酒場で一休み
港町コビン。
ベスタ大陸の最北端に位置する町で、海側には名前の通り港がある。
ベスタ大陸唯一の交易の町らしく、人もかなり多い。通りゆく人の恰好も様々で、大きな荷物や荷台を引く商人風の人もいれば、武器や防具を装備した冒険者風な人もいた。忘れ去られた大陸といっても、やって来る人は結構いるようだ。まあ、自由な土地だし、商売や冒険には向いているかもしれない。
「ようやく着いたわね。はぁ、歩くのにはもう疲れたわ」
「はい~」
「にゃあ~」
「てなわけで、酒場で休憩しましょうか」
コビンについた俺達は、早速近くにあった酒場へと向かった。
そこで一休みして船に乗り込む予定だ。さすがに連続して先頭をこなしてきたから、体力的にも限界だ。ここらで休まないとキツイ。
コビンの町に入ってから数分歩き、俺達は酒場に入った。
その酒場は、俺の想像していたものと結構近いものがあった。
カウンター席があって、丸テーブルが店内にいくつか設けられている。酒場は木で造られた建物で、温かい雰囲気だ。
「適当に座りましょ」
「はい」
近くにあった丸テーブルを陣取り、ようやく腰を落ち着ける事が出来た。
数時間歩いたり戦ったりとハードな道程だったから、座れるだけで大分楽だ。ちなみにミィは俺の膝の上で丸くなっている。
ミィを撫でていると、ウルリカさんが店主を呼び付け飲み物を注文していた。お酒ではなく軽めのドリンクを二人分頼んだようだ。
店主は注文を聞くと、軽く一礼してからカウンターの向こうへと消えていった。
「そういえばお酒って何歳からでも飲めるんですか?」
「お酒? 特に決まってないんじゃない? 年齢制限のある国はあるかもしれないけどね」
「へ~、そうなんですか」
生前の世界ではお酒は二十歳からだったのになぁ。
つまりあれか。幼女でもお酒飲めるのか。すごい世界だな。
生前の俺はお酒まったく飲めなかった。でも、この幼女の身体ならお酒も飲めるかもしれない。ま、飲もうとは思わないけど。
「イオったら変な事をきくのね」
「あっ、いえ、なんとなく気になってですね……」
マズイ。前世の記憶があるからつい訊いてしまった。
よくよく考えてみればおかしな質問だよな。
前世が二十歳からしかお酒を飲めない世界だったから、この世界でもそうなのか気になるのは俺に記憶があるからだ。それを尋ねる時点で、ウルリカさんからしてみれば変な質問になるんだろう。しかもこの世界では特にそういった決まりはないみたいだし。
「ふ~ん。あ、でもアタシはあまり飲めないわよ? イオはどうかしらね」
気にしてなさげなウルリカさん。
よかった。あまり不審に思われなかったようだ。
「私は……まだちょっと分からないです」
「それもそっか。試しにお酒、頼んでみる?」
「え!? い、いえ遠慮します!」
お酒は苦手だったので、酔うイメージが強い。
身体はこうして変わっているが、精神的にお酒は苦手なままだ。弱いと自分が思っているのだから、実際に口にしたら速攻で酔ってしまいそうだ。
「冗談よ。――っと、きたみたいね」
店主がトレーにグラスを二つ乗せてやってきた。
丸テーブルの上にグラスを置き、店主は去っていった。
しかしこれ、ホントにジュースだろうな……?
「警戒してるわねぇ。でも、心配しなくてもそれはジュースよ。お酒じゃないわ」
「そ、それは分かってますけど……」
ちょっと心配になってテーブルの上のグラスをマジマジと見つめてしまった。そんな俺を見て、ウルリカさんはそう言ったのだろう。
「い、いただきます」
グラスを手に取り、中に入ってるジュースを飲む。
うん。甘いオレンジ味のジュースだ。生前の世界にもあったオレンジジュースの味とほとんど同じだ。色もオレンジで、こういうところは生前と変わらないんだなと思う。
世界が変わっても、多少は常識が通用する。海も似ていたし、植物や動物も生前のものと似ている。何もかもが違う世界だったら、今頃もっと混乱していた事だろう。
「ふぅ。生き返るわ。やっぱり疲れた身体に甘いものはいいわね~」
「ほんとですね~」
「チョコレートとか食べたいわね」
「チョコ、レート……?」
なん……だと……?
この世界にもチョコレートが存在するのか!
