幕間
第七十八話と順番を前後させただけなので、既に閲覧している方はお気になさらずどうぞ。
ソラヤを捕獲したエリク達は、アールヴの里へと戻る道を馬車で辿っていた。
早く里に帰る為にと言うのとソラヤが逃げ出さない様にする為に、フェイルシアで馬車を購入したのだ。
ガリレオもエリクもソラヤの喚く言葉には何一つ耳をかさず、ただ淡々と接していた。
その事にソラヤは憤慨していたが、元々ガリレオもエリクもソラヤが里長の子供である事やアールヴの中では際立った美人である事を全く気に留めていなかった。
それでもソラヤはめげず、フェイルシアに戻る為に野営の為に準備をしているガリレオに声をかける。
「ねぇ、ガリレオ。せっかく許可を貰って外に来たんでしょう? もっと、外で楽しみましょうよ」
甘えた様な、鼻にかかった声音で囁きながら、ガリレオの体にしな垂れかかる。
瑞々しい果実の様に弾力のある乳房を腕に擦りつけ、妖艶に微笑む。
しかし。
「はいはい、我儘言ってないでそこ退けてくれ。オレは今、飯の準備をしている所なの」
と、ソラヤの事を歯牙にもかけずにガリレオは起こした焚き火の上に鍋をかける。
「なっ……」
「エリク、ソラヤ邪魔」
「ああ、はいはい。嬢ちゃんこっちで大人しく待ってろよー」
茂みからガリレオが手を拭きながら現れ、ソラヤの腕を掴む。
「ガリレオ、この手拭い革袋に入れて振れば良いんだよな?」
「ああ。それで確か、綺麗になる筈だ」
「了解~。んじゃま、嬢ちゃんは俺とこっち」
ガリレオからソラヤを引き離し、エリクは彼女を馬車の中に追いやろうとする。
「やめ、止めなさい! わたしは里長の娘よ! 帰ったら、お父様とお母様に言いつけてやる!」
涙目で抗うソラヤの言葉に、エリクが思わずと言ったように鼻で笑う。
「お前さぁ、そんなんだからイザークにもオレ達にも相手されねぇんだぞ」
唐突なエリクの言葉に、ソラヤは硬直して彼を見る。
その表情にエリクが更に笑いを誘われるのか、堪え切れない様に喉を鳴らす。
「な、なんなのよ! わたしの事、馬鹿にしているの!?」
金切り声で怒鳴るソラヤに、食事の支度をしているガリレオとエリクが同時に。
「うん」
と返事をする。
異口同音に頷かれ、ソラヤが怒りで体をわなわなと震わせる。
その姿に、エリクが呆れた様に呟く。
「怒る姿だけはほんと、一人前だな」
「わたしは大人よ!」
エリクの呟きに、ガリレオが迷惑そうな表情で口を開く。
「あのなぁ。そう言う所が子供だって、オレ達は言ってるんだよ」
「なんですって!?」
「聞けよ、ソラヤ」
ガリレオは心底面倒くさい、といった表情で立ち上がりエリクの隣に立つ。
「お前は確かに美人だ。イザークの隣に立っても遜色ない女は、お前ぐらいだろう。体だって十分成長してるのは、見て分かるしな」
「だったら!」
「でもよ、お前のその言動が全部台無しにしてるんだよ」
ガリレオの言葉に、ソラヤはきょとんとした表情を浮かべる。
「お前、すげぇ我儘だ。自分の言う事を聞くのが当然、自分の言う事こそ絶対に正しいって言い方をする。でもよ、何でオレ達がお前の我儘を聞かなきゃいけねぇんだ?」
「そ、それは、わたしが里長の娘だから」
「里長の娘だからどうしたよ。里長は偉いし、尊敬できる人だ。だけど、お前はただその娘なだけだ。里長の娘として、里の者達に胸を張れる程の功績をソラヤ自身が立てたのか?」
ガリレオは、淡々と問いかける。
しかし、ソラヤはその問いかけに言葉を返す事が出来ずにガリレオを見上げているだけだ。
「美形である事は、確かにステータスだろうよ。だが、アールヴとして里に貢献一つしてねぇくせに我儘放題の糞ガキの言葉なんざ誰も聞く耳持つ筈ねぇ。里長も、やっと奥さん黙らせた見てぇだからな。帰ったらもう、今までの様に我儘放題出来ると思うなよ」
