第九十三話
大きな痛手を受けたマリール村の復興は、フェイルシアの国軍が来た事で冒険者たちの大半はお役御免となった。
また、マリール村の近くに点在していた村はほとんど壊滅状態ではあったが、生き残りが少数いたため彼らはマリール村に移住する事となった。
志希達はマリール村から彼らを迎えに行き、送り届ける仕事を請け負ったりした。
それらを終えた後は、エドワードのすすめでフェイルシアへと戻る事となった。
半月ほどエドワードを師事する事が出来たおかげで、志希の魔力運用や魔術の腕は上がった。
同じ事がアリアにも言えるのだが、彼女の場合は今まで以上に緻密で素早く魔術を構築する事が出来るようになっていた。
エドワードが感心するほどの熱心さと上達具合に、志希は舌を巻くほどである。
志希が苦労してできた事を、難なくこなすアリアをに嫉妬と羨望の眼差しを向けてしまう。
彼女を目標に、志希は半月のスパルタ教育を乗り切ったのである。
基本的に、志希の能力は精霊との相性の方が良い。良いというよりも、精霊を従えるものだ。なので、志希が下手に魔力を与えて精霊を使役すればあっという間に下位精霊が中位を通り越して上位精霊へと成長してしまう。
その弊害がある以上、魔力を与えずに精霊達の言葉で命令をするが基本となる。
魔力の運用が下手であった志希は、一先ず魔術で魔力運用の練習をするという事になったのだ。
本来は魔術師でないのだから魔術構築などの練習はしないのだが、志希には魔術師としての力量も求められる事になった。
アリアが役者不足という事ではなく、志希の『神凪の鳥』という性質のせいだ。
精霊使いではなく、精霊に愛され従えるものである志希は普通の精霊使いたちから見たら異端としか言いようがない。
彼らの前では、魔術師寄りの精霊使いであると示した方が良いとシャーナからアドバイスをもらったのだ。
世界には確かに、精霊術と魔術の両方を扱う者はいる。
どちらも中途半端になってしまい苦労する事の方が多いので、片方に特化するのが普通だ。
なので、志希の場合も魔術に特化しているように見せかけた方が良いと言われたのである。
能力を補う為に精霊の揺り籠を持っているとでもすれば、大体の精霊使いは騙されてくれるはずだとも教えてくれた。
トラブルも招きやすいかもしれないが、そちらの方がまだ穏便であるというシャーナの意見に志希は頷き、イザーク達にも相談してそのように振る舞う事に決定されたのであった。
ちなみに、シャーナは志希に誓ってくれた通り、誰にも志希の異端を話していない。
国軍が来た時点でシャーナたちはマリール村を離れており、別れ際のバランもいつも通りの笑顔で志希の頭をぐしゃぐしゃに撫でて去って行った。
またバランたちとは、どこかで会えるかもしれない。
そんな事を思いつつ志希がごそごそと荷物をまとめていると、扉をノックされる。
「はい、開いてます」
志希はノックに応じながら、下着を手早くカバンに詰める。
それと同時に扉が開き、入ってきたのは思いがけない人物であった。
「や、元気だった?」
綺麗なプラチナブロンドの髪を降ろし、翠の目を優しく細めた中世的な美貌を持つ青年。
「クルトさん!」
「久しぶりだね。今回の依頼の事は、ギルドからいろいろと聞いているよ」
そう言ったクルトは、背負っていた背嚢を降ろしてごそごそと中から独特の光沢をもつ服を取り出す。
イザークが何時も着ている服と全く同じ光沢をもつ布地に、生地より少し濃い色の糸で美しい刺繍が施されている服であった。
思わずその服に見惚れていると、クルトが次々に背嚢から服を取り出しながら口を開く。
「大分前の依頼で、シキは凄い怪我をしただろう? 今後もそうなりそうだから、少しでも良い装備をしておかないとダメだろうって思ってね。イザークから注文を受けてたから、お届けに来たんだよ」
「え?」
「今回の依頼でシキは銅、イザークとカズヤは銀に上がる事はすでに決定済みなんだ。シキの場合、望めば銀まで行けるけどね。評価は足りてるし。少し頑張れば、ミリアとアリアの二人も銀になれる。前祝いって事らしいけど……あれ? 聞いていない?」
