小学校時代
河井くんと私の「接点」は、高校ではあの学ランだけだった。
けれど本当は、そのずっと前から、細い糸みたいなものがつながっていた。
小学校5年の冬。
父の仕事の都合で、私は新しい町の小学校に転入した。
「今日から、このクラスの仲間になります。自己紹介してください」
担任の先生にうながされて、私は黒板の前に立った。
教室の後ろのほうから、どっとざわめきが起きる。
転校には慣れているが、どうも様子がおかしい。
普通、恥ずかしいくらい転校生を品定めするように見るものだが、
皆、一様に下を向いている。
「よしこです。よろしくお願いします」
精一杯の声を出して、ぺこりと頭を下げた。
拍手は・・・・無かった。
そして男子の声がする
「すげえブス。キモっ」
その瞬間、クラス中がドッと笑いがおき、いっきにわきたった。
◇
そのクラスには、「転校生いじめ」という、妙な伝統があった。
ルールは簡単だ。
新しく入ってきた子を、クラス全員でいじめる。
いじめは次の転校生が来るまで続いて、標的もそのたびに乗り換えられていく。
私が来る前にいじめられていたのは、河井くんだった。
色白で、頬がほんのり赤くて、目のきれいな男の子。
これは後で聞いた話だが、私が転入してくる前までは、
机の中にはゴミが入れられ、ランドセルは隠され、
給食の時間にはおかずに消しゴムのかすをたくさん入れられていたらしい。
そして私が転入してきた日を境に、彼は「いじめられっ子」から外れ、
私がその席に座らされた。
「なあ、おまえ、鉛筆貸して」
「……うん」
「うわ、きたな。よしこ菌がうつるわ」
鉛筆は投げ捨てられ、皆の笑い声が響く。
ノートや教科書には、「汚い」「死ね」「嫌われ者」と
思いつく限りの罵詈雑言を落書きがされる。
掃除の時間には、雑巾の水をわざと私の上ぐつにこぼし、
「臭いなぁ。よしこからごみの匂いがする」
とはやしたてられた。
笑い声は、いつもクラス全体から聞こえてきた。
誰かひとりがやっているのではなく、「みんなで」やっている感じがした。
その輪の中に、河井くんもいた。
私が黒板消しを落とされて白い粉まみれになったとき、
お調子者の長浜と言う男子が
「よしこの頭、フケだらけやで。汚いな。なあ、河井」
と言ったとき、河井くんは
困ったように笑った後、俯いたが、はっきり肯定はしなかった。
私はそれが少しだけ嬉しかった。
あのときの、長いまつ毛の影を、私はよく覚えている。
◇
いじめは、最初の1週間で「こういうものなんや」と私に理解させた。
誰かが私の悪口を言うと、クラスのみなが一斉に同意する。
顔が熱くなる。涙がこみあげてくる。
でも、泣いたら余計におもしろがられるとわかっていたから、私は必死に唇を噛んだ。
◇
いじめが始まって2か月ほどたったころ、新しい転校生が来た。
マキボウ。
名前が真紀で、髪の量が多くてボウボウだからと、
クラスの子たちがつけたあだ名だ。
「うわっ。臭っ。マキボウ通ったら臭いなぁ。」
「近くにきたらマキボウ菌に冒されるで」
翌日、マキボウは髪をまとめてきた。ボウボウでなくなっても
皆の反応は変わらない。
休み時間。
案の定、みんなの視線は一斉に彼女へと向いた。
「なあ、マキボウ。あんたのランドセル、見せて」
「え、あ、うん」
ランドセルを開けさせ、中身を勝手に触る。
笑いながらノートを取り上げて、落書きをする。
私は自分の席から、その光景をじっと見ていた。
胸の中に、ぎゅっとした痛みがわきあがる。
さっきまで、自分があの場所にいた。
今日からは、あの子がそこに立たされる。
「よしこ、見てみ。マキボウの髪型、気持ち悪いなぁ
頭にうんこつけてるみたいやで」