ガリレオは吐き捨てるように言い、食事の準備へと戻る。
ソラヤは青ざめ唇を震わせて呟く。
「なによ、それ」
「なによって、真実だぁな。まして、成人前のガキの時分で里を飛び出したんだ。そんな育て方した奥方も里長にこっぴどく絞られていたぜ」
「お母様は、関係ないじゃない!」
思わずソラヤが怒鳴ると、エリクが半笑いをする。
「里長を差し置いてお前を育てたのに、里を飛び出す重罪を犯す様な子供にしてしまった。この時点で、十分関係あるだろうが」
エリクの呆れた声音での返答に、ソラヤはふいっと二人に背中を向けて馬車の中へと駆け込む。
涙目になりながら、ソラヤは与えられた毛布を抱きしめ唇を強く噛む。
「どうして、どうして誰もわたしの言う事を聞いてくれないのよ……! イザークだって、どうしてあんな子を庇うのよ……!」
悔しさのあまり、毛布で馬車の床を叩きつける。
ばしばしと音を響かせながら暫く床を叩いていたが、息を切らせてソラヤは目元を拭う。
だが、後から後から涙が溢れ出てくる。
ソラヤは己が泣いている事が、惨めに馬車で床を叩いている事が悔しくてたまらない。
欲しいと言えば何でも与えられた、与えられるのが当然だとソラヤは思っていたのだ。
しかし、成人前になってから欲しいモノが全く与えてもらえなくなった。
その筆頭は、初恋の相手であるイザークだ。
彼が何故、己に何も言わずに外に出て行ってしまったのか。
「婚約だって、もう少しで結べたのに……! なんで、どうして!? わたしに一番相応しいのは、イザークなのにぃ! 酷い、酷い、酷い酷い! みんな酷い! わたしの言ってる事、当然の事じゃない! あんな醜いハーフアルフなんて、構う価値なんてないじゃない!」
ギリギリと拳を握り締め、毛布に叩きつけて八つ当たりをする。
しかし、直ぐにその手を止めて自分の拳を握り締めて涙をぼろぼろとこぼす。
薄い毛布に力を込めて拳を叩きつければ、痛めてしまうのが道理だ。
しゃっくりを上げ、ソラヤは声を上げて泣き始める。
言う事を聞かないエリクやガリレオを呪い、全く構ってくれ無かったイザークを憎み、そのイザークに庇われていた志希を憎悪する。
「わたしはっ……くっ、ない! わるくっ……ない! あの子が……っふ、アルフの……くせにぃ!」
ソラヤが呪詛を吐き、志希だけでは無く周りを呪いながら泣いていると馬車内の空気が変わる。
耳が痛くなる程の静寂を湛え、深海の底にいるかのように空気が冷える。
どろりとした熱く、しかし冷たい情念を感じさせる空気の中で闇が凝る。
空気が変わった事に気がついたソラヤはしゃっくりを上げながら、凝った闇を見る。
直視すれば正気を失いかねない程の狂気を含んだその闇に、ソラヤはしかし驚かない。
ただそこにあるものとしか認識できないソラヤは、闇の中からゆっくりと姿を現す者に不快感をあらわにする。
「なによ、あんた。人間に何て、用は無いわ」
「人間、とは心外な」
ソラヤの言葉に、男は喉を震わせながらふわりと闇色のマントを翻す。
病的なほどに白い肌と、爛々と光る真紅の瞳。
男だと言うのに、紅を引いたかのように赤く濡れた唇。
その唇から僅かに見える、牙の様な八重歯。
しかし、ソラヤはそのようなモノが見えたとしても態度が変わらない。
「人間は、人間よ! 脆弱で、愚かで、直ぐに死ぬ醜い生き物!」
ソラヤの言葉に男は然りと笑い、ソラヤの前に膝を着く。
「確かに人間は脆弱で愚かで醜い。だが、お前はどうだ? 美しきアールヴよ。己が手で何もせず、ただ人に与えられる事だけを甘受してきた。己の足で立てと言われても、立ち方すら分からぬ幼子では無いか」
男の言葉にソラヤは目を剥き、次いで手を振り被る。
