第五十一話
志希はオーランドにエスコートされ、連続で五曲を踊らされた。
付け焼刃と言って差し支えない状態だったのだが、超難易度の曲も何とか踊れたのは正直奇跡だと言う気がする。
だが、流石に今日初めて履く踵の高い靴でのダンスに足が悲鳴を上げている。
その上靴ずれもしてしまい、物凄く足が痛い状態だ。
それに気が付いたのか、最後の曲が終わると同時にオーランドが志希を連れて大きな布がかけられた壁際へと連れて来てくれた。
実はこの布の裏側に、小さな部屋がある。
酒に酔った者や具合が悪くなったものが使用する場所で、似たような部屋がいくつもある。
もちろんそれ以外の用途もあるのだが、基本的にこの部屋は小休止の場所である。
「良く、あの曲を踊れたね」
オーランドは感心した表情で言うが、志希は人目が無くなった時点で顔に張り付けていた笑顔が剥がれおちている。
「もう、無我夢中ですよ。オーランド様、途中でステップ間違えるし」
痛みで顔を歪めながら、志希は指摘しつつオーランドに支えてもらいながら室内の長椅子に腰を下ろす。
「その割に、堂々と踊っていたよ。母上もこの曲を最後まで、しかもエスコートする男の間違いを誤魔化しながら踊れる女冒険者が居るとは思わなかっただろうね」
楽しげに笑いながらオーランドは志希にドレスの裾を上げるように指示を出し、志希の前に膝をつく。
志希は嫌そうな表情を浮かべるが、彼は苦笑する。
「上手に誤魔化してたけど、足が痛いんだろう?」
「はぁ、まぁ」
志希は憮然と頷きつつ、仕方が為しにドレスの裾を上げようとすると。
「はい、そこまで。手当てはこちらでするから、バカ王子は離れて見ていてくれるかな?」
と、入り口から声が掛けられた。
志希とオーランドがそちらを見ると、クルトが満面の笑みを浮かべて立っている。
志希が驚いた表情を浮かべ、何かを言おうとするが言葉にならない。
そんな志希にほんの少し苦笑してから、クルトは口を開く。
「あと、シキを心配してイザーク達も来てるから、ここで顔を合わせておくといいよ。もちろん、神官も連れてきているから安心していいよ」
そう言って後ろにいる者達に合図を出した後、クルトは膝をついたままのオーランドにすたすたと近づき彼の耳を掴む。
「く、クルト!?」
驚いた声を上げるオーランドに、物凄く良い笑顔を見せながらクルトは容赦なく引っ張る。
「はいはい、この場所は彼女達に空けて上げてね」
「痛い、痛い!」
何やら仲の良さそうなやり取りをするクルトとオーランドが退けると、素早い身のこなしでミリアとアリアが入ってくる。
その後から、おっとりとカズヤとイザークが入室してきて、志希はきょとんとした表情を浮かべる。
「え? 何で……?」
状況がつかめていない志希に苦笑しながら、ミリアが志希の前に膝をついてドレスの裾をめくる。
「クルトさんが、今日の夜会にいらっしゃる予定があったそうなので便乗したのです。姉さん、そのめくり方はどうかと思いますよ?」
アリアは笑顔で言いながら、ドレスが必要以上乱れないようにドレスの裾を上げる。
「あ、そうね。失礼したわね、シキ」
「あ、いえいえ」
思わず首を振ると、くすりと二人が笑う。
「良くあの曲を踊れたわね。アレ、王族でも完璧に踊れる人はまずいないくらい難しいのよ?」
「そうです。わたしと姉さんでも、辛うじてと言ったところですよ」
アリアとミリアの双子に褒められ、志希は若干頬を赤くする。
「そ、そうなんだ……」
照れて顔を赤くする志希にくすくすと笑ってから、ミリアは志希の足を取る。
「それじゃ、靴を脱がすわね」
「あ、私自分で……」
「いいから、楽にしていてちょうだい」
ミリアはそう言って、手早く靴を脱がす。
志希は痛みで体を揺らすが、直ぐに楽にする。
ミリアは両足の踵のあたりを見て眉を潜め、唸る。
「これ、薬を塗っても良いけど……まだ夜会に参加するんだったら魔法で癒した方がよさそうね」
