第九十二話
志希はぐったりしながら、すっかり暗くなった夜道を歩いていた。
ここ数日で村人達の亡骸をすべてお墓へと納め、今はジーンダームからの応援が運んできた資材を割り振られた場所へと運ぶ作業をしていた。
むろん、志希の場合は魔術でである。
本来魔術はこのような事には使わないのだが、エドワードが組み立てた基礎訓練の一環として作業させられたのである。
強制参加で居た素行不良パーティーの魔術師は何の役に立つのかと当初はぼやいていたが、志希やアリアが素早く緻密な魔術を構築するのを見て刺激されたのか、真面目に仕事に取組み、集中力を上げていた。
基本的に、魔術を行使するには魔力を望む形へと構築させていかなくてはいけない。
この構築に粗があると、魔力は本来のモノよりも多く消費することになる。
攻撃的な魔術を使う場合、緻密さの他に素早さと集中力が必要となる。
この三点を鍛えるために、エドワードは魔術師二人と志希を働かせていたのである。
志希はこの作業をするようになってから、魔力の配分などが理解できるようになってきた。
今までは有り余る魔力を使い、強引な構築をしていたわけなのだが、魔力の運用を理解した事で適度な配分感覚を掴んできたのである。
同時に、いかに無駄な魔力を使っていたのかも理解できた。初めてきちんとした手順で精霊術を使った時に精霊が成長したのは、魔力を与えすぎていたからであったようだ。
またアリアも自身の魔術の構築にまだ無駄があると気が付いたらしく、奥が深いと生き生きしながら仕事をしていた。
青いローブの魔術師も色々と思う所があったのか真摯な態度でエドワードに教えを乞い、今では真剣に仕事に取り組んでいた。
最近では敵意もなく、むしろアリアの素早い集中と緻密な魔術構築を観察し、参考にしようと躍起になっている。
志希に対しては、真面目になったころに謝罪をしてくれた。
取り敢えず、精霊使いに関しては魔術師が抑えるので安心して欲しいとも言い、すっかり雰囲気が変わって驚いてしまったくらいである。
嘘をついている様子も無く、真摯に謝ってくれた事から嘘ではないと志希は感じた。
謝罪を受け入れ、関係をそれなりに改善し仕事もやりやすくなったのは僥倖であった。
このやり取りの後から仕事がたいへんやりやすくなり、気持ち的にもリラックスできたわけなのだが、ここでも志希は自分が規格外であることを知った。
魔術の構築に必要なのは集中力や魔力である。
志希は常人よりもはるかに大きな魔力を持っている為、集中力が続けば魔術を構築し、維持し続けられる。
しかし、普通の人は志希と同じように働いていると魔力がなくなり、気絶してしまう。
気が付けば、アリアと青ローブの魔術師の顔色は悪くなっており、エドワードに仕事を終わるように言われてしまったのである。
アリアと魔術師が休憩の為に部屋に戻ってからは、色々な仕事を渡り歩いたことでかなり疲れ果てていた。
エドワードがそんな志希に、村の外れに温泉がある事を教えてくれたので、今そこへと向かっている最中である。
教会から少し離れた場所に、暗闇の中ぼうっと光る小屋が見えた。
光は靄のようなものに包まれており、若干揺らめいているようにも見える
しかし、風に運ばれてくる匂いは独特なもので、おそらく靄は水蒸気なのだろうと志希は思いつつ足取りが軽くなる。
ここ数日、疲れて帰ってきても汚れを拭いて落とすだけだったのだ。
何故早く温泉の存在をエドワードが教えてくれなかったのかと詰りたかったが、一度お湯全てを捨てて湯殿を洗わなくてはいけなかったと教えられた。
カズヤと数人の村人が一昨日やっと洗い終え、昨日から温泉に入るのを解禁したらしい。