男の顔めがけて掌を叩きつけようとした瞬間、ソラヤの手は男の手に掴まれていた。
やんわりと止めた様に見えるが、ソラヤの腕は男の手から逃れられない。
驚き、次いでぎろりと男を睨みつけるソラヤ。
「無礼でしょ、離しなさい! お前のような人間が、わたしに触れて良いと思っているの!?」
怒鳴りつけるソラヤを喉を鳴らして覗き込む男は、口を開く。
「力は欲しくないか? 外にいるアールヴの二人を見返してやれるような、力を」
不思議な余韻を持った声音に、ソラヤははっと男の目を見返す。
爛々と光る、真紅の瞳。
鮮血の様な美しい紅に、ソラヤは魅入られる。
「力が欲しいのなら、名を名乗れ。そして……わが眷族に降れ。美しくも醜いアールヴの幼子よ」
男の囁く声に、ソラヤは問いかける。
「力を手に入れたら、エリクやガリレオを見返せる? イザークを手に入れられる? あの……ハーフアルフを、屈服させれる?」
子供の様に問いかけるソラヤに、男はにぃと嗤う。
「無論、だ。お前が憎むもの全てを殺し、下僕として仕えさせる事もできる。意思を縛り上げ、その魂の苦悶を味わう事もできる。お前の中の闇を開放し、全てを手に入れる事が出来る闇の眷族へと生まれ変わるか?」
男の誘う声音に、ソラヤはうっとりと微笑む。
「そうすれば、イザークを手に入れられる……全てを、手に入れられるのね」
小さく囁く声音は睦言を紡いでいるかのように艶めかしく濡れ、その時を想像しているのか官能的な表情を浮かべるソラヤ。
夏の新緑の様に美しい翠を潤ませ、肉感的な唇を舌で舐めて湿らせながら囁く。
「ソラヤ。わたしは、ソラヤと言うの。だから、力を頂戴」
甘く、愛を囁くかのようにソラヤは男に腕を伸ばす。
男はその腕を引き、体を抱き寄せて嗤う。
「良かろう、我が眷族として迎え入れよう。美しくも醜いアールヴの幼子、ソラヤよ」
そう言うなり、男はソラヤの首筋に唇を寄せる。
唇から僅かに見える程度だった牙は鋭く尖り、大きく変化している。
その牙をソラヤの首筋に沈め、男はゆっくりとその血を啜り始める。
血を啜られる度にソラヤは甘く、官能的な喘ぎ声を零す。
声だけを聞いていれば、情事の最中と錯覚してしまうだろう。
だが、いつしかその声は途切れ、ソラヤはくたりとその肢体を投げ出していた。
男はソラヤの首筋から顔を離し、口元を濡らす血を舌で舐め取りながらソラヤを片手で抱き上げる。
空いたもう片方の手を振り、その動作だけで馬車を破壊し地面に降り立つ。
突然の事に驚いたが、外にいたエリクとガリレオは腰に刷いていた剣を抜き身構える。
そして二人は、荷台から出て来た男を見るなり顔を歪める。
「……なんだってこんな」
「何でこんな所で……!」
この二人は里で警備員をしているが故に、外の世界にはどのような妖魔や魔物がいるかをある程度知っていた。
その中で、もっとも最悪に近い魔物の存在の特徴をも頭に叩き込んでいたのだ。
「吸血鬼がこんな所まで出張とは、聞いてないぞ」
己の不運にぼやきつつ、ガリレオが長剣で吸血鬼に斬りかかる。
男の腕にはソラヤが抱かれているが、構っていない。
吸血鬼に最初に目を付けられたのなら、生きている筈がないと判断したからだ。
しかし、吸血鬼はほんの僅かだけ立ち位置を変えその剣先を避ける。
「お見通しだ!」
吸血鬼のその動作を待っていたとばかりにエリクが剣を突き出し、攻撃を仕掛ける。
だがそれも吸血鬼は軽く跳躍して間合いを取り、優雅にマントを翻して笑みを浮かべる。
「さすがアールヴ、と言った所だ。もう少し齢を重ねていれば、私にかすり傷程度は作れるだろうな」
エリクとガリレオを嘲るように言いながら、乱れた薄い金の髪を払う。
