第六十一話
グロテスク注意
神官の突然の言葉に、志希は思わずきょとんとしてしまう。
しかしイザークは油断なく大剣を構えながら問いかける。
「ここの調査をギルドマスターから受けている。大人しく捕まるのであればこれ以上の戦闘はせんが……」
「嫌ですわ。わたくし、この美しさを永遠にとどめる為の研究をしている最中なのですから。捕らえられてしまえば、研究を続けることはできませんでしょう?」
イザークの提案に、神官が即答する。
そしてゆっくりと、花の様に美しいかんばせに妖艶な笑みを浮かべてイザークを見つめる。
「わたくし、あなたの様に逞しく美しい殿方を欲しておりましたの。わたくしの研究が完成すれば、今以上の力を手に入れる事も夢ではございません。ですから、わたくしの配下に加わってくださらないかしら?」
己の美しさを知っている神官はそう、艶やかに笑う。
清楚なその笑みは、男であれば誰でも見惚れるほど美しい。
それを見た志希は、胸が掻き毟られるような痛みを感じた。
可憐な花の様に美しい女性からあのように微笑まれれば、心が動くかもしれないと思った瞬間、思わず叫ぶ。
「イザーク!」
迸る様に志希の唇から出た声は酷く切羽詰まっていて、まるで子供が親に縋っているかのようだ。
イザークは志希の声が聞こえているが、顔を見る事なく口を開く。
「どの様な研究だ?」
平素と変わらない声音での問いに、志希の気持は焦る。
彼が自分達を裏切る筈がないと分かっていても、じりじりと焦げ付くような痛みを胸に感じる。
神官はイザークの返答に微笑み、答える。
「上位の不死者となる研究ですわ」
ゆったりとした動作で姿勢を正し、構えを解く。
「上位と言えばヴァンパイアを思い浮かべましょうが、そうではございませんの。ヴァンパイアさえ従える事が出来ると言う、幻の不死者がいると伝承には書かれております。その幻の不死者となる為に、数多の人間の魂を使い研究を重ねる必要があるのですわ。この研究を完成させた際、わたくし一人だけではなく美しい殿方が並べば更に完成されたモノになると思いますの」
優雅な動作でさぁと、一歩前に出る神官。
「わたくしと、ご一緒してくださいますでしょう?」
謳う様に誘いかける声に、志希はイザークの名前を呼ぼうとするが出来ない。
言葉が喉の奥に引っ掛かっているかのようで、出てこないのだ。
精霊達に指示を出そうにも、何をして良いのかも全く分からない。
その時。
「馬鹿じゃねぇ? イザークがそんなもん欲しがるタマかよ」
と言う、心底相手を侮蔑したカズヤの声音が割り込んでくる。
気が付けばもう一体の首なし騎士は倒れ、カズヤが志希の隣に並んでいた。
「んでもって、シキも変な心配すんな。オレ達があいつ倒すまでの時間稼ぎだったんだからよ」
そう言いながら、カズヤはポンっと志希の頭を撫でる。
「イザークが女の色香に惑うなんて、想像できないわ」
「同じくです。それに、イザークさんは自分で手に入れた力じゃないと信用しなさそうですし」
後ろからミリアとアリアが追い付き、独り言とも付かない言葉を呟きながら神官を見ている。
イザークは三人が合流したのを気配で分かったのか、肩越しに振り返り小さく笑う。
まるで、志希を安心させようとしているかのようだ。
その事に酷く安堵して、志希はほっと肩の力を抜く。
カズヤはその志希の背中を一つ叩いて気を抜くなと無言で告げ、イザークよりやや離れた所に立つ。
逃がさない様に、逃げ道を塞ぐためだ。
ミリアも素早くカズヤの反対側に立ち、全ての退路を塞ぐ。
神官は顔を歪め、まんまと時間稼ぎにはまった事に悔しげな表情を浮かべている。
「なぜ、分かってくださいませんの? あなたはアールヴであるから? それでも、重傷を負えば死ぬのですのよ! 上位の不死者となれば、下手な傷などでは死ななくなりますわ。本当の永遠を、美しいまま生きる事が出来るというのに!」
イザークだけではなく、この場にいる全員を詰るように神官は怒鳴る。
「わたくしの研究は、美しいもの全てにとって必要な研究ですわ! ですから、そこを退くのです!」
美しいかんばせに狂気を乗せながら、神官は命じる。
しかし、誰一人として道を空ける素振りも見せずに身構えている。
