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僕の聲を聞いてくれ  作者: 白井 滓太
下幕:アルド症候群
8/10

 深夜。嫌な夢を見て、唐突に目を覚ました。

 夢の中で、私は家のリビングに立っていた。周りを見ても誰もいなかったから上を見て、下を見た。するとそこにはカレがいた。正確に言うと、その時点でカレかどうかはわからない。そこにあったのは岩ほどの大きさの、内蔵のように脈を打つ、血まみれの肉塊だった。

 ひどく現実感リアリティをおびたその肉塊は、ゆっくりと前へ進み、やがて足元に来る。

 根拠も何もないはずなのに、私はその肉塊をカレだと認識した。その上で、腰を下ろした。

 目の前に、そして、体を伝って、口から体内に入っていく。その異様な光景に、私が取った行動は、抵抗ではなく受け入れることだった。掌でその肉塊と化したカレを掬い上げて、最後の一滴になるまで飲み干す。

 そうして、その空間に私一人になったところで、目を覚ました。

 個室から出る。ドリンクコーナーに行って、コップに半分ほど入れた水を一気に飲んだ。時刻は、深夜の一時を過ぎている。

 今日はかなり疲れていたはずなのに、目が冴えてしまった。膝を曲げないと眠れないような個室なので、いつもと違う寝方なのがいけないのだろうか。早めに起きて、今日行けなかった神社に行きたいのだけど。

 また水を注いで飲み干す。自然と溜息がこぼれた。

 返却口にコップを戻して、個室に戻る。ぐしゃぐしゃになったブランケットを伸ばして、包まった。目を瞑るだけでも人は寝た気持ちになるらしいというのを、どこかで聞いたことがある。あれは、どこだったか。幼い頃、母親から聞いたような……考え出して、眠れなくなる前に、考えるのを止めた。


 ✽


 結局、あまり眠れなかったのに、目を覚ますのは早かった。誰もいないトイレの水場で、洗顔と歯磨きを済ませて、個室で服を着替える。

 時刻は朝4時前。早すぎるけど、不思議と眠くはなかったので店を出る準備をした。

 荷物をまとめ、受付で料金を払う。まだ薄暗く、街頭が冷たく灯った外に出た。

 ……この時間でも、結構人がいるものだ。

 徒歩で、八王子駅の北口に向かう。武蔵五日市駅行のバスに乗るためだ。

 バス亭の前は、今までの新幹線と違い、閑散としていた。おかげで、バスが来たら、遠慮なく席に座ることができた。そういえば、この連休中に乗り物内で座ったのは初めてかも知れない。

 バスに揺られること約三十分。退屈だったので、ずっと音楽を聞いていた。もう、母親からの連絡は入っていない。あれから、母親がどういう行動を取ったのか、私に知るすべがない以上、どうすることもできなかった。

“登山口”に着いたら、バスを降りる。そこから今熊神社の“遥拝殿ようはいでん”――本殿ではなく、遠くから拝む為の建物のことらしい――を目指した。

 徒歩では、二十分くらいかかるみたいで、一般の人より歩みの遅い私の足では、もっとかかるかもしれないと思いながら歩く。案の定、足が痛くなって、途中で休憩を挟んだ。

 やがて陽が昇り、参道を明るく照らしはじめる頃、ようやくたどり着くことができた。

 目の前には専用の駐車場が広がっており、そこを抜けると、竹藪とミツバツツジに挟まれた参道に出る。鮮やかな紫の花弁が、朝露に濡れてきらきらと光っていた。

 赤い手すりを伝って、短い階段を上がる。やっと遥拝殿が見えた。

 ……“今熊神社の遥拝殿”

 ここも、京都の“熊鷹社”同様、人探しのご利益があるらしい。

 境内に着いて、辺りを見る。先に行った熊鷹社とは違い、お世辞にも観光スポットとは呼べない閑散とした雰囲気だった。背後に見える山が“今熊山”だろうか。

 厳かに建てられた二匹の狛犬の間を通る。煤けた御扉みとびらの前に置かれた賽銭箱に、百円玉を一枚入れて、手を合わせた。

(……カレに、会いたいです)

 お願い事は、たったそれだけだった。

 顔を上げて、暗い御扉の奥を見つめる。

(そこから出てきたりしないかな……)

