第五十九話
イザーク達一行が森の中に入って三日目、ようやっと志希が精神体で視た丘の近くにまで到着した。
この間、リビングデッド達が襲ってくる事はなかったがグレイベアやグレイウルフに襲われたりしていた。
小神の神官に気が付かれていないと思いたいが、あまりにも音沙汰がない。
また、神官が逃げ出したとしてもその旨を必ず精霊達は志希に知らせる。
なので、最初から居なかったという事態以外、小神の神官が丘の洞窟に居る事は確定なのだ。
「広範囲に結界を張っているみたいだから、侵入者を感知する様な何かもあると思ったんだけど……無かったね」
志希の呟きに、同意するのはアリアだ。
「ええ、不思議です。神官が何か切り札的な物を持っているのか、それとも自信過剰なのか判断付きません」
あまりにも無防備が過ぎる為、色々な可能性が脳裏をよぎる。
「考えていても仕方あるまい」
「だな。ここで難しく考えていても、分かる事じゃねぇし」
カズヤとイザークの二人はそう言って、全員を促し歩き出す。
ミリアはピリピリとした空気を発しながら、カズヤの後ろを着いて行く。
アリアは姉のそんな姿に何とも言えない表情を浮かべつつ隣に並び、志希とイザークの二人がその後ろにつく。
周囲を警戒しながら暫く歩くと、先頭のカズヤが志希に声をかける。
「方向はこっちであってんのか?」
「うん、大丈夫。目印が必要なら、光の精霊を出すよ?」
志希の問いかけに、カズヤはしばし考えてから頷く。
「頼む」
「了解」
志希は無言で首元のチョーカーを撫でると、そこから蛍の様な淡い光を放つ実体を持った光の精霊が現れる。
「道案内、お願いね」
志希の言葉に光を瞬かせ、カズヤの前にすいっと出る。
そのまま行き先を示す様に、カズヤ達の足に合わせた速度で進み始めた。
カズヤはその後を着いて行きながら、話し始める。
「取り敢えず、戦術はどうする?」
「一体しかいないならわたしが浄化できるかもしれないけれど……中に気が付かれないで倒す事は不可能だと思うわ」
「まぁ、気が付かれても出入り口はあそこしかないから大丈夫だと思う。むしろ、奥の方から援軍が来るかもしれないって事を考えた方がいい」
洞窟の中を偵察するべく土の精霊や風の精霊にお願いしたのだが、特殊な結界を張っている為なのか中の様子が分からなかった。
しかしそれでも諦めず、野営中にこの洞窟と繋がっているような洞窟がないかを精霊達と共に探し、無い事は確認している。
なので、奥から援軍が来るかもしれないという推測を志希は立てたのだ。
洞窟内の様子が分からない以上、リビングデッドが大量に呼び寄せられるか中から現れるかの可能性があると考えておかねばならないのだ。
「……洞窟がどれくらいの広さを持っているのか分からない以上、あまり手間をかけてはいられないのね」
怨霊化しているバンシーを浄化させるには、結構な時間がかかる可能性がある。
むしろ浄化を拒み、襲いかかってくるだろう。
そうであるなら、一度バンシーを倒し弱らせてから浄化した方が早くなる。
神官であるミリアには力でごり押しとしか言いようのない手段に嫌悪を覚えてしまうが、仕方のない方法だと心得ている。
倒した後にしっかりと浄化し、再度邪な術に捕まらないようにと祈ってやる事しか出来ないのだ。
「此処か?」
カズヤの声に、ミリアは顔を上げる。
光の関係上、普通であれば中の方がほんの少しでも見える筈だと言うのに、塗り潰された様に真黒な洞窟の入り口が開いていた。
まるで、魔界へ通じているかのようだ。
その真黒な闇の中、ちらちらっと白い影が揺らめく。
「バンシーね……人の気配を察して、脅しているのね」
ミリアは一人ごちる様に呟き、背負っている大鎌を手に取る。
各々が武器を手に、入り口から出てくるであろうバンシーを警戒していると志希が口を開く。
「入り口をふさいでるのは怨霊の塊だね……アレ、下手したらバンシー一体じゃないかも」
