第五十八話
志希は物凄く深い溜息をつきながら、気まずい表情で木で出来た器の中に入っているスープを啜る。
具材はカズヤが獲ってきた小動物の肉と日持ちするように加工された野菜が入っており、味は塩と森で拾ったハーブで纏められていた。
カズヤは基本、美味しい物を食べたいらしい。
イザークと一緒に居た時から色々な食べ物を食べて味を研究し、野営などでも美味しい物を食べられるように努力を重ねて来たそうだ。
そんな彼の努力の結晶を食べても、今の志希には味が分からないくらい動揺していた。
何せ目覚めた時の状況が状況で、志希としては身悶えしたいくらい恥ずかしい事だったのだ。
ふうと思わずため息をつくと、ミリアが口を開く。
「取り敢えず、シキが落ち着いたみたいだから聞くけど……何があったの?」
このままだと際限なく志希が落ち込むと気がついたミリアが、助け舟として質問したのだ。
志希はその問いかけに動きを止め、深呼吸を数度繰り返す。
恥ずかしい事に、先程の恐怖がまだ身の裡に燻っているのだ。
その恐怖で怯えそうになる自分を必死で落ち着けてから、口を開く。
「多分、小神の神官の居場所を見つけたんだと思う」
志希の言葉に、ミリアが弾かれた様に彼女を見る。
その動きにカズヤが何かを言おうとするがやめて、志希に続きを促すように頷く。
「ここからちょっと西の方にリビングデッドが沢山いて、待機しているって言ってたでしょ? 同じ様に、リビングデッドが待機している場所があったの。丁度丘みたいな所を中心にして、円を描くようにしてね」
志希はゆっくりと、細かく自分の見た物を説明して行く。
それを聞いていたミリアとアリアは険しい表情を浮かべ頷き、立ち上がる。
「霊気が漏れない様に結界を敷いていた、と言う事でしょうね」
「他にも、その陣の中に入り込んだ人を感知する役割もあったと思います。感知すると同時にリビングデッド達が襲いに行く、と言う形を取っていたんでしょうね」
双子の険しい声音に志希は頷き、小さく息を吐く。
「多分、小神の神官は丘の所に空いていた洞窟の様な所の中に居ると思うんだけど……入り口をバンシーが守っていたんだ。黒い眼と黒い涙を流す姿から、多分相当な恨みを呑んでる。使役されてるから、神官が殺した女性の霊体かもしれない」
「なんですって……」
ミリアが怒りで声を震わせ、ぎりっと歯を食いしばる。
バンシーと言う亡霊は必ず女性で、常に泣いている。
だが、無差別に人を襲う事は無く基本的には恨みや心残りを晴らして欲しいとお願いする程の理性と知性を残している。
だがしかし、志希が遭遇したバンシーは理性がすり切れ、黒い眼に黒い涙を流すほぼ怨霊と化していた物だ。
その悲鳴は精神を侵し、聞いた者に恐怖を与える。
精神体で居た志希にとっては、もっとも辛い攻撃となる手段を持っていたのだ。
精霊達にとってはそれほどの脅威ではないが、彼等の守護を容易く突破出来る程の叫びを一瞬でも耳にしてしまい、志希は恐怖に駆られて混乱してしまったのである。
これが生身であれば、志希はあれほど酷い混乱の仕方はしない。
再び息を吐き、志希はスープを食べるのを再開すると。
「どちらを先にするかが問題だな」
と、イザークが呟く。
「んだなぁ……」
食事を取りながら、カズヤも頷く。
「どちらも、と言いたいところですが……二手に分かれるのは辛いですね」
アリアは嘆息交じりに言い、全員で険しい表情を浮かべる。
「先にリビングデッドを片づければ小神の神官が逃げるかもしれない。小神の神官を先にやれば、リビングデッドが命令から解放される」
「悩ましいよねぇ」
ふうと嘆息しつつ、志希は頷く。
放置するにはリビングデッドがいすぎるし、先にそちらに手をつければ逃げられる可能性が高くなる。
