暗躍する影
――とある国、とある場所にて。
薄暗い部屋の中、漆黒のローブに身を包んだ魔法使い、シーグル・セルシェルは重たい腰を上げた。
「……ゼルマ」
シーグルがそう囁くと、何もない空間に黒い影が集まりだした。影は蠢き、まるで1つの意思の元収束しているかのようだ。
数秒後、そこにはゼルマ・リュトガースという名の呪術師が姿を現していた。彼女もまた、シーグルと似た漆黒のローブを身に纏っている。同じ組織の人間かのように。
実際、2人は同じ組織に属していた。故に、似たローブを纏い連帯感を少しでも出そうとしているのだ。そこに意味があるのかどうかは、正直なところ分からないのだが。
「実際に会うのはお久しぶりですわね、シーグルさん」
「ええ。そちらもお元気そうで何より。それで、今日はどういった御用件で?」
「うふふ、相変わらずせっかちな方ですのね。まあいいですわ。本日は例の実験結果報告と、とある情報をお持ちしましたの。どちらもあなたにとって有益なモノだと思いますわよ」
「ほう……。わざわざ私のためにですか。どういった心境の変化です?」
シーグルが訊くと、ゼルマは口元を緩ませた。
「では、単刀直入に言うことにいたしますわ。あなたの持つアルカナカード、それをわたくしにいただけませんこと?」
「私の持つアルカナカードを、ですか。しかしゼルマ。あなたはアルカナドールにそこまで興味を示していないようでしたが」
「それこそ心境の変化、ですわ、シーグルさん」
「――ふむ」
シーグルは手を顎にあて、考える素振りを見せた。
アルカナカードはこの世に限られた枚数しかないと言われている。それ故に、非常に貴重なモノだ。そう簡単に手放していいはずがない。
しかし、シーグルが持つアルカナカードは貰いものでもあった。
数年前、シーグルはアルカナカード2枚をとある人物から頂いたのだ。1枚は既に自身が使用していたが、もう1枚は正直なところ持て余していた。
絶対服従の人形は一体でいいと考えたシーグルは、もう1枚のカードをどうしようか悩んでいたのも事実だ。ここでゼルマにアルカナカードを託すという選択は大いにアリであったが、やはりそう簡単に渡せる代物ではない。
「ではこうしましょうか。あなたの持つ例の実験結果とその情報。その2つが私にとって素晴しく有益なものならば、アルカナカードをお渡ししましょう」
「うふふ、それで結構ですわ。わたくしの持つ情報は、恐らくあなたが今最も必要としているものでしょうから」
「ほう……」
シーグルの眼が鋭く光る。
シーグルの必要としている情報を何故ゼルマが知っているのかは分からないが、ここまで自信満々に彼女が言うということは、少なからず価値のある情報だろう。
相手はあのゼルマ・リュトガース。ゴルゴンという古神の化身の業を自在に操る魔女だ。外見こそ幼いが、その中身は数百年を生きているらしい。いつからこの組織に身を置いているのか知らないが、ゼルマの底知れぬ意思をシーグルはこれまでひしひしと感じていた。
「楽しみです。あなたのいう情報が、私にとってどれほど有益なものなのか。教える前にハードルを上げたのですから、それ相応のものでなければカードはお渡ししませんよ」
そこまでシーグルが言うと、奥の扉から何者かがやってきた。
シーグルとゼルマが会話をしていた薄暗い一室に入ってきたのは、この場にそぐわない容姿をした少女だった。
「――ぁ、ご、ごめんなさい……」
消え入りそうな声音で謝罪した少女の名はイニス。シーグルのアルカナドールだ。
イニスは月の化身で、ドールの固有能力は体質変化。戦闘時にはもちろん、日常生活でも活用できる能力である。
「ようやく起きましたか。まったく、お前はいつも鈍くさいですね」
「ごめんなさい……」
「謝れば済むという問題ではないのです。それに今は客人の前。少しは身だしなみを整えたらどうですか」
「あっ」
イニスはシーグルに指摘され自分の髪がくしゃくしゃになっていることに気がついた。
慌てて頭を押さえるが、時既に遅し。ゼルマはもうイニスの失態を目撃してしまっている。
「ふふ、相変わらずですのね、イニスさんは」
「困ったものです。いくら人形だからとはいえ、ここまで物覚えが悪いとは思いませんでした」
わざとらしくため息を吐き、シーグルは鋭い眼光でイニスを一瞥する。
「――ともかく、さっさとその髪を直してきなさい。そのままでいてはみっともなさ過ぎる」
「はい……」
若干涙目になりつつも、イニスは寝癖を直すべく洗面所へと消えていった。
少しの沈黙の後、シーグルは頭を左右に振り口を開く。
「やれやれ。見苦しいものを見せてしまいました」
「躾けがなっていないようですわね。まあでも、イニスさんはあれくらいがいいのかもしれませんわ」
