第八十七話
イザークは意識を失った志希を片手で抱き上げてから大剣を振り、血糊を払う。
それだけで大剣の汚れは落ち、それを確認したイザークは背中の鞘に納める。
イザークの動作を見て居たカズヤは深く息を吐き、懐から布を取り出して長剣を拭い鞘におさめつつ口を開く。
「取り敢えずミリア、この場所の浄化を頼む」
疲れたような表情を浮かべながらカズヤは言い、ミリアははっとした表情を浮かべる。
「ええ、そうね」
ミリアはいつも通りの表情で頷き、勢い余って地面にまで突き刺さっていた大鎌を引き抜く。
それを見ながら、カズヤは先程志希が引き起こした現象を見てしまったエドワード達に何と声をかけるかを悩む。
志希と精霊王の会話を聞いている以上、下手な誤魔化しは出来ないだろう。
そう思っていると、ナディアがゆっくりとミリアに歩み寄っていくのが見えた。
何事かと思わず彼女を見て気が付いた。
ナディアがどこか悲しげで、そして厳しい表情をしている事に。
「ミリア神官」
「は、はい」
厳しい声音に、思わずと言った様にミリアは背筋を伸ばしてナディアを見る。
ナディアはそのミリアに向かい、問いかける。
「貴女は何故、あれほどの憎しみをアンデッド達に……いえ、ヴァンパイアに向けるのですか?」
ナディアの唐突の問いかけに、ミリアはひゅっと息を止める。
驚きで目を瞠るミリアに、更に言葉を続けるナディア。
「わたし達は大地母神エルシルに仕える者。怒りで以てアンデッドを断罪するのは、夫神ヴァルディルのする事です。エルシルに仕えるわたし達はアンデッド達を赦し、癒しを与えて浄化をする事こそが教義です。だと言うのに、貴女は憎しみでヴァンパイアを討つ。それは、エルシルの神官としてはならない事ではありませんか?」
諭す様な言葉にミリアは青ざめ、唇を震わせている。
アリアはそんな姉の様子に思わず駆け寄り、そっと手を伸ばすがミリアは緩く頭を振る。
「理解、しております……」
震える声音での返事に、ナディアは目を細める。
「貴女はアンデッドキラーの資格を持つ神官だと言う事ですが、その憎しみをぶつける為にアンデッドキラーになったのでしたらお辞めなさい。このままいけば、貴女は神官としての信仰自体を失う事になりかねません。憎しみが源だと言うのに、生まれたてのヴァンパイアを浄化できたのには驚きましたが……いずれ必ず、貴女を殺す事になりますよ」
ミリアはナディアの言葉に、思わず顔を上げる。
ナディアを睨みつけ、ミリアは口を開く。
「もう何年も、わたしは信仰を保ち神官をしています。信仰を見失うことなく、ヴァンパイアへの憎しみを抱いて。わたしはわたしのやり方で、強くなっています……!」
怒りに震える声音で言うミリアに、ナディアが険しい表情を浮かべる。
「何年も……今の法力を維持している事は驚きではあります。ですが、憎しみに囚われていては……」
「あいつらが父様と母様を、わたしの目の前で殺した! わたしだって分かっているわ! 憎んではいけない、慈悲を持たなくてはいけないって! でも、けれど……あいつらの姿を見たら憎しみが胸を満たす! あいつらを殺さなくては、あいつを殺さなくてはわたしは……!」
ミリアは今まで抱えていた物を吐きだす様にナディアに向かって怒鳴り、はっとした表情を浮かべる。
そんなミリアの肩を、アリアがそっと叩く。
「姉さん。わかりました、わかりましたから……」
アリアの声にミリアは深呼吸をして、ナディアに頭を下げる。
「失礼、いたしました」
青ざめ、拳を握り締めながら謝罪するミリア。
その彼女の様子に、尋常ではない物を感じるナディアはそっと息を吐く。
「貴女のそのヴァンパイアに対する憎しみは、恐れでもあるように見えます。ミリア神官、貴女はヴァンパイアに印を付けられた聖女ではありませんか?」
ナディアの静かな問いかけに、ミリアとアリアの表情は目に見えて強張る。
そこに。
「いつから人の事詮索する様になったんだよ。オレ達はギルドからの要請で来た冒険者だぜ? 冒険者には複雑な事情を抱えている奴もいるんだから、詮索すんなって言ってたのナディアおばちゃんだろ?」
カズヤがそう言いながら、ミリアとアリアの前に立つ。
ナディアに追い詰められるミリアを見かね、庇ったのだ。
その事にナディアは目を瞠り、次いで微笑む。
「ええ、それは分かっているわ。だからこそ、わたしはエルシルの司祭として言わなくてはいけないの。聖女である筈の迷える者に、本来の光輝を思い出して欲しいのです」
ナディアは穏やかに、慈愛を込めた声音で言う。
ミリアはナディアの言葉に強張った表情を浮かべたまま、唇を噛みしめて俯く。
その彼女に、ナディアは諭すように言葉をかける。
「ミリア神官。貴女は今一度、己を見つめ直すべきです。貴女のその憎しみは、正当ではありましょうが……憎しみを原動力に信仰を道具にしては、エルシル神だけではなく貴女に教えを授けた方も嘆きましょう」
この言葉に、ミリアの動きが止まる。
青ざめ、血の気が引いている。
表情は無く、言葉すら発せられないほど動揺している。
いつもは快活なミリアが今にも心が折れ、崩れ落ちそうになっている姿にカズヤが咄嗟に行動に出る。
