第八十九話
エドワードは志希に修業を勧める話をしたが、取り敢えずは休養が先決と言う事で面会事態は終わった。
明けて翌日、志希は若干寝不足気味の頭を振りながらイザークと共に教会の食堂へと向かっていた。
いつも通りの表情のイザークと歩く志希は、小さな嘆息を零す。
昨夜エドワードが帰ってから知ったのだが、イザークと同室になっていたのだ。
衝立一枚あるとはいえ異性と同室になるなど殆ど経験がなかったので、動揺と緊張でなかなか寝付く事が出来なかった。
意識しない様にすると言うのは逆に意識すると言う事で、目が冴えわたり些細な物音などにまで過敏になってしまっていたのである。
なので志希は、眠りの精霊が心配して傍に寄って来てくれたのでお願いして眠らせてもらった。
無論、永続的な眠りにならない様に言い含めててからだ。
精霊達は基本的に志希のお願いを聞きいれてくれる訳なのだが、喜ぶと思い込んで色々とやり過ぎてしまう事も多い。
なので、事前に言い含めておかなければ危険なのである。
朝に起きた時はイザークが部屋に居なかったので、速攻で身支度を整えると彼が帰ってきた。
そのまま朝食をとるべく、食堂へと移動しているのが現在の状況である。
志希は再び小さくため息を吐き、イザークがあまりにもいつも通り過ぎて凹む気持ちを紛らわせる為にこちらに来てからの自身の行動を出来るだけ客観的に顧みる事にする。
この世界では幼い子供だと見られがちな容姿である事や、己の言動も少々幼くなっているのは感じていた。
むしろ、精神年齢が下がっているかもしれないとも思っている。
その辺りを鑑みると精神が身体に引っ張られているのか、元々自身の精神年齢が低かったのどちらかだ。
そう思考した瞬間、志希はそちら方面の事を考えるのを止めた。
後者でも前者でも、どのみち今の自分が子供っぽいと言う事は変わらないからだ。
しかも、元々子供っぽい場合自分へのダメージは半端なく大きい。
凹んだ気持ちを紛らわす為に始めた事で更に凹んだ志希は、重いため息を吐きだす。
すると、隣を歩くイザークがポンポンと背中を叩いてくれる。
励ますかのようなその行動に、志希は思わず赤くなる。
イザークに考えている事がまるっと伝わっている様な気がして、気恥ずかしくなったのだ。
志希は気恥ずかしさを誤魔化す為に何か言おうと思うのだが言葉が出てこないので、俯いて足早に歩く。
だが直ぐに、イザークが志希の肩を掴み足を止めさせる。
何事かと思わず彼を見上げると、イザークがほんの少しだけ目を苦笑気味に細めながら口を開く。
「シキ、ここだ」
言われた志希は、イザークの示す扉を見て更に赤面する。
イザークに呼び止められなければ、気が付かずに行きすぎる所だったのだ。
羞恥で身悶えしそうになるのをぐっとこらえつつ、志希はこくこくと頷く。
それを見たイザークは扉を開き、志希に入る様に促す。
自分で開けて入るべきであったと思いつつも、イザークの気遣いを無にするつもりはないので必死で平静を保ちつつ中に入る。
ヴァルディル神殿とエルシル神殿が共同で使っているのか、食堂内はかなり広い。
小さな店よりも大きいと感じる室内を見回すと、一際大きなテーブルにカズヤ達が座っていた。
そちらへと歩み寄って行くと、志希達に気が付いたカズヤが笑みを浮かべて声をかけてくる
「おう、起きたか?」
「うん、おはようカズヤ。」
志希は頷きつつ挨拶を返し、向かい側に空いている椅子に腰を下ろす。
カズヤの隣には珍しくミリアが座り、アリアがその隣に腰をおろしている。
さらに、アリアとミリアの雰囲気がいつもと違うのにも気が付き志希は首を傾げる。
気分が悪いのかと問いかけようとする志希より早く、ミリアが立ち上がる。
「食事、今持って来て上げるわ。スープしかないし、シキも倒れた後だから座っていてちょうだい」
いつもより若干明るめに言うミリアの言葉に、志希はますます違和感を抱く。
無理やりいつも通りに振舞おうとしている様なぎこちなさを感じて志希が眉を潜めると、アリアがミリアに続いて席を立つ。
「わたしも手伝いますね」
アリアもまた、どこか無理をして明るく振舞っているような印象を受ける。