「こんなに酷いのに、良くあれだけ踊れましたね」
アリアは感心した声音を上げつつ、志希の酷い靴ずれに眉を潜める。
「いやなんか、失敗しちゃいけないなーって思って気を張ってたんだと思う」
志希の返事に苦笑して、ミリアがそっと手を組む。
「豊穣の女神エルシルよ。その御力をお貸しください」
ミリアの言葉に応え、志希の両足の踵に柔らかな緑の光が集う。
志希は靴ずれと疲労による足の痛みが徐々に消え、あまりの気持良さに体の力がくったりと抜ける。
「うう、ありがとう~」
少々緩んだ表情を浮かべ、志希はミリアに礼を言う。
「良いのよ、気にしないで」
笑顔でミリアは答え、ドレスの裾を戻してくれる。
一方で、部屋の隅の方でクルトがオーランドを椅子に座らせてその前に仁王立ちしていた。
クルトは物凄い勢いで何事かを捲し立て、オーランドに説教をしているようだ。
後ろ姿からでも物凄い迫力を醸し出しているので、そちらを見るのは正直怖いのである。
だが、何故クルトが皆を連れてこの夜会に参加できるのかという疑問が解消されない。
どうやって話しかけるべきかと考えていると、目の前が暗くなる。
ミリアが立ったのかと志希が顔を上げると、目の前にはイザークが立っていた。
下から見上げているからか、少々彼の雰囲気が怖い気がする志希。
口を開くのを躊躇っていると、イザークが思ったよりも優しい声音で問いかけてくる。
「具合が悪いのか?」
「あ、ううん。どうしてクルトが皆を連れてこれたのかなって……思って」
志希の返事にイザークは、苦笑する様にほんの少しだけ目を細める。
「クルトはこの国の王と知り合いだ。第五王子が冒険者になった原因の一端だとも言われている」
イザークの言葉に、志希は目を丸くする。
「え、でも……」
「ボク、この国の三代前の国王と知り合いだったんだよ」
志希の疑問の声に、肩越しに振り返りながらクルトが答える。
「は?」
ぽかんとした表情を浮かべ、素っ頓狂な声を上げる志希。
「あれだ、三代前の国王様も若い頃に冒険者をやっていたんだと。オーランドと違って次男だったらしいんだけどな」
「そうそう。王太子が暗殺されたから国を継ぐ事になったって、泣く泣く戻って王位継いだんだよ。で、そこからの付き合いなんだ」
クルトはカズヤの説明にうんうんと頷き、オーランドの耳を掴んで戻ってくる。
「クルト、いい加減この扱いはやめてくれないか?」
若干砕けた様な口調で言うオーランドに、クルトがぎろりと睨みつける。
「バカ王子のせいで、目立たないように頑張っているシキの努力がパアだと思わない?」
クルトの憤慨した声音に、オーランドはうっと息を詰める。
どうやら、先ほどまでクルトが説教していた内容は、志希の容姿に関してだったらしい。
実際、容姿のせいで悪目立ちをする可能性があるのだから、権力者たちの目につかないように気をつけていたのだ。
オーランドがそこにしゃしゃり出て、志希のその努力を全てダメにしてしまったのは事実である。
「取り敢えず、もう始まっちゃったものは仕方がないから……シキは頑張る事。話は聞いているけど、お仕事なんだから力を尽くすのは当然だからね」
クルトはそう言いつつ、オーランドを見る。
「で、オーランドはさっきみたくシキに負担をかけない事。あの曲は難しかったけど、見る人が見ればシキが誤魔化したの分かるんだからね?」
クルトの指摘にオーランドはうっと唸り、志希は良く見ていると彼を感心する。
その彼女にクルトは頷き、オーランドの耳から手を離す。
「さて、それじゃ……シキはもう少し休んでいくと言い。オーランド、ボクと一緒に戻るよ」
「それなら、オレも広間に戻って飯を食うかな。アリアとミリアはどうする?」
「あ、わたしも戻ります」
「わたしも戻るわ。折角だから、美味しいワインを味わいたいしね」
と、口々に言いながら志希に手を振って皆出て行く。