「あら、知らない? お菓子の一種でね、甘くて美味しいのよ」
「甘くて美味しい……チョコレート……」
好きな食べ物はときかれたらトップ5には入るであろう程の好物チョコレート。それがこの世界でも食べられるなんて、まるで夢のようだ。
前の世界では毎日のようにチョコレートを食べていた。母さんがいっつも買ってきてくれて、俺に食べさせてくれたのだ。
思いだすだけで幸せな気持ちになれる。
――チョコレート、ああチョコレート、チョコレート。
ついつい俳句が出来あがってしまう程だ。
「ちょっとイオ! よだれよだれ!」
「――はっ!? す、すみません……。甘くて美味しいチョコレートに気を取られてしまいました……」
「そ、そんなに好きなら、あげるわよ?」
「ほ、ホントですか!?」
「ええ。混沌空間には色々と保管してあるからね。よ――っと」
周りのお客さん達に目立たないように、ウルリカさんはテーブルの下で混沌空間のゲートを展開した。最小に展開されたゲートに手を突っ込み、ウルリカさんは中から薄い長方形のものを取りだした。
「はい。板チョコよ」
「板チョコ……っ」
ああ、いつ以来だろうか。
君を切望していた。この世界にあるなんて思いもしなかったよ。
チョコレート。なんて甘美な響き。その名を聞いただけで俺の身も心も蕩けてしまいそうだ。
だが、この素晴しい食べ物を一人占めなど出来るはずがない。
俺は名残惜しい気持ちを残しながら口を開く。
「は、はんぶんこ……に、しますね」
一人占めしたい衝動を抑え、俺はそう提案した。
このチョコレートは元々ウルリカさんのモノだ。それに、主人の前で一人チョコレートを頬張るなんて出来ない。
「あら、いいの?」
「はい。元々はウルリカさんのものですし……。それに、一緒に食べた方がきっと美味しいですよ」
「……ふふ、そういうことならありがたく頂くわね」
パキっと板チョコを割り、その半分をウルリカさんは口にした。
俺も久しぶりのチョコレートを堪能する。
うん。やっぱり味も同じだ。
見た目も生前のモノと同じだし、製法とかも一緒なのだろうか。この世界にもチョコレート菓子を造ってるmei○iとかあるのかな。って、あるわけないか。
「やっぱり甘いわね~。でもこの甘さが癖になるわ」
「はいっ。美味しいです!」
いつ食べても、チョコレートは美味しい。
この世界でも変わらず甘くて美味しくて病みつきになりそうだ。
ただ、オレンジジュースとは合わないな。どっちも甘いし。
「――ごちそうさまっ、と」
ウルリカさんはチョコレートを食べ終え、ふぅ、と一息ついた。
「――さてと、酒場なんだし、ちょっと情報収集でもしてこようかしらね」
「あ、私も手伝います――」
そこまで俺がいいかけた瞬間。
酒場の外から悲鳴が聞こえてきた。
それも一つや二つじゃない。たくさんの人が襲われているような悲鳴だ。
物が割れる音や、人の叫び声がどんどん広がっていく。どう聞いてもただ事じゃない音に、俺は手に汗を握った。
一体、何が起こったんだ……!?
「な、何事だ!?」
「何が起こった!?」
酒場内にいた客たちがざわめきだした。それもそうだ。これだけ物騒な音が鳴り響けば驚いて当然だ。
ウルリカさんも怪訝そうに酒場の外に目を向けている。
とにかく、何が起きたのか確認するために外に出なければならない。怖いけど、ここでジッとしていても何にもならないんだ。
行動を起こさなければ。何かよくないことが起こったんなら、俺に出来る事をしないと。生前のように臆病風に吹かれている場合じゃない。
そう俺が考えていたら、酒場の扉が外から開いた。
「お、おい! 海賊が攻めてきたぞ!」
酒場に入って来た若い男が、緊迫した表情で叫んだ。
海賊が攻めてきた……って、この世界にも海賊なんて存在するのか。
「戦える冒険者を集わせるんだ! 相手はそこまで多くない!」
「海賊か! よし、行くぞ皆!」
一つの丸テーブルに陣取っていた冒険者風のグループの人達が、武器を手に慌ただしく酒場から外に出ていった。
続いて他のテーブルのグループもどんどん外に出ていく。
皆、海賊と戦うつもりなんだろうか。
「ウルリカさん……」
「大丈夫よ。あなたはアタシが守るからね」
本来なら俺が守る立場なんだが、優しいウルリカさんはそう言ってくれた。
「とりあえず、様子をみましょう」
「はい……っ」
こんな時でもウルリカさんは冷静だ。
それにしても海賊とは……。
なんてタイミングの悪い時にやって来るのだろう。
まだ休憩も済んでいないけど……。
泣き言は言ってられないよな。