第六十話
カズヤの声に思わず顔を上げた志希は、ざっと自分の血の気が引く音が聞こえた気がした。
霊気が凝る真っ暗な闇の中から、音も無く闇と同じ色の金属が見えたからだ。
ぬらりと粘着質な光を放つ金属の形は、手。
そして手から腕、肩、体と闇の中から姿を現す。
霊体ではなく実体を持つその姿は、全身を闇色の鎧を纏った騎士であった。
だが、普通の騎士と違うのは肩から上がない事と、本来そこにあるべきものが左手で小脇に抱えられている事だ。
ゆっくりと右手を下ろし、左手の腰に差してある漆黒の鞘に差していある漆黒の柄を掴む。
そのまま金属同士がこすれ合う音を立てて、すらりと剣が抜かれた。
柄から剣身まで漆黒に染まり、滑っているような光沢を持つバスタードソードだ。
物凄い威圧感に志希が喘ぐように息をすると、首のない騎士の横にもう一体首のない騎士が現れた。
どちらも濡れた様な光沢を持つ漆黒の鎧と、漆黒の剣を持っている。
小脇に抱えられた首は憤怒の表情を浮かべ、五人を睥睨している。
アリアは杖を翳し、何時でも呪文を構築できるように精神を集中させる。
イザークは素早く立ち上がって大剣を構えており、ミリアはその隣で大鎌を握りながらイザークを癒している。
イザークよりも前に立つカズヤは長剣を構え、油断なく首のない騎士を警戒しながらほんの少しだけ後ろに下がる。
一人突出していると、危ないからだ。
同時に、イザークとミリアを護る立ち位置でもある。
癒している最中に、攻撃を喰らってはたまらない。
じりじりと、緊張感が増して行く。
その最中、イザークがミリアにもう大丈夫だと手だけで示し、立ち上がってカズヤに声をかける。
「もう大丈夫だ」
この言葉に、前方を警戒しながらカズヤは立ち位置を変える。
イザークの邪魔にならない様に、離れる。
ミリアもイザークも獲物が大きい為、近くに居ると斬られる可能性があるからだ。
横目でそれを確認したイザークは、洞窟の奥に向けて声をかける。
「出て来い」
端的な命令に、志希は思わず怪訝そうな表情を浮かべる。
その彼女に、ミリアが説明する。
「そこの霊気の壁の向こうに、人の気配がするわ。生きているか死んでいるかはちょっと分からないけれど……十中八九、原因である神官だと思うわ」
ミリアの言葉に、くっくと笑う声が響く。
「エルシルの神官戦士がご一緒とはまた、面白い組み合わせですね」
そう言いながら現れたのは、不死者に恩寵を与える者の聖印を縫い込んだ真黒い法衣を着た人物だった。
さらさらと流れる、美しい金の髪。
綺麗な卵型の小さな顔と、優しげな面差しが美しい女性だ。
志希が見た時は全身ローブで覆い、顔立ちも体型も見えなかった。
なので、今目の前で貴族然とした美しい女性が、不死者達を作り出した小神の神官に見えず戸惑ってしまう。
「アンデッドキラーならば、神殿と定めたこの場所の霊気が濃い事がお分かりになりますでしょうに」
優雅に口角を上げ、嫣然と微笑む神官。
サファイアによく似た青い瞳が、ゆっくりと細められる。
「それで、わたくしの可愛いバンシー達を霧散させた貴方方は何のご用ですか?」
そう、まるでお茶に誘う様に軽く問いかけてくる。
「言わずとも分かっている筈だ」
イザークが切り返すと、神官はおっとりと首を傾げ苦笑を零す。
「申し訳ありませんが、本当に分からないのです。一応、人目に付かぬよう配慮して神殿を築き結界を張ったのですが、それが悪いと言う事でしょうか?」
何でもない様に問いかけてから、ああと手を打つ。
「こちらに来る途中、結界を作る為に必要であったリビングデッドが何体か潰れましたので、こちらの森で補充させていただいたのですがそれがいけない事でしたか? 他には、バンシーを作る為に森近くに住んでいた女性がちょうどよく悲しみに暮れていたので殺しましたし、あと他にも……」