何があったのかと首を傾げる志希に、カズヤが苦笑する。
「昨日、シキが倒れてからちょっとな……ただ、ミリアは分かるんだけどアリアが何であんなに凹んでるのかわかんねぇンだよな」
カズヤの言葉に、志希はむぅと唸る。
「何があったの?」
「ん~……おばちゃんがミリアに説教したんだ、ミリアの事を見抜いた上でよ。流石に戦闘直後で、その上疲れてるだろ? だから、話しを遮ってミリア抱えて部屋に送って行ったんだ」
カズヤの言葉に、志希は目を丸くする。
「ええっと、ミリアを抱えてアリアと一緒に?」
「ああ。アリアは大丈夫そうだったしよ」
あっさりとしたカズヤの言葉に、志希は思わず呆れた目をカズヤに向ける。
誰がどう見てもアリアはカズヤに好意を持っていると分かるのに、その彼女の目の前で姉であるミリアを抱えて歩くのは如何な物かと志希は突っ込みを入れたい。
だがしかし、アリアはカズヤに好意的な物を態度で示していても行動に移していないので、責められるわけはない。
むしろ、さっさと好意に気が付かないカズヤに対して突っ込みを入れたい気がしている。
志希のそんな内心に気が付かないまま、カズヤはそうだと手を打つ。
「オレ達はまだ顔を合わせてねぇけど、イザークが昨日の内に到着した後詰と先発隊と会ってんだよな」
「ああ」
「お待たせ。ついでに、イザークの分も持って来たわよ」
カズヤの問いにイザークが頷いて直ぐ、ミリアとアリアが戻って来る。
大きめのお盆には志希とイザークの分のスープとパン、それにサラダが盛られていた。
「あれ? 三人は?」
「オレ達はもう済ませてるから、気にすんな。話しは、飯が終わってからでいいからよ」
カズヤの言葉になる程、と頷き志希はスプーンを手に取る。
アリアはカップを皆の前に並べ、お茶が入ったポットを中央に置く。
どうやら、このポットとカップを取りに行っていたようだ。
「それじゃ、いただきます」
「この恵みに感謝を」
イザークは感謝の捧げてから、スプーンを持ちスープを口に運び始める。
基本的に、この世界ではいただきますではなくエルシルや精霊に感謝を捧げてから食事を始める。
志希はイザークやアリア達の感謝の言葉には慣れたので、マイペースで食事を始める。
素朴な味付けの野菜とお肉のスープに硬めのパンをちぎって浸し、少しふやかしてから口に運ぶ。
大体の村や、一般家庭ではこの食べ方が普通なので特に怒られる事はない。
志希は目を細めてスープの旨味を含んだパンをよく噛んで飲み込み、葉野菜と玉ねぎの様な物を刻んだサラダを取り分け口に運ぶ。
塩を振っただけのそれに物足りなさを感じつつ、野菜スープで味を誤魔化しながら志希はゆっくりと良く噛んでそれらを完食する。
イザークもまたゆっくりと食事を味わい、完食する。
食事を終えた二人は手早く食器を下げ、元の席に戻るとカズヤ達がお茶を新しく淹れなおしていた。
「んじゃま、イザーク頼む」
先程途中で止まった話しの続きをしてくれと、カズヤはイザークに頼む。
頼まれたイザークは頷きながらお茶を一口飲み、口を開く。
「昨日到着したのは、銅位混じりの銀位の二パーティだ。片方は、どうやら緊急と言う事で即席の様だったがな」
イザークの言葉に、カズヤはへぇと声を上げながらちらりと食堂内を見る。
今現在、食堂内にどれだけの人がいるのかと言う確認だ。
その意味は、昨日の話しをしたいと言うことだろう。
イザークはそれを見越したのか、皆に告げる。
「エドワード師や、司祭達はどうやらこちらの事を考慮してくれる様だぞ」
「おう? 何時の間に、そんな話をしたんだ?」
思わずと言った様に問いかけるカズヤに、イザークは昨夜の事を手短に話す。
それを聞いたカズヤは安堵した表情を浮かべるが、アリアは若干凹んだ表情を浮かべている。
アリアは志希に魔術を教えていたのだから、構成が甘いと言われるのはそのままアリアの魔術構成が甘いと言うことになる。
無論、志希はそんなに魔術を使う訳ではない。
だがそれでも、同じパーティにいるのだからもう少し志希の魔術の腕を気にするべきであったのだとアリアは反省してしまう。
