第五十七話
カズヤが帰ってきてから色々と相談し、移動を再開した。
その時から志希はカズヤが戻ってからされた相談内容によって強制的にイザークに子供の様に抱きあげられていた。
「恥ずかしいなぁ、もう」
ぼやく志希に、イザークが何でもない様に告げる。
「気にするな。それより、頼んだぞ」
「はぁい」
志希は渋々頷き、イザークの肩口に頭を置いて目を閉じる。
志希の意識を精霊達と完全に同調させ、小神の神官を探し出す方針を取った。
しかし、それをすると志希が死んだように眠る為移動する事が出来なくなってしまう。
それを解決するため、イザークが志希を片手で抱き歩く方法だ。
本当はアリアがゴーレムを作り、それに志希が抱えられる方針で行こうとしていたのだが、拾った薪の多さとカズヤが獲ってきた動物を運ばせるとそれが難しい。
二体作っても良いが、それだとアリアの負担が大きい。
その様な理由で、志希の荷物を更にゴーレムに持たせてイザークが志希を抱えると言う事になったのだ。
しかし、戦闘となると困ると思いがちだが、イザークはいつも大剣の他に予備の武器を腰に差している。
大剣が使えなければこちらの予備の武器を使えば良いと言う事で、この様な形になったのだ。
「まぁ、この森の魔獣や動物の分布を考えたらオレ達だけでもいけるしな」
カズヤはあっさりと言って、イザークの意見に賛成したのである。
この辺りに出没する魔獣はグレイベアや角兎と言った、野獣から魔獣になったと言われている動物のみだ。
その中で一番強いと言われているのはグレイベアなのだが、鉄の中でも経験を積んだ者ならばパーティで討伐する事も出来る程度だ。
ちなみに、リビングデッドはグレイベアよりも弱い。
だがしかし、数を頼りに押し切られてしまう事もある為要警戒対象なのだ。
自然発生する際も、大概はその周辺にあった死体が動き出すので数が多い。
人為的だと自然発生した際よりも更に数が多いので、リビングデッドを一体見つけた場合その三倍はいると思うのが冒険者たちの常識だ。
そんな会話をしている仲間達の声を聞きながら、志希はゆっくりと体から精神を剥離させる。
馬車旅の際にも用いた技で、ほぼ幽体離脱に近いものだ。
通常の幽体離脱と違う点は、自分の意思で移動できる事と悪い意図を持っている輩は側に近寄ってこられないと言う事だ。
志希の様な『神凪の鳥』は、精神体だけでも力を持っている。
また、精神体を守る為に精霊達が傍に居るのでそうそう傷つけられる事も無い。
これらの理由から、かなり志希の精神体は安全なのだ。
危ないのは生身の方である。
しかし、それもイザークが抱えて移動してくれるという点と仲間達が守ってくれるという安心感があるので抵抗感はない。
あるとすれば、抱えられている状況を体から出て直ぐ客観的に見る羽目になっていると言う事だけだ。
あまりの恥ずかしさに身悶えしつつ、志希は風と土、植物の精霊達の導きに従い森の中へと意識を移す。
本来であれば野営地でやる様な事を今やっている理由は、何も知らない一般人や近隣の村の人間が森に入ったら危険だからだ。
この森はかなり広大で豊かなので、国境沿いの町だけではなく村も隣接している。
冒険者ギルドの方で連絡を回していたりはしても、それが間に合わずに森に入り魔獣やリビングデッドに殺されてしまう可能性がある。
それを排除する為に、志希はこの森に住まう植物の精霊や、土や風の精霊達にお願いして人が立ち入らぬように指示し、小神の神官を探しているのだ。
本当はいけない事なのだが、それくらいしなければ小神の神官を探すのが難しくなってしまう。
それでなくとも森の中に居る動く物に気が取られるので、これ以上人間等が増えて意識が割かれるのを防ぎたい。
森の中に意識を広げる自分と、風や土に意識を乗せる自分。
沢山の意識を作り、それを広げている状態で森の中の出来事一つ一つに目を向けて行かねばならない。
体に精神体を残したままこの様な事をすれば、熱を出して倒れる可能性が高い。
それ故、負担の少ない精神体で行っているのである。
体の方にも一部の意識を割きつつ探索をしていると、気がつく。
霊気とリビングデッドがある地点を中心にして、円形に配置されている事に。
余りにも分かりやすい配置に一瞬罠なのかと思うが、直ぐに集中してそちらを調べに精神を一部割く。
リビングデッド達が居るのは五か所で、それを繋ぐと綺麗な円形になるその中心へとたどり着き、志希は何とも言えない気持ちになる。
ちょっとした丘の様になっているそこの一部が崩れ、ぽっかりとした口を開いている。
それと同時に、そこから濃厚な霊気が漂い出ていた。
この中心点に来なくては感じられなかったのが不思議な程強い霊気に、志希は首を傾げつつ一度上空へと意識を上らせ全体を見る。
そこでリビングデッドが居る地点それぞれに目を凝らせば、リビングデッド達が何かを護るように円陣を組んでいる姿。
中心には、細い柱の様な物が立っている。
