第八十八話
扉が開いた物音で意識が浮上した志希が目を開き、ぼんやりと見なれない天井を眺めていると不意に影が差した。
視線を動かすと、ラフな格好をしたイザークが近くの椅子に腰かけたところだった。
「目が覚めたようだな」
声をかけられた志希ははっきりしない思考で頷き、ぼんやりとイザークを見つめる。
視線を向けられたイザークはほんの少しだけ目を和ませ、視線をサイドテーブルに置かれた盆に向ける。
「食事を持ってきたのだが、食べられるか?」
「うん」
志希は頷き、ゆっくりと体を起こす。
何故自分が眠っていたのかなど色々と思う所があるのだが、それ以上にお腹がすいている。
今にもお腹が鳴りそうなくらい空いているので、具合の悪い所は無いと断言できる。
だんだんと思考もはっきりしてきた志希は、盆の上に野菜のたくさん入ったスープが盛られた器が二つ乗っている事に気が付いた。
その器の一つを、イザークが木のスプーンと一緒に手渡してくれる。
志希はそれを有り難く受け取り、いただきますと呟いてから口に運ぶ。
何かで取った出汁に混じる野菜の旨味と甘みだけではなく、それらを整える塩味と胡椒が素朴な味を引き立てている。
お腹にしみわたる様な優しい味に志希は思わず目を閉じ、良く味わう。
よくよく考えればこの村に来て初めての食事だ、お腹が空いているのも道理である。
「うう、美味しい~」
思わず感想を零しつつ、志希はもぐもぐと野菜スープを口に運ぶ。
あっという間に完食した志希は、幸せそうな表情で息を吐く。
イザークも手早く食事を終え、お盆の上に器を重ねて置いてから志希に向き直る。
それなりにお腹が満たされた志希は、イザークの目が厳しい光を湛えているのを見て思わずベッドの上に正座する。
寝起きでぼんやりしていたが、良く良く思い出せば怒られても仕方が無い事をしでかしているのを思い出したのだ。
叱られるのを待つ子供の様な表情でイザークを見ていると、彼はゆっくりと深いため息を吐く。
「楽な姿勢で良い」
「でも……」
「倒れたのだから、楽な姿勢を取った方が良いだろう」
とイザークが言ってくれたが、志希は姿勢を崩さずに話しの続きを待つ。
倒れたのは確かだが、今はもう体調が悪いと言う事は無い。
何よりも倒れたのは、自分が不用意に魔力を込めた言霊を放ったせいである事を知っている。
きゅっと唇を噛み、志希はイザークが話し出すのを待っていると、ぐいっと体を持ち上げられる。
驚きで目を丸くしている志希を、イザークはベッドに寝かせてから椅子に座りなおす。
「シキが倒れている間に、他の村を回っていたパーティーとジーンダームからの応援が来た」
前置き無しに告げられた言葉に、志希ははっと息を飲む。
「今、二つのパーティーはアンデッドが残っていないか村を見て回ると同時に、結界を作っている魔道具を探している最中だ。俺達は休む事になっているので、あちらの方は心配しなくて良い」
「わ、わかった……」
「色々と言いたい事はあるが、理解して反省しているのだろう?」
イザークに問われ、志希はこくりと頷く。
釘を刺されていたのに、結果として精霊達の暴走を許してしまった。
その上、この村の実力者やカズヤの養父に志希の異常性を見られてしまったのだ。
正直な所、自分一人でも良いので村を出て行くべきなのではないかと思う。
志希は俯いて唇を噛んでいると、イザークが頭を撫でる。
「悪い方にばかり考えても、良い事は無い」
「でも……さ、やっぱり私って普通じゃないから色々と考えちゃうよ」
暗い気持ちのまま返事をすると、イザークが小さく息を吐く。
「体調はもう平気か?」
「あ、うん……?」
突然違う事を問われ、志希は戸惑いながらも頷く。
するとイザークは立ち上がり、サイドテーブルに置いてあった盆を持ち志希を見る。
