もう、何も見えない。
ディーンさんと船首へ急いだ。
辿り着くと、モンスターが甲板に上がって来ているところだった。
モンスターが船を襲っている。見たところクラーケンの群れのようだ。
クラーケンはシーグルが召喚したはものより遥かに小さく、全長約1メートルくらいだ。それでもこれだけ量がいると、中々圧巻である。
「イオちゃんはそこに隠れてて!」
「え、ディーンさん!?」
剣を抜き、ディーンさんは甲板に上がってきたクラーケンに向かって走り出した。
迷いのない行動。これが冒険者なのか。それともディーンさんが特別なのか。
思えばコビンにいた冒険者達も迷わず海賊と戦っていた。ウルリカさんも、この状況に会えばきっとディーンさんや冒険者たちとと同じく戦うだろう
。
「……私も、やらなきゃ」
クラーケンは正直怖い。
でも、そうも言っていられない。まだ船内に逃げきれていない人達もいるのだ。戦える自分がやらずに誰がやるんだ。
「はっ!」
短剣でクラーケンの触手に斬りかかった。
あのクラーケンとは違い、触手は大分小さい。短剣でも斬りおとせるようだ。
「やった! これなら……!」
倒せる。俺でもクラーケンを倒せる。
あの大きさじゃなければ、魔術が使えない俺でも太刀打ちできる。
「イオちゃん! 危ないよ!」
「私だって冒険者になるんです! 戦います!」
「で、でも……――って、はや!?」
クラーケンを倒せると確信した俺は、一気に敵に突撃した。
あのでかさじゃなければ、怖くもない。
俺は接近戦に強く調整されている。恐れるな。
「は! やぁ!」
敵陣の中央に飛び込み、次々に斬り込む。
時には蹴りを入れたりしてみたが、手応えが薄い。
クラーケンの身体は柔らかいから、体術はあまり有効じゃなさそうだ。
ならば、短剣で攻撃するしかない、か。
「それなら、二刀流で!」
刀ではないが、気分は二刀流だ。
腰に装備していたもう一本の短剣を握る。
いつもはパンチ用に空けているのだが、今回の敵は軟体動物。柔らかい身体に物理属性は効きにくい。効きにくいなら、刃を用いればいいだけの話だ。
「たぁ! はッ!」
触手の猛攻を掻い潜り、クラーケン本体へと攻撃を続ける。
身体が小さい事を利用して、クラーケンの群れを駆け巡る。
触手自体も大きくないので、身体に絡まろうがすぐに切り落とせる。
敵の動きも遅い。とにかく、斬って斬って斬りまくるだけだ。
「……イオちゃん、すごい……――。て、僕も負けてられない!」
ディーンさんもクラーケンの群れに斬りかかった。
武装した船員もやって来て、クラーケン達はどんどんと倒されていく。
この調子でいけば、何の問題もなく敵を殲滅できるだろう。
気付けば一般客も全員船内への非難が完了していた。後から来た船員が誘導してくれたのだろう。
「イオちゃん! 無理はしないで!」
「大丈夫です! これくらい……っ」
俺にだってやれる。
昨日はダメダメだったけど、今日は冒険者としてちゃんと活躍してやるんだ。
「よし……これで最後!」
二つの刃でクラーケンの身体を引き裂いた。
声も出さずにクラーケンは絶命する。
見渡すと、船首にはクラーケンの死体が大量に散乱していた。これが獣系のモンスターだったら血が出て悲惨な光景になっていたかもしれない。そう考えると船を襲ってきたのがクラーケンでよかった。
「イオちゃん、大丈夫かい?」
「ディーンさん。はい。このくらい余裕です」
「でも驚いたよ。イオちゃんって、すごい強かったんだね」
「い、いえ、私なんてまだまだです」
ウルリカさんの事を思い出すと、俺なんて全然だ。
でも、強いって言われて悪い気はしない。
自然と顔がゆるんでいた。
「でも、変だよね。クラーケンがこんな大型船に乗り込めるとは思えないんだよ」
「それは、どういう意味ですか?」
「うん。今この船は走っているよね? 普通ならクラーケンくらいのモンスター、船の力で吹き飛ばせるんだ。なのに、クラーケン達は船首にまで上がってきた。常識的に考えてありえないよ」