「かもしれないわね。視覚化される程、怨念に染められた霊気なんて初めて」
志希の指摘に、ミリアは思わずうめく。
志希の方が早く気がついた事に、自身の未熟を示されたからだ。
種族の差であると言う仕方のない事情があるとしても、ミリアの矜持を傷つけるのに十分なのである。
志希はその事に気が付き、やってしまったと思うが口に出た物は仕方がない。
それに何より、今は眼前の敵に集中する方が先決なのだ。
「シキ、その光の精霊を近づけてみてくれ」
「分かった」
イザークの言葉に頷き、前衛を担う三人が前に出て武器を構えるのを確認してから光の精霊を霊気の壁に近づける。
すると、青白く枯れ木のような細い腕がぬるりと黒い壁から生える様に現れる。
光の精霊を掴もうとするかのようなその動きに、咄嗟に志希は離れるように指示を出す。
それを追いかけて、ずるずると腕から肩、胴体、足と顔が黒い壁から現れた。
黒く染まった目と、黒い涙を流すやせ細った女の霊。
怨霊化したバンシーだと一目でわかるその姿。
植えつけられた怨念に、呑みこんだ恨みに悶え苦しむように唸りながらよろよろとミリア達の方へと歩みよって来る。
そのバンシーの後を追うように、黒い壁から更なるバンシーが現れる。
「うっそぉ!」
その光景に、志希は思わず抗議する様な声を上げてしまう。
しかし、イザークは落ち着いた表情で口を開く。
「一度バンシーと精霊が接触しているのだ、敵も警戒するのは当たり前だ」
この言葉は当然なので、志希は小さく頷く事しか出来ない。
そうこうしている内に、黒い壁から出てくるバンシーの数が増え、何と四体に増えていた。
「大気に満ちるマナよ」
アリアは小さく呪を唱え、バンシーに対する精神防御の魔術を発動させる。
「大地母神エルシルよ」
ミリアが己の大鎌に刻まれている祝福を発動させ、優しい緑の光を刃に纏わせる。
霊体を斬る事が出来るのは、魔力を纏っている刃か祝福された武器だけである。
カズヤの長剣は魔力を付与されているので問題はないし、イザークの大剣は魔剣だと言うのだから恐らく大丈夫だろう。
そうでない場合はアリアが剣に魔力を付与するか、ミリアが祝福を一時的に与える奇跡を使えばいいだけの話なのである。
そう考えを巡らせていると、イザークが呼びかけてくる。
「シキ、アリアと協力して精霊と魔術の併用で一体倒せ」
「了解」
前衛として前に立つ三人よりも敵が多い場合、一体でも多く倒さなくてはならない。
まして怨霊と化しているバンシーの強さはかなりの物で、銀くらいの実力がなくては一対一の戦闘は出来ないとも言われている
そんな恐ろしいバンシーが複数体いるのはとても恐ろしい事なはずなのに、前に立つ三人はいつも通り武器を構えている。
その三人に、ゆらゆらと揺れながらバンシー達が襲いかかる。
「光の精霊よ、お願い!」
イザークが一番強いと見たのか、それとも最も生命力が高いと言う事なのか三体のバンシーが彼に群がる。
それに気がついた志希は咄嗟に光の精霊に指示を出して、先頭のバンシーに体当たりをさせる。
その攻撃にバンシーは悲鳴を上げ、光の精霊が当たった場所を掻き毟る。
同時に光の精霊の実体化が解け、消える。
最初に攻撃を喰らったバンシーに、アリアが次いで呪文を唱える。
「小さき雷よ!」
アリアの指先から迸る雷光は前衛を避けてバンシーに当たるが、大した威力がなかったからか呻いただけだ。
それに舌打ちをしつつ、イザークとカズヤ、ミリアは攻撃を受けたバンシーへと攻撃を仕掛ける。
二人で倒しきれないのであれば、早々に数を減らした方が有利になるからだ。
無論、その間にバンシーから攻撃を受けるのは必至だ。
しかし、攻撃される事を恐れていては何も出来ない。
そんな気迫を感じさせながら、イザークがダメージを負っているバンシーに大剣を突き刺す。
