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僕の聲を聞いてくれ  作者: 白井 滓太
上幕:向日 葵
4/10

 仲違いで休みを貰える程、教育機関は甘くはないのだけど、幸い翌日が祝日だった事もあり存分に休日を満喫した。

 午前が過ぎる少し前に起きて、お昼は適当にパンで済ませた後は弟と過ごした。自室で音楽を聴きながら、好きなアーティストとライターが書いたお気に入りの一冊を読む。弟は、床に散らばったCDの歌詞カードを見つめていた。何が楽しいのだろうか。

 日が落ちる前には、近所のスーパーへ行き、夕飯の買い物をした。今日は母親は帰らないらしいので、簡単なものにする。少し暖かくなってきたので、素麺を茹でて食べた。でも、せっかく買ってきたのに、弟はどこかに出かけてしまったみたいだった。

 夜も自室で音楽を聴いた。静寂と感傷が少しだけ紛れたが、曲が終わるたびに苦しくなった。

 流していたのは、古い邦楽。流行りのも聴くが、基本的に邦楽も洋楽も雑多に流している。

 スマホに繋いだ安っぽいスピーカーから流れる、チープな音質。それをベッドの上に寝そべり、天井を見つめながら聴いていると、心のどこかが腐っていくように感じた。

 流れる音が、初夏にささめくアイスミントブルゥの海のように光って見える。いつか、私もそのに紛れてしまうのだろうか。

 昨日の事を思い出す。

 明日の学校が、とても憂鬱だった。


 ✽


 祝日が明けた翌日も何ら変わりなく、けれど、思考がどこか止まったまま、気づいたら普通に登校していた。

 連休前ということもあり、浮き足立った教室は、ホームルームが過ぎても一時間目の授業が始まっても、その空気を変えることはない。授業終わりの小休止を挟む度に、予定を聞く声が上がり、その内容に一喜一憂していた。聞く気がなくても耳に届いたけど、感情は何も動かなかった。

 昼休みになると、早々に鞄を持って、司書室に移動する。……去り際、針山さんの姿が視界に入った。教室でクラスメイトと話しながら、あんパンを食べていた。昨日のことが嘘みたいに思えたけど、それを見ると、やはり現実だったと実感が湧いた。

 司書室を使うよう、先生に断りを入れた時「針山さんと喧嘩でもした?」と聞かれた。私は、首を横に振って「今日は忙しいみたいですよ」と返した。

 個室を占拠して、お弁当箱を取り出す。水筒のコップにお茶を入れて、手を合わせた。換気の為に空けた窓から微かに誰かの笑い声が聞こえる。一月前までは窓から見えていた、中庭の桜はもう散っていて、緑色へ変わり果てている。桜の木はこうなると、誰も見向きはしなくなる。雑草と変わりない緑色と混ざるから。華やかな存在というのは、何にしても長く続くものではなく、その儚さがあるからこそ惹かれる。美しい側面ばかりを見て、醜い面には蓋をして見なかったことにする。

 ……箸を止めて、コップを手に取った。沸かしたばかりのお茶を入れてきたので、まだ湯気が立っている。息を吹きかけ、少し冷ました。普通の麦茶だけど、きちんと沸かして淹れると風味も増す。また箸を取り、食事を続ける。小さめの弁当箱は、私の胃袋にちょうど良い。時間の流れが、ゆっくりになっている気がして、のんびり食べている内に、昼休みの終わりを知らせる予鈴が鳴った。余りにも静かな一時だったので、その音に驚いて箸を落とす。食べかけのお弁当箱に蓋をして、鞄の中に仕舞った。

 タイミング良く扉が開く。先生に、教室へ戻る時間だと促された。慌てて頭を下げ、図書室を出る。

 廊下に響く足音。同調するように歩くと、リノリウムの床が控えめに鳴った。中庭に乱立してある木々の、隙間を縫って漏れた木漏れ陽が、廊下に影絵を作る。私の影に重なった。それだけが、私はそこにちゃんと居るんだと存在している証明に思えた。

 視界に、誰かの背中が見える。他の生徒かと思ったけど、服が違う。あれは“カレ”だ。少し離れた廊下の先に立っていた。

 見慣れているのに、一度も見たことさえない背中。袖から伸びた両手は、一度の陽の光さえ浴びてないのかと思えるほど白くて、華奢で、だけどその背中は広くて。私は弱いから、いつかその背中に頼ってしまいそうで、怖かった。