告げられた言葉にぽかんとした表情を浮かべる志希に、クルトは苦笑しながら問いかける。
その問いに、言葉もなくこくこくと頷く志希。
クルトはそれを見て、小さく唸る。
「ええっと、本当にイザークが?」
「うん、それは間違いないよ……っと、来たみたいだね」
クルトが細長い耳をピクリと動かし、その場所から少しよける。
それと同時に、物凄い勢いで扉が開いた。
「クルトはいるか」
「イザーク、女の子の部屋に入るんだからノック位しないとだめだよ」
問答無用で入ってきたイザークにクルトが注意しながら、にやりと笑う。
イザークはそんなクルトに若干眉を潜めつつ、口を開く。
「王都のギルドにでも預けてくれれば良いと言ったはずだ」
「聞いた」
「なら何故、こんな所まできた」
「エドワードに会いたくなったんだよ。色々と大変だったみたいだし、古なじみと顔を合わせたいと思うのは悪い事かな?」
イザークの詰問に、クルトはにっこりと笑い答える。
「それに、今回は特別製でね。シキのはオーランドからのお詫びって事で二着ほど、守護の法陣を刺繍した服を注文されてるんだ。良いモノなんだから、早々に届けたほうが良いだろう?」
そう言いながら、背嚢から取り出されたのは白地に銀の刺繍をされた服である。
地味に見えるがその実、かなり派手だ。
志希が来たら上から下まで真っ白になるのではないかと思うほど、白い。
「あれ? 二着ですよね?」
志希が思わず疑問の声を上げると、クルトは頷く。
しかし、クルトが出した服は全部で四着だ。
「ああ、この二着はイザークの注文だよ。イザークからは全員分を、二着ずつってね。僕を通すのと、イザークからの注文って事で結構割り引かれているんだけど……それでも、もう買えるくらい稼いでるっていうのが凄いね」
ニコニコと笑いながら、クルトが言う。
志希はへぇっと感心した声を上げるが、何かが引っ掛かる。
守護の法陣を刺繍した特別製という言葉と、イザークとクルトからの注文であるという言葉。
そこでふっと、アルフの特技の一つを思い出す。
アルフはミスリル銀やオリハルコンで糸を作る事が出来る。
そして、おそらくアルフでも最も長生きであるクルトが割引をしたという会話から推測されるのは、志希の目の前に並べられた四着の服が噂のミスリルないしオリハルコンで織られた服であるという事だ。
「こっ……これって……」
「ん? ああ、オリハルコンの服だよ。いやぁ、最近鉱山の方で質の良いオリハルコンとミスリルが取れたらしくてさ。ちょっと大量に入荷したみたいで、丁度良かったよ」
笑顔で言うクルトに、志希はがくがくぶるぶると震える。
通常、オリハルコンやミスリルの服は一着五金から六金する。
しかも特別製だという事は、もっと高いはずだ。
そんな超高級品を四着も目の前に並べられて、志希が恐怖を抱かない筈がない。
志希のその反応にクルトは笑いながら手を振る。
「あはははは、大丈夫大丈夫。今回、僕からのお祝い分も兼ねてるから大分安くしてるんだよ。あ、お祝い分含んでるのはイザークからの注文分だけだけどね! だから、安心してオーランドが注文した分も着倒すといいよ!」
図太く生きろと言われた志希は、何とも言えない表情を浮かべる。
有難いものである事は確かなのだが、その金額と希少性を考えると素直に受け取りづらい。
だがしかし、既に志希専用として作られた服を突っ返すのも悪い気がしてしまう。
そんな志希の葛藤に気が付いたイザークが、深い溜息を吐く。
「クルト、そもそもオーランド王子からの注文と言ったがお前が強要しただろう」
「どうやら渡したお金だけじゃ不満そうだったからね。それだったら、シキがランクを上げたらお祝いとして役立つ品を贈ればいいってアドバイスしただけさ。オーランドもそれに乗ったから、服を注文したんだと思うしね」
クルトの言葉にイザークは不機嫌そうに口を閉ざし、眉を潜める。
「まぁ、イザークは放っておいて。シキにとっても有難いモノだろう? お祝い品を返品しちゃうのは、相手が悲しくなるからさ。鉄位の君に無理やり依頼を受けさせたお詫びの品で、昇給の祝い品。単純にそう思って、受け取ってあげてよ。主に返品された時の使い道がない可愛そうな僕のためにさ」