「どういう意味です。私の部下はあのままどこか抜けたものがいいとでも?」
「ふふ、そっちの方が可愛げがある、ということですわ。別にシーグルさんを小馬鹿にしたわけでなありませんので、勘違いなさらないでくださいな」
「馬鹿にされたと捉えたわけではありませんがね。まあ、ゼルマの言いたい事は分かりました。ですが、アレに可愛げなど必要ありません。そんなもの、人形に求めるものではありませんからね」
「あらあら。シーグルさんも相変わらずですわねぇ。イニスさんもちゃんと意思を持っています。いくらアルカナドールだからとはいえ、お人形扱いはひどすぎませんこと?」
ゼルマに言われ、シーグルは呆れた調子で鼻を鳴らした。
イニスは所詮アルカナドール。感情はあれど、魂を器に入れただけの人形だ。そんな道具まがいのモノに可愛げなど必要ない。そんなのは余計なモノに過ぎないのだ。
「所詮は目的を達成するための道具です。紙を切るのに使うハサミや、食事を取るために必要な食器となんら変わらない。そんなモノに、私が情を感じるわけがないでしょう。まったくもってくだらない」
シーグルがそう言うと、ゼルマは珍しくきょとんとした顔になった。
「どうかしましたか?」
「いいえ。ふふ、しかしシーグルさんも、面白い方ですのね」
「はて、何か面白い事を私は言いましたか」
「何やらただごとではないように感じただけですわ。気にしないでくださいな」
腑に落ちなかったが、シーグルも深くは追求しなかった。
何かゼルマのツボに入ることでも口走ったのだとそう適当に解釈し、シーグルは1つ咳払いをうった。
「では、そろそろその情報とやらを教えてもらいましょうか」
「分かりましたわ。ですがまずは例の館での実験結果の方からにいたしましょう」
「ええ、構いませんよ。確か、いわくつきの館で、地下には大量の遺体が放置されていて実験の材料に困らない場所、でしたね」
「その通りですわ。実験期間は2週間程でしょうか。結果ですが、やはりスケルトンでの幻獣化は不可能でしたわ。そもそも毛色が違いますから、想定通りの結果ということですわね」
「ふむ。やはりですか。まあ、そちらには期待していなかったのでいいでしょう」
幻獣の実験など、我らが盟主の命がなければやってなどいない。組織の一部は熱心に励んでいるようだが、シーグルには別に目的があるのだ。そちらにばかり注力するわけにはいかない。
幻獣という存在に興味がない、というわけではない。むしろ興味はある方だ。だが、本腰を入れてやる事柄ではないとシーグルは考えていた。そういうのは組織の下っ端達が頑張ればいい。シーグルやゼルマなどの幹部連が力を入れる事ではないのだ。
「そういえばシーグルさんのクラーケンはあの方に倒されたのでしたわね。しかも呆気なく一撃で」
嫌味を存分に孕んだ言葉がシーグルに降りかかる。
だが、ゼルマの言うことは事実だ。それを今更否定して訂正しようなどとはシーグルは思わなかった。
ゼルマのいうあの方というのは、ウルリカという娘の事だろう。大賢者ファウスト・エスピネルが残した最後の弟子。まだ若いのに、その力は同じ弟子のシーグルでさえ計りきれそうにない。しかも、あの時のウルリカはまだ全開ではなさそうだった。そもそも杖無しの状態だったのだから、彼女の全力は計りようもないのだが。
「ウルリカさんはやり手ですよ。あの程度のモンスターでは太刀打ち出来なくて当然です」
「ふふ、さすがはシーグルさんですわ。しっかりと相手の力量を把握していらっしゃるのですね。変に言い訳したり、自身の実力を過信しすぎる最近の若手とは思えません」
「私は若手ではありませんが……。ゼルマ、あなたから見れば私もひよっこになるのでしょう」
実際、シーグルの歳はもう35を超えている。普通なら結婚し家庭を持っていてもおかしくはない年齢だが、シーグルは未だに独り身だ。特に子を持ちたいという気持ちもなく、妻を娶る気もないので、このままで構わないとシーグルは考えている。
「まあ、幻獣の研究はいいでしょう。それで、そろそろお聞かせ願いたいのですが」
「うふふ、分かりましたわ。わたくしももったいつける気はありませんの。ですが1つ約束してもらいたい事があります」
「なんでしょう。あなたがそう言うのなら、出来る限り守りますが」
ゼルマが何を考えているのか、シーグルには読めなかった。
相手はただ者ではない。正直なところ、まともにぶつかり合えばシーグルでもゼルマに敵うか分からない。
真意が読めないのだ。このゼルマという女は、一体どこまで奥が深いのか。そして、何を考え行動しているのか。独自のペースがあるゼルマの事が、シーグルは苦手なのだ。