 もうその姿を見ることはできないのだろうか。

 石段を降りる。

 照りつける太陽に、しばし目を細めた。


 ✽


 今熊山を降りて、登山口のバス乗り場から再び武蔵五日市駅のバスで戻る。

 今日乗るのは新幹線ではなく飛行機だ。そのまま揺られること三時間弱。途中、新宿駅西口でリムジンバスに乗り換えた。

 この後乗るのは、十二時発の飛行機だ。現在の時刻は十時。少し遅いけれど、朝ごはんを食べていなかったので、コンビニでおにぎりを買って食べた。

 お腹が満たされると、昨日眠れなかったツケが、今頃になって来たらしい。瞼が重い。口元を右手で抑えて欠伸をする。

 少し早いけど、第二ターミナルに移動した。搭乗手続きをしに自動チェックイン機へ向かうためだ。

 それが済んだら、リュックサックを手荷物カウンターに預けた。

 いくつかの荷物検査を済ませた後、問題はなかったようなので、搭乗口に向かう。連日の通り利用者が多く、搭乗する頃には良い時間になっていた。

 席に座って、一息つく。スマホを機内モードにして、イヤホンを繋げた。流したのは、Princeの“My Computer”。彼女に勧められて以来、密かに気に入っている曲だった。続いて“One of Us”“THE LOVE WE MAKE”“EMANCIPATION”が流れた頃、出発のアナウンスが機内に響く。非常時の逃げ道や、救命胴衣の説明を前に出てきた客室乗務員キャビンアテンダントが無表情に説明してくれた。イヤホンを外して耳を傾ける。簡単な説明の後、一席一席を客室乗務員が点検して回り、ようやく出発の準備が整った。上空へ向けて、徐々に速度を上げていく。

 行き先は、北海道の稚内市。乗り過ごす心配はないので、安心してイヤホンを付ける。先ほどの続きを聴きつつ、目を閉じた。

 耳鳴りのように甲高い音が、遠くの方で聞こえる。

 こうして飛行機に乗ると、空が繋がっているんだと、改めて感じた。

(だから、どこまで逃げたって、きっと追いかけてくる……)

 何をやっても。つくづくそう思う。


 ✽


 飛行機で約三時間半のフライトをした後は、稚内空港を出て、またバスに乗る。途中、港内で買った銘菓――上に練乳の掛かったお饅頭――を食べて、お腹を満たした。

 バスの本数が限られているようなので、時間は厳守しなければならない。

 空港からのバスで、駅前ターミナルに向かう。少し遠回りになるけれど、目的地へのバスはそこしかないみたいだ。おかげで、少し時間がかかってしまった。

 ようやく最後のバスに乗る。行き先は日本の、私が居る世界の最北端の地“宗谷岬”。今私が逃げることが出来る限界の場所だ。

 そこから先は……多分、知らない世界が広がっている。知らない土地。知らない人。知らない景色。そこまで行く手段も知らない。私は、まだ知らないことだらけだ。

 町並みから広大な草原に、景色が変わる。

(晴れてたら、良かったな……)

 雨とはいかないまでも、空は曇っていた。

 バスは緩やかに目的地を目指す。

 ゆっくりと、ゆっくりと……あの日、母親から言われた言葉を頭の中で反芻していた。


うちにはね、子どもは一人しかいないの』


 苛立ちを隠すことなく、母親はそう告げた。その言葉を聞いた私の表情は、どんな風に見えていただろうか。それから母親は、まくしたてるように話しをはじめる。私が見えていたもの。見てきたもの。その正体を。

 弟。記憶。カレ。

 話しが終わって、全てが消えていくような心地だった。

 私は、自分の知らない所で、ずっと病気だったらしい。

 病名は“アルド症候群シンドローム”原因不明の奇病だと言われた。

 やがて、罹患者りかんしゃの意識の全てを奪うその奇病は、子どもの時期に生まれる“見えない友達イマジナリーフレンド”とともに発症がはじまる。

 見えない友達イマジナリーフレンドとは、幼少期のある時期に、他者には見えない空想上の友達を、作り上げてしまう現象であり、私の場合は“弟”と“カレ”がそうであった。家での友達と外での友達。理由はもう忘れてしまったけど、私は二人の友達を同時に生み出していたのか、それとも、弟とカレは最初から一つの存在だったのか。今となっては知るすべがない。