何ともやり辛い状況に困った表情を浮かべていると、イザークは四人に告げる。
「厄介な状況ではあるが、仕方あるまい。先に元凶を叩き、安全を確保してリビングデッドを退治しよう」
イザークの決定にミリアが口を開こうとするが、止めて頷く。
ここで小神の神官を逃がせば、他の場所でまた同じことをする確率が高いからだ。
リビングデッドが森の中に散らばるのは正直、かなりまずい。
だが、自分達だけではなく他のパーティなりギルド側に協力を要請するなり、やりようはいくらでもある。
と言う事で、先に元凶をやるべきだと判断したのだ。
「そうですね……仕方ありません。これなら、伝令用の鳥を借りてくれば良かったですね」
戦地などで使用される伝令用の鳥がいて、ギルドでも使用されている事がある。
ギルド同士の連絡や、王宮からの連絡は全て専用の魔道具がある。
だがしかし、製作するのに必要な術式がかなり難しく魔力を必要とする為、作れる人間自体が非常に少ない。
それ故冒険者や戦地での連絡用に使用する事など考えられない程高価で、貴重な物なのだ。
そんな高価な品物を戦などに持って行って壊されてはたまらないと言う事で、基本的に伝令用の鳥が使われているのが現状なのである。
「ねぇ、状況が分かってるんだったらさ……一回引き返してギルドに報告するのもありなんじゃないかな?」
おもむろに、志希が言い出す。
「は?」
思わず素っ頓狂な声を上げるカズヤ、アリア、ミリア。
「この森を何時までも閉鎖するのは出来ないけど、一日私がここに居れば何とかなるし。人を呼んで帰って来るのでも、何とかなると思うの」
志希の唐突な提案に、皆思案する表情を浮かべる。
その中で、イザークは小さく息を吐いて頭を振る。
「却下だ。確かに、人を呼べばよいのかも知れんが……この森で生活の糧を得ている者達を何時までも締めだす訳にはいくまい。小神の神官を先に倒し、恐らく彷徨うであろうリビングデッドはギルド側に回す方が良かろう」
イザークの言葉に不愉快な表情を浮かべるのは、ミリアだ。
アンデッドキラーにしてエルシルの聖女であるミリアにとって、アンデッドの存在をそのままにして置くのは許せない。
だからこそ、霊気が感じられたこの場所に立ち寄りたいと言い出したのだから。
「そもそも俺達が依頼されたのは調査だ、討伐では無い。リビングデッドの数を減らすと言うのには賛成ではあるが、小神の神官を捕らえた後にリビングデッドの掃除は俺達だけでは不可能だ」
イザークの言い分にミリアは拳を震わせ、深呼吸をする。
アンデッドに対する酷い敵愾心に、アリアが不安げな表情を浮かべてミリアを見上げる。
ピリピリとした雰囲気に志希が困惑した表情を浮かべ、口を開こうとするとカズヤが先に口を挿んだ。
「ミリア。オレ達は万能じゃねぇんだぞ。シキだって、イザークだってアリアだってそうだ。それに、言葉は悪いかもしれねぇけど……あの町のギルドの冒険者たちの仕事になるかもしれねぇ。オレ達が何でもかんでもやっちまったら、他の冒険者達だって困るだろ?」
「っそんな……!!」
ミリアが抗議の声を上げるのは、当たり前である。
リビングデッドの掃討を、仕事としてギルドに回すべきだと言われたのだから。
「そもそも、一度に全てを片づける事など無理なんです。姉さん」
仕事が無くては生きていけないのは、冒険者に限らずみんなそうだ。
そして、この森の治安をある程度守っているのは近隣のギルドである。
彼らとて依頼がなくては組織として維持していく事が難しく、生きる為の術としてある程度の事には目をつぶらざるを得ないのだ。
「無論、俺達の目に留まった範囲のリビングデッドは倒す予定だ。だがしかし……この森に留まり続けてリビングデッドを全てと言うのは無理だ。それに、ギルドがあった町にはヴァルディル神殿がある。あちらの方にも要請して、アンデッドキラーを出してもらい森を浄化してもらうのが筋だろう」