クルトの茶目っ気たっぷりな言葉に志希は小さく噴き出し、こくりと頷く。
「はい、有難く頂く事にします。でも、あと二着の方は……」
「ああ、イザークから代金は頂いてるけど、多分全員分回収するつもりだろうから彼に払ってくれるかな?」
「あっ、イザークが立て替えてくれたの?」
クルトの言葉に思わず問いかけると、イザークは頷く。
「注文してからだと、場合によっては三月以上かかる事がある」
そもそもオリハルコンやミスリル銀を繊維にするには物凄く高い技術が必要だ。
魔力操作だけではなく、ミスリルやオリハルコンの特性を引き出しつつの作業になるのでかなり繊細な魔力操作と手先が必要になる。それ故、一着作るのにかなりの時間が必要なのだ。
「イザークが注文した分は、一人金貨五枚だよ。最近荒稼ぎしてるみたいだし、払えるよね?」
「守護の法陣を入れてか?」
「勿論。糸はちょっとランク落としてミスリル使ったけど、手抜きはないよ。とりあえず、シキが一番多いから真っ先に来たけど、他の皆にも渡さないといけないから部屋の案内をしてくれるかい?」
イザークとクルトの会話を聞きながら、志希は一着金貨五枚の服に恐る恐る触れる。
金属でできているはずなのに、最高級の絹のような滑らかな手触りをしていた。
思わず溜息が出そうな素晴らしい布地と意匠に、志希としては見ているだけで十分だと言いたい。
「……シキ、着てみたらどうかな?」
興味と好奇心と恐怖で服を見ている志希に、クルトがそう声をかける。
「え!? あ、いや……」
「気になるのなら、着てしまえばいい」
イザークが笑みを含んだ声音でいい、促す。
けれど、この素晴らしい服を本当に着てもいいのかと言った迷いもある。
そんな志希の葛藤を見越したように、イザークは言う。
「その二着は、お前の稼いだ金から出されているものだと考えればいい。自身の稼ぎで得た物ならば、気にする必要は無かろう」
後から代金は回収すると言われているのだから、イザークの言っていることは間違いない。
志希はうんと頷き、クルトからイザークの注文分と言って出された服を見る。
オリハルコンの織物を白く染め、七色に輝くミスリル銀の糸が角度によって刺繍の色を変える。
それを見た瞬間、志希は汚してしまいそうな気がして手を止める。
もう一着は紅く染めた服らしく、朱金の糸で刺繍がされている状態だ。
オーランドからの贈り物である二着は落ち着いた青と黒の服で、それぞれの刺繍も同色の糸でされている。
目の前に並べられている中で一番豪華に見えるのは、白地に七色に輝く糸で刺繍されている服である事は確かだと志希は頷き、手を彷徨わせる。
汚れが付きそうな服ではなく、もう少し落ち着いた服を着たいのだ。
その観点から行くと、オーランドから贈られた青い服が一番落ち着いている。
「あ、そうだ。血の汚れとか砂埃とか、その辺の汚れは全部すぐ落ちるからどれを着ても大丈夫だよ。この服の元々の特性で、常に清潔に保たれるようになっているんだ。だから、白い服でも大丈夫だからね」
志希が悩んでいる間にイザークとクルトは何事かの話を終えたらしく、彼は背嚢を持ちながらそう声をかけてくる。
はっと顔を上げた志希にイザークは不機嫌そうな表情を浮かべて頷き、クルトの言う事は本当だと教える。
だとしても、志希は何となく手を出しづらい。
「クルトの配達が終わった後、他のメンツが着替えるのを待って出発する。それまでには、着替えておけ」
イザークはためらう志希にそう告げて、クルトを連れて部屋を出ていってしまった。
志希としてはまだ早すぎる装備品だと思っているし、正直こんなに安価で手に入れてしまって良いのかという疑問もある。
後ろ向きに考えていた志希だが、きちんと評価をためていけば今は分不相応でもいずれ相応しいと思えるはずだと発想を転換する。
時期尚早と言える装備品である事は確かだが、あれば助かる事は間違いない。
うん、と志希は頷き、黒地に若干色が変わる黒銀の糸の服を手に取る。
今着ていた服を脱いで綿のタンクトップ一枚になってから、黒い服を着る。
なんとなく、これなら汚れがついても目立たないような気がしたのだ。
