第七十二話
三人がならず者達を叩きのめした日、経緯を聞いたカズヤは表情を引きつらせながらも今後の心配はいらないことを理解した。
その後数日間はならず者達が全く来なかった為、マティアスの店は平和そのものであった。
ある一点を除いて。
それは、今日も昼食後のお茶の時間に訪れた。
志希が精霊達に教えられて皆と雑談していた席を立つと、マティアスが苦笑しながら問いかける。
「また、いらっしゃったのかい?」
「みたいです」
志希は疲れた笑顔を浮かべ、店の表口へと向かう。
「イザーク達に言った方が、良いかしらね」
ミリアも若干疲れた表情を浮かべ、志希の後ろをついてくる。
「でも、イザーク達も疲れてるだろうし、手を煩わせるのもちょっと……」
「分からなくはないけど、流石に毎日は……」
二人で溜息を吐き、店の表玄関前に立って扉を開く。
そこには、部下を数人連れたエリックが立っていた。
「いつも扉に触る前に開くから、びっくりしてしまうよ」
そう言いながら、エリックは苦笑を浮かべる。
「あ……えーっと。それより、今日も様子を見にいらっしゃったんですか?」
志希は誤魔化すよう愛想笑いを浮かべ、話しを逸らす。
エリックは志希の問いかけに苦笑を消し、若干憂いた表情を浮かべる。
「その事で、話があるのだが……」
「それじゃ、ちょっと待っていてください。ミリア、ここお願い」
「分かったわ」
ミリアの返事に頷き、志希は踵を返して店の奥へと戻っていく。
誰かを中に上げるのは良いが、基本この家はマティアスとヨルンの物だ。
であれば、家主に了解を得るのが普通である。
それに、外ではしづらい話と言うことは、マティアス達に何らかの話しをしたいと言う可能性もあるのだ。
「マティアスさん、ヨルンさん。エリックさんが何か話があるそうなのですが……」
志希の言葉にマティアスとヨルンは驚いた表情を浮かべ、腰を浮かせる。
「わ、わかりました」
「僕達が下に降りれば良いでしょうか?」
そう問いかける二人に、志希は頭を振る。
「玄関先でする話では無い様子なので、上がってもらって良いです?」
「あ、ああ。もちろんだ」
「兄さん、僕は急いでお茶の用意をするから……」
にわかに慌て始める二人に、アリアが声をかける。
「お茶でしたら、わたしが淹れますのでお二人は此方で待っていてください。家主なんですから」
アリアの言葉に落ち着かない表情を浮かべ、二人は仕方がなさそうに椅子に座る。
その間に志希は踵を返し、急いで店の表口へと戻る。
表口にはミリアとエリック、そしてその部下達が雑談をしながら待っていた。
「エリックさん、上がってください」
「おお、ありがたい。お前達はここで待っていてくれ」
「は!」
「早めに帰ってきてくださいよ、隊長!」
「分かっている」
部下達の言葉に苦笑しながら頷き、エリックが志希に促されるまま中に入る。
ミリアと志希は部下達に会釈をしてから扉を閉め、エリックを奥へと案内した。
マティアスとヨルンは、エリックが部屋に入ってきたのに慌てて立ち上がる。
「いつも御苦労さまです、アルフォード隊長」
マティアスの言葉と同時に、ヨルンも頭を下げる。
「いや、気にしないで座ってください。それに、毎日こちらに足を運ぶのは当然のことですから」
エリックの言葉に、はぁとヨルンもマティアスも頷き椅子に座る。
志希はエリックが座る場所としてマティアスの真正面の椅子を引くと、彼は一瞬複雑な表情を浮かべてから礼を言う。
「ありがとう。では、失礼して座らせていただくよ」
そう言ってエリックが椅子に座り、マティアスとヨルンを見る。
志希は取り敢えず護衛らしくとマティアスとヨルンの斜め後ろに立つと、ミリアも隣に並ぶ。
アリアはマティアスとヨルン、そしてエリックの分のお茶を運んでからミリアの隣に立ちエリックが話し始めるのを待つ。
それを見たエリックは眉根を寄せ、渋い表情を浮かべて口を開く。
「君達は現在護衛をしていると言うのは分かるが、申し訳ないが椅子に座ってくれないか? 女性を立たせたままなのは、正直心苦しい」
唐突な言葉に、思わずきょとんとする女性陣。
何かあった時にはすぐにでも動けるようにするのが護衛のやるべき事だと、志希だけでは無くミリアやアリアもイザークに言われていた。
