ミカエラ救出劇③
チックを倒し、アルバンを追おうとした時だった。
「――そういえば、チックは気絶させとかないといけないんだったわね」
ウルリカさんが思い出したかのように口にした。
そう言われ、俺もハッと思い出す。戦いに夢中になっていて完全に忘れていた。
「そ、そうでしたね。ヨハンさんが直接落し前つけるって話でした」
「これ、生きてるのかしら? 化け物になったから、もはやチックかどうかもわからないわけだけど」
「ど、どうなんでしょう……。見た感じ、真っ黒焦げで生きているようには見え――」
と、俺がそこまで言うと、化け物の身体が蠢き始めた。
塗装がはがれるように、化け物の鎧が溶けていく。
「あら、一応まだ生きてるみたいね」
横になったチックの身体は、かろうじて息があるようだった。
だが、それも風前の灯。今にも死んでしまいそうなほどにチックの身体は弱っていた。すぐにでも治療しなければ、死んでしまいそうなくらいだ。
「……っく」
うめき声を上げるチック。
化け物の身体は消えたが、チックの人間の身体を守っていたらしい。所々火傷のあとはあるが、さっきの化け物の身体程酷くはない。
「ひひ、惨めな姿になっちまったねェ……」
絞り出した声で、チックはそう呟いた。
身体を起こす力もないのか、視線だけでこちらを見ている。
「ひと思いに殺してあげてもいいけど、先約があるのよね。悪いけど、まだ苦しんでちょうだい」
「ヨハンの旦那かい……?」
「そうよ。だから、命乞いはそっちにお願いね」
「そりゃ……無意味、だろうねェ。ヨハンの旦那は、そこまで甘い人じゃない……」
息も途絶え途絶えに、チックは言葉を吐き出す。
「賢者ファウストの弟子……か。世の中、奇妙な……偶然も、あるもんだ……」
意味深な言葉に、ウルリカさんの眉根が動いた。
そういえば、チックは賢者ファウストのことを知っている風だった。奴隷商と賢者。どこに接点があるのだろうか。
「何か知っているの?」
「く、くく……。俺にこの魔具をくださったのが、お前さんと同じ……賢者ファウストの弟子だった、のさ……」
「なんですって……?」
さすがのウルリカさんも驚愕の声を上げた。
ウルリカさん以外の賢者ファウスト弟子と言えば、あの男しか考えられない。シーグル・セルシェル。コビンで俺達とまみえた相手だ。
「人を化け物に変える魔具……。あの性悪男の好きそうな発想ね。それで、アンタどこまで知っているの?」
「俺は何も知らないさ……。あの方とは情報を交換する仲ってだけで、この魔具をもらったのも偶然でね……。賢者ファウストの弟子であるということは言っていたが、それだけだ。あと――」
チックはその先を言おうか一瞬迷ったが、すぐに言葉にした。
「……あの方の裏には、まだ何かがある。大きな組織が蠢いている……。それだけは、間違いない……」
「組織……」
ウルリカさんは難しい顔をしてチックから視線をそらした。
組織、というとクランのようなものだろうか。それとも、もっと別の集合体か。それ以上はきいても判らなそうだ。
「――っと、間が悪かったか?」
俺たちに続き、この場にやってきたのはヨハンさんとアニエスさんだった。ウルリカさん同様に敵を脅してこの場を聞きつけたのかもしれない。
「ミカエラは!? ミカエラはいなかったのですか!?」
慌てた様子でアニエスさんがきいてきた。その声音だけで、どれだけミカエラのことを大事にしているかがわかる。
「落ちついてアニエス。ミカエラはまだ生きてたわ。今はアルバンが連れて逃げてる。だから、これから追いかけようとしていたところ」
「そ、そうなんですね……。すみません、取り乱しました」
「いいわよ謝らなくても。アタシもイオをさらわれたんだもの。同じように不安な気持ちに押しつぶされそうになったわ。だから、アニエスの気持ちもわかるつもり」
「同じ境遇の身、ですね。ウルリカさんも」
「そういうこと。――で、ヨハン。どうするの?」
視線をヨハンさんに向け、ウルリカさんは続ける。
「チック、一応まだ生きてるけど」
「おう。後は俺に任せてくれないか」
「わかったわ。そういうことなら、アタシ達は先の通路からアルバンを追う。ヨハンも落し前とやらが終わったらすぐに来なさいよ?」
「当然だ。悪いが、先に行っててくれ」
それ以上は何も言わずに、ヨハンさんは元商売仲間のチックを見下ろした。
何を思って、ヨハンさんはチックを手にかけるのだろうか。元々はビジネスパートナーだった相手を、信用を失ったという理由で殺す。正気の沙汰じゃないが、これが彼らなりのやり方なのだろう。そこに俺達が口出しするわけにもいかない。マフィアにはマフィアなりのけじめのつけ方があるのだ。
「後はヨハンさんに任せて行きましょう」
「そうね。アタシ達が出る幕はないわ」
こうして、ヨハンさんとチックを残し、俺達はアルバンとミカエラを追うことになった。
「滑稽だな、チック」
愛用のナイフを取り出し、ヨハンは弱り切ったチックを見下した。
「ひ、ひひ……。ヨハンの旦那……。本当にいいんですかい……? あの娘を、独り占めにしなくても……」
「バカか。あいつに奴隷は似合わない。仲間に囲まれて、幸せに笑っている方が似合いなんだよ」
「旦那も、甘くなりやしたね……。まあ、外道に落ちた俺が言うのも、おかしな話なんでしょうが……ゴホッ」
吐血し、チックは焦点の定まらない眼でヨハンを見上げた。
「口ではいいながらも……本当は望んでいるじゃないかって思ってたんですがねェ……。あてが外れたようです」
「たりめーだ。お前は何もわかってねえよ。あいつは……イオは、俺達のようなクズとは違うんだ。真っ当に生きて、表の世界で暮らしていくのがいいんだよ。それだけは、自信を持って言える」
「くく、本当に変わりましたね……。それも、イヴァン・マルティーニの影響ですかい……?」
「さあな。だが、変わったんだろう、俺も。そしてお前も。変わらないものなんてこの世にないんだからな」
「かも、しれやせんねェ……」
チックはそう言って、ゆっくりと目を閉じた。まるで、自分の最期を悟ったかのように。
元々、ヨハンとチックは旅団の仲間であった。
だが、ヨハンはマルティーニファミリーに入ることにより、変わった。最初は利用されていただけだったかもしれないが、徐々に本当の居場所になっていった。全て、マルティーニファミリーのボスであるイヴァンのおかげだ。彼が、ヨハンの考え方を変え、新たな居場所を与えたのだ。
だから、ヨハンが始末をつけなければならない。チックがマルティーニを蔑にすれば、その時は自分がケリをつけると決めていた。いくら昔馴染みだからとはいえ、甘えたことは出来ない。それが、裏社会を生きる者達のルールだからだ。
「何か言い残すことはあるか」
「あっても、旦那に言ったところで、ってやつですかねェ……」
「そうかよ。ま、なんだかんだ長い付き合いだ。最後くらいひと思いに終わらせてやるよ」
「は、はは……たのんます……」
「……おう」
そうして、ヨハンはその手でチックを殺した。
心が痛まなかったわけじゃない。それでも、自分がやらなければならないことだった。逃げることなど、出来るはずがない。
「……あばよ」
最後にそう告げ、ヨハンは皆の後を追うのだった。