第八十一話
志希達は村の中に足を踏み入れ、物陰に隠れながら進んでいた。
何しろ結構な数のリビングデッドが覚束ない足取りで歩きまわり、生きたモノが居ないか探しているのだ。
今はミリアがエルシル神殿から貰って来た聖水を体に振りかけ、リビングデッド達から認識されないようになっている。
だがしかし、リビングデッドの数が多くなると聖水の効果が続いていても体のどこかが触れてしまえば、その時点で気が付かれてしまう。
なので、出来るだけリビングデッドが少ない道を選びながら進んでいるのだ。
念の為、家の中を確認しながら一行は進んで行く。
時折、家の中で聞こえた物音に反応し、中に入ると赤黒い飛沫が壁に付着しているのが見えたり、惨たらしく殺された乳児の姿があった。
あまりにも幼い命がそのような殺され方をしているのに、志希は胸が痛くなる。
ミリアは怒りと悲しみが綯い交ぜになった表情で、乳児の冥福を祈り小さく祈りを捧げて再び教会を目指して歩きだす。
ゆっくりと周囲を経過しつつ歩いていると、イザークが手を上げ皆を止める。
口元に指を一本立て、静かにしている様にと示す。
志希がそれに従って耳を澄ますと、風の精霊が志希の耳にイザークが聞いているであろう音を届ける。
それは、力無く泣く赤子の声だ。
思わず志希は風の精霊の視覚を借り、その泣き声が聞こえる方へと向かわせる。
ほんの微かなその泣き声を聞きつけたらしいリビングデッドが、家の前に立ちガリガリと扉を引っ掻いているのが見えた。
窓も閉め切っているその家からは女の子の泣きそうな小声も聞こえてくる。
必死で赤ん坊を宥めている言葉を聞いて、志希は顔を上げる。
「あっちの方にある家。もうリビングデッドが数体気がついて、扉とか攻撃し始めてる。木造だから、早く行かないとまずい」
志希の言葉にイザークは頷き、三人を見る。
「シキが示した方向に、生き残りと思しき者がいる。恐らく赤ん坊と、子供だ」
「助けに行こう」
イザークの言葉が終わるより早く、カズヤが言う。
「リビングデッドの数は?」
「三体……四体ほど。音を聞きつけて、増える可能性もあるよ」
ミリアの問いに志希は簡潔に答えると、アリアが荷物を背負い直しローブの裾を持つ。
「早く行きましょう」
「先導はミリアとシキだ。走っていくぞ」
「了解」
イザークの指示に志希とミリアは頷き、荷物を抱え直して走り出す。
子供達が居る場所は中央よりも外れの方に位置している為、リビングデッドの数は少ない。
それでも、村の建物は割と脆い構造になっているのでいつまでも持たない事は火を見るより明らかだ。
志希は無意識に風の精霊の力を借りて、走る早さを上げて子供達が立て篭もっている家へと向かう。
一歩走る毎に体が浮き上がり、かなりの距離を飛ぶように駆け抜ける。
そのお陰で志希は扉が破られる前に家に辿り着いた。
まずはミリアに浄化してもらおうかと志希は隣を見て、絶句する。
一緒に走っていた筈のミリアが居ないのだ。
どうしようと焦るが、いよいよ子供の泣き声が大きくなり始めて来たのに気がつき志希は腹を括る。
皆を待った方が良いのは承知しているが、何時までも子供が恐怖で泣く声を聞いているのは正直耐えられない。
また、赤ん坊の泣き声に力が無い。
十中八九、衰弱しているだろう。
手遅れになる前に助け出し、手当てをしなくてはいけないのだ。
一つ深呼吸をして、志希は長棍を構える。
「土の精霊達よ、あの家を守ってちょうだい!」
志希は声を出して土の精霊達に助力を願うと、土壁が家の周囲にいたゾンビ達を跳ね飛ばしながら出現する。
そのまま長棍で目の前で背中を見せているリビングデッドの足をへし折り、蹴飛ばしてその場から退ける。
土壁を背にして長棍を構え、四方から来るであろうリビングデッドに備える。
呻き声を上げ、リビングデッドがのろのろと志希に向けて歯を剥き出し、手を伸ばして襲いかかって来る。
可愛らしい顔立ちをしていた女性のリビングデッドの腹に思いっきり長棍を叩き込み、力を入れて薙ぎ倒す。