言われた事はもっともなので、志希達は己で考え行動していたのだ。
しかし、それをまさか女性と言う事で否定されるとは思わなかった志希。
ミリアとアリアは何やら苦笑し、ゆるく頭を振る。
「申し訳ありませんが、わたし達は冒険者です」
「平時であれば有り難く甘えますが、今はご容赦ください」
二人の淡々とした言葉に、エリックはやや困った表情を浮かべてなお言い募る。
「いや、今は私の部下達が外を護衛している。だから、君達は少し休憩をするといい」
この提案はどうか? と、エリックは志希達の方では無くマティアスとヨルンを見る。
雇い主はこの二人なので、彼女達に言うよりも効果的であろうと思ったのであろう。
言われたマティアスとヨルンは成程、と頷き志希達を見る。
「アルフォード隊長の言う事ももっともですから、お三方も座りませんか?」
邪気のない笑顔に、三人は思わず何とも言えない表情を浮かべてしまう。
衛士隊長で、かなりマティアス達によくしてくれている事を考えれば従ってもデメリットがあるように思えない。
しかし、仕事をしている最中なのだからという気持ちもある。
「仕事中であるとは思うけれど、今は衛士の人達がいてくれるんだ。少し、休憩をしてくれないか?」
ヨルンの言葉にむぅッと志希は唇を尖らせ、志希は悩む。
すると、アリアが息を深く吐いて口を開く。
「ここでごねてもお話しが始まらないようですし、勧めに従いませんか?」
「……そうね」
溜息交じりにミリアはアリアに同意し、志希の背中をポンっと押す。
座るように促された志希はむぅッと小さく唸り、諦めた様に頷く。
何せエリックの表情が、目が、志希達が椅子に座らないと話をしないと語っていたからだ。
正直屈するのは嫌なのだが、依頼人からも勧められてしまえば固辞してしまうのも角が立つ。
ミリアとアリアに続き志希も渋々椅子に座ろうとして、自分達のお茶が無い事に気が付く。
どうせ座るのであれば、自分達もお茶を飲ませてもらおうと一つ頷く。
「すいません、ついでに私達の分のお茶も淹れてきます」
志希の言葉にヨルンがああと頷いてくれたので、志希はささっと台所へ行き残っていたお湯を使い手早く三人分のお茶を淹れる。
木製のトレイにカップを乗せ、志希はテーブルに戻りアリアとミリアの前にカップを置いて椅子に腰を下ろす。
それを見ていたエリックがお茶を一口飲み、一瞬驚いたような表情を浮かべてから目を細める。
その表情の変わり方からお茶に満足したのが伺え、アリアがほっとした表情を浮かべる。
エリックのお茶を入れたのはアリアなのだ。
マティアスとヨルンもお茶を飲み、緊張をほぐしてからエリックを見る。
「それで、アルフォード隊長。どの様なご用件で、当店に?」
マティアスがそう問いかけると、エリックはお茶の入ったカップをテーブルに置き真剣な表情へと変わる。
「実は、先日捕らえた者たちが言うにはこちらの店に嫌がらせをしたのは依頼を受けての事だったそうだ。依頼人の居場所等も白状したのだが……一足遅く、既に姿をくらませていた」
呻くようにエリックが言い、頭を下げる。
「あれだけ豪語したにもかかわらず、申し訳ない」
「い、いえいえ! それで、毎日こちらに顔を出してくださると言う事は、その依頼人がこちらに顔を出すのを考えての事でしょうか?」
マティアスの問いかけに、エリックは頷く。
「その通りです。先日の一件で衛士隊の内部でも様々な事柄が洗い出され、現在私がここと隣、先隣の区画の隊長を任されている状態になっております。一応目を光らせている状態ではありますが、何があるか分かりません」
エリックの言葉に、志希は上げそうになった声を飲み込む。
何せ、基本的に一区画一隊長が普通だ。
それが兼任する事になっている状態だと言う事は、エリックの本来の受け持ち以外の二区画の隊長がクビになったということだ。
今回の事があったにせよ、随分と大がかりな事になっているのは想像に難くない。
同じ様な事を思ったらしいミリアとアリアも、若干顔色が悪い。
そんな女性陣の事など気が付かず、エリックとマティアスは話しを続けている。