「貴様の勝手な妄想には飽き飽きだ、大人しく縄につけ」
淡々と神官に向けてイザークは告げ、ミリアとカズヤは油断なく構えている。
変な素振りを一瞬でも見せればすぐに取り押さえるか、切り捨てられるようにという配慮だ。
神官は現状に怒りに顔を歪めていたが、ふっとその表情が変わる。
柔らかく、儚げな微笑みを浮かべゆっくりと背中を土壁に預ける。
「こうなっては、仕方がありませんわね……」
「やっと諦めてくれたのかしら?」
神官の言葉にミリアが問いかけると、彼女はゆっくりと頷く。
「ええ、諦めましたの」
そう言いながら、手にしている白い杖を地面へと落とす。
乾いた音を立て、転がった白い杖。
神官はそれを見降ろしながら、言葉を紡ぐ。
「わたくしの崇高なる想いを分かっていただくのを」
同時に、白い杖を神官は踏み砕く。
枯れ木が折れる様な音を立て、砕け散る白い杖。
すると、そこから白い靄の様な物が立ち上り神官の体にまとわりつく。
神官はその白い靄の様な物を愛おしげな表情で受け入れながら、熱に浮かされているような表情で高笑いを始める。
「十分な魂は手に入れられませんでしたが、仕方がありませんわ。今ここで、わたくしの研究は実を結ぶのです!」
神官の宣言と同時に、白い靄が彼女の体に吸い込まれるようにして消える。
「何て事を!」
ミリアが怒鳴り、大鎌を構える。
志希もまた、あまりのおぞましさに体を震わせていた。
先ほどの白い靄は、大量の人の魂だったのだ。
恐らく、儀式であの白い杖に大量の人の魂を蓄え圧縮していたのだろう。
そして神官は、その魂を自分の中へと取り込んだのだ。
人の身で在りながら、魂を喰らうと言うおぞましい所業を平気でやってのけた事に志希も身震いをしてしまう。
そんな志希とミリアを嘲笑うように、神官はうっとりと笑う。
「わたくしの美しさの為ですもの、皆さん喜んでその魂を差し出してくださいましたわ……さぁ、あなた達の魂もわたくしの為に差し出していただきましょう!」
そう言うや否や、神官は身を低くしてイザークに飛びかかる。
イザークは冷静に神官に向けて大剣を突き出すが、彼女はあろう事かその大剣を片手で受け流しもう片方の手でイザークの喉へと掴みかかってきた。
素手で在りながらその様な事をするとは思わず、イザークは虚を衝かれるが体の方は反応していた。
腕から逃れるために腰を落とし、足払いをかける。
神官は避ける為に跳躍すると、ミリアがそのガラ空きの胴を大鎌で薙ぐ。
かなりの力で振りぬかれた大鎌の刃に当たり、神官が吹き飛ばされて木に背中から叩きつけられる。
すかさずカズヤが追撃に行くが、人間とも思えぬ動きで神官は素早く立ち直り間合いを取る。
大鎌に斬られた胴部分のローブは切れているが、その下の傷は見る見るうちに癒えて行く。
「くふふふ……どうですか? わたくしの研究成果は。あなた達など今のわたくしの足元にも及ばぬ虫けら同然」
陶酔した表情で笑い、神官は五人を見回す。
「さぁ、わたくしを倒して御覧なさい! 出来なければ、あなた達がわたくしの糧となるだけですわ!」
叫ぶや否や、カズヤに飛びかかる神官。
先ほどまでとは全く違うその動きに、彼女がもう人を止めているのが分かる。
志希は喉を競り上がって来る吐き気と嫌悪に青ざめながら、神官を睨みつける。
今まで人間である彼女を害する様な術は、無意識に使っていなかった。
いや、人型である時点で大きな怪我を負わせるようなことはしたくなかったのだ。
だがしかし、手を拱いていては皆が傷つけられる。
そう、ようやく悟ったのだ。
先ほどの闇の精霊にしても、恐怖を与えるだけの術を行使した所で狂人であろう神官には効果がない。
なれば、心に湧く嫌悪感、忌避感を制してでも相手を害さなくてはいけないのだ。
志希の脳裏には、初めての魔獣討伐の際に己を護って大きな怪我を負ったイザークの姿が浮かんでいる。
また同じ過ちを犯さぬ為に、志希は腹をくくった。
「風の精霊よ!」
志希は叫び、神官を傷つける為に願う。
志希の決意を表す様に、風の精霊達は鋭い風の刃を作り出し神官の膝下を斬りつける。
余りにも鮮やかで、獰猛なその刃は斬りつけたその場所から足を断ちきっていた。