 止めていた足を動かす。カレは音もなく消える。全ては白昼夢のように、私にしか見えない幻。 虚像と錯覚が交差した、危うげで不安定なもの。だから私は、針山さんの言うように、惹かれているんだと思う。

 遅れて教室に戻り、席に着いた私の存在は、限りなく希薄になる。それは、カレと同じ存在で、いつまでも彷徨ほうこうするもの。行為ではなく。心の一つのカタチであり、人が道に迷うのに空間なんて必要ないという一つの真理。

 こんな小さな机の上でだって、迷子は無数にいるんだから。

 彷徨して。求めて。失う。

 そしてまた、さよならごっこを始める。

 大粒の涙をふりまいて、劇的に崩れ落ちる。

 悲劇的だ。残酷なまでに悲劇的だ。

 だけど人形芝居だ。

 私の涙は、私の言葉は。

 すべて、パーティ用のおもちゃだ。


 ✽


 学校が終わり、日が沈むのが少しだけ遅く感じる。今日はまっすぐ帰宅して、制服から普段着に着替えた。鞄から取り出した水筒と弁当箱を手早く洗い、水切りカゴに掛けておく。二階の、自室に上がった。

 スマホにイヤホンを繋ぎ、外部の音を遮断する。乱暴にベッドへ寝転がった。右腕で視界も塞ぐ。哀しいはずなのに、涙は出ない。適当に流した音楽は、ビル・フリゼールの『Shenandoah』だった。

 体ごとどこかへ流れてしまいそうな、空間を揺蕩うアルペジオ。思考を心地よく溶かすディレイ。神秘的でありながら、何処か牧歌的な叙情性。

 起き上がり“ノート”を取り出す。一ページ分長々と感想を書いて、満足した私は短く息を吐いた。何をしてるんだろう。そう思った。こんなことをするぐらいなら、勉強した方が良いのに、何もする気にはなれなかった。

 突然世界が変わるわけではないから。私も何も変われない。出来るだけ前を向きたいけど、そこに立ち止まって、ぼんやりと変わっていく景色を眺めているだけだ。自分が変わろうとしていないんだから。

 ――スマホの音量を上げる。

 逃避。これは、ただの逃避だ。前を向いているわけではなく、現実から目を背けているんだ。その一歩すら踏み出せない私は、それを利己的に分析して、いやらしい悦に浸っているだけだ。

 ――音量を上げる。

 むしろ惨めなのは、私だ。厭世観えんせいかんを振りかざして、実際は遁世とんせいしていた。“苦しいから逃げるんじゃなく、逃げるから苦しい”だって? 余計な言葉を残すのは、決まっていつも哲学者だ。

 ――音量を上げる。上げる。

 こうしてボタンを押すだけで、音は大きくなる。鼓膜にガンガンとぶつかって、いっそ世界中の皆の声に音量が付いて、いつでも誰かに聞こえるよう調節すれば、孤独なんて感情は、消えてなくなるんじゃないか。

 ――音量を上げる。上げる。上げる。

 だから、消えろ。消えろ消えろ消えろ。こんな鼓膜じゃ、小さすぎるんだ。人の声が、世界の音が、うるさすぎる。全ての言葉が煩わしい。あぁ、もう。どうして私はこんなに情けないんだろう。

 ――イヤホンを外す。

 ……空に向けて鳴いていたカラスの鳴き声は、もう聞こえない。ほら。世界は変わらない。こうしているだけじゃ、どこにも進めないんだ。

 流れに沿って生きるのは、難しい。私はきっと、こうして逃げ続けるしかない。

 視界が歪む。振り返るとカレが、開いた扉の外に出る姿が見えた。

 室内を振り返って、それから向こう側にその背中が消える。

 私は、扉を見つめた。イヤホンから流れるアルペジオは、まだ室内に小さく響いている。

 薄暗い部屋に机の明かりだけが点いていた。

 ……立ち上がって、窓を開ける。生暖かくも冷えた夜の空気が、体の熱をゆっくり奪っていく。点々と明かりの灯る街の景色を焼きつけた。

 ……逃げ続けるのなら、とことんまで逃げてやる。

 そこに、強かな決意を秘めて。

 カレの背中を追いかけて、少しだけ、カレに近づきたかった。

 そうすれば、私もカレの感情を、ほんのわずか知ることができるかも知れないから。

 クローゼットに手を伸ばす。大きめのリュックサックを手に取って、荷物を乱暴に詰め込んだ。


 世界は広いから、どこまでも逃げることができるんだ。



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