空間魔法の使い手
クラーケンの巨体に、大きな風穴が開いていた。
巨大なドリルで肉を抉った、というよりも、圧倒的火力で肉を消滅させたといった感じだ。
「う、うわあぁぁぁぁぁ!?」
一瞬でクラーケンは絶命したのか、俺を捕らえていた触手の拘束が即座に解かれた。
触手からは解放された。ここまではいい。
クラーケンは海の中にいた。つまり、このままでは俺は海へダイブだ。
それがマズイ。俺はなんというか……泳げないのだ。
生前でもプールの25メートルを泳ぎ切れなかった。ビート版があれば別だが、今はそんなものあるわけがない。
つまり何が言いたいかというと――……このままでは溺れる!
「え――?」
気付いたら、俺は空を飛んでいた。
海に落っこちなかったのはよかったけど、どうなっているんだ?
俺が混乱していると、今度は足元に氷の滑り台が出来あがっていた。
す、っと宙から下ろされ、俺は氷の滑り台をサーっと滑り落ちる。
その先にいたのは……
「う、ウルリカさん!」
「イオ!」
滑り台の終着点、港に立っていたウルリカさんが俺を抱きとめてくれた。
勢いがついていたからか、ウルリカさんは少しだけ後ずさる。
直後、氷の滑り台は崩れ落ちた。
「遅くなってごめんね? あとは全部アタシに任せておいて」
「う、ウルリカさんーっ」
やっぱりウルリカさんは来てくれた。
俺は目一杯ウルリカさんに抱きつく。ウルリカさんもそんな俺の頭を撫でてくれた。
しばらくそうしていると、気が抜けつつも心が安らいでいくのを感じた。
「怖かったでしょう? でももう大丈夫よ」
「はぃ……っ」
ずっとこのままでいたい。
ウルリカさんの温もりを感じていたい。
少しの間しか離れていなかったのに、何故だか懐かしく感じる。
抱きついていると、不意にウルリカさんが海賊船の方へ視線を向けた。
「それにしても……」
「……?」
「ふふ……」
なんか、ウルリカさんが怖いんだけど……?
笑っているはずなのに、目が笑ってない。
「ふ、ふふふ……。アタシのイオになんて事してくれちゃったのかしらね……。触手プレイとかまだアタシもやった事ないっていうのに……。そんな事よりも、イオにこんな事したゴミは生かしておけないわ」
「あ、あの……」
「それで、クラーケンを召喚したやつは誰だったか分かる?」
「え、えっと、真っ黒なローブを着た魔法使い風の男です」
「つまり、あいつかしら?」
ウルリカさんが指差した先に、その男はいた。
船主に上がってきたその男は、忌々しげにウルリカさんのことを睨んでいる。
「は、はい」
「ふふ。じゃあ、駆逐しましょうか」
ドォン! と。
ウルリカさんがにっこり笑った直後、電光属性の魔術が船主を貫いた。
当然、ウルリカさんはあの男がいた場所を的確に狙っていた。
凄い。凄すぎて腰が抜けそうだ。
「って、船内には管理人さんが!」
「大丈夫よ。船内には当たらないようにするから」
連続して魔術が発動される。
宣言通り、ウルリカさんの魔術は船内へ一切向かわなかった。
魔法使い風の男も、さっき俺に対して発動させたシールドでウルリカさんの攻撃を防いでいる。
ウルリカさんの魔術は明らかに俺のキックよりも威力高そうなのに、シールドを破壊できない。
「あいつ……ただ者じゃないわね」
忌々しげに呟くと、ウルリカさんは一旦魔術の波状攻撃を止めた。
間をおかずに、今度は大量の魔法陣をウルリカさんは宙に描いた。
その一つ一つの魔法陣が歪み、混沌空間へのゲートのような形状に変化する。いや、あれはゲートそのものだ。
「これならどう!?」
再び電光属性の魔術がウルリカさんから放たれる。