イザークの言葉は正論で、ミリアは俯くしか出来ない。
アンデッドキラーとしての仕事、矜持と言ったところで無理をして死んでは何もならないのだ。
そして何より、ミリア自身にもやるべき事がある。
「……分かったわ。ヴァルディル神殿の方にアンデッドキラー見習いがいたら、修行の邪魔にもなってしまうでしょうしね」
何とか納得したミリアは頷き、しかしそれでも不機嫌そうな表情を浮かべて食事を再開する。
今度は何やら良くない雰囲気になってしまい、志希は困った表情を浮かべながらパンをもぐもぐと噛む。
まさかこんなに空気が悪くなってしまうとは思いもよらなかった志希は、責任を感じてしまう。
不意に、アリアが息を吐き出し口を開く。
「姉さん、拗ねないでください」
アリアの言葉にミリアは憮然とした表情で答える。
「別に、拗ねてなんかいないわ」
その声音と表情は、どう見ても拗ねている。
「子供ではないんですから、そんな言い方も顔もやめてください」
「元々こんな顔しているんだもの、仕方がないでしょう?」
「その返し方も子供みたいですよ」
「うるさいわね」
「だったら、素直に謝ったらどうです? 自分でも、分かっているんでしょう?」
「……何がよ」
目前で繰り広げられる姉妹のやり取りに、志希は何となく二人の力関係を知った気持ちになる。
最初はミリアが強いと思っていたのだが、最近はミリアよりもアリアの方が強い気がする。
こうやって姉に気持ちを認めさせようとしている所や、猪突猛進系のミリアの手綱を上手く採っている所を見るとそれが顕著だ。
いや、最初のアリアは色々と甘えていたが、パーティを組んでから精神的に強くなってきているのだ。
ミリアの後ろに隠れている事が多かったアリアは、しっかりとミリアやカズヤの横に並んで見知らぬ人とも会話を成立する事が出来ている。
イザークに鍛えられたからなのか、それとも自分で変わろうと努力をしているからなのだろうか。
そんな事を感慨深く考えていたら、ミリアが深い溜息を吐いて三人に顔を向ける。
「ごめんなさい。理屈は分かっていたんだけど、感情が制御できなかったの。冒険者としてはイザークの言っている事は納得できるけど、アンデッドキラーである部分が拒絶をしていたって感じね。為政者としての教育も受けていたのに、だらしないわ……わたし」
「まぁ、気にすんなって」
「事情は分かっているからな」
「うんうん、納得できてるなら特に言う事も無いよ」
それぞれにミリアに返事をしてから、食事に意識を戻す。
先ほどよりも遥かに良い空気で食事を出来る事に志希は安堵しながら食事をおえる。
「取り敢えず、いつも通りの人員と順番で見張りをしてから朝に飯食って出発しようぜ。こっからまっ直ぐシキが見た洞窟へ行くってのは、決定だろ?」
カズヤも食事を終え、器を洗う革袋の中に放り込みながら皆に問いかける。
「ああ、その通りだ」
簡潔なイザークの答えにカズヤはやはりと頷き、それじゃと腰を上げる。
「んじゃ、飯食い終わったらこれんなかに入れてくれよ。少し腹ごなしをしたら、オレは寝るからな」
カズヤの宣言に一同は頷き、それぞれ使用済みの食器を革袋に入れて夜の見張りに向けて準備を始める。
志希とイザークはいつも通り最初の見張りなので、武器を傍に置いて焚き火の側に陣取る。
ミリア、アリア、カズヤはそれぞれ自身が寝る場所を決め、そこに荷物を置いて寝床を作っている状態だ。
志希とイザークの二人が見張りを交代する時は、今いる位置より少し焚き火から離れた所で寝るのである。
基本、寝床の直ぐ近くで焚き火を見ながら見張りをするのが彼等の常なのだ。
それぞれがそれぞれのやる事を終えたころには、森の中は夜の帳に包まれていた。