昨日は村人が、今日は冒険者が入るという事になったらしく、殆ど人がいないのが見て取れる。
それに何より、時間としては他の皆が眠っていたり体を休めている時間だ。人気がないのは当然だろう。
志希はウキウキと温泉施設の脱衣所へと入り、靴を脱ぐ。
すぐ側に宿泊施設もあるのだが、そちらの方はまだ手を入れていないので現在は本当に入浴するだけである。
脱衣所の籠にごそごそと袋から綺麗な服と体を拭く布を取り出し、下着を隠しつつ置く。空になった袋には着ていた服を詰め込み、小さい革袋に入れているお風呂道具を手に持って上機嫌で扉を開け、中に入る。
温泉独特の匂いと熱気に、志希のテンションはうなぎ登りである。
さらに広い浴場に志希は目を丸くし、次いで満面の笑みを浮かべる。
足取りも軽く、志希は目についた洗い場へと移動する。
基本、この世界のお風呂作法は日本寄りだ。
洗い場で体を洗い、それから湯船に入る。
しかも、洗い場には何と蛇口とシャワーが備えついているので、異世界からの職人様様である。
シャワーで頭からお湯をかぶり、髪についた汚れなどを洗い流す。
程よい熱さに志希は相好を崩しながら、髪を洗う為に石鹸を泡立て始める。
驚くべき事に、シャンプーやリンス、そしてボディーソープがこの世界には開発されていた。
魔法文明時代に技術者がこちらに来たようで、その人物の話を魔術師の貴族が道楽で聞き、興味を持って研究したものである。
その際に人体に有害な物質は何も入っていない天然物で精製され、作られたこの洗髪剤も体専用の石鹸も製造方法が残っているので魔法文明が滅んだ後でも広く普及している。
こちらに来てしまった人には申し訳ないが、志希の気持ちとしてはグッドジョブと言いたい。
などと無駄にシャンプーやリンスなどに思いを馳せながら、志希は頭皮と髪を念入りに洗う。
一度で汚れが落ち切れない気がした志希は、もう一度髪と頭皮を洗ってから持ち込んでいる布で髪の水分を拭き取り、適当に纏めて結い上げる。
これから体を洗ったり、湯船につかるためには髪をまとめておかなければ邪魔なのだ。
上機嫌で鼻歌を歌いながら、志希は持ち込んでいる糸瓜のような繊維状のスポンジに水を含ませ石鹸を付けて泡立て、体を洗い始める。
そこでふと、自分の腕や足を見て思わずにやけてしまう。
外見が殆ど変らない『神凪の鳥』だが、基本的に生きている人間とほぼ同じように代謝をするのである程度は筋肉もついてくれる。
この世界に来てからの自分がきちんと育ってくれているのを実感して、志希は上機嫌で視線を降ろし、胸を見て凹む。
ある程度筋肉などが付くのであれば、胸も育って欲しいと思うのが女心であろう。
しかし、身体上はほとんど変化が無いのが特性なので、思っても無駄なのである。
しょんぼりとしつつ、自身の胸を志希は両手で掴んでみる。
「う~……やっぱり、大きいほうが良いと思うんだよなぁ。ハァ」
深いため息をつきつつ、以前の自分の胸の大きさを思い出す。だが同時に当時の体型まで思い出し、志希は小さく唇を尖らせる。
「無い物ねだりだって分かってるし、贅沢なんだろうなぁ」
独り言を呟きつつ、志希はスポンジを滑らせ体を洗っていく。
ここ数日の汚れを擦り、温泉のお湯で泡と汚れを洗い流してから志希は鼻歌を交じりに湯船へと移動する。
岩で作られた湯船と中に大きな岩が配置された、いわゆる岩風呂が佇んでいた。
酷く広くて大きな湯船に志希はテンションが上がり、湯船には静かに入ったが、誰もいないという解放感からパシャパシャと泳いで遊んでしまう。
そこでふと、かなりの広さを誇る岩風呂をどこまで行けるかと思い付き、子供っぽいとは思うがぱちゃぱちゃと水音を立てながら移動する。
