第五十二話
カズヤは、ここ数日魂が抜けたようになっている志希を少し遠くから眺めていた。
押し付けられたと言っても過言ではない依頼を必死で完遂し、驚くべき事にオーランドが感謝する様な結果を残したのだ。
どうやら王妃が悔し涙を流しながら、志希の立ち居振る舞いやダンスの採点に満点をつけたらしい。
これで志希の評価が上がったのだが、志希はまだ鉄のまま修練を積みたいと言う事で銅への昇格は見送られた。
志希は人間にしては珍しい色彩を持っているので、このまま悪目立ちする様な事は勘弁して欲しいと言ったのでこうなったのである。
だが、この国の王妃が認めた教養の高さから、貴族から声を掛けられる事が多くなったらしい。
普通は羨ましいと言うのであろうが、カズヤはどうしてもそう思えなかった。
直ぐに引き下がってくれる様な人格者であれば良いが、選民思考の貴族であれば権力をかさにきて強要してくる事の方が多いだろう。
実際、何度かそう言う事が起きていたらしい。
だがしかし、それらは全て本格的な面倒事になる前に話し自体が立ち消える。
それを見るに、恐らくクルトかオーランド王子が圧力をかけたのではないかと推測できる。
ほぼ初心者の人間だと言うのに依頼を強要した償いなのだろうかとも思うが、本人でなくては分からない事の方が多いので無駄に考えないカズヤ。
むしろ、夜会直後から魂が抜けた状態の志希に困っていたりする。
「……相当気疲れしていたんでしょうねぇ」
アリアはカズヤの隣に座ったまま、彼と同じ様に志希を見ている。
「まぁ、それは分かる。分かるが……明日には鎧を取りに行く予定なんだからよぉ」
「あんまり、惚けたままだと困るって事?」
二人の向かい側に座り、水を飲んでいたミリアが問いかける。
「ああ。そろそろ移動もするわけだろ? その為に、荷物だってまとめねぇとダメだろ」
カズヤの言葉に、確かにと二人は頷く。
いつまでも気が抜けた状態なのは、気持ちの切り替えが出来ていない証拠だ。
無論、疲労が蓄積していると言うのもあるのであろうが、いつまでも志希一人を特別扱いするのはよろしくない。
「取り敢えず、わたし達もそろそろ荷物を纏めないとね。荷物、かなりあるし」
ふうと嘆息を零し、ミリアは呟く。
「わたしも少しずつ荷物は整理したんですけど、取っておきたい物や持って行きたい物が多くて……」
アリアが嘆息しながら言い、ミリアも頷く。
「あぁー……二人は部屋を借りてたんだっけか?」
「いえ、寮に入っていたのです」
「神官は、基本的に教会で寝泊まりするから……」
双子の返事にへぇっと声を上げつつ、カズヤはそう言えばと周囲を見回す。
「イザークが見えねぇな」
「あ、本当ですね」
今気が付いたとアリアが頷くと、ミリアがため息を吐く。
「イザークなら用事があるって出かけてるじゃない?」
ミリアの言葉に、アリアとカズヤの二人はポンと手を打つ。
「ああ、そうだったそうだった!」
「そうでしたね!」
二人同時に頷く姿にミリアが苦笑を浮かべると、イザークが扉を開けて中に入ってきた。
そのまま真っ直ぐ志希の方へと歩み寄り、未だ惚けている志希の頭をポンポンと叩く。
「あ、イザーク。どうしたの?」
我を取り戻したらしい志希が、若干緩んだ声音で問いかける。
「明後日に鎧が出来る。その時にこの街を出る事になるが……荷物の整理は出来ているか?」
イザークの問いかけに、志希の表情がみるみる変わる。
その変化を見るに、どうやら全くしていなかったようだ。
「に、荷物整理! そうだ、どうしよう!」
オーランドからの依頼を受ける前のしっかりとした志希に戻り、彼女はあたふたとし始める。
明後日には出発すると言うのだから、焦るのも当たり前だ。
そして、同じ事は双子にも言えた。
「嘘!? 明後日、真っ直ぐ出るんですか!?」
「ちょっ、わたし荷物整理まだ終わってない!」
おろおろし始める双子の様子に、カズヤとイザークは眉間を押さえる。
「アレだ、出来るだけ大きいもんは置いていった方がいいぞ? あと、あんまり着ないような服もな」
「でも、どうしても捨てたりしたくないのはどうしたらいいかしら?」
ミリアが困った表情で思わずカズヤに問いかけると、イザークが嘆息しつつ口を開く。
「それほど大きなものでないのならギルドの預り所にでも預けておけばいい」
イザークの言葉に、ああっと声を上げて手を叩くのはミリアとアリアだ。
「そっか、預り所があったわね!」
「そうでした! そちらにお願いするのも良いですよね!」
双子はそう言いながら慌ただしく席を立ち、三人に告げる。
「ごめんなさい。これから荷物を整理したり預り所に預ける物を考えますので今日はこれで失礼します!」
「わたしも、明後日に出るなら今日はもう司祭様の方にお話ししておかないといけないから帰るわ。シキも荷物纏めるの、頑張ってね!」
せわしなく二人は出て行き、志希とカズヤは呆然と見送る。
イザークは彼女達の準備も出来ていないと言う言葉に嘆息しつつ、口を開く。
「カズヤはいつでも出れるよう準備をしているんだろうな?」
「ん? ああ。今これからでもいけるぞ」
カズヤはあっさりとそう答え、志希は血の気が引く。
「え、ええ~……」
思わず抗議に似た声を上げるのは、仕方がない事なのだろう。
しかし、カズヤはイザークと組んで長い上、冒険者としてもこの世界に来た異世界人としても先輩なのだ。