「言われてみれば……」
これだけでかい船に、クラーケン程度が上ってこれるとは思えない。
昨日のクラーケンくらい大きければ話は別だ。だが、今日のクラーケンは昨日のやつより遥かに小さい。船に上って来るほどのパワーがあるとは思えない。
船員の慌てようを見ても、モンスターが襲撃してくる事は想定していなかったように見える。それでも船員用に最低限の武装を積んでいたのは、万が一のためなんだろう。
「この船が走ってる……――ん?」
気になって、俺は船首から海を見下ろした。
「水しぶきがあがってない……?」
おかしい。走っているにしては、海面が緩やかだ。
船が走っているのなら、もっと海面が荒れているような気もするがどうだろうか。俺にはよく分からない。
「イオちゃん、どうしたんだい!?」
「ディーンさん、この船、走ってますか?」
「え? それはどういう……」
ディーンさんも俺と同じように船首から海を見下ろした。
「これは……」
「何か変だと思いませんか?」
「そうだね。この船、動いてないみたいだ。でも、一体どうして……」
「船の故障とかでしょうか」
「それならいいんだけど……」
ディーンさんの表情が曇る。
何かよくない事が起こっていると俺の直感が告げている。
「とにかく、船員に状況をきいてみるよ」
「はい――」
俺がそう言った次の瞬間。
船が大きく傾いた。
「うわあああぁぁぁ!?」
船首も傾いたおかげで、俺は甲板を転がり落ちる。
なんとか落ちないようにともがくが、急な事で身体が上手く動いてくれない。
「イオちゃん! 掴まって!」
「でぃ、ディーンさん!」
ディーンさんの手を掴もうと手を伸ばす。
ディーンさんは船のポールを掴んでいて、落ちる事はなさそうだ。
だけど、俺はディーンさんの手を掴む事が出来なかった。
このままでは、船首の壁に叩きつけられてしまう。
どうすれば……!?
「……ッ!」
「え……?」
ディーンさんがポールから手を離し俺の方に飛び込んできた。
しかも、身体を丸めて俺を抱きかかえる形だ。
俺は驚きに目を見開いた。そんなことをしたら、壁に叩きつけられるのはディーンさんになってしまう。俺を守るために、自分を犠牲にしようというのか。
「あぐっ!?」
壁に叩きつけられ、ディーンさんが呻き声を上げた。
垂直に落下したわけじゃないから多少は衝撃も緩かっただろうが、それでも下手したら背中の骨を折るくらいはしてしまう勢いだった。
軋む客船。船員の人達も転げ落ちたり、どこかに掴まったりしている。船内も大分傾いたはずだ。部屋の中にいればそうでもなかっただろうが、物が落ちたりして大惨事になっている事は間違いない。
「い、イオちゃん、怪我はない……?」
「ディーンさん、どうして……!?」
俺なんかを庇ってくれたんだろう。
さっき出会ったばかりの俺を、自分を犠牲にしてまで守るなんて普通は出来やしない。
「いつつ……。どうしてって、当り前じゃないか」
「ど、どこが当たり前なんですか! 私なんかを助けたってディーンさんには何の得もないのに!」
「そんなことないさ……。イオちゃんが無事なんだから」
「……っ!?」
気付けば船は元通りの水平になっていた。
ディーンさんの言う通り、俺には怪我ひとつない。
本当なら、俺だけ壁に落っこちて痛い思いをするはずだった。
でも、ディーンさんが守ってくれた。こんな、さっき出会ったばかりの子供を身体を張って守るなんて、信じられない行動だと思った。
ディーンさんの胸の中で、鼓動が速くなるのを感じた。
ドキドキしてる。自分でも分からないくらいにドキドキしてる。
「わ、私は別に……助けてくれなんて、頼んでません……っ」
「はは、そうだね。これは僕の勝手な行動だから。迷惑だったらごめんね」
「め、迷惑だなんて……」
どうしてだろうか。
素直になれない。
ディーンさんがイケメンだから? 生前に苦手だった感じの人だから?
