第六十三話
神官が築いた神殿は、街にあったヴァルディル神殿に処遇を任せる事にした。
その為ミリアは、一先ず場を浄化してから結界を張り、軽く封じるだけの処理を行った。
崩すにしても、ミリア一人では数日かかってしまうからである。
この作業が終わった後は街へと戻る為に元来た道を戻り、昨夜野営をした場所に日が暮れてから到着した。
この場所で再び野営の準備をして食事を取り、食器を片付けて一息つく。
「んで、シキ。あの神官がどうしてああなったのか、説明できんのか?」
不意討ちの様に、カズヤが問いかけてくる。
いつもであればミリアなりアリアが聞いてくるのだが、今日は珍しくカズヤが口火を切った事に志希はほんの少しだけ驚いた表情を浮かべる。
だが直ぐに苦笑を浮かべ、一つ頷く。
カズヤもよほど気になっていたのだろうと分かったからだ。
「まぁ、うん。分かりやすいかは自信ないけど……いい?」
志希の問いかけにカズヤだけではなく、ミリアやアリアも頷く。
イザークは何も言わないが既に聞く体制で、話を始めるのを待っている状態だ。
普段とは少し違う態度の三人と、いつも通りのイザークを見て志希はほんの少しだけ気持ちが落ち着く。
「ええっと、まず……あの神官の人がどうなったかの説明で良い?」
「ええ、お願いするわ」
ミリアの言葉に頷き、志希は言葉を選びながら説明を始める。
「小神の神官さんが何故、あんな姿になったのかって言うと……イザークが言った通り、人の身でありながら沢山の人間の魂を喰らったからなの。しかも、人の形を忘れさせるほど圧縮された魂をね。それは擬似的に魂の力を上げる事になって、魂の器以上の力を与えてくれるんだ」
そこまで話をしてから、志希は一つ息を吐く。
憂鬱そうな表情を浮かべている姿から、あの神官の行いは余程志希にとっては気持ちの良くないものであったのだろうと分かるほどだ。
「だけど、溢れ出る力を制御でき無くなった時点で魂だけじゃなく肉体と自我が崩壊し、人の形を保って居られなくなったの。そして、押し込めていた器が壊れた事で圧縮されていた魂が自由を取り戻し、救いを求めて生きている者に縋りつくこうとしてあの肉の塊が出来たの」
この言葉に、アリアが手を上げる。
「何故、魂の器とか力とかが分かるのですか?」
アリアの素朴な疑問に、志希はうんと頷く。
「私が『神凪の鳥』だから、かな」
「種族特性ってやつか?」
「多分それ。それでもって、あの神官さんが目指したのは人工的な『神凪の鳥』じゃないかなって思う」
志希の言葉にきょとんとする三人。
イザークは無言でいたのだが、思う所があったのか口を開く。
「魂の器と力、と言う所か?」
志希は余りにも的確な問いかけに思わず目を丸くして、こくりと頷く。
「うん、そう。『神凪の鳥』は、魂の器と力が大きく強い人間や亜人が死んで成る種族。神官さんは、生きているうちに魂の器を無理やり広げて力を覚醒させるというやり方で、擬似的に『神凪の鳥』になったんだよ」
「それなら、どうしてその力を制御できなくなったのでしょう?」
アリアの突っ込んだ質問に、志希は困った表情を浮かべる。
「私の推測にしかならないよ。それで良いかな?」
「はい」
間髪いれずにアリアは頷き、志希は小さく嘆息を零す。
「死んだりしている筈なのに生き返ったり、何度も体の部位を再生させたりしたからだと思う」
志希の言葉に、きょとんとした表情でアリアが首を傾げる。
「でも、不死者やシキさんの様に『神凪の鳥』になった人には普通の事ではないのですか?」
「普通の事と言うには語弊があるけど、まぁ出来る事ではある。でも、元々人間にはそんな事出来ない訳じゃない? 殆ど不死者になっていたり、擬似的な『神凪の鳥』になっているのだってかなり無理をしていた筈だよ。水袋に限界以上の水を入れてパンパンにしちゃった所に、針を刺すと破裂する。それと同じ現象が、神官さんに起こったんだよ」
志希の説明に、アリアは何となく納得する。
つまり、刺激を散々与えられたからこそ神官はあのような最後になったのだ。
