第八十四話
志希は足早に、教会内を見て歩く。
すでに避難してきた村人たちは神官達によって結界の起点となる部屋へと移動をしているが、他に人が残っていないのか見て回っているのだ。
無論、志希が精霊にお願いすれば教会内の人間の把握は直ぐできるのだが、エドワードやブラドと言った元冒険者達が居る。
精霊使いとしては異端としか言いようのない能力を見られれば、突っ込みを入れられるような気がするのだ。
冒険者には様々な人間が多く居るのだから、パーティーにどのような人物が居ても気にしないだろう。
だがしかし、人間ですらないモノが可愛い養い子と一緒にいるのを良しとするような人はあまりいない。
そう考えて、志希は精霊を使わず自分の足を使って教会内を歩き回っているのだ。
他の皆もそれぞれ見回り、怪しい人間が居ないかと言うのと残った村人が居ないかのチェックをしている。
それに安心した志希が少々入り組んでいる奥の方へと進んで行くと、後ろから声をかけられた。
「あの、すいません」
声の方を向くと、先程ガリレオとエリクの遺品を持ってきたダレンと言う神官見習いが立っていた。
「どうしましたか?」
志希は彼に近づきながら問いかけると、ダレンは困ったような表情を浮かべて口を開く。
「あの、先程貴方達が連れてこられた女の子が癇癪を起して部屋に籠城してしまったのです」
「え?」
志希は思わず、きょとんとした表情を浮かべてしまう。
あの少女はかなり疲れ果てており、“眠り”を解除した後もすやすやと健やかな寝息を立てていた。
しかし、神殿の人間に預けてから既にそれなりの時間が経っているので、起きているのは間違いないだろう。
だが、どうして籠城したのか思わず疑問を抱く。
すると、困り顔のダレンが志希の疑問を読みとったのか慌てて口を開く。
「白い髪のお姉ちゃんが迎えに来てくれないと嫌だとごねているので、来ていただけませんか?」
「あー……そう、なんですか」
腑に落ちないと言った表情を浮かべつつ頷くと、ダレンが苦笑を浮かべる。
「助けてもらった時、一番最初に見たのが白い髪のお姉ちゃんだと言ってましたので……たぶん、貴方が一番印象に残っているのでしょう」
ダレンの言葉に、志希は腑には落ちたもののやはり違和感を覚える。
どうして今、そんな事をあの少女が言いだしたのかと言うことだ。
しかし、この緊急時で問答をしていては彼女が危ないだろう。
そう判断した志希は、取り敢えずダレンを見る。
「わかりました。何処に居ますか?」
「こちらです」
ほっと安堵した表情を浮かべ、ダレンが先導する。
足早に前を歩くダレンは、教会内部でも結界端の外れの部屋へとずんずんと歩いていく。
志希はふと、眉を潜める。
基本的に村人たちは、外れの方へ行く事はない。
神官達も単独行動をせず、教会でも結界の際に位置する場所には近づかないようにと指示を出していると聞いた。
だと言うのに、何故こんな端に案内するのかと考えた瞬間足を止めた。
それに気がついたダレンは振り返り、怪訝そうな表情を浮かべる。
「どうかなさいましたか?」
「……いえ、何でもありません」
志希はそう返事をしつつ、そっと首元の宝珠を撫でる。
そこから風の精霊が現れ、嬉しそうに志希を見る。
歩きながら精霊に教会内部を見て来て欲しいとお願いすると、風の精霊は上機嫌で了承し飛んでいく。
片目を瞑り、そちらの方だけで精霊と視界を共有する。
二つの光景が二重写しの様に見えて気分が悪くなるのだが、今は確認したい事があるので強行しなくてはいけない。
ほんの僅かな時間でそれが終わったので、ついでに志希はイザーク達をこちらまで案内してくれるように風の精霊にお願いして目を開ける。
その間にダレンは教会の建物から出て、物置へと志希を案内した。
志希は物置を見て、思わず絶句する。
この物置は、結界が出来た時に範囲に入りきらず、真ん中ほどまでしか結界の効果が無い状態であるのが見て取れる。
こんな場所に立てこもるのは、大人だって嫌がるだろう。
ダレンは物置への扉の前から退き、志希を見ている。
志希は険しい表情を浮かべ、口を開く。
「ダレンさん。こんな場所に、小さな女の子が来る訳ないと思うのですが?」
「しかし……この中にいるのですが」
「……本当に?」
「ええ」