チェーンメイルを着たミリアを横抱きに抱き上げ、大鎌を何とか手に持つ。
「おばちゃん、説教は後だ。爺さん、部屋貸してくれ部屋!」
「カズヤの言う通り、今はこの方達には休息が必要だ。部屋はいくつか空いているので、エルロイに案内させましょう。場の浄化はナディア司祭、貴女が神官を連れて行ってください」
フェルナンがカズヤの言葉を受けてナディアを宥め、指示を出す。
エルロイはフェルナンの言葉に頷き、カズヤとイザークを見る。
「では、ご案内します。こちらへどうぞ」
エルロイは二人を促し、付いてくるのを待つ。
イザークは志希の額の布がどこかへ行ってしまった為、外套に隠す様に志希を抱えて歩きだす。
カズヤもまた歩きだすと、正気に戻ったミリアがはっとした表情を浮かべる。
「ちょっ、わたしは一人で歩けるわ!」
「良いから、黙ってこのまま運ばれてろ。顔色まだ悪いんだしよ」
「運ばれるって、何を考えているの!?」
赤面したミリアは、カズヤに怒鳴ってしまう。
怒鳴られたカズヤは飄々とした表情で、あっさりと応える。
「何って、ミリアが心配なんだよ。おばちゃんの言った事にすげぇ動揺して、すっかり青ざめてよ。それじゃ無くてもいつもと違う感じで、すげぇ形相して戦っていたじゃねぇか」
カズヤの言葉に、ミリアは言葉を詰まらせる。
「いつもと違う……?」
「ああ。怒ってるっつーか、何つーか……まぁ、オレとしてはあんな顔して戦うミリアは見たくねぇとは思う。それ以上に、泣きたくても泣けねぇ様な顔して説教聞いてるミリアも見たくねぇ」
きっぱりとカズヤはミリアに言い切りにっと笑う。
「色々あって大変なのはわかってるからよ。気持ちきちんと落ち着けてから改めて、おばちゃんと話をした方がいいんじゃねぇかって思ったから話しを遮ったんだ。ミリアだって、色々思う所があるんだろ?」
カズヤに問われたミリアは、唇を引き結び頷く。
泣きそうな表情を浮かべるミリアにカズヤは微笑み、背中をポンポンと叩く。
「んじゃま、取り敢えず今はゆっくり休もうぜ。シキもぶっ倒れてるし、な」
カズヤの言葉に甘える様にミリアは頷く。
「……ありがとう」
小さな声で、呟く様に礼を言うミリア。
「気にすんな、仲間だろ?」
優しい声音での言葉に、ミリアの眦から涙が滑り落ちる。
ミリアは慌てて法衣で涙を拭い、体を縮こまらせながらじっとしている。
カズヤはそんなミリアを軽々と、とまではいかないがしっかりと抱えて運ぶ。
その背中を見ながら、アリアが歩く。
自身の杖をぎゅっと握りしめ、唇を噛みしめる。
双子の姉であるミリアが羨ましい、そう思ってしまう自分に自己嫌悪を抱く。
だが、不思議なほど妬ましいと思わない自分に動揺していた。
ただただ、羨ましい。
好きだと思うし、もっとそばに近寄りたい。
それ以上の感情の揺れが無い事に、アリアは自分がどこかおかしいのではないかと動揺する。
本来であればもっと妬ましい、自分が代わりたいと思うのが普通である筈だ。
それが無い事に、アリアは自分が壊れたのかと青ざめてしまう。
「あの、大丈夫ですか?」
不意に声を掛けられ、アリアは顔を上げる。
前を歩いていた筈のイザークやカズヤ達がいつの間にかおらず、案内役をしていたエルロイがいた。
「あ……」
「イザークさんとカズヤさんはもう、お部屋にご案内いたしましたが……」
「そ、そうですか。あの、ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず。それよりも、顔色が悪いですよ。先程の戦闘で大分お疲れのご様子、ごゆっくりとお休みください」
そう言ってエルロイが促し、アリアは戸惑ったような表情を浮かべながら部屋の扉を開く。
いつもはミリアと同室なのだが、今の部屋の中には誰もいない。
思わずエルロイに振り返る。
「あの、姉さんは?」
「考えたい事があるから、とおっしゃいましたのでイザークさん以外は皆一人部屋をご用意しました」
エルロイはアリアの問いにそう答え、怪訝そうな表情を浮かべている。
その表情を見たアリアはミリアの居場所を聞こうとして、止める。
先程ナディアに言われた事に、ミリア自身が色々と思う所があるのだろう。
それに、アリア自身も考えた事がある。
「そうですか……案内してくださり、ありがとうございました」
アリアがお礼を言って頭を下げると、エルロイは若干慌てたような表情を浮かべる。
「いえ、お気になさらないでください。あのように強いアンデッドと戦った後です、お疲れでしょう。お食事の用意が整いますまで、少しでも疲れを癒してください」
「ありがとうございます。エルロイさんもお疲れでしょうから、今日はゆっくりと休んでくださいね」
「ありがとうございます」
エルロイは笑みを浮かべて礼を言い、アリアは会釈をして部屋に入る。
深いため息を吐いて、アリアは杖を壁に立てかけベッドに腰を下ろし考える事にする。
自分自身の気持と言うのをきちんと理解していかなくては、大事な時におかしなわだかまりが出来てしまいかねない。
姉の為に、ひいては自分自身の為に己を見つめ直すのであった。