「さて、君達には悪いが新しい私の眷族にその身を捧げてもらおうと思う。新しい子が気に入れば、君達も下僕として甦る事が出来るだろう」
「冗談」
「ああ、オレ達は闇に落ちる程間抜けじゃねぇ」
エリクとガリレオの言葉に吸血鬼の男は深い笑みを浮かべ、二人に向けて掌を翳す。
「そうか、君達はそこそこ出来るからな……我が王の余興にはぴったりだったのだが、残念だ」
そう言って、何らかの力を行使しようとする男。
だが、その手をそっとソラヤが押さえる。
「お父様、わたしにさせて。初めての狩りは、自分でしてみたいの」
歌うように、ソラヤが男に声をかける。
うっとりと、恋人に語りかけるような微笑みを浮かべるソラヤ。
それを見た瞬間、エリクとガリレオは思わず天を仰ぐ。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが」
「ここまで馬鹿だったとは……無念にも程があるだろう」
二人はぼやきながら、深く息を吐く。
「親父やお袋には悪いが、俺達は先に旅立つか」
「まぁ、廻り合わせは悪いと知っていたからな……にしても、ソラヤに殺されて人生終了って言うのもまた、情けねぇ」
「一矢報いる、か。まぁ、頑張るさ」
そう言うなり、エリクがソラヤを抱く吸血鬼に向かって一気に駆けより、間合いを詰める。
同時にガリレオも駆け出し、エリクの反対側へと移動しながら隠し持っていた短剣を投げつける。
例え敵わないと分かっていても、二人は逃げだすと言う選択肢を選ばない。
命を賭して敵を倒すと彼等は誓い、里で警備員をしていたのだから。
ソラヤが吸血鬼の眷族となったのであれば、同じ里の出身であるアールヴが落とし前をつけるのが彼等の誇りだ。
里の為に、アールヴとしての誇りを守る為にエリクとガリレオは死ぬと分かっている戦いに身を投じたのだ。
「もう、つまんないの」
ソラヤは血に塗れた手で、人の形をしていた其れの腕を引き抜く。
美しい黄金の髪も、褐色の肌も血に汚れている。
だが、凄惨なその光景の中でもソラヤの美貌は損なわれず、むしろ一層際立っていた。
新緑の翠は失われ、今は真紅に輝く瞳。
禍々しいその美しさを彩る様に、あたりに散らばる肉片と血溜り。
「まったく、勿体無い飲み方をしてはいけないよソラヤ。きちんとした飲み方をすれば彼等は君の下僕となったと言うのに」
「分かっているわ、お父様。でも、こいつら嫌いだったんですもの。だから、わたしがどれだけ凄いか、見せつけてやりたかったの」
晴れ晴れとした笑顔で、ソラヤは男に答える。
「そうか。それなら、仕方がないな。まぁ、腕も確かだったから出来れば下僕にしたかったのだが……代えはいくらでもきく。ソラヤ、私の住処に戻るぞ」
「え、でも……わたし、イザークを迎えに行かなくちゃ」
男の差し伸べた手を前に、ソラヤは困惑した表情で言う。
ソラヤの言葉に、男はクツリと喉を鳴らす。
「彼を迎えるには、劇的な方が良いだろう? 大丈夫、彼等の行動は私も調べてある。その為に、ソラヤも準備してお出迎えした方が良いだろう?」
「え?」
ソラヤが驚いた表情を浮かべ、男を見つめる。
「ソラヤの愛する男は強い。だから、彼を捕まえる為にソラヤも強くならなくてはだめだ。その為に、準備をしなくてはいけないだろう? だから、ソラヤ」
帰るぞと、腕を差し伸べる吸血鬼の男。
ソラヤは己の為に準備をしてくれると言う言葉に、子供の様に嬉しげな表情を浮かべてその手を取る。
「はい、お父様」
「良い子だ、ソラヤ」
ソラヤを腕に抱き、男は腰に差したワンドを振る。
それだけで、男とソラヤはその場から綺麗に消えた。
後に残されたのは壊れた馬車と、繋がれた馬。
そして、殆ど原型を留めていないアールヴであった二つの死体だけだった。