分からない。胸が苦しい。
このまま走って逃げてしまいたい。
そんな事出来るわけないけど、そう思わずにいられなかった。
「とにかく……」
ディーンさんはゆっくりと立ち上がった。
酷い怪我をしたってことはなさそうだ。そこは少しだけホッとした。
「原因を突き止めないと、どうしようもないね。あの傾き具合からいって、最悪の展開になりそうだけど……」
「最悪の、展開……?」
「うん。正直今船首にいる戦力じゃ太刀打ちできない。せめて魔法使いでもいれば話は違うんだけど……」
「って、その怪我で戦うんですか!?」
「当然だよ。幸い骨は折れてないみたいだし、僕は冒険者だからね。皆を守らなきゃならない」
ディーンさんが顔を上げた。何かを見据えるかのように、海の方へ視線を向けている。
今度は大きな波が上がった。船首にまで海水が入り込んでくる。
「やっぱり、キングクラーケンか」
ソレは、海面から突如現れた。
笑っちゃいそうなくらいでかいその体躯は、タコとイカを足して2で割ったかのようだ。触手の量も、昨日のやつより多い。しかも一本一本がでかい。
正直、腰を抜かしてしまった。
あれはマズイ。全長20メートルくらいありそうだ。昨日のクラーケンが可愛く見える。
「大型モンスター用の魔導兵器を準備するんだ! 急げ!」
「はい!」
船員の人達も慌ただしく迎撃態勢に入っていた。
しかし、あんなでかいモンスターを倒せるのだろうか。
俺のこんなちっぽけな短剣じゃ、傷1つつけれない気がする。
ディーンさんの剣でも、あのでかさには太刀打ち出来ないだろう。
「コイツが船の動きを止めていたんだ。だから普通のクラーケン達が船首にまで上ってこれた。キングクラーケン。人呼んで船食いの魔物。冒険者ギルドの討伐レベルは8。どう考えても僕1人じゃどうしようもない……けど」
ディーンさんは剣を抜いた。
戦うつもりだ。あの化け物と。
どう考えても勝ち目はない。でも、逃げ道もない。
俺も、戦わないと。こんなとこで腰を抜かしている場合じゃない。
「私も、戦います……!」
「ダメだよイオちゃん! 危ないから下がって!」
「嫌です! 私も、私も……戦うんです! 怪我を負ったディーンさん1人になんて出来ない!」
「イオちゃん……でも……」
「何か文句でもあるんですか!」
「文句とかじゃないけど、イオちゃんが危ないし……もし怪我でもしたら……」
「ああもうごたごたうるさい! 私も戦うって言ってるんだッ!!」
ヤケクソ気味に俺は叫んだ。
言葉遣いが素になってるがこの際気にしていられない。
「い、イオちゃん!!?」
「私だって……!」
短剣を構える。
こんなちっぽけな身体とちっぽけな武器でどこまでやれるかは分からない。
それでも、ディーンさん1人にやらせるわけにはいかなかった。
キングクラーケン。
船食いの魔物。
そんなの知らない。関係ない。
俺が今やるべき事は、ウルリカさんが来てくれるまでこのモンスターを抑え込む事だ。
「きっと、ウルリカさんは来てくれる……!」
騒ぎになっているし、一度船も大きく傾いた。
ウルリカさんなら異変に気づいて船首まで駆けつけてくれるはずだ。
「こっちだ、モンスター!」
船首を駆け巡り、触手の標的を船から俺へと変えさせる。
今は無理に攻めなくていい。どうせ俺の短剣じゃ与えられるダメージも微々たるものだろう。なら、逃げに徹して時を待った方がいい。
後ろでは船員達が何やら迎撃準備を始めている。
大きな大砲のようなものや、楔を打ち込む装置のようなものもある。あれで倒せるとは思えないが、すがる物がないよりは遥かにマシだ。
「っ!」
触手が思い通り俺の方へと向かってくる。
今回は昨日のような狭い船長室じゃない。いくらか動きやすいため、簡単には捕まってやらない。
なるべく船内と兵器へ向かわないような位置取りを意識しながら避ける。時には攻撃したりして、キングクラーケンの注目を俺の方へと誘導していく。
「イオちゃん! 無理はしないで!」
「分かってます!」
ディーンさんには分かってると答えたが、多少は無理をしている。
こちらの攻撃が効けば倒せそうな気もするが、俺の武器ではダメージが通っているとは思えない。
短剣云々ではなく、単純に刃の攻撃が効いていない。RPG風に言うと斬撃属性を無効化されている感じだ。そもそもこんなにでかい相手では、剣や槍などの武器で倒せるとは思えない。