さらりと、天気の話をするように人を殺し穢した事を話す美しい神官。
志希は神官のその姿に背筋を慄かせ、吐き気を覚える。
言葉が通じていても、意味が通じていない。
人間と話をしている筈なのに、目の前の美しい女性がどうしても人間に思えない。
そんな気持ち悪さに襲われているのは、志希だけではない。
カズヤは顔を顰め、ミリアは憤怒で大鎌を持つ手が震えている。
イザークはただ静かに神官を見ていて、アリアは志希と同じ様に血の気が引いている。
「それだけの事をしたんだったら、オレらが此処に来たのは何故か分かってんだろう?」
カズヤの問いかけに、おっとりと神官は微笑む。
「言われてみれば、そうですわね。わたくしを捕らえるのが、目的ですか?」
「ええ、大人しくお縄についてちょうだい」
ミリアの言葉にころころと神官は笑い、優雅に一歩前に踏み出す。
その姿に、こちらの要望を聞いたのかと志希が思った瞬間。
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきますわ。わたくし、どうしてもやりたい事がございますので……皆さまには、その為の礎になっていただきます」
にっこりと微笑み、腰に下げていた白い枝の様な物で装飾された杖を振りかざす。
「さぁ出番ですわ、わたくしの騎士たち! こちらの哀れな冒険者さん達を、あなた達の仲間にして差し上げましょう!」
高らかに宣言する様に首なしの騎士たちに命じ、次いで小さく呪文を唱え始める。
命じられた二体の首なし騎士は剣を構えて駆けだす。
「魔力よ集え、我らを護る強固なる鎧となり凝れ!」
先ほどと同じ魔術を起動し掛け直す。
かけてから少々時間が立っている為、魔術が切れている可能性があったからだ。
同時に、アリアも呪文を唱え始めている。
「集え集え、炎の力、風の力、雷の力。我が敵を撃ち果たせ!」
豪っと炎が逆巻き、二体の首なし騎士を燃え上がらせる。
炎は風に煽られ、パチパチと発光している。
しかし、その炎を先頭に居た首なし騎士が剣で断ち割り、残り火を纏いながら真っ直ぐにイザークへと突っ込んでくる。
もう一体はミリアの方へと駆け、その剣を振り上げる。
ミリアは剣の軌道を読んで二歩ほど後ろに下がるが、剣圧で法衣が切れる。
イザークは真っ直ぐに刃先を向けて突撃してくる姿をみて、冷静に大剣で下から弾き体勢を崩させる。
此処で横に避ければ、志希達の方へと向かって行くのが目に見えていたからだ。
体勢が崩れた首なし騎士へ、イザークは追撃する。
剣を弾いた大剣を、そのまま勢いよく胴へと振りぬく。
物凄い金属音を響かせ僅かに鎧をへこませるが、それだけだ。
イザークは直ぐにその場を離脱し、頭上から振り下ろされる剣を避ける。
その事に怒っているのか左手に抱えられている首は雄叫びを上げ、更にイザークへと攻撃を仕掛ける。
その間にカズヤは素早く移動し、ミリアを敵視している騎士へと切りかかる。
だが甲高い金属音を響かせ、長剣は弾かれてしまう。
「かってぇ!」
思わず文句を叫ぶが、直ぐさま間合いを取って鎧から離れる。
丁度カズヤが切りつけた部分に、ミリアが大鎌を振りおろしているからだ。
「せい!」
気合も体重も乗った一撃だが、やはり鎧に弾かれてしまう。
その事に顔を歪め、間合いを取りながら呻く。
カズヤとミリア、それぞれが一撃を入れているのに全く効果がある様には見えない事にいら立っているのだ。
「ミリア、もう一度武器の祝福をし直した方がいい。相手はアンデッドなんだから、効果が無い筈ない!」
志希の言葉に、ミリアは頷き小さく祝福を再度起動させる合言葉を呟く。
それと同時にアリアが呪文を唱え、魔術を編む。
「雷よ、天より下りし大いなる力を我が敵に示せ!」