「それに、他にも様々なおかしな自体がこちらのお店には続いている様子。武具の材料である鉄や革、布が全く納品されていない。しかも、商人達のこちらの店の評価を聞いても特に悪い所は無い。だと言うのに、卸の商人達が寄りつかないのが何よりも不自然だ」
「そ、それは私も思っていました」
「理由が無いのに卸さない、等と通常ありえない。では、どうなっているかを調べるのが普通である筈なのにそれが全く調査された気配が無い。それでますますおかしいと、私は思っているのです」
エリックの言葉に、志希は思わず目を丸くする。
いっかいの衛士隊長が、どうしてそこまでの情報を得ているのか。
アルフォード伯爵家と言うのは、余程の力を持っている貴族なのか? と志希は思わずまじまじとエリックを見る。
「そ、そんな所まで……」
マティアスはエリックが真剣に調べて来てくれている事に思わず感動し、声を震わせ目に涙を溜めている。
志希達が来る前は孤立無援で、周囲が全く当てにならずどうして良いか分からない状態であった。
それが嘘の様に事態は動き、良い方向へと向かい始めている。
マティアスはその事に感激し、幸運の神マービスに思わず感謝の言葉を口にする。
志希もまた衛士の方向から情報が入って来るとは思わず驚いていたが、はっと顔を上げる。
精霊達がイザーク達が帰宅したが、店の前で衛士達に止められているのを教えてくれたのだ。
「ちょっと、失礼します」
志希はそう声をかけて、走って店の表口へと行く。
扉の向こうから、衛士と口論するカズヤの声が聞こえてくる。
「オレ達は、この店の人間に依頼されてるんだって!」
「だが、その風体は怪しい。入れる訳にはいかん」
「冒険者なんて、こんなもんだろう!?」
かなりイラついているらしいカズヤの声に、志希は慌てて店の扉を開く。
「待て、出るな!」
「シキ! こいつら何とかしてくれ!」
扉を開けるなり衛士からの警告と、カズヤの困り果てた声音が響く。
疲れた表情を浮かべるカズヤと無表情だがどこか不機嫌そうなイザーク、その二人を体を張って止める衛士二人が志希を見る。
「すいません、私の仲間なんですが……何かしました?」
志希は一応、そう衛士に声をかける。
言われた衛士はカズヤの言っていた事は本当なのかと軽く目を瞠り、次いで頭を振る。
「いえ、これは失礼しました。どうぞ」
衛士が改まった態度で頭を下げ、道を空ける。
憮然とした表情のカズヤと、目を細めて警戒しているイザークがそこを通って店の中へと入る。
無表情だがピリピリとした空気を纏うイザークに、志希は内心悲鳴を上げつつ声をかける。
「随分と早かったね……」
「目処が付いたからな。それより、何かあったのか?」
やけに厳重な警備をしている事に不審そうに問いかけてくるイザークに、志希は思わず視線を彷徨わせる。
それを見たイザークの片眉が跳ね上がり、威圧感の様な物が増す。
志希は慌てて手を振り、何も無いとジェスチャーしながら言う。
「ええっと、先日ならず者達を連行してくれた衛士隊長さんが来てくれてるだけなんだよ。なんか、話しがあるけど玄関先でするような話じゃないって言うからさ……中に上げてるの」
「ふうん……そんじゃ、オレらも話を聞くべきだな」
志希の言葉にカズヤは目を細め、にやりと笑いながら言う。
「わ、わかった。それじゃ、先に戻って……」
「良い、俺達も行くぞ」
「おうよ」
そう言って、カズヤとイザークが先に立って奥へとすたすたと向かってしまう。
「あっ、待って!」
志希は二人の後を追って行く。
先頭のカズヤが扉を開くと同時に、複数の椅子が動く音が聞こえた。
「カズヤさん、イザークさんお帰りなさい! 今、お茶を淹れてきますね!」
「お帰りなさい。今丁度、衛士隊長さんのお話しを聞いてたところなの」
アリアとミリアが柔らかく声をかけるのが聞こえて来たので、志希はほっと安堵の息を吐く。
このまま何事も無くカズヤとイザークはエリックと顔を合わせ、話しが進むのだろうと思えたからだ。
だが、それは志希の早とちりでしかなかった。
部屋に入ったイザークは足を止め、エリックを見る。
エリックは何やら警戒した表情を浮かべ、イザークを睨みつけるようにして見ている。
その二人の目があった瞬間、空気がびりっと音を立てた気がした志希であった。