これはきっと夢に違いない
「……?」
目覚めたら、薄暗い部屋にいた。
まだ目が慣れていないのか、辺りがよく見えない。
ここはどこだ……?
俺は今、強烈な違和感を感じていた。
何かがおかしい。
つい先ほど、俺は確実に死を体験したのだ。病院のベッドの上で、家族から看取られたのまで記憶している。しかし気付いたらこの有様だ。
視界がブラックアウトするならまだしも、目覚めるというのは変な話じゃないか。
「――~~――~~!」
誰かの声が聞こえる。綺麗で澄んだ女性の声だ。
だが、俺はこの声に聞き覚えはない。こんな声優でもびっくりしてしまいそうな美声を持つ女性なんて、俺の周りにはいなかった。
呆然としていると、辺りを包んでいた靄のようなものが徐々に消え去っていく。
「ふぅ」
数秒後、俺の目の前に人が現れた。
いや、現れたのではない。元からそこにいたのだ。
「……やった。成功だわ……っ」
目の前の人物は、まごうことなき美少女だった。
俺こと、伊吹直人が二十四年間の人生で一度もお目にかかったことのないレベルの美しさを彼女は持っていた。
アッシュブロンドの髪、キリっとしているがまだ少女を思わせる瞳、整った唇、誰もが羨むであろうボディライン。
そんな美少女が息を荒げ、何かを握りしめている。
あれは……カードだろうか。長方形で、どことなくタロットに使うカードに似ている。いや、実際に見たことはないから定かではないんだが、雰囲気が同じというか。とにかくそんな感じのものだ。
そのカードを大事そうに懐に入れ、美少女はそのアッシュブロンドの髪を揺らし俺に近づいてきた。
「アタシがわかる?」
美少女の問いはとてもシンプルなものだった。
だが、当然俺はこんな美少女を知らない。
だから首を横に振った。そこで気付いた。
自分の髪が、女性のように長い。
そりゃ男のくせにロン毛の野郎とかはいたが、俺はごく普通の髪の長さだったはずだ。こんな、首を振っただけでゆらゆらと揺れる長さの髪なんて持ち合わせていない。
まさか、髪が伸びた? 死んだはずなのに、髪って伸びるのか?
いやいや、有り得ないだろ。いくらなんでも一瞬で伸び過ぎだろ。
それに、俺の髪はこんな綺麗な銀色じゃないし。日本男児らしく黒髪だった。
何もかもがおかしい。
一体、俺の身体に何が起こったんだ……?
「う~ん。アタシのことがわからないってことは、もしかしてそもそも言葉がわからないのかしら……それとも……でもそうだとしたらまずいし……」
美少女はそう言って困惑していた。
ちなみに言葉はちゃんと理解できている。どう見てもこの美少女は日本人ではないが、ちゃんと俺の知る言語で喋ってくれていた。
まあ、俺の知る言語なんて日本語しかないんだけどな。英語は一応学んだが、こんなはっきりと聞きとれる能力はなかった。
っと、そんなことより、言い返さなければ。美少女も困ってるし。
「こ、言葉は……わかります……」
……は?
な、何この可愛らしい声。ちゃんと俺が発したものだよな……? どう聞いても女の声だろこれ。
しかし、俺の困惑とは裏腹に、美少女は笑みを浮かべた。
「そ、そう! よかった! なら、記憶はある?」
「き、おく?」
「そう、記憶! 何か覚えてることとかない?」
「え、っと」
ありすぎてヤバイ。
二十四年間の人生の記憶がたっぷりあるのですが、どう説明していいのやら。
「――うん、やっぱり記憶はないみたいね。よかった」
「ぇ……」
俺がどう言おうか悩んでいたら、美少女は勝手に決めつけていた。
しかしだ。記憶がないのがよかったってのはどういう了見なのか。
普通、記憶って無いとまずいものじゃないか? 何も覚えてなかったらそれは産まれたての赤ん坊か、記憶喪失者くらいなものだろうし。
「身体への魂の定着も大丈夫みたいね。アタシのことがわからないのはいいとして、あとはちゃんと能力を持っているかだけど……。まあ、それは後でもいいわね」
「あ、あの……」
「ん? なに?」
「ここ、どこですか?」
「あ、そっか。記憶がないから今のあなたは知恵のある赤ん坊みたいなものね。大丈夫、安心して。ちゃんと教えてあげるわ」
美少女は微笑んだ。
それだけで俺の心臓はバクバク鳴っている。こんな友達もいないようなぼっちの人間に微笑みかけてくれるとか、この人は天使に間違いない。
しかし、これは夢なのだろうか。訳が分からな過ぎて、頭がパンクしそうだ。
目の前の美少女といい、俺の声と髪といい、やはり俺は死んでしまってそこから夢でも見ているのだろうか。
「あの、あなたの名前は……」
とりあえず美少女の名前を訊くことにした。
いつまでも美少女という呼び名では変だしな。
「アタシはウルリカ。ウルリカ・リーズメイデン。見て分かる通り、魔法使いよ」
「ウルリカ……。魔法使い……」