「ここで考えていても仕方ない。どうしても気になるのであれば、面と向かって話をすれば良い。幸い、ブラド老もエドワード師もシキの特異性には気が付いていても、安易に触れまわる様な人物ではない」
「そ、そうだけど……」
「何も話さない内から怯えていても仕方あるまい。何より、カズヤをあそこまで真っ直ぐに育てた人物が、悪い方へと話しを転がすとは思えん」
怖気づく志希に、イザークが言葉を添える。
この言葉に、志希は言葉に詰まる。
イザークの言う通りだとは思うが、その彼等の心情を考えるとどうしても尻込みしてしまう。
だがしかし、ここでいつまでもウジウジ悩んでいても仕方が無い事はイザークの言う通りなのだ。
志希はゆっくりと深呼吸をしてから、顔を上げる。
その志希の表情を見て、イザークが目を和ませ再び頭をくしゃりと撫でる。
いつもと同じ優しくて大きな掌に、志希は思わず笑みを浮かべる。
「ありがとう、イザーク。私、きちんと話をしてみる」
「それが良い」
イザークに背中を押してもらってやっと腹を括れた事に志希は反省しつつ、ベッドの上から降りる。
「体調はもう大丈夫。多分なんだけど、初めて自分の魔力を使って精霊達に指示を出したから倒れたと思うんだよね。言葉にも魔力を込めて放ったから、加減が分からなかったの」
志希は大丈夫だと示す為にイザークに笑いかけながら、自分がどうして倒れたのかの推測を話す。
それを聞いたイザークはほんの僅かだけ眉を潜め、頷く。
「なるほど、流石は元金位と言う所か」
「え?」
志希は靴を履く手を止め、思わずイザークを見る。
「エドワード師が、シキが倒れた原因は魔力の使いすぎではないかと言っていた」
「ええ!?」
志希は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
そんな志希に小さく苦笑し、促す。
「これから食器を下げに行くが、その後エドワード師と話しをしに行く所だ。どうする?」
イザークの問いかけに、志希は一瞬詰まる。
話しをするのならば、第三者が居ない方がいい。
今がそのチャンスなのだと、イザークが示してくれている。
「うん、行く」
そう志希が頷きベッドから立ち上がった瞬間、扉がノックされる。
その音にイザークは一旦お盆をサイドテーブルに置き、扉を開ける。
「おお、お嬢さんは目を覚ましましたかな?」
柔らかな問いかけは、エドワードの物だ。
志希は思わず姿勢を正し、エドワードの入室を待つ。
それを横目で見たイザークは体をずらし、エドワードに入室を促す。
「おお、では失礼しますぞ」
エドワードはそう言いながら中に入り、志希を見てにこりと笑う。
「大分顔色が良くなったのう」
好々爺の笑みを浮かべ、エドワードが志希を見てうんうんと頷く。
「は、はい。突然倒れてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、気にする事はあるまい。お嬢さんが倒れたのは、仕方のない事であろうしな」
エドワードはそう言いながら笑っていると、イザークが無言で椅子を勧める。
「おお、有り難い」
そう言いながら椅子に腰かけ、エドワードは不意に真剣な表情を浮かべる。
「お嬢さんは、ヒトでは無いな?」
真剣な問いかけに、志希は息を思わず止めてしまう。
この反応にエドワードは目を細め、次いで優しい微笑みを浮かべる。
「不躾な質問をして、申し訳ない。だが、先程の戦闘で見た物は皆口を閉ざす事に決まっておる。安心して欲しい」
エドワードの言葉に志希は安堵し、肩の力が抜ける。
それと同時に、志希は今がチャンスだと思いきって問いかける。
「あの、私が……カズヤと旅するのはやっぱり良くない事だと思いますか?」
この問いに、エドワードは驚いたように目を丸くする。
「カズヤが良いと言って旅をしているのだ、わしがどうこう言う事ではないわい。何より、得体のしれない人間と旅をするのが嫌だと言うのであれば、冒険者になるのをもっと反対しとるわ」