恐ろしい程肌に馴染む服に戦慄しつつ、志希は服の上から革鎧を着る。
チュニックの様に裾が長いが、服の形としては可愛らしい。
これ一枚着て、少し良いズボンを穿けば普通に町に着て歩いてもまったく問題ないだろう。
もっとも、もったいなくて普段から着るのはさすがにできないが。
鎧の上からローブを着て、志希は残りの服を背負い袋に入れる。
実は最近エドワードと話をしていた時に荷物を収納する魔道具の存在を思い出したのだが、レシピや必要なものを思い出しても設備がない以上どうにもできない。
いつか作れたらいいな、などと思いつつローブを羽織り装備を点検してから荷物を背負う。
これからマリール村に来るときに借りた馬に乗って、ジーンダームを経由して王都に戻るのだ。
そして、以前と同じように依頼を受けて腕を磨く日々を再開することになるだろう。
うん、と志希は一つ頷き背負い袋を持ち食堂へと向かう。
朝食自体はすでに済ませているが、全員で一度食堂で合流してからフェルナン司祭やナディア司祭に挨拶して出発する予定なのだ。
食堂へ行くと、まだイザーク達が来ていない。
人がまばらに座っているのを眺めながら志希は手近な椅子に座っていると、ばたばたと走る足音が聞こえてきた。
食堂の入り口を素通りし、司祭たちが普段住まう居住区の方へと駆ける足音に志希は小首を傾げる。
それから少しして、食堂の扉が開かれえる。
「シキ!」
ミリアが名前を呼びながら入ってきてすぐ、志希を見つける。
真剣な表情を浮かべたミリアは、口を開く。
「司祭様がおよびなの、行くわよ」
「あ、うん」
真剣と言うよりも険しい表情を浮かべたミリアの言葉に、志希はこくりと頷き背負い袋を持って食堂を出る。
何時もよりも若干速足で歩くミリアについて行きながら、志希は小首を傾げる。
「ミリア、イザークが服を注文したの怒ってるの?」
険しい表情から、志希はイザークの行動に怒っているのかと問いかける。
ミリアはその問いに頭を振り、若干雰囲気を柔らかくして口を開く。
「そうじゃないわ。私の服だけ法術と親和性の高いミスリルっていうのに、ちょっと凹んでるとかもないし」
「そ、そう……」
態々口に出してる時点で凹んでいるのでは、などと思いながらも突っ込まない。
藪をつついて蛇を出すには、ミリアの雰囲気が怖すぎる。
志希のそんな内心など気にも留めず、ミリアは言葉を続ける。
「話は司祭様達と、エドワード師やブラド氏が来てからになるわ。そうじゃないと、話せない内容だから」
「……さっき廊下を走っていた人が居たみたいだけど、それに関係が?」
「あるわね。でも、今は話せない」
ミリアの返事に納得してから、ふと気が付く。
何故、この神殿の神官たちが呼びに来なかったのかを。
「なんでミリアが呼びに来たの?」
「わたしがたまたま、ナディア様とお話していたからっていうのもあるけれど……他の神官達が忙しくなるから、準備が終わっているわたしが行く方が速いと思ったの」
「……なんか、大事っぽいね」
他の神官達が忙しくなる、という言葉に志希は眉を潜める。
フェイルシア内では辺境に位置するマリール村の神官が忙しくなるなど、そうそう無い。
そもそも神官は、よほどの事がない限り村を動く事はない。
司祭や助祭は大神殿の命令で移動するが、侍祭や神官たちは基本的に派遣されればそれまでなのだ。
それ以外の例外は冒険者である事や、国からの何らかの命令があった場合のみである。
志希はそう思った瞬間、嫌な予感がよぎる。
マリール村に来たそもそもの原因は、ヴァンパイアとなったソラヤの襲撃だ。
そして今回の事件で、ソラヤの“親”であるヴァンパイアが姿を現していない。
最も大事な部分としては、ミリアの背中に印をつけたヴァンパイアロードが登場していない事だ。
ヴァンパイアロードの使い魔自体は既に倒しているのだから問題ないはずだと思っても、マリール村襲撃にはソラヤをヴァンパイアにした“親”が噛んでいる事は間違いない。
そう考えた志希の背中にゾワリとした悪寒が走る。まるで志希の考えている事が正解だと示すようなそれに、志希は知らずに拳を握るのであった。