ダレンは困った表情を浮かべ、おどおどと志希を見ている。
志希は先ほど、自分が助けた少女が教会内にいるのを風の精霊を使って確認している。
だから、彼が嘘をついているのは知っている状態だ。
何より、この様な嘘をつく時点で彼が協力者である事を確信している。
だからこそ、この物置に踏み込むのは躊躇するのだ。
「鍵、かかっているんですよね? 立て篭もっていると言うのでしたら。私はカズヤの様に鍵開けの技術を持っていません。鍵は持って来ているんですか?」
「はい、持っております」
「では、貴方がまず開けて中に入るべきでは? 私は外から説得の声をかけますので」
「それは困ります。一緒に来てください」
ダレンはそう言って、志希の前に来る。
「貴方じゃないと駄目だと言っているのですから、貴方が行かなければ意味が無いのです!」
強い口調で、笑顔を浮かべてダレンが腕を伸ばしてくる。
そんな表情のダレンが気味悪くて、志希は思わずその腕を跳ねのけると、彼の表情が変わる。
やや気弱そうなその表情が、眉を吊り上げ険しくなる。
チンピラと言った方が正しいその表情に志希は思わず目を丸くすると、彼は舌打ちしつつ志希の腕を力任せに掴む。
「良いから来いって言ってんだよ! おれ様が命じているんだから、素直に来い!」
口調までがらりと変わり、志希は思わず唖然としてしまう。
だが、そんな事にかまっていられないとばかりにダレンは志希を引っ張り、物置の扉を開く。
志希は突然の豹変に驚きつつ、抗おうと足を踏ん張るが男の方が力が強い為どうにもならない状況だ。
「風の……」
「喋るんじゃねぇ!」
志希が精霊に助けを求めようとした瞬間、拳で思いっきりこめかみを殴られる。
容赦ないその殴打に志希の言葉は途切れ、目眩を起こす。
その瞬間、周囲の精霊達がざわりと殺気立つ。
志希を暴行したと精霊達が理解したらしく、目を閉じていてもくらくらしている志希は必死で精霊達を止める。
しかし、そんな事と気が付かないダレンは志希を嘲るように鼻で笑いながら、小脇に抱え上げる。
「こんな弱っちいので冒険者が出来るってのが笑えるな。おれも出来るんじゃねぇの?」
馬鹿にしながら、ダレンが物置の扉を開く音が聞こえた。
精霊達が志希に更なる危害が加えられるのではないかと思ったのか、鋭い風が吹いてダレンの腕を浅く切りつけ、ダレンの足を止めるように土が盛り上がる。
「なんだ!?」
突然の事に驚いたダレンの声と同時に、志希は腕を解放されて中に投げ出される。
頭がくらくらしつつも何とか受け身を取り、周囲を見回すと。
「あら……何て事! ダレン、良くやったわ!」
嬉しそうな声を上げる、結界の外側に立つ女性が見えた。
艶やかな金の髪を揺らし、身動きする度に揺れるたわわな胸。
濡れた様な褐色の肌を惜しげも無く晒し、露出の多い赤いドレスを身に纏った女性は志希が知っている人物であった。
金の髪から突き出す木の葉の様な形をした耳に沢山の宝石をあしらわれた耳飾りを付けた彼女は、ゆっくりと腰に差している細突剣の柄を握る。
「ダレン、この餓鬼について仲間が来ていたでしょう? その内の一人に、アールヴが居た筈」
「はい、おりました」
「そう、良かった……わたしの為に彼を連れて来て頂戴? この餓鬼が裏切りを働いているとでもいえば、直ぐにでも駆けつけてくれるでしょうし」
弾んだ声音で言う女性の言葉に、恍惚と言った声音でダレンはハイと返事をする。
「あ、でも。その前に……この餓鬼を此方へ放り出してちょうだい。この結界、破るのはたやすいけれど面倒だし」
志希はそんな事を言う声に歯を食いしばりながら、何とか体を起こす。
こめかみは人体の急所の一つで、意識を失わなかったのは僥倖としか言いようがない。
平衡感覚を失って体を動かすのが億劫だったのだが、このまま向こう側に放り出されては殺されてしまう。
正直、痛いのが延々と続くのだけは御免なので、何とかして時間を稼がなくてはいけないと志希は動いたのである。
それに気がついた彼女が、志希を見る。
志希はその目を真正面から見返し、顔を顰める。
新緑色だった瞳が、血の様な真紅に変わっているのに今気がついたのだ。
そして何よりも、彼女が身に纏う精霊の色が雄弁に語っている。
「ソラヤさんはアンデッド、しかもヴァンパイア化したんだ。それじゃ、エリクとガリレオを殺したのは貴女の親?」