言われてみれば、確かに頭の上に魔法使いっぽいとんがり帽を乗っけていた。先っぽが折れており、非常に可愛らしい。
「そしていつかはお師匠様のような立派な賢者になる女よ!」
高らかに美少女は宣言した。
よく分からないが、賢者になることが目標なのだろうか。
「賢者……」
やはり、俺は夢を見ているらしかった。でなければ賢者やら魔法使いやらといったワードが自己紹介で出てくるはずがない。
つまりここは異世界か。魔法使いとか賢者とかそういうのがいる世界っていうと、ドラ○エみたいな世界なのか。魔物とかもいるのだろうか。ファンタジーな世界なんだろう、きっと。
「そ。賢者っていうのは魔法を極めたり、たくさんの知識をもった人がなれる存在なのよ。まだあなたにはよく分からないかもしれないけどね」
「そう、ですね」
やはりこのロリ声は俺のもので間違いないらしい。再三声を発したが、自分の言葉は全てロリ声に変換されてる。
考えるに、俺は女になったのだろう。髪も長いし。
結論。俺は夢を見てる。しかも女になっている。
まあ、死んだ後の世界なんて誰にも分からないからな。死んだらこうやって夢を見続けることになるのかもしれないわけだ。全て消えてなくなるのよりはマシか。
でも、夢なら自分の意思なんて無くて、勝手に物語が進むんだろうな。そして、俺はその死後の壮大なストーリーを第三者の視点で見る。もう一度人生をやり直せるわけじゃない。ただ漠然と夢を見続けるだけ。それが良いのか悪いのか分からないが、なんとなく残念に思えた。
出来る事なら、もう一度人生をやり直したい。生前から俺はそう強く願っていたから、今のこの状況のせいで余計にそう思ってしまう。
……まあ、そんなうまい話あるはずがないわけで。
ならせめて、この夢を思いっきり楽しんでやろう。きっと、俺なんかとは違いこの子ならまともな人生を歩んでくれるはずだ。
「まだ初めだし、色々説明したいところだけどここじゃ場所が悪いわね。とにかく、上に行きましょうか。話はそれからにしましょう」
「わ……っ」
急に腕を掴まれ、俺は心臓が飛び跳ねるくらい驚いてしまった。
人に触れられたのなんて何年ぶりだろう。
夢なのに、ウルリカさんの手はすごく温かかった。それだけでなんだか満たされた心地になる。
「あなたはまだこの世界に来たばかりで、何も分からないかもしれない。でも、だからこそ面白いの。アタシもまだ知らないことがたくさんある。だから、これからアタシと一緒に……世界を見て回りましょう」
「世界を……?」
「そうよ。アタシとあなた。二人でこの世界を旅するの。どう? ワクワクしてこない?」
「旅……」
「そ! せっかく人として産まれたんだから、色んなことを知りたいし、色んな所に行ってみたいし、色んな人と会ってみたいじゃない? ずっと家にこもって暮らしたりしていたらもったいないわ!」
「……」
ウルリカさんの言葉は、生前の俺に言っているかのようだった。
生前の俺は、いわゆる引きこもりというやつだった。友達もおらず学校も行かず就職もしなかった。悪く言えば引きニートというやつだ。
それでも俺は、外の世界に想いを馳せていたんだ。
もっと色んなことを知りたかった。もっと色んな所に行ってみたかった。もっと色んな人と出会いたかった。
だが、実際にはそんな勇気は無く、引きこもり続けた。一人では、心細かった。
でも、それも言い訳に過ぎない。可能性を諦め、俺はずっと何もしない怠惰な毎日を送っていた。心ではもっと色んなことをしたいと願いながらも、何かにつけて適当な理由を持ち出し、行動を起こさないできた。挙句の果てには病弱な身体が災いし、二十四歳という若さで死んでしまった。
今思えば、後悔だらけの人生だった。あれやこれやしたいと思っていても、結局何も出来ず仕舞い。想いだけじゃ、人は変われない。考えているだけじゃ、何も得られない。理解していても、実際に行動するのは難しい。
「心配しなくていいわ。あなたは一人じゃない。ちゃんとアタシが傍にいるから」
「あ……」
こんな気持ちは久しぶりだ。
人の温かさを感じること。やっぱり嬉しい。
この人となら、やれるかもしれない。不思議と勇気が湧いてきた。
といっても、実際やるのはこの俺の分身の子なんだけど。
「さ、行くわよ。やることは山積みなんだから、もたもたしてられないわ!」
強引に引っ張られ、俺はウルリカさんと共に薄暗い部屋から出る。
さらに階段を上り、地下から出た。
――ここから、俺の死後の夢が始まる。
どんな物語が待ち受けているのか。
映画のようなストーリーになるのか。それともごく平凡な人生となるのか。
柄にもなく、俺の心は弾んでいるようだった。
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