「それで、私は神官さんを内側から崩壊させた魂を、世界樹の流れに導いただけ。あの触手みたいなのに捕らえられても、私は殺されないって分かってたしね」
『神凪の鳥』は、迷子になってしまった魂を世界の根底に流れる河に導く事が出来る。
小神の神官によって歪まされた魂もまた、見方によっては迷子となる。
なので、志希は『神凪の鳥』の力を使って道を指し示したのだ。
「そんな事が出来るのなら、何故首なし騎士やバンシーの魂を導かなかったの?」
ミリアの素朴な疑問。
歪まされた魂を導いた後でも、バンシーや首なし騎士の穢れた魂はその場に残っていたのだ。
「いやだって、私は魂の浄化とか基本的に出来ないもん。歪まされていたり、迷子っだったりすれば導く事は出来るけど、穢れを払う事は出来ないの。それが出来るのは神々か、神官だけだよ」
志希の言葉に、ミリアは納得のいかない表情を浮かべている。
その表情に志希は嘆息し、口を開く。
「基本的に、『神凪の鳥』は半端ものなの。浄化とかは神々の力が必要で、神にもなれない私がそんな事出来ないのは当たり前でしょ?」
胸を張った志希の言葉に、ミリアは思わず苦笑を零す。
志希が己の事を話した時に、確かに半端な存在だと言っていた。
志希は飄々とした姿で万能的な働きをするので、『神凪の鳥』とは万能なのだと言う思い込みをしていたのだ。
しかし、志希はきっぱりと違うと示し、出来る事と出来ない事がある事を明確に口にした。
ミリアはそれに、安堵したのである。
「ふふ、そうね。人以上でも、神様じゃない。シキはここにいて、人間として一緒に旅をしている仲間だものね」
ミリアの嬉しげな呟きに、カズヤは頷く。
「まぁ、そう言うもんだよな。オレもなんつーか、今回の事で危うくシキを見る目が変わっちまうところだったぜ」
「うわ、酷い」
志希がカズヤの言葉に抗議すると、彼はにやりと笑う。
「冗談だよ、ジョーダン。んじゃま、他になんか聞く事はあるか?」
カズヤは場を和ませつつ、皆の顔を見まわし問いかけるとアリアが挙手をする。
「危うく忘れるところでしたが、あの魔術は何ですか? わたしの知らない魔術でしたよ」
バンシーとの戦闘の時と、首なし騎士との戦闘の時に志希が発動した魔術。
それを目にしたアリアは内心で物凄く驚いていたのだが、面に出さず冷静なまま戦闘を続行していたのだ。
「あっ、えーっと……精神的な攻撃や魔術、奇跡だけじゃなく物理的な攻撃とかの威力を削ぐ魔力の膜を張る魔術なんだよね。確か魔術名は、虹の……」
「もしかして、虹の煌光ですか!?」
「そ、そう。それ」
驚いた声を上げるアリアに腰を引きながら志希が頷くと、彼女はわなわなと体を震わせる。
「遺失魔術の中でも有名な防御魔術ですよ、それ!」
目の色を変えて興奮するアリアは、がしっと志希の手を掴む。
「古代の魔術師たちが上級魔術師となる時に必須技能とされていた、伝説の防御魔術! 失われて久しい虹の煌光が蘇るなんて……!」
喜びと興奮ではしゃぐアリアの姿は傍から見れば可愛らしいが、目の前にしている志希には正直怖い。
特に乱暴な事をされる訳でもなく、ただ手を握ってぶんぶん振り回されているだけなのだが何となく怖いのだ。
一緒になって喜べるほど志希は魔術には夢中になっていないし、思い入れもあまりない。
ただ、強力な魔術を思い出した際に使えれば便利だというとても適当な理由で習っただけ。
だというのに、アリアには同士と思われているのだろうか? と素朴な疑問まで浮かんでくる。
「アリア、嬉しいのは分かるけれどシキが困っているわ。すこーし、落ち着いたらどうかしら」
見かねたミリアが苦笑しながらアリアに声をかけ、彼女ははっとした表情を浮かべる。
「ごめんなさい! わたしったら、はしたなかったですね」
恥ずかしそうに頬を染め、志希の手をそっと離す。
本来この位置にいるのはカズヤなのでは、などと思いつつ志希は頭を振る。
「い、いや。本当にびっくりしただけなんだよね。アリアがそんなに喜んでくれるとは、ちょっと思わなくて」