志希の問いかけに、すっと目を細めるソラヤ。
「随分と小賢しい餓鬼ね。醜い癖に、随分と強く輝く魂を持っているみたいだし……気に入らないわ」
「気に入られなくて結構です。それに、貴女が身につけているその宝飾品……どこで手に入れられたんですか? 性質の悪い死霊術師が自分の未熟を補う為に身につける、補助品じゃありませんか。見た所、その凄く実用的じゃない細突剣もそうですよね? そっちは、どっちかと言えば魔術を補助する物に見えますけど」
そう言いつつ、志希は色々と後悔していた。
先程殴られた時に長棍を取り落としたのか、手には何も持っていない。
まさに丸腰状態だ。
今は結界があるからソラヤはこちらに来られないが、彼女の協力者であるダレンが居る以上安心できない。
実際、ダレンは志希のソラヤに対する言葉遣いや態度に腹を立てているのか、物凄い目で睨みつけている。
「鑑定でもできるのかしら? 嫌な餓鬼ね。まぁ、そうだとしてもお前が死ぬのは変わらないわ。エリクとガリレオの様に、ぐちゃぐちゃに叩きつぶして上げる」
嫣然と笑い、ソラヤはそう言い放つ。
志希はその言葉に思わず目を瞠り、ソラヤを凝視する。
「……貴女が、殺したの?」
「ええ、そうよ。だって、わたしの事をずうっと馬鹿にするのだもの。そんな存在は、罰を与えられて当然でしょう? だから、お前もそうするの。そして……イザークをわたしの永遠の下僕にするの! これでもう、誰にも彼が奪われる心配はないわ!」
嬉しそうに笑うソラヤに、ダレンが驚いた表情を浮かべる。
「おれを、眷族にしてくれるのではなかったのですか!?」
思わずと言った様に問いかけるダレンに、ソラヤは毒を含んだ笑みを浮かべる。
「もちろん、加えてあげるわ……わたしの為に働く事が、条件だけれど。出来るわよね? ダレン」
血の様に赤い真紅の瞳が、禍々しい光を帯びる。
それを見た瞬間、ダレンの表情がまるで痴呆にかかった老人の様になる。
ヴァンパイアは、目を合わせる事によって相手を魅了する事が出来る。
その能力を使ったのだと、志希には直ぐに分かった。
「さぁ、ダレン。その餓鬼をこちらに投げ込んでから、イザークを連れて来なさい」
「はい、ソラヤさま」
うっとりとした表情浮かべ、ダレンは頷く。
のろのろとした動きでダレンは志希の側へと近寄って来るが、そうはさせじと志希も抗う。
「命の精霊よ、お願い! 土の精霊よ!」
志希は矢継ぎ早に呪文めいた言葉を口にしつつ、体を動かす。
命を司る精霊に自身の体の不調を癒してもらい、土の精霊を使ってダレンを転ばせる。
ほんの少しでも隙があれば、志希は直ぐにでも逃げられるのだ。
しかし、そうはさせじとソラヤが細突剣を抜いて結界に向けて一閃する。
それだけで、物置小屋が吹き飛ばされる。
余波を受けた志希は吹き飛ばされるが、何とか受け身を取りつつ上手く地面に着地して顔を上げる。
その一撃が結界に打撃を与えたのか、連鎖的に結界が崩れ緑と白い光が混じり合い、ほどけて消えて行く。
その中に、ソラヤが悠然と敷地内に足を踏み入れる。
さらに彼女に従うようにぞろぞろとリビングデッドとグール、グワルが姿を現す。
流石にこの数を一人で相手するのは無理だと思うものの、逃げだすつもりは志希にはない。
逃げだせば、このアンデッド達は教会の中へと踏み込み村人達を襲うのは間違いないからだ。
志希はじりじりとした焦りを感じながら、どうするべきかと頭を巡らせる。
そんな志希をソラヤは嗤う。
「小賢しい餓鬼は、本当に面倒。だけれど……イザークを連れて来たのは褒めてあげる。お前を彼の目の前でぐちゃぐちゃにして、わたしがどれくらい強く美しいのかを見せつける事が出来るのだもの」
「イザークも、仲間の皆も強いわ。ソラヤさんなんか、目じゃない位」
志希は自身の言葉にご満悦のソラヤにそう告げ、しっかりと立ち上がる。
ちらりと周囲を見渡せば、自身の長棍が転がっているのが見える。
それをどのように取りに行くかを考えた瞬間、先程よりも遥かに小さな法力結界が教会だけを包む。
教会だけを限定した結界故か、直ぐにでも張れたのだろう。
その事に一瞬安堵した直後、物凄い殺気を感じた。
同時に空気を切り裂く音が聞こえ、志希の体が反応する。