ぐんにゃりとした肉の感触に気持ちが悪くなりながら、他のリビングデッドにぶつけるようにするが、力が足りず転ばすだけで終わってしまう。
直ぐに二体目の男性のリビングデッドに長棍を叩き込もうとするが、それより早く黒い影が大剣で叩き斬る。
「イザーク!」
「急くのは分かるが置いていくな」
志希の声にそう答えながら、イザークは直ぐ近くにいたリビングデッドを斬り伏せる。
体を両断されたリビングデッドはびくびくと震え、腕をゆらゆらと動かす。
両断された為に、動くと言う行為が出来なくなったのだ。
その間にも、ゆっくりと迫って来るリビングデッドに志希とイザークは武器を向け、襲いかかって来るものを叩き伏せていると。
「大地母神エルシルよ、御身の慈悲を彼等に与えたまえ」
ミリアの朗々とした声が響く。
若干息を切らしているが、祝詞は途絶えることなく紡がれ志希とイザークをめがけて襲って来ていたリビングデッドは動きを止める。
死者達はエルシルの与える安らぎに歓喜の声を上げ、音を立ててその場に倒れる。
穢されていた魂はミリアの祈りで浄化され、世界を循環する流れへと還っていった。
志希は安堵の息を吐きながら長棍を降ろし、家を覆っている土壁を精霊にお願いして消し去る。
「シキ、こういう時に単独行動をするのは良くないわ」
「ごめんなさい。その……気が付いたら誰もいなくて、びっくりした。多分、無意識で何かしちゃったんだと思うの」
ミリアに咎められた志希は、素直に謝る。
「それより、この家の中に誰かいンだろ? そっちの方先にして、話しは後にしようぜ」
カズヤがミリアを遮り、扉の前に立つ。
家の方からは女の子らしき押し殺した声と、赤ん坊の掠れた泣き声が聞こえて来ている。
「おい、誰か居るんだろ? 助けに来たぞ」
カズヤは声を潜め、中に語りかける。
女の子の押し殺した泣き声は止まり、ガタリと中から物音が聞こえた。
それからしばらく、家の中ではうんともすんとも言わない状態が続きカズヤが苛立たしげに扉に手を伸ばす。
カズヤの手が扉に届くより早く、小さな音が鳴り中の鍵が外れる音がした。
そのまま扉が小さく開かれ、隙間から泣き腫らした赤い目が窺うようにカズヤ達を見ている。
それを見た志希は腰を落とし、微笑みを浮かべる。
「大丈夫? お父さんと、お母さんは?」
志希の問いかけに、少女はくしゃりと顔を歪ませ扉を開き志希の腕の中に飛び込んでくる。
「お、おとうさんも、おかあさんもいないのっ! おるすっ……ばん……してたっ」
嗚咽を零しながら必死に言葉を紡ぐ少女に、志希は掛けるべき言葉が見つからず少女を抱きしめる。
「そっか、えらいね……えらいね」
そう言葉をかけると、少女の嗚咽がだんだんと大きくなってくる。
志希に抱きしめられた事で気が緩んでしまったのだろうと気がつき、イザークが声をかける。
「シキ、泣きやませる事は出来るか?」
家の中に入っていくミリアとアリアを見送りながら、志希は頭を振る。
「泣きやませるのは、難しいと思う。ちょっと乱暴だけど、眠らせるのならできる」
「……村の様子を見て勝手に行動されては困る。乱暴である事は確かだが、眠らせてくれ」
イザークの言葉に志希は頷き、少女の方を掴む。
「お嬢ちゃん、ごめんね。次目が覚めた時は、人がいる所だから」
この言葉に少女が嗚咽を零しながら顔を上げると、志希は優しく微笑みながらそっとその目蓋を撫でる。
「眠りの砂で、この子を眠らせて……」
志希の言葉に眠りを司る精霊が応え、少女に深い魔法の眠りを与える。
クタリと弛緩した少女を志希は抱え、家の中に入る。
入ってすぐの所で力無く泣く赤ん坊をぎこちなく腕に抱くミリアと、赤ん坊と少女の荷物を手早く袋に詰め込むカズヤとアリアの姿があった。
「シキ、赤子にも眠りの魔法をかけろ。ここで手当てするには、少し騒ぎ過ぎた」
イザークの言葉に志希は頷き、おろおろしているミリアの腕の赤ん坊を眠らせる。
精霊に施された眠りはかなり深く、魔術による解呪か術者が解除しなければ目覚めないのだ。
「これで、途中で目覚める事はないよ。早くこの子達連れて移動しよう、何体かリビングデッドが聞きつけて、こっちに来ているから」
