偽りの安堵
一回目の大きな揺れで、ウルリカは部屋の壁に身体を強く打ちつけた。
イオを探しに行く矢先の出来事だった。
船が大きく傾き、危うく沈没でもするのではないかという衝撃。
何事か起こっていると瞬時に察知し、ウルリカは部屋を飛び出した。
「なんなのよ、一体……!!」
あの傾きは尋常じゃない。
まさかとは思うが、大型のモンスターに襲撃された……?
とにかく、状況を知らなければ動きようがない。
ウルリカは近くにいた船員を捕まえて話を聞くことにした。
「ちょっと、何が起こっているの?」
「そ、それがまだ私にも分からない状態でして……。これから現状の確認を行いますので部屋で待機していてください」
「待機って、そんな事してる場合じゃないわよ!」
「ちょ、お客様!?」
船員を無視し、ウルリカは走り出した。
とにかく、今は行動を起こす時だ。部屋で待機なんてしていたら、師匠に怒られてしまう。
「イオ……大丈夫かしら……」
嫌な予感がする。
胸がチクチクするのだ。
何かよくない事が起こっている気がしてならない。
船内を走っていると、また船が傾いた。
1回目と比べると弱いが、それでも立っている人間がバランスを崩すには十分な傾きだった。
「やっぱりこの船、襲われてるようね……」
1回だけなら何かに衝突したとかもありえたかもしれないが、2回続けてとなると、これはもう大型のモンスターの襲撃にしか思えない。
船食いの魔物。
そういう異名を持つモンスターが存在する事をウルリカは思いだしていた。
確か、名前はキングクラーケン。その名の通りクラーケンと同じ種だ。クラーケンの身体が変異し、大きさと見た目が変わり、凶暴になったものだ。噂では船を襲っては沈没させるのだとか。これだけでかい船でも、その魔物の得物となりうるのか。
「もしそうだったら、船首に出た方がよさそうね」
階段を下り、船首への扉へ走る。
すると、船首への扉から男の叫び声が聞こえてきた。
やはり、船首が問題の場所となっているようだ。
急ぎ船首へ出る。
そこは戦場と化していた。
「……キングクラーケン……!」
海には巨大なモンスターがいた。
キングクラーケン。
でかい。圧倒されそうな程でかい。
こいつなら、この大きな船も傾かせる事が出来る。そうウルリカは確信した。
「でも、これだけ巨大なら魔術をはずすこともないわね。――って、はぁ!?」
ウルリカは目を疑った。
突然冒険者風の青年が船首から海へと飛び込んだのだ。
魔導兵器を準備していた船員も唖然としている。
自分から死地へ飛び込むなんて、一体何を考えているのか。
「キングクラーケン相手に水中戦でも挑む気なのかしら……。さすがに間抜けと言わざるを得ないんだけど……」
海の魔物のホームグラウンドに自分から飛び込むなんて、とち狂いでもしない限りやらない愚行だろう。
だが、あの青年は迷いなく海へ飛び込んだ。
諦め、身を投げたとは思えない。
何か理由がある。ウルリカにはそう思えた。
「とにかく、キングクラーケンを倒すのが先決ね」
強敵と戦う時ほど冷静に。
師匠である大賢者ファウスト・エスピネルの言葉が脳裏をよぎる。
敵を恐れない。臆さない。勝ちを思い描く。
「……疾れ、電光!」
ウルリカの魔術が炸裂した。
無数の雷撃がキングクラーケンへと放たれる。
あれだけでかいのだ。ウルリカが魔術をはずすはずもない。
「やっぱり一撃じゃ無理ね……。――くっ!?」
触手の攻撃がウルリカを襲う。
だが、素早く魔障壁を展開していたおかげで、触手はそれ以上近づいてはこれなかった。
「よし! 魔力の充填が完了した!」
「これで……!」
向こうで魔導兵器に魔力を注いでいた船員達が声を上げた。
魔力の充填が完了したということは、恐らくもう大丈夫だろう。
見たところあの魔導兵器は大砲型のようだ。威力も相当なものだろう。
「楔を放て!」
「はい!」
船員達の手によって、キングクラーケンの胴体に楔が打ち込まれる。これでキングクラーケンは魔導兵器の一撃を避ける事が出来ない。
「って、危ない!」
触手の1本が魔導兵器目掛けて振り下ろされた。
咄嗟にウルリカは魔障壁を展開させる。
ギリギリシールドは間に合った。