またお調子ものの長浜が私の肩をつついて、ひそひそ笑いを向けてくる。
私は、思わずその手を払いのけた。
「……やめえや」
自分でも驚くくらい大きな声が出た。
「マキボウのこと何も知らんのに、悪く言うの、やめえって言うてんねん。
マキボウのノートに落書きすんのもやめえな。
あんたらいつまでこんなくだらんことするんや。かっこ悪いで」
教室の空気が、一瞬で固まった。
ざわざわとした声が止んで、いくつもの目が私を見た。
マキボウも、ランドセルを抱えたまま固まっている。
沈黙を破ったのは、クラスの男子のリーダー格のカツヤだった。
「なんや、えらそうに。おまえもさんざんやられてたやろ」
「せやからや」
私は、思い切り睨み返した。
足は震えていたけれど、なぜか目だけはそらしたくなかった。
「さんざんやられて、めっちゃ嫌やったからや。
こんなんのどこがおもろいねん。胸くそ悪くなるだけや」
カツヤの子分各の男子が一歩、こちらに踏み出してくる。
それをきっかけに、数人の男子が私を取り囲む。
がたん。カツヤが椅子を蹴飛ばした。
私のまわりにいた男子が私をおさえつける。
カツヤが私に顔をぐっと近づけて言う。
「キモいこと言うなや、またやられたいんか」
「うちは間違ったこと言うてへん」
「その汚い口、閉じろいうてんねん」
「なんで閉じなあかんねん、なんかいでも言うわ。
くだらんことマキボウに言ったりやったりすんの
やめえや。」
私をおさえつけていた男子のひとりが
「キモっ」という
そしてクラス中が「キモイキモイ」の大合唱だ
勝ち誇ったように私をにらみつけるカツヤ。
私はここでひるんだら負けになると思い
カツヤに唾が飛ぶのも気にせず、大声でまくしたてた。
「はっ。笑いが止らんくなるわ。
いつも同じことしか言われへんのやな。
きもい、くさい、しね、ブス。
おまえのかあちゃん、デベソと同じレベルや
意味のあることなんて何も言われへん。
低脳、クソガキ、ノータリンレベル」
バシっ
いきなりカツヤに平手打ちされる。
暴力に耐性がある私の罵詈雑言が止らない
私は完全にキレていた。
毒舌で近所で有名になってしまっている母が
まるで乗り移ったかのように
相手を傷つける言葉が湯水のようにあふれ出てくる。
「なんや、カツヤ、女子ひとりに男4人て
頭おかしいんとちゃう?
言葉につまったらすぐ暴力やなんて
低脳すぎて、さすがに理解できひんわ」
私の罵詈雑言には信念がある。
相手の言動や態度に対して攻撃するが
相手の容姿や性格への攻撃は絶対にしない。
少し沈黙したあと
「こいつイカれとる。どこまできもいねん。」
そう言い捨てると、カツヤはふいっと顔をそらして
子分の男子たちと一緒に教室の後ろのほうへ引いていく。
何人かの女子も、それについていった。
教室のざわめきが、少しずつ日常の音に戻っていく。
ぽつんと取り残されたマキボウのところへ、私は歩み寄った。
「大丈夫?」
「……うん」
彼女の目は、うるんでいたけれど、涙はこぼしていなかった。
「うち、よしこ。ここ、いろいろめんどくさいけど……
一緒におったら、なんとかなるわ」
そう言って笑うと、マキボウも、ほんの少しだけ笑った。
◇
小6の6月、また父の仕事の都合で、私は転校することになった。
「今までありがとう。また遊ぼうな」
「新しい学校でもがんばりや」
ありきたりな言葉が並ぶ中で、河井くんが私の席の近くに来た。
彼は少しうつむいたまま、ぽつりと言った。
「よしこちゃん……元気でね。」
それだけ。
色白で、相変わらず紅い頬で、ちょっと恥ずかしそうに笑っていた。
あの教室で、私が最後に見た河井くんは、
暴走族の旗持ちでも、口の悪いヤンキーでもなく、
色白で、バラ色の頬をした、紅顔の美少年のままだった。