そう言って穏やかに笑うエドワードに、志希は思わず脱力する。
考えすぎであったことが証明されたのが、何とも言えない気持ちになる。
その志希を見て、エドワードは目を細めて微笑む。
「それに、ある意味お嬢さんとカズヤは似た者じゃろうしな」
エドワードの言葉に、志希はびくっと肩を震わす。
何処で自分が異世界人だと分かったのか思わず問いかけようと彼を見ると、エドワードもまた驚いた表情を浮かべて志希を見ていた。
「何と、お嬢さんも異世界人だったのかの?」
エドワードの鋭い突っ込みに、志希は言葉を探すが見つからない。
焦る志希の姿に、エドワードはますます目を丸くする。
「異世界人で、精霊が見える者は極稀じゃ。それに、近年現れる異世界人は黒髪黒眼の物が多い。お主、異世界とは言いつつもカズヤとは違う世界から来たのか?」
恐らく好奇心が先に立ったのであろう問いかけに、志希は咄嗟に頭を振る。
「いえ、同じ世界です」
きっぱりと返答した志希は、後ろでイザークが深いため息を吐くのを聞いてはっとする。
勘違いさせたままにして置いても全く問題なかったと言う事に今更ながら気が付き、志希はがっくりと項垂れる。
まさに墓穴を掘るを体現したかのような自分にある種の絶望を抱きながら、志希はエドワードを見る。
「ええっと、その……」
志希は取り敢えず何かを言おうとすると、エドワードがそれを制する。
「不躾な事をしてしまったの。お嬢さんが大きな事情を抱えているのは、理解しておる。隠さなくてはならないモノについて問うてしまった事、本当に申し訳ない」
エドワードはそう言って、頭を下げる。
志希はエドワードの言葉と態度に慌て、わたわたと手を彷徨わせる。
「謝罪してくださったのですから、私はもう良いです。だからどうか、顔を上げてください!」
志希の言葉に、エドワードは何とも言えない表情で顔を上げる。
取り敢えず頭を上げてもらえた事で志希は安堵した表情を浮かべているが、イザークが小さく嘆息を零し口を開く。
「エドワード師、シキに他の用事があったのではないのか?」
イザークの問いに、はっとした表情を浮かべるエドワード。
小さく咳払いをして表情を改め、エドワードは志希を見る。
「お嬢さんは、精霊使いと言うには異質じゃ。本人も分かっておるじゃろうが……命令ではなく願いで以て精霊達を動かしている。それ故、お嬢さんの意図を越えた現象を引き起こしていたのではないか?」
エドワードの言葉に、志希は俯く。
彼の言っている事は間違って居なく、実際精霊達は志希の意図を大きく超えた現象として精霊王を召喚してくれたのだ。
この事を言うのは憚られるのだが、エドワードは志希の様子からそれを読みとっているのか苦笑を浮かべている。
「それに、精霊に対価を払う事無く動かしているのは異端以外の何物でもなかろう。それ故の忠告なのじゃが、おぬしは魔力制御の訓練をするのと同時に、一度精霊使いが精霊をどのようにして従えているのかを見た方が良い」
真剣な声音で、エドワードはそう志希に告げる。
志希はその事に思わず顔を上げ、まじまじとエドワードを見る。
「なるほど。本来の精霊使いの姿を見ておけば、精霊の制御の仕方を学べるという事か」
イザークが感心したように呟き、エドワードは頷く。
「そうじゃ。お嬢さんは、本当の意味合いで精霊を制御出来ておらん。お嬢さんの魔術構成や魔力制御が少々甘いのも、先程見て知っておる。お嬢さんは、その辺りの修業をするべきじゃ」
きっぱりとしたエドワードの言葉に、志希はひくりと唇の端を引きつらせる。
だがしかし、一人立ちをする為には絶対的に必要な技術なのだ。
志希はどんな修業をしなくてはいけないのかと戦々恐々としながら、小さな声でハイと返事をするしかなかった。