魔術が完成すると同時に、物凄い轟音を響かせて雷が二体の首なし騎士に当たる。
雷によって鎧の中の肉体と、左手に抱えられている首から煙が吹きあがる。
それなりのダメージは与えられたようだが、二体の騎士の動きは変わらない。
痛みさえ感じないアンデッドなのだから、動きが鈍る事がないのだ。
イザークは風を切りながら振り下ろされる剣を受け流し、反撃をするが強固な鎧はへこむだけだ。
ミリアとカズヤの方は、表面に傷をつけているだけの様な状態で、中々決定打を与えられずにいた。
「さすがわたくしの騎士、時間を見事稼いでくれましたね」
長く詠唱していた神官はおっとりと微笑み、手にしている白い枝の様な物を束ねた杖を振る。
「我が祝福を受けし悲嘆に暮れし女よ、我が命令に従いここに参じよ」
神官の詠唱が終わると、嘆きの声を上げながら先ほど倒したバンシーの一体が現れる。
霧散し、浄化を待つ魂を再び使役したのだ。
志希は彼女を止めなくては、倒したバンシーを全て復活される事に気がついた。
それを皆に言おうとして、止まる。
言った所であの神官の元へと移動すれば、志希もアリアも無防備になる。
イザークは現在一人で首なし騎士を足止めしているが、ミリアの方はカズヤと二人でなくては辛そうだ。
ならば、後衛がするしかないとは思うが、前衛のフォローをしつつ奇跡を邪魔するのは難しいだろう。
再びバンシーを使役する為の呪文を唱え始めた神官を見ていた志希は、手にしている長棍をきつく握りミリアに声をかける。
「ミリア、動きながら場の浄化は出来る!?」
唐突な問いかけに、ミリアは首なし騎士の攻撃を避けながら無理だと返す。
「全身全霊でエルシル様に祈らなくては無理!」
ミリアの言葉にかぶさるように、バンシーの精神を削る叫びが響く。
志希は一瞬で全身に冷や汗をかき、湧き上がる恐怖に耐えながら命じる。
「風の精霊、火の精霊、お願いだからバンシーをどうにかして!」
悲鳴を聞きながらでは、魔術を使う為の瞑想に志希は入れない。
なので、精霊達にバンシーの排除を頼む。
その願いを受け取った風と火の精霊が嬉々として、その願いを叶えるべく動く。
バンシーの胸に炎がともり、逆巻く風が一瞬にしてそれを劫火へと煽りたてる。
炎の竜巻が天へと昇り、一瞬にしてバンシーを焼きつくした。
それに驚き、神官の詠唱が止まる。
この隙を見てとったアリアは、高速詠唱を始める。
「魔力よ、冷たき刃で彼の者を穿て」
短い呪文に凝縮したその魔術は、薄い氷の刃を幾つも作り、攻撃するものだ。
薄い氷の刃はキラキラと光を反射しながら、神官へと飛来する。
それを見た神官は咄嗟に短い言葉を放つ。
「力よ!」
ミリアが以前使った、一音で発動する奇跡だ。
それが飛来する氷の刃をいくつか壊すが、それだけだ。
残った氷の刃が神官の腕を、体を、顔を傷つける。
宙に舞う金の絹糸のような髪と、血。
それを目にした美貌の神官は、ゆっくりと切られた頬に指を這わせる。
そしてその指を見て、うっとりと口角が上がる。
「あぁ……わたくしの血は美しいですわ。美しい顔に美しい血が流れるのは……とても美しいとは思いません事?」
夢を見るように神官は呟き、ゆらりとアリアを見る。
美しい顔に狂気じみた笑みを浮かべ、己の血を付けた指を彼女に指す神官。
「けれど、傷を付けた贖いはしていただきますわ。我が神よ、彼の者に傷を。我には治癒を」
神官の言霊と同時に、アリアの全身に鋭い痛みが走る。
痛みに慣れていないアリアは小さく呻き、体をよろめかせる。
一方神官は、アリアの氷刃によってつけられた傷が見る見るうちに癒えて行く。
邪悪なる奇跡により、神官の傷がアリアに擦りつけられたのだ。
志希は咄嗟にアリアに声をかけようとするが、それよりも早く首なし騎士と戦っているイザークが指示を出す。