しかし、今度は敵を狙わずに先程展開した魔法陣目掛けて雷撃は疾走した。ゲートが魔術を飲み込み、一瞬の静寂が訪れる。
「……!」
その静寂は一瞬にして破られた。
数多のゲートが再び展開され、敵を囲む。
魔法使い風の男目掛けて、四方八方から電撃が襲いかかった。
まるで魔術の雨だ。あんな攻撃、耐えられるはずがない。
が、その思惑は完全にはずれてしまった。
「ク、ククク……。まさか空間魔法の使い手が私以外にも存在しようとは思いもしませんでした」
魔法使い風の男は無傷だった。
傷一つついていない。
あのシールドを360度展開して完全に防御していた。
当のウルリカさんもこれには驚きを隠せなかったようだ。
かくいう俺も、あのシールドがここまで凄いとは思わなかった。
でも、なら何故俺の蹴りであのシールドは粉々に砕け散ったのだろう。
なおさら分からなくなるばかりである。
「まさか、あなたも空間魔法を扱えるとでも言うの!?」
「そのまさかですよ。疑われるのならお見せしましょう」
言うやいなや、魔法使い風の男はウルリカさんが出現させるものと同じゲートを展開した。
「そんな……! この魔法を使えるのはお師匠様くらいだと思っていたのに……!」
驚愕に顔をゆがませるウルリカさん。
空間魔法というのは、ウルリカさんの師匠であるファウストさんが得意とする魔法だったらしい。あの歪んだゲートも、その魔法の一種のようだ。
「……なるほど。何故私以外の人間が空間魔法を使えるのか疑問でしたが、そういう事なら納得がいきますねぇ。そういえばこの港近くにある森に隠居したときいていましたが、まさか本当だったとは」
「……?」
「あなたの師の名前、ファウスト・エスピネルですね?」
「な、何故それを……!?」
「簡単な事ですよ。私もそのファウスト・エスピネルからこの魔法を教わったのですから」
「な……んですって……?」
「弟子が1人だけとは限りませんからねぇ。ククク、あの偏屈爺も面白い弟子を育成したものです」
ギリっ、とウルリカさんが歯ぎしりした。
あんな男と同じ弟子だというのが気に入らないのだろう。
対峙する2人の弟子。
だが、どちらも動こうとはしなかった。
視線は交わっているのだが、両者ともアクションを起こさない。
数秒の沈黙。
その沈黙を破ったのは魔法使い風の男だった。
「このまま戦ってもいいのですが、2人同時に戦われると厳しい。なのでここら辺で退かせてもらいますよ。いい手土産も出来た事ですしね」
「ちょっと、逃げる気!?」
「そう思ってもらって結構です。少し気になる事もありますし、そろそろ潮時ですしねぇ」
振り向くと、さっきクラーケンと戦っていた冒険者達が一斉に港へ押し寄せて来ていた。
あのクラーケンが広場から消えた事で、海賊達は冒険者たちに倒されてしまったのだろう。
冒険者達も管理人さんを助けるために海賊船がある港まで駆けてきたのか、俺達に向かって管理人さんの安否を次々に尋ねてきた。
「管理人はどうした!?」
「あの黒いローブの男、何者だ!?」
「他の船員はいねえのか!?」
冒険者の質問を無視し、ウルリカさんは船主に立つ魔法使い風の男を見上げた。
ウルリカさんは、納得いかない、といった顔だ。
同じ師の弟子があんな男なら、納得出来ない気持ちは分かる。
それに、ウルリカさんの魔術は全て防がれてしまった。加え敵はあの余裕だ。気に食わない、というのもあるのだろう。
「私の名前はシーグル・セルシェル。大賢者ファウスト・エスピネルの一番弟子にして、あなたと同じく空間魔法の使い手です。――ククク、いつかまた相まみえる時があるでしょう。では、その時まで――」
言って、そのシーグルという男は足元に出現させたゲートに吸い込まれ消えていった。