そこで気が付いたのが、奥へ行けばいくほどお湯が熱くなってくる事だ。
おそらく魔道具を使って、お湯を段階的に温くしているのだろう。
辺境と言っても良い程に何もない村なはずだが、温泉によって外貨を得ているのかもしれない。だから設備が凄いのだろう。
などと思いつつ、志希はだんだんと熱くなるお湯に泳ぐのをやめて膝を立て、上半身をお湯から出して深く息を吐く。
好みの熱さよりも高い温度に、少しぼうっとしてきている。
「うーん、これ以上はまずいかな?」
熱さで湯あたりをして倒れても、この場所では誰も助けてはくれないだろう。
そう思った瞬間、近くにあった岩陰から声をかけられる。
「大丈夫か」
低く、そして艶のある男性の声が端的に問いかけてくる。
その声に志希は驚き、声が聞こえたほうへと顔を向けると同時に、相手も岩陰から顔を覗かせていた。
「イザーク!?」
相手の顔を認識した瞬間、志希は悲鳴じみた声で名前を呼ぶ。
この時間には人がいないと聞いていた志希は気が緩んでおり、周囲に人がいるなど全く気が付いていなかった。
慌ててお湯で体を隠し、志希は岩陰に隠れる。
「ああ、どうした?」
平然と返事をしてくるイザークに、志希は混乱してしまう。
「え? あ、ええ?」
言うべき言葉が出てこず、ただ疑問を発してしまう志希にイザークが口を開く。
「ここの温泉は、カズヤ曰く“混浴”というやつらしい」
イザークの言葉に、志希はひくりと喉を鳴らす。
エドワードは一言たりとも、そのような事は言っていなかった。
志希の反応で知らなかったことを悟ったのか、イザークが小さく笑う。
「エドワード師は、この時間は殆どの人間が入浴しに来ることはないのを知っていたのだろう」
「うん、そう言われた……」
イザークのほんの少しだけ笑った声音に素直に言ってから、志希は顔を真っ赤にする。
今、志希は何ひとつ身にまとっていない状態だ。そしてそれは、イザークも同じはずである。
同じお湯に浸かっているのもそうだが、それ以上にこんな状況で好きな異性と接近するなど初めてで、志希の胸がどきどきと早鐘を打つ。
どうして良いかわからず、無言で志希は岩にくっつく。
その岩越しに、イザークが問いかける。
「シキ、湯の熱さは大丈夫か?」
「え?」
思わず問い返す志希に、イザークは言葉を続ける。
「カズヤが以前、この熱さではすぐにのぼせると言っていた事があってな。女性であるシキは、大丈夫なのかと不思議に思っただけだ」
大丈夫ならいい、と呟くように告げられた言葉で志希はふと気が付く。視界がぐらぐらとまわっているような感覚のせいで、自分がまともに座っているのかすら分からなくなっていることに。
「だっ……いじょうぶじゃない、カモ……?」
普通の声音で言ったつもりだが、喉に力が入らず声は掠れてしまっている。
それでも志希の言葉が聞こえたのか水が波打つのを感じたが、志希はぐらぐらと酷い眩暈に襲われそのまま意識を失うのであった。
その後、意識を取り戻した志希は悶絶する羽目になった。
何せ目覚めた場所は、自分の部屋であったのだ。
しかも持って行ったものとは違うが、服もきちんと着せられていた。
最初はイザークに着せられたのかと悶々としていたが、それを見越してか水を持って来たミリアが真相を教えてくれた。
意識を失った志希をイザークが大量の布を巻いて抱いて教会に戻り、ミリアに託したそうだ。
そして、ミリアが志希の体を拭いて軽く服を着せ、布団に寝かせて看病してくれたと言う事だ。
どう考えてもミリアだけじゃなくイザークにも裸を見られている事に、志希はのたうち回る事しかできなかったのであった。