体を捻りながら勢いを付けて転がり、体を起こして更に地面を蹴って背後に後退する。
地面に足が付くと同時に、水が地面に落ちるような音がした。
思わず下に視線を流すと、足元に点々と血痕が落ちていた。
そう気が付くと同時に、右腕に痛みが走る。
地面から右腕に視線を移すと、やや深めに抉られた傷があった。
「すばしっこいわね……お前達、あの餓鬼を捕まえなさい」
ソラヤは眉を潜め、細突剣を振って刃についた血を振り飛ばす。
それを見ながら、志希はちらりと周囲に視線を走らせて気が付く。
丁度、取り落としていた長棍が直ぐ側にある事を。
迷うことなく志希はそちら側へと走り出し、長棍を拾い上げて構える。
すると、ソラヤの命令でのろのろと動くリビングデッドの中から、素早い動きをするグールと魔術を詠唱しているグワルの姿が見えた。
セオリーであればグワルを先に崩すか、詠唱を邪魔しなくてはいけない。
だがしかし、一対一ではなく一対多数と言う状況では邪魔をしに行く事など不可能に近い。
それに何より、この場にいるアンデッドで最も強いのはソラヤだ。
彼女が動かずこちらの様子を見ていると言う事は、邪魔しに動けば迎撃しに来る事は目に見えている。
リビングデッドの中にいる数体のグールもまた、志希を虎視眈々と狙っている。
下手に動けない以上、体内の魔力を活性化させてグワルの魔術を耐えきる以外に道はない。
そう覚悟した瞬間。
「魔力よ集え、我らを護る強固なる鎧となり凝れ!」
気合のこもったアリアの声が、魔術を完成させる。
同時に虹の煌めきが志希の体を覆い、消える。
「エルシル神の加護を!」
いつの間にか現れていたミリアが大鎌を振り上げ、直ぐ近くにいたリビングデッドを一刀のもとに斬り伏せる。
その後ろにいたカズヤは長弓の弦を引き、矢をグワルの頭に向けて射かける。
鋭い音を響かせて、その矢はグワルの頭に突き刺さるのではなく跳ね飛ばす。
同時にグワルが構築していた魔術はかき消え、魔術での攻撃はされる事無く終わった。
グワルには普通の武器が効かないので、恐らくミリアが矢に祝福を与えたのだろうと推測するが、今の状況では単純に喜べない。
何せ物凄い数のアンデッドと首魁であるヴァンパイアのソラヤは健在で、しかも志希一人が外れた所にいるのは変わらないからだ。
ソラヤはカズヤ達の登場に不快そうに顔を顰め、口を開く。
「はん、人間如きがいくら群れようとも無駄なのよ! いい加減飽きて来たから、この村の人間もあんた達も全てわたしの下僕にしてやるわ」
ソラヤは傲慢に言い放ち、カズヤ達を細突剣で示して指示を出す。
「あいつらを殺して、お前達の仲間にしてやりなさい!」
アンデッド達は呻き声を上げながら、ぞろぞろと志希とカズヤ達に殺到し始める。
「うおぉ!」
カズヤが嫌そうな声を上げつつ長弓を背中に背負い、長剣を抜き放つ。
アリアは単純な魔術を連発してアンデッド達を焼き、ミリアは妹を守る位置に立って大鎌を振るいアンデッド達を切り伏せる。
それを横目に、志希は必死にアンデッド達を捌いていた。
壁を背にして長棍を振り、アンデッドの足をへし折り近づけさせない。
死角部分は精霊達がフォローしているが流石に一人では手が回らず、引っ掻かれたり齧りつかれたりして傷が増える。
痛みから意識を逸らし、必死で長棍を振る志希の耳にミリア達の声が届く。
「シキ! こちらに来なさい!」
「無茶言うな! この数のアンデッドの群れから、どうやってこっちくんだよ!」
「ですが、シキさん一人では危険です!」
「ああ、だから……オレ達が合流するしかねぇじゃねぇか!」
カズヤの力強い言葉に、志希は腹をくくる。
エドワード達が来た時に、自分が何者かと問われる様な事をしないようにしたかった。
仲間達の迷惑にならない様に、自分の異常性を隠しておきたいと思ったが故に出し惜しみをしていた。
だがしかし、状況が状況だ。
それに何より、カズヤ達に酷い怪我を負わせてしまうよりは全力で精霊達に頼って現状を打破した方が志希の気持ちが楽なのだ。
そう思ったと同時に、何かが蹴りつけられる鈍い音が響いた。
驚きの声を上げるカズヤ達に、何事かと顔を上げた志希の頭上が陰る。
ソラヤが来たのかと思った瞬間、目の前に降り立った黒い影は大剣を一閃し多数のリビングデッドを切り伏せた。