 大抵の場合、見えない友達イマジナリーフレンドは、成長するとともに見えなくなってしまう。だけど、アルド症候群シンドロームに罹った人はその逆で、見えなくなる過程が訪れず、互いの視界や記憶を共有したまま成長してしまうそうだ。より具現リアルに、一人の人間から、二つの個が生まれる。そしてその二つは、互いを求め合うように、やがて一つに混ざり合う。

 母親の話では、視界の共有は第一段階。意識の共有は第二段階。末期になれば、人格の統合がはじまり、私と弟とカレは、新しい個として完全に生まれ変わる。そうなれば“私”という存在は、消えてしまったのと同じだ。そこにいるのは、全く別の人間なのだから。

 言い終わった後、ちょうど電話がかかる。母親がそれに出るため離れていった。

 取り残された私は、説明の全てを理解できた訳じゃなかった。ただ話が終わった後の「この話をするのは、もう何度目かわからない」という母親の呟きを聞いて、私はそんなこともいつの間にか無かったことにしていたのか、と少なからずショックを受けた。

 苛立ちと焦燥を滲ませた母親の態度。でもその背中はどこか哀しげだった。手塩にかけて育てた娘が、病気だったと知った時の母親の心境は、想像に難くない。母親も、信じられなかったのだと思う。

 それは、もちろん私自身ですら。

 つまり私が、ずっと私が想っていたものは、ずっと追いかけていたものは、全て空想ニセモノだった。

 カレも弟も私自身ですら。考えはじめると、この世界さえ存在しているのか、疑問に思えた。

 学校は、本当にあるのか? 私が見ている空想ではないのか?

 他人は、本当にいるのか? 私が作った夢ではないのか?

 友達は? 親は? 本当の私はずっと違う生活をしていて、都合の良いような理想を創り続けているだけではないのか?

 ネットの掲示板とか、SNSとか。書き込まれているコメントを読んだ時、たまに思う。三者三様に書き込まれた言葉は、全て一人が書いていて、読んでいる人間を監視しているんじゃないか? 賛否両論を駆使して、上手く操っているんじゃないか? その時私は、ネットそのものが、意思あくいを持った一つの生命体のように見えることがある。

 これも、現実逃避なのか。私が消えてしまうことへの恐怖か。

 考えたことも、感じたことも、一切。全て。消えてしまう。死、ではなく、消滅。

 とても恐ろしいこと。なのに、それがカレと弟の為になるなら、それで良いのかもしれないと思えた。

 結局、もうどっちでも良かった。

 どうでも良くなっていたのかもしれない。

 どうにでもなればいいと思って、カレを口実に一人になりたかっただけなのかもしれない。

 誰かに聞いて欲しい言葉があった。

 誰かに知って欲しかった。

 伝える手段が多すぎる社会で、小さな声は、埋もれて聞こえなくなってしまう。

 だって、言葉は有機物だから。誰にも聞こえない声は無機物だ。ただ、人々の記憶から捨てられるのを待つばかりの。

 苦しくて。悔しくて。吐き出したくて。誰かに聞いて欲しくて。誰かの声を聞きたくて。空想カレにすがった。

 それが無駄な事だと、もう気づいてしまっていたのに。

 私は、カレの事が好きだった。

 大嫌いで、大好きだった。

 もし空想でなく、カレが現実にいたとするなら……多分、こんな感情はなかっただろうな、と思った。

 学校に通って、たまに挨拶を交わして。席替えで、席が近くなった時だけ教科書を見せたりするような、ひどく寂しい関係になっていたかもしれない。

 バスが止まる。

 目的地に着いたようだ。料金を払って、すみやかに降車した。

(着いた……)

 歩を進める。小さなバス亭と、整備の行き届いた駐車場。遠くを見れば、灰色がかった空の下で音を立てる海。そして、最北端のシンボルである、天を示すような二等辺三角形のモニュメント。

“宗谷岬”

 一度見ておきたかった、日本の端っこ。

 そして、その直前にいたのは、観光客ではなく数人の警官だった。

 驚きは、不思議とない。ただ「あぁ、やっぱり」と思った。

 私を見て、何事か話している警官をよそに、シンボルに向かって走り出す。

 その向こうの景色を見たくて。

 すぐに取り押さえられる。

 暴れる。叫ぶ。

 必死の抵抗の中、叫んだ言葉は……。



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