志希の言葉に、荷物をまとめたカズヤとアリアが集まって来る。
「シキ、悪いのだけどこの子を抱っこしてもらえる? わたしは聖水をもう一度みんなに振りかけるから」
ミリアの言葉に頷き、志希は少女をイザークに預けて赤ん坊を抱く。
周りに集まってきた皆に聖水を振り捲き、頷く。
「取り敢えず、二人とも悪いけどそのまま抱いて移動しましょう。シキは精霊達の助力を得られるから両手がふさがっていても大丈夫でしょうし、イザークなら予備の長剣でどうにかなるでしょう?」
ミリアの言葉に二人は同意し、全員で素早く移動を開始する。
何せ、家の外から聞こえるリビングデッドの唸り声が、徐々に近づいてきているのだ。
リビングデッドとはち合わせる事無く、皆で家を出て急ぎ足で歩く。
ちらりと後ろを見ると、寄って来ていたリビングデッドが唸りながら家の中へと入っていく。
気がつかれなかった事に安堵しつつ、志希は思考で精霊達に生き残りを探してくれるようにお願いする。
この二人の様に、運良く気がつかれなかった者がいるかもしれないからだ。
しかし、精霊達から帰って来るのは生存者が見当たらないと言う事だけだ。
その事に顔を歪め、志希はそっと赤ん坊を抱きしめる。
出来るだけ物音を立てない様に、リビングデッド達に気がつかれないようにと歩いていると先頭のカズヤが足を止める。
何軒かある家の壁沿いを歩き、曲がり角を確認して手を振る。
こちらの方に来ても大丈夫だと言う合図だ。
気が付けば、もう教会の側へと来ていた。
だがしかし、教会の周辺は結構な数のリビングデッドがひしめき合い、気付かれない様に移動するのは無理だと分かる。
その事に思わず顔を顰めると、ミリアが身ぶり手ぶりを始める。
リビングデッドが近くにいる為、声が出せないのでミリアは必死に自分の考えを伝える。
ミリアの考えは、ここで取り敢えずリビングデッドを数体倒して結界内に駆け込むと言う物だ。
かなり乱暴な手段だが、手当てが必要な赤ん坊が居る以上早く食料もあるであろう教会に駆け込んだ方が良い。
志希は賛成の意図を込めて頷くと、イザークが若干微妙そうな表情を浮かべる。
何か思う所がある様子だが、仕方がないと頭を振って頷く。
カズヤとアリアもまた、ミリアの案を支持する。
その際アリアが杖を振り、まずはリビングデッドに先制攻撃を仕掛ける意思表示をした。
イザークはあっさりとアリアの提案を飲み、頷く。
ミリアの祈りだと長すぎてリビングデッドに気が付かれかねないが、アリアであれば無詠唱で魔術が発動できる。
それを考えれば、おのずと答えが出る。
アリアは頷き、杖を手に前に出る。
リビングデッド達は気が付かず、一心に結界の際をウロウロと彷徨っている。
アリアはここから一番リビングデッドの壁が薄く、かつ距離が近い法力結界のあたりを杖で示しカズヤを見る。
カズヤはしばし考えてから頷き、手で後ろの皆を呼び寄せその方向に駆ける様に身ぶりで告げる。
それを理解した三人は頷き、アリアを見る。
注視されたアリアは杖を掲げ、無言で魔術を構築し予定の場所に炸裂させる。
一瞬にして炎の玉が現れ、膨張し破裂する。
その衝撃と熱でリビングデッドが吹き飛ばされ、びりびりと地面を震わせる。
「いまだ!」
カズヤの合図に全員で駆けだし、ぐずぐずに焼けた死体の側をすり抜ける。
恨めしげなリビングデッドの声やザリザリと地面を引っ掻く音、あたりに充満する人の肉が焼ける臭い。
それら全てに志希は鳥肌を立てながら駆けていると、目的地である教会の扉が開き先程見た老人と、髪を短く刈り込んだ老人の二人が出て来た。
状況を直ぐに把握した二人は、声を張り上げる。
「こっちは安全だ、早く来い! 援護するぞ!」
「ええい、おぬしは結界を出るな! わしが援護する!」
髪を短く刈り込んだ老人が結界を出ようとして、白髭の老人に止められている。
その声を聞きながら志希は結界内に辿り着き、後ろを振り返る。
イザーク、カズヤ、ミリアの三人は同時に着いたのだが、アリアが若干遅れていた。