気が付けば日は大分落ち、薄暗くなっているが精神体の志希には目をこらさなくともその存在を確認出来ていた。
志希はマジマジと、その細い棒を見る。
細い棒は地面に突き立てられ、倒れないようにと支えられている状態だ。
周りにリビングデッドがいなければ、看板か何かを立てようとしていたのかと勘違いしそうになる。
だがしかし、細い棒とそれを支える木板の全てにびっしりと何かの文字が刻みこまれていた。
志希は最初、その文字の意味が分からず首を傾げていたが、不意に脳裏に浮かんだ知識に思わず顔を顰めてしまう。
木の棒に刻まれている文字は、神へ祈りを捧げる為に使われる神聖文字と呼ばれるモノだ。
だがしかし、これを作った者はその神聖文字を使って穢れた文言を綴っている。
その様な事をするのは闇に属する神々の神官で、この棒の役割はこの周辺に立ちこめる筈である霊気を抑える為であったようだ。
だがしかし、術者が未熟だったからか、それとも容量を超えてしまったからか分からないが、霊気はすっかりこの森を覆っている状態だ。
術者の意図を越えた霊気は町にまで流れて来た訳なのだが、神官がそれに気がついているかは甚だ疑問である。
何せ、リビングデッドが全く動いていないのだから。
もしかしたら、リビングデッドが居れば勝てるなどと思っているのかもしれないと志希は考えつつ、中心点に意識を戻す。
志希は取り敢えず洞窟の前に戻り、土の精霊にお願いをして霊気の濃い洞窟の中を調べて来てもらう事にする。
土の精霊は嬉々として中に入ろうとするが、濃い霊気が突如人型の霧の様な姿を取り土の精霊を阻む。
人型の霧の様な物は徐々に鮮明な人の姿を取り始め、志希は思わず息を呑む。
現れたのは、ぼさぼさの髪に白い肌、白いワンピースを身にまとった女性だった。
眼球全体が黒く染まり、そこから黒い溝の様な物が頬へと掘られている。
否、頬にある溝は涙だ。
黒い目に黒い涙を流す女。
白く、唸り声の様な物を上げるその存在に志希は思わず悲鳴を上げかける。
それと同時に、女が息を吸い込むような動作をする。
咄嗟に志希は周辺の精霊達に撤退を指示して体に逃げ込む。
その直前、女の甲高い悲鳴とも鳴き声とも聞こえる声が精神体の耳に響いた。
「あああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
志希は悲鳴を上げ、涙を流す。
そのまま逃げようとするが、まるで拘束されているかのように体が動かない。
「いや、いやいや!」
怯えた声を上げ、遮二無二暴れていると更にきつく拘束される。
「大丈夫だ、落ち着け」
そう耳元で囁かれ、志希はひくりと喉を鳴らす。
顔を上げた間近に、困惑したイザークの顔があった。
それを見た瞬間、志希は安堵の表情を浮かべたかと思うと、顔を歪めて号泣する。
「怖かった、怖かったよぉ!」
イザークに抱きつき、おいおいと子供の様に声を上げて泣く志希。
それに困惑しているのは、イザークだけではない。
「何があったんだ?」
カズヤの問いかけに志希は頭を振るばかりで答えず、相当な事が起きたのではないかとミリアは顔を歪める。
「奇跡で落ち着かせる事も出来るけれど、余り良い事じゃないから自然に落ち着くのを待ちましょう。それに結構暗くなってるし、野営の準備をするべきだわ」
志希が精神体だけで活動していた時間は四刻ほどと、結構経っていた。
その間魔獣や野獣に襲われる事も無く過ごせたのは僥倖で、かなりの距離を稼げていたのだ。
ミリアの提案に誰も反対せず、野宿の準備を始める一行。
しかし、志希はイザークに抱きついて離れず、ずうっと泣いているので彼は仕方がなく志希を抱いてあやしながら座っていた。
困惑しつつぎこちなく子供をあやしている様なその姿に、カズヤは笑っていいのか困って良いのか分からない複雑な表情を浮かべながら野営の準備を手早く片付ける。
ミリアもアリアもイザークの困惑している姿を見ていながら手を差し伸べず、それぞれやるべき事を終わらせる為に動いている。
何せ志希自身がイザークから離れず、しがみ付いているような状況だ。
下手に引き剥がせば暴れてしまいそうな雰囲気もあるので、イザークに志希を任せてしまったのである。
そんな状態で野営の準備ができる頃には、志希の泣き声は止みすうすうと寝息を立てていた。
それに安堵したイザークが志希を普通に寝かせようと体を離すが、眠っている彼女の手はしっかりと彼の服を握っていた。
何とも言えない表情を浮かべるイザークにカズヤは苦笑しつつ口を開く。
「飯の準備するからよ、シキのお守頼んだぜ」
その言葉にイザークは若干憮然としたが、特に何も言わずに頷き志希を抱え直す。
いつもは無言で、あまり表情が動かないイザークが困惑しながらも志希を抱き座っている姿は妙にほのぼのとしている。
正直イザークには似合わな過ぎて笑えるのだがそれを表面に出すのは流石に彼に悪いと思い、三人は出来るだけ彼等の姿を目に入れないように黙々と野営の準備をするのであった。