「ぐあぁ!」
断ちきられた痛みに悲鳴を上げ、神官はその場にどうと倒れる。
だが直ぐに体を起こし、神官はにたりと笑う。
「痛みがあるのは、嫌な事ですわね。ですが、わたくしはもう人じゃございませんのよ!」
丁度志希が断ったその場所からみるみる骨と筋肉が伸び、足を再生させて行く。
しかし、それを待つ程呑気な人間はこの場に居ない。
「誰が待つかよ!」
カズヤは駆け寄りながら長剣を振りかぶり、神官の肩口へと斬りかかる。
神官はその攻撃をまともに受け、痛みに顔を歪める。
切れ味が上がる魔術を付与されている長剣だと言うのに、与えた傷はほんの僅かなモノだった。
カズヤはそれに舌打ちをしつつ間合いを取ると、入れ替わるようにイザークが神官へと大剣を繰り出す。
先程よりも更に速く、鋭く剣先を真っ直ぐに突き出す。
懲りもせずに繰り出された同じ攻撃を嘲るように嗤いながら、神官は真っ直ぐにイザークに駆け寄る。
「わたくしを馬鹿にした罪を、贖っていただきますわ!」
叫びながら、神官はイザークの大剣にを避ける様子も無く腕を伸ばす。
相討ちか玉砕覚悟と言ったその行動はしかし、今の神官にとってはある意味有益だ。
怪我をしても瞬く間に癒え、痛みはあってもそれを我慢できる程の精神状態だからだ。
普通は我慢できる筈は無いのだが、人以外のモノに変質してしまっている神官には常識が通用しないのであろう。
イザークの大剣の先が吸い込まれるように神官の胸へと刺さり、彼女の伸ばした手は本来なら届かない。
しかし、神官は愉悦に歪んだ表情を浮かべ、肉と筋が千切れる音を立てながら真っ直ぐにイザークの喉を目指す。
おぞましい特攻をかける神官に志希は咄嗟に叫ぶ。
「土の精霊よ!」
土の精霊は地面から土で出来た手を伸ばし、がっしりと神官の足を掴み止めようとする。
だが。
「邪魔ですわ!」
怒声だけで、神官は精霊の拘束を振りきってしまう。
しかしイザークには一瞬の拘束だけでも十分だったようで、驚きからすぐに立ち直り大剣を地面に叩きつける動きに変える。
ごりごりと骨を断ち肉を千切れさせる音を立てる大剣を忌々しげに見つめながら、神官はそれを掴む。
「流石、アールヴの戦士ですわ。この強靭な肉体を少しずつ砕き、斬り裂き、この大剣を自由になさろうとするのですもの。でも、わたくしの方があなたよりもずうっと強いのですのよ!」
哄笑を上げ、神官は大剣の動きをやすやすと止める。
イザークはこの事に小さく舌打ちをして、どうするかを逡巡した瞬間。
「炎よ在れ!」
と言うアリアの声と同時に、大剣が炎を纏う。
アリアが大剣の刀身に炎を付与し、威力を増す魔術を使ったのだ。
同時に神官の肉と臓器が焼かれ、彼女は思いもよらぬ激痛に顔を歪める。
神官の大剣を握る力が緩んだ瞬間。
「はぁ!!」
ミリアの掛け声が迸ると同時に、鋭い大鎌の刃が神官に向かって振り下ろされる。
エルシル神の加護を纏う大鎌の刃はやすやすと神官の肉と骨を断ち、腕の片方を肩口から斬り落とした。
余りにも鮮やかな斬り口に志希は思わず悲鳴を上げそうになるのを手で押さえていると、ミリアが険しい表情で口を開く。
「その体は、殆ど不死者になっているのね。エルシル様の加護では人の体をこんなに綺麗に斬る事は出来ないもの」
ミリアの言葉に、神官は忌々しげに顔を歪める。
肩口から血が噴き出し、物凄い血の臭いをまき散らしながら神官は口を開こうとする。
しかし、ミリアが切断した腕の反対側に回ったカズヤが長剣を振りかぶり、未だ大剣を持ったままの腕に刀身を叩きつける。
先程の様に浅く斬りつけるだけだと思われていたその刃は、ミリアの大鎌の刃と同じ様にその腕を鮮やかに斬り落とす。
「なっ!?」
思わず驚き、声を上げた神官。
カズヤの長剣は、いつの間にかミリアの大鎌と同じエルシルの加護の証しである緑の燐光を纏っていた。
それ故、ミリアの大鎌と同じく綺麗に彼女の腕を切り落とす事が出来たのだ。
神官の腕が無くなった事で解放された大剣をイザークは一息で引き抜き、最小の動きで神官の首を薙ぐ。
虚を衝いたからか、それとも他の理由があったのか。
イザークの一太刀は見事に神官の首を跳ね飛ばした。