それだけでバンシーは声なき断末魔を上げ、霧散して行く。
カズヤとミリアは霧散したバンシーを通り過ぎて、そのすぐ後ろに居るバンシーに同時に攻撃を仕掛ける。
カズヤの長剣はバンシーの胴を深々と切り裂き、ミリアの大鎌はその首を薙ぐ。
胴と首を斬られたバンシーは、黒い涙を散らしながら霧散して行く。
だがその後ろに居たバンシーはカズヤとミリアをすり抜け、真っ直ぐにイザークへと手を伸ばす。
冷たく枯れたその手は生命を寄こせと言わんばかりに大きく開き、咄嗟によけようとしたイザークの腕をがっしりと掴む。
「っ!」
小さく呻きながら顔を歪め、イザークはその手を振りほどく。
見た限り外傷も無く、服も破れていないのだがほんの僅かだけ彼の腕が震えている。
そして最後の一体は大きく腕を広げ、大気の霊気を吸い込む様な仕草をする。
それを見ていた志希は思わず大きな声で叫ぶ。
「気をつけて!」
志希の警告と同時に、この世の者ではない叫びが周囲に響き渡る。
びりびりと鼓膜ではなく魂を震わせ、恐怖心を呼び起こし増大させる。
志希は青ざめ、震えながら必死で恐怖に耐える。
精神体でこの叫びを聞いた時、恐怖を堪えることなど出来なかった。
精霊達には効果がなくとも、精神体の志希には絶大な効果がある攻撃だったのだ。
あの時の様な恐慌が身の裡で鎌首をもたげ、暴れ始めようとする。
だが、今は精神だけではなく肉を身に纏っている。
それが志希の精神を護り、恐慌を抑え悲鳴に耐えさせているのだ。
しかしそれでも、志希の呼気は恐怖で荒くなる。
それに呼応して風の精霊が叫び続けるバンシーに真空刃をぶつけ、悲鳴を止ませる。
志希は脂汗を掻きながら、思考で風の精霊に礼を言って動く。
「魔力よ集え、我らを護る強固なる鎧となり凝れ!」
バンシーを倒すのではなく、アリアが張った精神を防御する魔術より強力な魔術を織り上げ発動する。
この土壇場に来て、志希の知識から精神と体を守る上位魔術が浮かんで来ていたのだ。
魔力が集い、虹色の光を放ち全員の体に一瞬まとわりつく。
ただそれだけの様に見えるが、この魔術の効果は魔力により魔法や精神、そして物理的な攻撃の威力を削ぐ事が出来るものだ。
この魔術を見たアリアは一瞬動揺するが、直ぐに気持ちを立て直し続けて詠唱する。
「集え魔力よ、炎の裁きを我が敵に与えよ!」
叫びを上げたバンシーに魔力が凝縮し、炎となって炸裂する。
バンシーは苦痛の悲鳴を上げて身悶えしているが、炎はしつこくバンシーに纏わりつき離れない。
その間にイザークは、無傷のバンシーに向け両の手で大剣を振りおろす。
袈裟がけに斬られたバンシーは恨みの声を上げるが、直後にカズヤに攻撃されて霧散し、炎を纏うバンシーは駆け寄ってきたミリアの大鎌の一薙ぎで姿を維持できずに、消滅する。
バンシー達は全て霧散し、霊気として周囲に漂っている。
それを見ていた志希は、何とか呼吸を整えようと深呼吸をする。
「イザーク、手当てをしましょう。バンシーの攻撃は生命力を直接奪うから、今体がだるい筈よ。叫びも聞いているから、精神的にも辛いでしょう?」
ミリアは終わるなりイザークに問いかけ、近づいて行く。
イザークは若干顔色が悪く、ミリアの提案に無言で頷く。
志希もまたイザークの側へ行こうとするが、アリアがそれを止める。
「シキさん、先ほどの魔術は何ですか? わたしの知らない物です!」
目をきらきらと輝かせ、アリアは志希に詰め寄る。
「え……っと? 補助の魔術で、魔法や精神、物理的な攻撃の威力を軽減してくれる物なんだよね」
志希の説明に、アリアはますます目を輝かせ声を上げる。
「凄い! 是非教えてください!」
アリアの喜びようから、この魔術は失われたモノであるのが容易に分かる。
腰が引けた状態で頷き、アリアに魔術構成と呪文を教えようと口を空けた瞬間。
「気を抜くな、皆構えておけ!」
と、カズヤの鋭い警告が響いた。