に、両親は手を焼いたそうだ。

 つぎに、当時付きあっていた恋人の名前をうしなった。会うたびに名前をたずねる彼のすがたに呆れて、そのあとすぐに別れてしまったそうだ。

 そして、彼は両親の名前をうしなった。

 今まで毎日のように会っていた両親の名前がでなくなって、真っ先に悲しんだのは、自身ではなく両親の方だった。

 最後に、彼は言葉をうしなった。

 年々忘れていくもどかしさから、その直後、彼は自室で自殺をはかるも、一命をとりとめた。

 ……そこから先に書いてある少年の人生は、まさに人形のようなものだった。

 読み終えたあと、キダチ先生に資料を返しにいった。

 ドアをノックして「どうぞ」という返事がくる。

「失礼します。借りていた資料を返しに来ました」

「ん? あぁ、そういえば貸していたね。コピーだったから、そのまま持っていても良かったんだが。どうだい? 読んだ感想は? あまり気分の良いものではなかっただろう?」

「そうですね」

「なに悲観することはない。前にも言ったように医学は常に進歩している。これに書かれている少年のようにはならないさ。今日の薬は、もう飲んだかい?」

「……まだです」

 病気の進捗を抑制するその薬は、しかし副作用がひどく、飲むと強烈な吐き気と目眩に襲われるので、あんまり好きではない。

「それはいけないな。多少の副作用はあると思うが、朝昼晩にしっかり飲まないといけないよ。部屋に帰ったらすぐに飲みなさい」

 話は終わりというように先生は机に向かう。

「……先生は、胎児の可能性を信じますか?」

 机に向かっていた先生は、再びこちらを向いた。

「そういった創作を交えた議論は嫌いではないよ。もっとも、大人になると同時に、創作に対する情熱は失せてしまったがね。胎児は、母体の中で生物の進化という壮大な夢を見ている、というアレだろう? くだらないな。人間は虫でもなければ皮も剥せやしない」

「病気のことを聞いて、知っていくたびにおもうんです。病気におかされるというのは、人間が進化するうえで、必要な過程なんじゃないかなって。たとえば、幼虫がいますよね? 成虫になる段階で、一度完全に無防備な状態、蛹になりますよね? あれと同じように、私たちはいま、たぶん進化の帰路にいるとおもうんです。母体というカラの中で、生物の進化を夢見る胎児のように」

「くだらない。そんな空論で片付けられることはない。これは病気で、君は患者だ。さぁ、話は終わった。早く薬を飲んできなさい」

 追い出されるように、部屋を出た。扉を閉める間際、先生の声が聞こえる。

「それじゃあ、僕たちは何の為にいるんだ」


 ✽


 季節がまた春になった。

 母親がかってきてくれる音楽の、かんそうをかいたノートが二冊めになったころ、がっこうを卒業した針山さんがあいにきた。

 母親の話では、がっこうは休学したことになっている。いつか病状があんていしたころに、ふく学するよていだったけれど、もうそれはあきらめかけていた。

「久しぶり」

「……うん」

 彼女とは、なにかしらのカクシツがあった気がするけれど、ひさしぶりに話ができてうれしかった。

 彼女は、がっこうのその後を話してくれた。

 入試がはじまり、勉強づけだったことや、帰りに本屋であたらしい本をかったこと。それから、大学というところに受かったこと。話の半分以上は理解できなかったけど、せめて、真けんに話を聞くようにした。

「……でも、やっぱり葵がいない生活はつまらないよ」

 すべてを話しおわった彼女は、いきなり涙をながした。ぼくはおどろいて、彼女をだきしめる。

 ようやく泣きやんだ彼女は、机のうえにおかれたノートを見つける。

「見てもいい?」

 涙を拭きながらしつ問する彼女に「どうぞ」と言った。

「……やっぱり凄いよ。葵は、こんな風にさ、もっとさ、好きなことをするべきだよ。そしたら、わたしも嬉しいから」

「うん」

「……そうだっ」

 会話が途切れるのを防ぐように、針山さんはお見舞いに持ってきてくれた音楽のCDを出してくれた。聞いたことのない歌手だったけど「葵が好きだったバンドのシンプだ」と言っていた。

「ありがとう」

「うん……じゃあ、そろそろ行くね。来週になったらまた来るよ。それまでに感想、よろしくね」

 なごりおしそうに、部屋をでていく彼女に手をふる。

 受けとったCDをプレイヤーに入れて、さっそく曲をながしてみた。

 だれもいない個室に、なつかしいような歌がひびく。

 机におかれたノートとペンをとる。

 なにも書かれていない、真っ白なページを開いて、ペンをはしらせる。

 ミミズが何匹もからまったような自分の文字に手がふるえていた。

 ことばが、うまく出てこない。

 窓からふいた風にページがめくれて、もう理かいできなくなった、むかしのページが開かれた。


 ✽


 2かい目の春がきた。

 きょうはいよいよちがうシセツへのニュウショの日だった。

 このシセツでのサイゴに、すこしだけサンポをすることになっていた。

 いつもきてくれる女の人と女の子といっしょにそとにでた。

 手をつながれて、ピンク色の木をゆびさす。

「ほら、葵。桜がキレイだよ」

 女の子がいった。

 ぼくは、手をのばす。とんできた一まいをつかもうとして、まえにたおれてしまった。

「だいじょうぶ?」

 女の人が手をむけてくれた。その手をつかんで、立ちあがる。

「おばさん、ありがとう」

 ぼくがお礼をいったら、女の人はかなしそうなかおをした。

 かおがくずれて、そのまま女の子のむねで泣きだしてしまった。

 ぼくは、かなしいかおなんてほんとは見たくないのに。

 もういちど手をのばす。とんできた一まいを、こんどはちゃんとつかまえられた。

「おばさん、なかないで。これあげるから」

 むすんだりょう手をそっとひらく。

 手の平におかれた一まいは、また風にふかれてとんでいく。

 声をあげる私と女の人と女の子のまえで、そのまま、風にまったたくさんの一まいといっしょになって、みえなくなった。




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