「それはもう、喜びますよ! どんな魔術師も、虹の煌光の魔術構成が分かるかもしれないとなると、目の色を変えますよ!」
この世の魔術師全てがアリアの様に目の色を変えるのであれば、志希としてはこの魔術は使わない方が良いのだろうかとちょっと頭の片隅で考える。
だがしかし、アリアが知らないのであれば教えておかなくては、ヴァンパイアロードとの戦闘の際に困るかもしれない。
万全を期すのであれば、アリアに対して何となく腰が引けていてもしっかりと教えなくてはいけないのだ。
「う、うん。分かったよ。それじゃ、帰ってから魔術構成とか色々と紙に書くね」
「いえ、今ここでどの様な構成をしているのか見せてください! わたしは魔力が見える魔術を自分に使いますので!」
最早周りが見えていない状態のアリアは、志希にそう言って詰め寄る。
目の色を変え過ぎなアリアのその姿に、志希の腰は更に引ける。
そこで、溜息交じりにミリアが声をかける。
「ごめんなさいね、シキ。幼い頃はこうではなかったのだけれど、魔術バカと言うか……周囲の魔術師たちに感化されたみたいなの」
「そ……そうなんだ」
ミリアの言葉に頷きつつ、志希は顔を引きつらせながらアリアを見る。
「それじゃ、今からやって見せるから準備は?」
この状態のアリアから逃れるには、気が済むようにした方が早いだろうと気が付いた志希はそう問いかける。
「す、少し待ってください!」
アリアは大慌てで呪文を唱え、自身に魔力が見える魔術をかける。
「はい、大丈夫ですよ!」
そう言って、目をきらきらと輝かせるアリア。
以前の引っ込み思案な彼女はどこへ行ったと思いつつ、志希は呪文を唱えながら魔術をゆっくりと編み上げる。
志希の魔術師としての熟練度は非常に低いのだが、“知識”のお陰でそれらをある程度補う事が出来る。
そのおかげで、本来なら使えない筈の高位の魔術をも使う事が出来るのだ。
アリアは食い入るように志希を見つめ、その魔術構成を目に焼き付けている。
魔術を構成し、発動したのを見てからアリアは感嘆のため息を吐く。
「凄く、美しい魔術構成ですね……わたし、頑張ってこれを使えるようになります!」
そう言って、アリアは気合を入れる。
だが。
「気合を入れた所悪いのだけれど、わたし達はもう寝る時間よ。次の見張りの時に練習なさい」
ミリアがそう口を挿む。
「え、えぇ!?」
抗議する様な声を和えるアリアに頭を振り、ミリアはほらっと手招きをする。
この二人はいつも、並んで眠っているのだ。
「見張りはいつも通りの順番だって、決まってるでしょう? それに、昼間の戦闘でまだ疲れている筈なのだから、しっかりと体を休めなさい」
「……はい」
ミリアに諭されたアリアは渋々と頷き、彼女の隣に外套にくるまって寝転がる。
「それじゃ、一足お先におやすみなさい」
「みなさん、おやすみなさい」
双子の挨拶に三人がそれぞれ返事をすると、カズヤも体を伸ばしてから毛布を片手に少し離れた所に移動する。
「んじゃ、オレも寝る。最後の見張りだからな……出来るだけ寝とかねぇとつれぇ」
「ん、おやすみなさいカズヤ」
「そうか、ゆっくりできるように祈っておけ」
何かあれば起こすとイザークが返事をすると、カズヤは手をひらりと振って毛布にくるまる。
意地悪な言葉の様だが、野生動物や魔獣に襲撃されて睡眠を邪魔される事は往々にしてある事だ。
もっとも、志希が常に精霊で周辺を索敵し、可能であれば精霊にお願いをして動物を他の場所に誘導してもらっているので滅多な事はない。
イザークがいつも通り火の番をしながら周囲に気を配り始めた所で、志希ははたと思いだす。
昼間の戦闘で小神の神官が死んだ事で、リビングデッドがどうなったのかを。
小さく唸ってから、志希はイザークの隣に腰を下ろす。
「あのね、ちょっとリビングデッドがどうなったのか探しに行きたいんだけど、良いかな?」
「……ああ、行って来い」
「ありがとう」
志希の意図を汲んだイザークの返事に、志希は思わず笑顔でお礼を言う。
