力の目覚め
目の前にいるのは月のアルカナドール。名はイニスといったか。
見た目は普通の少年だ。服装も普通、武装している気配もない。
いったいどんな能力を使うのか予想もつかない。
「……愚者の固有能力、それを確かめさせてもらいます……!」
イニスは腕を振り上げる。
すると、その腕がスライムのように溶け、再構築された。
「……っ、あの能力は――!」
イニスの右腕は、槍のような鋭利な武器となった。
自分の身体を変化させる能力を、月のドールは有しているようだ。
「見て分かる通り僕の能力は体質変化。身体を自在に変化させることができます」
「……みたいですね」
体積なんかも自由自在なら、かなり厄介な能力だ。
見たところ、あの腕のランスは程ほどの大きさ。もしかしたら大きさには制限があるのかもしれないが――。
「いきます……!」
イニスが俺の方へ飛び込んできた。
抜き放った短剣を前方へ構え、受ける態勢を取る。
「っく!」
ガキィン! という音をたて、イニスのランスと俺の短剣がぶつかり合う。
見た目通り、金属質のようだ。腕を変化させたランスとはいえ、その材質は本物同様ということか。
「次は二本でいきます!」
イニスの左腕も、右腕と同じようにランスに変化した。
変化させることが出来る部位は腕だけなのだろうか。足も変化させることが出来るのなら、かなり厄介な能力になりそうだが……。
「はぁぁっ!」
「その程度のスピードなら避けるのは造作もありません!」
俺は受けることはせず、イニスの2重ランス攻撃を回避した。
ランスは地面を抉っており、まともに喰らえば大怪我じゃすまないことを物語っている。
「さ、さすが愚者のドールですね……。能力も使わずに僕の攻撃を簡単に躱すなんて……」
「……」
「ですが……!」
イニスの猛攻を時に受け、時に躱し対応する。
少しの間、戦闘は続いた。だが、イニスがどうも俺を倒そうという感じではないので、中々本気で攻撃をしづらい。それに、イニスはどうやら戦闘力はそこまで高くなさそうだった。能力は厄介だが、彼自身の強さはそれほどではないように見える。
「これだけやってもまだ使わないんですね……」
アルカナドールの固有能力か。
イニスはまだ、俺が固有能力を使えないことを知らないのだろう。
だが、能力がなくたって関係ない。そもそもの基本スペックは高いのだ。鍛錬を積めば、能力なんてなくたって戦える。
「……っ!」
などと考えていたら、また頭痛に襲われた。
エリスさんと戦ってから、頻繁に起きる頭痛。
そして、イニスとの戦闘でまたもや起きた。
やっぱり、身体が俺に何かを知らせようとしているのか……?
「能力を使わないのなら、使わせるまで――!」
再度イニスが肉薄してくる。
今は頭痛がどうのといっている場合じゃない。目の前の敵をどうにかするのが先だ。
「次はこれで……! チェンジ・ハンマー!」
イニスの両腕が合体し、大きなハンマーへと変化を遂げた。
飛び込んできた勢いとハンマーの重量を乗せた重い一撃。
咄嗟に横っ飛びし、ハンマーの一撃を躱す。
ランスと違って、面が大きいから避ける距離も増える。
これは、急に変化されたら対応に遅れてしまうぞ。
「ぐっ……! 今度は眼が……!?」
頭痛の次は眼に激痛が走った。
いったいなんだっていうんだ。これがアルカナドールの身体の代償だとでもいうのか。
でも、そんな話ウルリカさんもしていなかった。
力の代償なんて、カードの制約ぐらいなものだと思ってた。
「……? 何故急に膝を……」
「……っはぁはぁ……」
「まさか、僕の攻撃がきいている……?」
「そういうわけじゃ、ありません……っ」
「じゃ、じゃあどうしてそんなに苦しそうなんですか……?」
「私が知りたいくらいです……!」
片膝をついた俺は、左目の激痛に呻いていた。
体中の魔力が眼に集まっているかのようだ。
能力に目覚めようとしているのだろうか。
それにしては、何かがおかしい気がする。
この違和感、おかしいのは、俺の身体の方か――
「ど、どうしよう……ご主人様から愚者の能力を探るように言われているのに……」
イニスが体質変化を解き、慌て始めた。
そうか、彼の目的は俺の能力をシーグルに報告することだったのか。
残念だったな。俺はアルカナドールとしては未熟者……。今はまだ能力を持たない無能力者だ。
「隠す必要もないので言いますが……私はまだ能力に目覚めていません……。だから、シーグルにはそう伝えてください……」
少しずつ痛みが引いてきた。
相変わらず左目の熱は引かないが、頭痛はだいぶ和らいだ。
「愚者の能力に目覚めていない……? そんなこと……起こりうるんでしょうか……?」
「実際に起こっているので事実ですよ。ふぅ……やっぱり、私の身体はアルカナドールに反応しているのかも……」
俺は立ち上がり、押さえていた手を左目から離す。
すると、視界がおかしなことになっていた。
右と左の目で、見えている景色が違う。
左目だけ、円のようなものが混ざりこんでいるのだ。
ハッと思い、俺は今度は右眼を閉じた。
すると――
「な……なに、これ……。――!」
その円でイニスを見ると、彼の情報が一気に脳裏に流れ込んできた。
情報の波に押しつぶされそうだ。一瞬の出来事だったが、脳内にイニスの情報がインプットされたのが分かる。
「そ、その瞳の模様は……! さっきまで何もなかったのに、なんで……?」
「瞳の模様……? 私の瞳ですか?」
「そうです! どこかで見たことあるような……確か、ご主人様が読んでいた資料の中に似たような模様があった気が……」
「……瞳に模様」
まさか、これが愚者のドールの能力だとでもいうのか。
それにしては地味だ。左目で相手を見るとその情報が脳内にインプットされる力。確かに便利ではあるかもしれないが、なんだか思っていたのと違う。エリスさんみたいに炎を操ったりできた方が強そうだしな。
「と、とりあえずご主人様に報告しないと――」
言って、イニスは耳に手を当てた。
彼も通信の魔具をもっているようだ。
「あ、あれ、でないな……」
「向こうでも戦闘が起こっているでしょうし、余裕がないのでは?」
「そ、そうですよね……。どうしよう……」
オドオドし始めるイニスを横目に、俺は左目の感覚を確かめようと他のモノを見ようとした。だが……
「あれ、消えた……」
さっきまで見えていた変な円は消え、通常通りの視界に戻っていた。
これが愚者の固有能力なのかは判らないが、明らかに普通の魔術の類ではないのはわかる。ひとまずウルリカさんに相談するとして、今は主の元へ戻るのが先決か。
「イニス、私達はアルカナドールです。私のことも彼に伝えなければならないのでしたら、一度主たちの元へ戻りませんか?」
「で、ですが……」
「主を守るのがドールの役目のはずです。通信に応えられない程切羽詰まった状況で、私と戦っている場合ではないでは?」
敵に言うセリフではないかもしれないが、イニスはどうも臆病そうな性格だ。強めに言えば従ってくれる可能性は高い。
「……そ、そうですよね。ご主人様を守るのが僕たちの役目……」
イニスは逡巡した後、意を決した。
どうやら上手くいったようだ。
「戻りましょう……! えっと……」
「私の名前はイオです」
「はい……! では、イオさん、こちらへ」
そうして、俺達は元の場所へ戻ることになった。