残ったのは志希と、イザークだ。
若干不機嫌そうな雰囲気を感じ取るので、志希としては声をかけづらい。
どうしようかとそわそわしていると、イザークが口を開く。
「額は、どうした?」
いつもと同じ声音での問いかけに、志希はほっと安堵する。
「オーランド様が額に幻術を張る魔道具を貸してくれたから、それで隠してるの」
「そうか」
イザークは一つ頷き、志希の前に膝をついて顔を覗き込んでくる。
今いる部屋の明かりは蝋燭のみで暗いが、アルフやアールヴであれば見えないと言う事は無い。
だと言うのに顔を間近に寄せ、確認してきた事に志希は物凄く動揺する。
胸が早鐘を打ち、顔に血が上る。
体を硬直させながら、間近にあるイザークの顔を凝視する。
切れ長の目と、すっと通った鼻梁。
やや目を伏せているからか、彼の睫毛が頬に影を落としている様な気がする。
すると、イザークが志希の頤を優しく持つ。
無意識に顔を伏せがちにしていたのか、イザークに上を向かされた志希は赤面する。
目の前に、イザークの顔がある。
動揺の余り志希は思わずぎゅっと目を閉じると、イザークの動きが止まる。
志希はこの瞬間、気が付く。
今この体勢で目を瞑ると、まるで口吻をねだっているように見えると。
それに焦るが、目を開けるとイザークの顔がある。
いつもは普通に話しかけたり、見る事が出来る筈だと言うのに、何故か今日に限ってそれが酷く恥ずかしく感じる自分にも動揺して、志希はどうして良いのかが分からなくなる。
その時、イザークの手が離れ、ポンポンと頭を撫でて体を離す気配がした。
「かなり上等な魔道具を使っているようだ、綺麗に隠れているな」
先ほどの不機嫌そうな雰囲気はなりを潜め、いつもと同じ様に話しかけられる。
「そ、そっか。うん……凄いよね」
志希はほっと安堵しながら目を開き頷くが、若干の落胆を覚える。
それに自分で首を傾げると、イザークが手を差し伸べてくる。
「そろそろ時間だろう」
「あ、うん」
志希は慌ててイザークの手を取り立ちあがると、イザークが小さく笑う。
如何したのかと志希が見上げると、イザークが優しく微笑んでいた。
思わず目を丸くする志希に、イザークはいつもの表情に戻り手を引く。
「あの王妃、シキの立ち居振る舞いとダンスに目を丸くしていた。この調子で、頑張ってこい」
「ッ……うん、頑張る」
動揺しながらも志希は頷き、深呼吸をする。
同時に、入り口の布が少し捲られオーランドが覗き込んでくる。
「シキ、調子はどうかな?」
安堵したオーランドの表情に志希は頷き、真剣な表情を浮かべて目を閉じる。
背筋を伸ばし、美しい立ち居振る舞いを意識したものへと所作を切り替えたのだ。
「行けます、オーランド様」
目を開け、凛とオーランドを見て告げる志希に、彼は笑む。
「切り替えが早いのは、良い事だ」
そう言って、オーランドは優雅に手を差し伸べる。
「では、またシキをお借りしますよ」
オーランドは微笑みながらイザークに告げ、志希を見る。
その視線に応えて頷くが、志希は不意にイザークに振り返り、いつもの笑顔で告げる。
「それじゃ、行って来ますイザーク。恥を掻かないように頑張るから、しっかりと見ていてね!」
イザークは若干不機嫌そうな表情を浮かべていたが、志希の言葉に目元を和ませ頷く。
「ああ、頑張ってこい」
励まされた志希は笑顔で頷き、前を見る。
淑女の仮面を被り、オーランドの望む女性を演じる為に志希は彼の手を取る。
「では」
オーランドは声をかけ、志希をエスコートしながら広間に歩き出す。
志希は表情を作り、彼と共に歩く。
これから後何時間この依頼が続くのかはわからないが、イザーク達が見ていてくれるなら志希は頑張れると気合を入れる。
一人で受けさせられた依頼ではあるが、仲間達が居る事で酷く安心できたのである。
先ほどよりも柔らかく笑み、志希はオーランドと共に貴族や王族が待つ広間に出るのであった。