そのままイザークの隣で意識を風の精霊に重ね、精神が体から抜け出て空を飛翔する。
風の精霊に案内されるままリビングデッドが居る場所へ行くと、固まっていた筈の不死者たちはバラバラに森の中を徘徊し始めていた。
小神の神官が居なくなったため、彼らを縛っていた命令が消えてしまったのだ。
それを見て、排除をするべきかと悩む志希。
しかし、昨夜でリビングデッド達は近くのギルドに任せるという結論が出ていたのを思い出し、取り敢えず彼等が森から出ない様に土の精霊や植物の精霊にお願いをする。
無論、細かく条件を付けるのを忘れない。
リビングデッドに対する敵意を持つ者は阻まない事。
猟師たちは惑わさない事。
魔獣退治で来た者達も惑わさない事。
リビングデッドが全て排除された時点で、これらのお願いは効力を無くす事。
精霊使いには、自分の事を教えない事。
精霊達は、喜色満面で志希のお願いを聞き入れる。
いつもながら無条件で色々なお願いを聞き入れてくれる精霊達に、志希は申し訳ない気持ちになる。
精霊達は、志希に対価を求めない。
だからこそ、申し訳ない気持ちになるのだ。
精霊使いではなく、『神凪の鳥』であるからこその優遇。
元々は普通の一般人であった志希には、それが引っ掛かっているのだ。
それ故、どうやってお礼をしようかと悩んでいると精霊達がさわさわと寄ってくる。
ただこうやって志希と遊んだり、触れたりお願いを聞くのが嬉しいと意思を伝えてくる。
『神凪の鳥』は世界の子供。
その力に触れるのは心地よく、意識を交わすのは喜びなのだ。
だからこそ、もっと自分達を頼ったり遊んでくれれば、それだけでお礼になるのだから気にしないで欲しい。
純粋な意思に志希は微笑み、頷く。
精霊達の望みを叶えて、自分のお願いを聞いてもらう。
それも立派な対価だと教えてもらったのだ。
ならば、あまり無碍にせずに行こうと志希は心に決める。
精霊達は志希のその思惟に大喜びで、さっそく遊ぼうと誘いかけてくる。
しかし、このまま遊びに出かけるのは流石に人としてどうかと思うので、見張りが交代になったらと約束をして体に戻る。
目を開けて、志希は固まる。
体に戻った瞬間から、がっしりとした腕に支えられているとは思っていた。
だがしかし、まさか抱えられているとは思っていなかったのだ。
「戻ったか」
静かにイザークが声をかけて来たので、志希はこくこくと頷く。
間近にある秀麗な顔に、志希の顔に熱が上がる。
美形は三日で見慣れるとはよく言うが、イザークにはそれが当てはまらないのではないかと志希は思う。
時折表情を変えるのもまた、綺麗で格好いいと思うからだ。
しかし、至近距離でこうして顔を合わせるのは志希にとっては恥ずかしく、まして抱えられている状況などと言うのに免疫は殆ど無い。
ここ最近イザークに抱えられている事が多くても、慣れる事はまず無いと断言できるほどだ。
同時に、こうしていると護られていると何故か実感できる。
イザークは自分達を決して裏切らないし、何があっても大丈夫だという安心感がある。
志希は頬を染めつつそんな事を考えていると、イザークがほんの少しだけ訝しげに眼を細める。
いつもであれば、志希は早々に離れて行くからだ。
それに気が付いた志希ははっと息を呑み、慌てて口を開く。
「……ありがとう」
「いや、気にするな」
志希のお礼にイザークがそう返事をして、そっと彼女の体を抱えていた腕を緩める。
そこから抜け出した志希は、若干の名残り惜しさを感じてますます顔を赤くする。
一体何を考えているんだ、自分! そう叫んで悶えたい衝動にかられながら、いつもよりも若干離れた場所に腰を下ろす。
イザークは志希のそんな姿に苦笑する様に目を細め、声をかける。
「あまり離れすぎるな」
「うっ……うん」
志希は激しく動揺して頷きつつ、少しだけ距離を戻していつもと同じ場所に座りなおす。
変な意識をしてしまった自分が恥ずかしくてたまらない志希は、現実逃避ぎみに精霊達と交信しながら見張りをするのであった。