やっぱり、魔術が必要なんだ。
今はウルリカさんもいないし、どうする事も出来ない。
だから、粘る。粘って粘って粘りまくってやる。
「まだまだこれか、ら――!?」
急に身体のバランスが崩れた。
まただ。また船が傾いている。
先程よりかは緩やかだが、それでも俺の動きを制限するにはそれだけで十分だった。
一瞬の隙。
そこを敵は見逃さなかった。
「や、やば……っ」
足元がおぼつかなくなる。
すぐに態勢を整えようとしたが、触手の攻撃までに間に合いそうにない。
「イオちゃん!」
ディーンさんの剣撃が俺を襲おうとしていた触手を切り落とした。
しかし、すぐに他の触手がディーンさんを襲う。
「くっ!?」
大きな音を立ててディーンさんは吹き飛ばされた。
剣でガードはしていたようだが、受け身はとれなかったみたいだ。
「ディーンさん! 大丈夫ですか!?」
反射的にディーンさんの方へと走ってしまった。
それがいけなかった。
ディーンさんの方を向くという事は、敵に背後を向けるという事だ。
咄嗟の事で油断してしまった。
敵に背を向けるなんて、戦いにおいて絶対にやってはいけない事なのに。
「あ……――」
ふわっと身体が宙に浮く。
嫌な無重力感。前にも一度味わった。最悪の展開。
気付けば俺は触手に捉われていた。お腹の辺りを強く締め付けて来て、すごく苦しい。
「あ……、ごふ……っ!?」
ミシミシと身体が軋む。
お腹にあるものが全部出てしまいそうだ。
必死に抵抗しようとしても、力が違いすぎて勝負にすらなってない。
やばいやばいやばい。苦しい苦しい誰か助けて……っ。
「イオちゃん! イオちゃん!」
切羽詰まったディーンさんの声がだんだんと霞んでいく。
力なく両手の短剣が落下していった。
昨日のクラーケンとは違って、今日は自然の魔物。誰かに操られてもいないモンスターが捕らえた得物をどうするかなんて、容易に想像できる。
殺される。
また、俺は死ぬのか。
まだ旅も始まったばかりだというのに、こんなとこで終わるのか。
「イオちゃん! 今助けるから!」
「ぁ……がぁ……っ」
「クソ! 斬れろ! 逃げるな! 当たれよ! 斬れろよッ!!」
意識が遠のいていってる。
身体に力が入らない。
でもきっと大丈夫だ。
俺にはウルリカさんがついている。俺のピンチにはウルリカさんが駆けつけてくれるんだ。
だから、絶対大丈夫だ。
昨日だって、助けてくれたじゃないか。
だから今回も、危ない場面で魔術をばばーんと発動させてキングクラーケンを倒してくれるよ。
うん。そうに違いない。
ディーンさん頑張って触手を斬ろうとしているみたいだけど、大丈夫だよ。ウルリカさんが助けてくれるから。絶対来てくれるから。ほら、あの扉から慌てた様子のウルリカさんが…………――。
「なんでだよ! どうしてだよ! どうしてイオちゃんが……ッ!!」
「……ぁ……」
「何やってるんだよ! 早くその兵器を使えよ! 魔力の充填が足りないって……そんなのすぐ出来るだろ!! 助けてよ! あんな、あんな小さな子が魔物に殺されるところなんて僕はもう……ッ!!」
声が、出なくなっていた。
呻き声を上げるのがやっとだ。
このまま締め付けられたら、間違いなく死ぬ。
――死。
一度俺はそれを経験した。
多分、誰しもが一度は経験するんだろうが、それを覚えたまま来世に生まれ変わる魂はいないだろう。
死ぬ瞬間って、なんでかわからないけど夢を見るんだ。
今まで生きてきた中で、楽しかった事や辛かったこと、嬉しかった事や苦しかったこと。色々な場面が一瞬で脳裏に再現される。いわゆる走馬灯ってやつだ。
でもなんでだろう。今回は違う。
脳裏に蘇るのは全てウルリカさんの笑顔だけだ。
俺をこの世界に召喚してくれた。
俺を優しく包み込んでくれた。
俺をこの世界に旅立たせてくれた。
この世界に来てまだ数ヶ月。それでも、俺はウルリカさんが大好きになっていた。仮に死んでしまうとしても、ウルリカさんとわだかまりを残したままなんて嫌だ。絶対に、嫌だ。
嫌、なのに……――
「…………」
何かディーンさんが叫んでいる。
でも、俺には何も聞こえない。
暗い深淵に落ちて行く感覚。
身体が冷たいものに包み込まれ、沈んでいく。
もう、何も見えない。