「助かりました!」
「よし、今だ! 撃てぇ!」
激しい音と共に砲撃が放たれた。
楔を打ち込まれ避ける事も出来ないキングクラーケンは、その破壊の一撃をもろに喰らった。
一瞬でキングクラーケンの胴体に大穴が開けられる。
やはり、魔導兵器の威力は凄まじい。
ただ、魔力の充填にかなりの時間を要する。誰かが時間を稼がないとすぐに破壊されてしまう恐れがある。そこが弱点だろう。
「く……、しぶとい……!」
「どうします!? 次の充填をしている時間は……ッ」
「何としてもヤツを沈めなければならん! でなくては身を犠牲にしてまで時間を稼いでくれたあの2人の冒険者に申し訳が立たん!」
「しかし……!」
魔導兵器の一撃を喰らいながら、キングクラーケンはまだ生きていた。
先程よりかは動きが鈍くなったが、絶命にまでは至っていない。
撃ち切りの大砲型では、次の砲撃のための準備時間が再度かかってしまう。
「アタシが来る前は、冒険者が時間を稼いでいたのね……」
1人はさっき海に飛び込んだ冒険者だろう。
だが、そうなるともう1人はどこに行ってしまったのだろうか。
まさか、さっき海へ飛び込んだのは、相方を助けるためだったのだろうか。
「……考えるより先にキングクラーケンを倒さないとね」
今は目の前の敵に集中しなければ。
「そこのお嬢さん! 頼む! 時間を稼ぐのに協力してもらえないか!?」
「お願いします! 先の冒険者のためにもあの怪物を沈めなければならないのです!」
船員がウルリカを頼ろうと声をかけてきた。
だが――
「……その必要はないわ」
「え……?」
ウルリカはお得意のゲートを大量に展開した。
空間魔法。混沌空間も、この魔法の一種である。
「なんだ、あれは……」
「大量の魔法陣……?」
ウルリカの魔法陣は、キングクラーケンをぐるっと囲んでいた。
どうにかしようと触手がウルリカを襲ってくるが、そちらは魔障壁という名のシールドが全て防いでくれる。
「さあ、終わりよ化け物」
目の前のゲートに極太の雷撃を放つ。
雷撃はゲートを通じて縦横無尽に駆け巡った。
キングクラーケンの身体を雷撃が貫いていく。
避ける事の叶わないキングクラーケンは、その身で雷撃を全て受けた。
「これは……」
「すごい……っ」
最後はキングクラーケンの真上のゲートから雷撃が落下した。
まるで雷に打たれたかのように、キングクラーケンはその巨体を振るわせる。
脳天からの一撃もモロに喰らったのだ。もう、あの怪物は動けないだろう。
「……さすがに、疲れるわね」
魔障壁と同時に大量のゲートの展開。高火力の魔術を発動と、短い間で魔力を消費しすぎた。
これ以上は無理だ。これでキングクラーケンが倒れなければ、ウルリカでさえもどうしようもない。
「キングクラーケンが……!」
船員の1人が声を上げた。
あの巨大な魔物が、海に沈んでいく。
船の至る所に絡まっていた触手も、活動を停止し海へと還っていった。
キングクラーケンが沈んでいく過程で、少しだけ船が揺れる。といっても、さっき程ではない。
「ふぅ……」
脅威は去った。
だが、まだイオに会えていない。
イオのことだから、もしかしたら船首に来ていたかもとウルリカは思っていたのだが……。
「……まさか……」
ありえないとウルリカは頭を振る。
イオがここであの化け物相手に時間を稼いでいた冒険者の1人であるはずがない。もしそうだったとしたら、イオはどこへ行ったというのだ。
咄嗟にウルリカはアルカナカードを確認するべく懐に手を突っ込んだ。カードの化身が消えていたら、それはイオの死を意味するのだ。
「……絵は……」
震える手でアルカナカードを取り出す。
「――……ある」
絵は、あった。
まだカードには化身が記されている。
ならば、イオはまだこの船のどこかにいるということだ。
「よかった……」
ウルリカは胸を撫で下ろした。
イオはここに来ていない。冒険者2人はイオじゃなかった。
きっと部屋の場所が分からなくなって、迷っているに違いない。
なら、見つけ出してあげなければ。
「イオに会ったら、ちゃんと謝ろう」
すっかり穏やかになった海を眺めながら、ウルリカはそう呟いた。