「今からわたくしが言う事を聞いても、すぐには行動に移さないで頂きたいのです」
「……なるほど。それならば守ることも容易い。いいでしょう。お約束します」
中身が分からない状態ではあるが、こう言っておかなければゼルマは情報を渡さないだろう。そうシーグルは思ったから、相手に合わせる事にした。
それに、何も準備せずに事を起こす程シーグルは愚かではない。どんな内容にせよ、いきなり行動に移しはしない。
「ふふ、ありがとうございます。それで、内容ですが――」
わざとらしく一拍置き、ゼルマは続ける。
「愚者のドールを見つけましたわ」
「なんですって……?」
愚者のアルカナドール。
それは希少中の希少のドール。
そして、シーグルが探し求めている存在でもあった。
シーグルが愚者のドールを探している事を知っていたから、ゼルマはここまで強気だったのか。それならば、あの自信気な表情も頷ける。
「シーグルさんも一度お目にかかっていますわ」
「まさか、あの海賊船で戦った娘が愚者のドールだった……?」
思い返すと、確かに不思議なオーラを持つドールだった。
それに、不可思議な現象も起きた事をシーグルは思いだしていた。
あのドールの蹴り一発で、シールドを容易く破壊されたのだ。
シーグルの魔障壁は、自慢ではないが一級品だ。おいそれと蹴り破れる代物ではない。
(あの時は深く考えませんでしたが、愚者のドールならばあるいは……)
力の化身か戦車の化身のパワーで破壊されたと考えていたが、もしそうではなかったとしたら、あのドールが愚者の化身である可能性は十分にある。 その可能性にあの時至れなかった事をシーグルはひどく後悔した。
もし、あのドールが愚者であるかもしれないと勘付いたならば、マスターであるウルリカからカードを奪い確認する事も出来た。空間魔法を用いてイニスを呼び出し、多少無理をすればそれくらいは出来たかもしれないのだ。
「しかし、これも何かの縁なんでしょうかね。弟弟子がまさか愚者のドールを召喚していたとは……」
「ふふ、そうかもしれませんわね。人の世とは不思議なモノですわ。シーグルさんの弟弟子が愚者のドールを召喚したのも、運命だったのかもしれませんわね」
思い耽るかのようにゼルマは目を閉じた。
「それで、カードは頂けるのでしょうか」
「そうですね。愚者のドールの存在を教えて頂きましたし……。いいでしょう。私の持つもう1つのアルカナカードはあなたにお渡しします」
言って、シーグルは混沌空間へのゲートを開いた。
ゲートから右手でカードを引き抜き、それをゼルマに渡す。
「うふふ、ありがとうございます。ですが、約束は守ってもらいますわよ」
「もちろんです。愚者のドールの存在が分かったからといって、いきなり何かする事はありませんよ。ご心配なさらずに」
「それならばよいのですけど」
「しかし何故、このような取り決めを?」
行動に移さないということは、愚者のドールに手を出して欲しくないとも取れる。まさかとは思うが、ゼルマもシーグルと同じく愚者のドールを手に入れたいのだろうか。
「まだあの子は未成熟ですわ。それに、あの子からは異様な雰囲気を感じます。言うなれば、まだ食べごろではない、ということですわね」
「ふむ……。まあ、いいでしょう」
上手くはぐらされたようだが、構わない。
先の言葉で、ゼルマも愚者のドールに興味がある事は直接言われなくともシーグルには理解できた。恐らくゼルマも早々に手を出す事はしないだろう。この取り決めは、ようは牽制、といったところだろうか。
「用件は以上ですか?」
「うふふ、そうですわね。アルカナカードも頂けましたし、わたくしはそろそろお暇しましょう」
「分かりました。ではまた」
「ええ。また会えるのを楽しみにしていますわ」
言うやいなや、ゼルマは姿をくらました。
ゼルマ・リュトガース。相変わらず掴みどころのない人物である。
しかし、敵対するのはシーグルにとっても得策ではない。このまま好きに泳がせておくのがお互いのためだろう。同じ組織に属しているのだし、いきなり相まみえる事もないはずだ。
「ククク……」
自然とシーグルの口から笑みが漏れる。
愚者のドール。それが誰の所有物なのか知ることが出来た。
アルカナカードを1つ手渡してしまったが、それも特段痛手ではない。元々使う予定のなかったものが消えただけだ。
「あの、ご主人様……」
気付けばイニスが戻って来ていた。
言われた通り、ちゃんと寝癖を直してきたようだ。
「イニス。これから忙しくなりますよ。覚悟しておいてください」
「は、はい……っ」
新たな情報を得、シーグルはこれからの展望に期待を膨らませた。
第一章はこれで終わりです。
次回からは第二章になります。