彼女の後ろを、無事であるリビングデッドともう一体、体を腐らせた何かが追いかけていた。
リビングデッドより早く、素早い動き。
それを見た瞬間、志希は声を張り上げる。
「風の精霊よ、アリアを!」
風の精霊は志希に応え、アリアの背後に迫るリビングデッドとナニカの足を切断する。
その間にアリアは結界内に辿り着き、ぜいぜいと息を切らしている。
ミリアはアリアの肩を抱きながら、ずるずると這ってでも近づいてくるナニカを凝視する。
「グールに……成っているのね」
「ああ、グワルもおる」
ミリアの呟きに、白髭の老人が告げる。
「なんですって!? 此処には、それほどまでの霊気が溜まっているとは思えないわ」
「わしもそう思う。何せ、村がこの惨状になって三日じゃ。グールやグワルが生まれるのは、早すぎる」
「だとすれば、やはり此処には、死霊術師か、闇の神官が、来ていると言う事ですね」
アリアは息を切らせながら言う。
「そうじゃろうな。さて……ぬしら、ジーンダームで依頼を受けた冒険者じゃろう?」
老人は息を吐きながら志希達を見て、目を瞠る。
同時にカズヤも前に出て、老人の肩を掴む。
「爺さん、大丈夫か? 襲われたんだろ、怪我とかはしてねぇか?」
そう言いながら、老人の姿を上から下まで見るカズヤ。
老人は呆けたようにカズヤを見上げ、次いで顔をくしゃくしゃにして笑う。
「いや、死ぬ前に一目会いたいと思っていたが……存外神様は見ていらっしゃるのだのぉ」
「不吉な事言うなよ! 爺さんもだが、師匠も無茶すんなよ。いい年なんだからよ」
「うるさい、生意気な口を聞くな馬鹿弟子が! 村を出たっきり、頼りを一つも寄こさんで! どれだけエドワードが心配したと思ってる!」
短髪の老人は怒鳴り、一つ息を吐いて表情を緩める。
「再会を喜びたい所だが、取り敢えず中に入れ。ここじゃ、落ち着かんだろう」
「そうじゃな……」
エドワードと呼ばれた老人は頷き、カズヤの腕を叩いて促す。
「んじゃま、入ろうぜ」
カズヤの言葉に、ミリアは緩く頭を振る。
「その前に、浄化だけさせて」
ミリアはそう言って、後ろを振り返る。
足を切り落とされたリビングデッドとグールに、アリアの魔術で吹き飛ばされた死体に戻ったリビングデッドやそれらを喰らうリビングデッド達。
しかも、グールは己の切り落とされた足をがつがつと喰らっている。
あまりにも浅ましいその姿にミリアは目を閉じ、ゆっくりと口を開く。
「母なる大地母神、我が前にある死にながら生きる者たちに安らぎを与えたまえ」
朗々と響くミリアの祝詞に、傷を負った不死者達はびくりと体を震わせる。
グールでさえ、ミリアの祈りの声に抗えぬと言った様子で動きを止めた。
「汝の苦しみは母の腕に、汝の悲しみは母の胸に。呪われし偽りの生を終え、大いなる慈愛に魂を委ね、安らかなる眠りを受け入れよ」
柔らかな緑の光に包まれ、傷ついた不死者達は崩れ落ちる。
同時に、この辺りを漂っていた穢れた魂もミリアの浄化を受け入れ、魂の循環へと還っていく。
志希はそれを見届け、小さく息を吐く。
ミリアもまた、グールがぐずぐずに腐れ落ち、動かないのを確認してから安堵したように息を吐く。
「いや、見事な浄化じゃ。高位の神官様かの?」
エドワードが問いかけると、ミリアは苦笑して頭を振る。
「いいえ、まだまだ未熟です。それよりも、手当てをお願いしたい者が二人居ます。食べ物と、母乳が出る人がいませんか?」
ミリアの言葉に、髪の短いの老人が志希の腕に抱かれている赤ん坊に気がつく。
「おう、これは……嬢ちゃんが寝かせてるんだろうが顔色が良くねぇ。おい、エドワード。司祭殿に話を通してくるぞ」
「分かっておる。ブラド、頼んだぞ」
言葉短く役割分担をして、ブラドと呼ばれた老人は先に教会の中へと入って行く。
エドワードはその背中を見送ってから、改めてカズヤを含み全員を見て中へ入るように促す。
それを受け、五人は教会の中へと入っていく。
その間にも、浄化を免れたリビングデッドが何処からともなく現れ、再び教会の結界を取り囲み始めるのであった。