「シキ、バンシーが来たら真っ先に焼き払え。それ以外は、アリアと共にこちらの援護をしろ」
「っ、はい!」
志希は大きく返事をして、それぞれの戦況を見る。
イザークはひたすら、首なし騎士の鎧の同じ部分に大剣を叩きつけるのを繰り返している。
ミリアの方は大鎌に付与されている祝福の力で攻撃を繰り出せば、鎧に遮断されながらも中の体の方にダメージを与えていた。
イザークが相手をしている騎士よりも動きが悪くなり、小脇に抱えている首が苦悶に歪んでいる。
その間も、カズヤが牽制してミリアが攻撃をするというコンビネーションで攻撃して行く。
だがそれを見ていた神官は、楽しげに笑う。
「ふふ、わたくしの騎士たちはとても強くてよ? エルシルの神官が居る事で辛うじてダメージを与えられているだけですし、時間の問題ですわね」
そう言いながら、手にしている杖を振りかざす。
「さぁ、我が神よ御照覧あれ! 我が神を虐げし豊穣神の信者を叩きつぶし、我が下僕にして見せましょう!」
高らかに勝利を宣言するが、その瞬間。
イザークが思いっきり横薙ぎに大剣を振り、先ほどから繰り返し攻撃を仕掛けている場所へと叩きつける。
耳障りな音を立て、金属が金属を切り裂く音が響く。
「ぬぅぁぁああ!」
イザークが気合の声を上げ、鎧と中の体を断ちながら大剣を振りぬく。
強靭な鎧の断面から腐った血を捲き散らし、首なし騎士の上半身と下半身が別れて行く。
驚愕に目を見開く首にイザークは大剣を付きたて、断ち割りながら驚愕している神官をみる。
「アリア、そっちを援護しろ。シキは俺の援護だ」
ゆっくりと腐り崩れゆく首なし騎士に目もくれず、イザークは神官目がけて駆けだす。
志希は精霊に呼びかけ、願う。
「闇の精霊、闇に潜む恐怖を彼の者に与えよ!」
志希の呼びかけに闇の精霊が神官を包み込むが、直ぐに振り払われる。
そこにイザークが大剣を袈裟がけに振り下ろすが、神官はそれを必死の形相で避ける。
「デュラハンを一人で両断するアールヴなど、聞いた事ございませんわ!」
必死で間合いを取りながら、神官は思わずと言った様に叫ぶ。
しかし、イザークはそれを許さず大股で間合いを詰め、大剣を振るおうとする。
「障壁よ在れ!」
手を前に突き出し、叫ぶ神官。
イザークはその神官に大剣を横凪ぎに振るが、何も無い空間で甲高い金属音を立てて止まってしまう。
イザークは片眉を上げるが、神官は早口に呪文を唱える。
「力よ!」
間合いを取る為に目に見えぬ衝撃を与える奇跡でイザークに攻撃を仕掛け、後ろに下がる。
イザークは一瞬ぐらつくが、それだけだ。
ほんの少しの隙を作る事しか出来ない。
それに気が付いている神官はじりじりと後ろに下がり、洞窟の入り口近くへと移動していた。
志希はそれに気が付き、はっとした表情を浮かべる。
洞窟の中に入らせてしまえば、そこはもう神官の領土だろう。
何が仕掛けられているか分からないし、下手をすれば大きな怪我を負うかもしれない。
そう思った瞬間、志希は願う。
「土の精霊達よ、お願い!」
願いと言葉に呼応し、土の精霊達は神官の背後にある洞窟の入り口を一瞬で頑強な土で出来た壁を作り上げ、中に入れない様にしてしまう。
神官はその事に驚き、次いで美しい顔を歪める。
「中々、やりますわね……」
呪詛を吐くかのような低い声音で呟き、神官はじりじりと周囲を見渡す。
逃げ道を探しているのか、それとも状況を打破すべき手段を探しているのか。
むしろ、両方であろう。
神官にとって頼みの綱である首なし騎士の一体はイザークに破れ、一体はミリアとカズヤ、アリアの三人に足止めされている。
退路は断たれ、目の前には首なし騎士を倒したイザークと志希が居る状態だ。
まさに進退窮まれりと言った状態の神官は、口を開く。
「見逃してくださいません事?」