へこみ始めたアリアに、志希はなんと声をかけるのか困ってしまう。
しかし、アリアは直ぐに考えを切り替えたのか真剣な表情を浮かべて顔を上げる。
「取り敢えず、わたしもエドワード師に一度魔術の腕を見てもらおうと思います。エドワード師はかつて宮廷魔術師の要請を受けた程、高位の魔術師ですから」
「え!?」
アリアの言葉に、志希だけでは無くカズヤも驚いた声を上げる。
「オレ、そんな話聞いた事ねぇ! 爺さん、そんなすげぇ魔術師だったのか……」
唖然とした表情を浮かべるカズヤに、アリアは目を丸くする。
「ええ!?」
「そ、そんな驚く事なのか?」
アリアの驚き様に、カズヤは思わず突っ込みを入れる。
「驚く事、ですよカズヤさん! エドワード師は導師の中でも最高位に近い方でしたのに、学院から出て行かれた時は引き止める人が多かったと言うお話しですよ!」
アリアが目をきらきらと輝かせ、熱く語る。
その熱さにカズヤは若干引き気味で、そうかと頷く。
納得したと言うよりは、アリアを宥める為に頷いたような感じだ。
だが、アリアは尚も何かを語ろうとし始めるが。
「アリア、それよりもイザークの話しを聞こうよ」
志希はそう言って、アリアの気を逸らす。
これ以上、熱くエドワード師がいかに凄い魔術師であるかと言うのを語られても話が進まないからだ。
言われたアリアははっとした表情を浮かべ、恥ずかしそうに頬を染めながらこくりと頷く。
「その通りですよね。失礼しました」
アリアの謝罪で何とか場が落ち着き、イザークが説明の為に口を開く。
「片方は先行していたパーティなのだが、どうやら直前に他の依頼を受ける為に即席でパーティを組んでいたらしい。それでも、纏まった良いパーティだという印象を受けた。構成は戦士と神官戦士、盗賊、精霊使いの四人。残ったパーティの構成は似た物だが、仕事への真面目さで言えば先のパーティの方が上だ」
さらりとイザークが吐いた毒に、カズヤは何とも言えない表情を浮かべる。
「……なんか、やらかしたのか?」
「え?」
志希がきょとんとカズヤとイザークを見ると、イザークはお茶を一口飲んで喉を潤す。
「ここを襲っていたのがヴァンパイアと聞き、エドワード師やここの神官戦士を前面に押し出して俺達が戦ったのだろうと断言されたな」
さらり、とイザークはカズヤの問いに応える。
この言葉に、カズヤのみならずミリアとアリアも目を見開く。
「酷い……!」
「確かに助力は受けたけれど、わたし達はきちんと前に立って戦ったわ。それを……!」
馬鹿にしているとしか思えない言葉にアリアは絶句し、ミリアが声を荒げる。
「爺さん達は、きちんと説明したのか?」
「したのであろう。ヴァンパイアが黒幕であり、それを既に倒してあると言う話を聞いているのだ。それに、もう一パーティからは労われたしな」
「銅と鉄しかいないパーティだから、って事か。何にしても、ランクを故意に上げてねぇって奴もいるってのわかんねぇのかなぁ」
カズヤは呆れた声音で呟き、溜息を吐く。
「取り敢えず、あんまりそのパーティとは接触したくないなぁ」
志希は呟き、嘆息する。
ギルド側に書類を作って送るのは、ナディア司祭とフェルナン司祭にエドワードだ。
彼等は契約に則り、偽りのない書類を作るのは目に見えている。
そうなれば、ギルド側も志希を何時までも鉄で甘んじさせる事はしないだろう。
それでも、昇級最速記録を持っているオーランドよりは昇級は遅い筈なのだ。
なので、今度昇級要請が来た時には蹴らずにさっさと昇級しようと志希は思う。
「同意なのだけれど、向こうから来た場合はどうにもならないわね。それに、暫く同じ所に寝泊まりする事になるだろうし」
「そうですけれど……気分が良いものではありませんね」
アリアはミリアの言葉に頷くが、声が若干重い。先程イザークが言った言葉が不快なのであろうことが分かる。
「まぁ、暗い顔してたって始まんねぇよ」
「うん、まぁ……その通りだね。嫌な事考えていても、仕方ないし」
志希がカズヤの言葉に頷くと同時に、大きな音を立てて食堂の扉が開く。
音に驚き扉を見ると、若干剣呑な雰囲気の男女が十人ほど入ってきた。