常に身軽でいつでも動けるようにするのが、冒険者の常識である。
「荷物の取捨選択は大事だが……俺達の様に服を少なめにすると言う事は難しいだろうな」
イザークは嘆息しつつ、志希の頭をポンと撫でる。
双子と組んでから、志希の荷物は服を中心に少しだけ増えた。
普通の女性から比べたら服は少なめなのだが、初期に最低限の服を購入したのと街で着るようなちょっとしたお洒落着を合わせると、結構な量になっている筈なのである。
冒険者であると言っても、女性は女性なのだ。
「でも、荷物が多いのは問題だよね……」
志希はそう言いつつ、むぅと唸る。
「いや、仕方がねぇだろ。実はオレらも、荷物が多めなんだぜ?」
カズヤが苦笑しながら言い、イザークも頷く。
「俺達は預り所を利用している。その分、持ち歩く荷物が少なめになる」
「そう言えば、さっきも言ってたよね……」
志希の呟きに、ああと頷くのはカズヤだ。
「ああ。ギルドの方で、荷物の預り所とか色々とやってるんだ。何処の街のギルドや認定宿屋とかで預けても、頼んだ荷物は送ってもらえるんだ。急ぎだったら、ちょっと金かかるけどな」
カズヤの説明に、志希は成程と頷く。
「それだったら、私もちょっと暫く着ないような服とか色々と考えて預けた方がいいのかなぁ」
うーんと唸る志希に、イザークは小さく嘆息して口を開く。
「取り敢えず、明後日の乗合馬車での出立を予定している。それなりの料金を払う事になるが、多少荷物が多くても大丈夫だ」
「あ、そうなんだ。それじゃ、ちょっと荷物を纏めてくるね」
志希はイザークの言葉に顔を輝かせ、立ち上がる。
「自分で持てる分だけ作るんだぞ~」
カズヤの言葉に頷いてから、志希は大慌てで自分の部屋へと駆けて戻っていく。
イザークはそんな志希を見送ってから、カズヤの前に座る。
「んで、結局乗合にしたのは護衛依頼が無かったっつー事か?」
そのイザークに、カズヤは問いかける。
「いや、あるにはあったのだが……どうにも胡散臭い。少々どころではなくかなり裏の在りそうな商隊だったからな」
「イザークのこういう時の勘は、すげぇからなぁ」
カズヤは特に非難する事も無く頷き、水を一口飲む。
「まぁ、あと言うべき事は……クルトにシキの事を隠す必要がないと言う事辺りか」
何気なく語ったイザークの言葉に気の無い返事をしてから、カズヤが目を丸くする。
「ちょっ、どういう事だよ!」
思わず突っ込みを入れるカズヤに、イザークが小さく笑う。
[なに、クルトがシキと同じ種族の知り合いがいたと言うだけの話だ。シキが何者かは直ぐに気が付いたそうなのだが、それを教えるのが憚られると言う事で黙っていたらしい]
[ま、まぁなぁ。志希の種族の事を知っている人間がいるなら、その特異性とか色々と分かるもんなぁ。しかし、クルトは本当に何歳だよ]
思わずぼやくカズヤに、イザークも緩く頭を振る。
[さてな。千を越えているのは知っているが、正確な年齢までは知らん]
[うへぇ、どんだけ長生きなんだよ]
言葉を変えてクルトの事を語る二人は多少げんなりした表情を浮かべてから、水を飲んで気を落ち着ける。
[んで、これから行くのはフェイルシアなんだよな?]
[ああ。魔術王国でも良いかと思ったのだが、あそこには変人や常識を弁えない魔術師もいる。シキが目をつけられれば、面倒な事になりそうだからな]
[確かに、そうだよな。全く、あいつも難儀な奴だよ]
カズヤが納得をしつつぼやき、イザークはそれに応えず水を飲む。
「で、今日の予定はどうすんだ」
人に聞かれて困る内容ではないと判断したカズヤは、言葉を戻して問いかける。
「休養日でも良いと思ったが、カズヤ次第だ」
イザークは淡々と、いつも通りに応える。
「んじゃ、わりぃけどつきあってもらうぜ」
「問題は無い、が……随分と性急だな」
静かなイザークの言葉に、カズヤが苦笑する。
「オレ一人、凡人だろ? お前らみたいに凄い才能とか、特別な何かがねぇ。それだったら盗賊の技術と剣術、両方を鍛えていかねぇとついていけねぇ」
カズヤの言葉に、イザークはほんの少しだけ驚いた表情を浮かべる。
「オレ一人が、足を引っ張るのだけは御免だ」
真剣な表情で言うカズヤに、イザークは目を和ませて笑う。
「わかった。なら、遠慮せず鍛えてやろう」
静かなイザークの言葉にああと頷き、カズヤは立ち上がる。
「んじゃ、先に訓練所の方行って鍵開けと罠解除の練習してるわ。来たら、声かけてくれ」
「分かった」
カズヤはやる気に満ち溢れながら宿を出て、訓練所の方へと歩き出す。
イザーク達のパーティはある意味注目の的なのだが、カズヤはそれはイザークや志希、アリアとミリアの存在があるからだと思っている。
だがしかし、カズヤ自身もしっかりと注目されているのだ。
何せ、盗賊でありながら戦士並みの訓練をして、なお且つ繊細な指先の感覚を失わずにいられると言う稀有な存在だ。
通常、戦士と同じ訓練を普通の盗賊がすると指先が鈍ってしまう。
しかし、カズヤは訓練前も訓練後もその感覚を失う事も無く養い、更に腕を上げて行く。
いったいどんな訓練をすれば彼の様な盗賊になれるのかと、ギルド内で言われるほどなのである。
カズヤはそんな事など露ほども気が付かないまま、今日も盗賊技術と戦闘技術を磨くのであった。