第五十話
夜の帳が下り、煌々と明かりが照らされた廊下を志希は手を取られて歩く。
隣に立つのは柔らかな笑みを浮かべているが、腹に一物も二物も持つオーランド王子だ。
美形でさわやかな笑顔が似合うが、彼から押し付けられた依頼はとんでもない物で志希はいま直ぐ逃げ出したい衝動に駆られている。
しかし、履きなれない靴を履いてのダンス練習や朝から怒涛のごとく着せかえられた事に精神力を削られ、それを実行に移す元気はない。
体力はまだある方なのだが、今は気疲れの部分が勝ってしまい何をしても億劫だとしか感じられないのだ。
そんな志希の様子に笑みを浮かべながら、オーランドは大きな扉の前に立つ。
「さて、そろそろ本番ですよ。シキ」
「……はい」
いつまでも後ろ向きな思考をしていても仕方ないと、志希は背筋を伸ばす。
ぎちぎちに締め上げたコルセットには侍女たちの殺意が垣間見えた気がしたが、彼女達も役目があるから仕方がないのだろう。
むしろ、こんなものつけて良く動けると志希はしきりに感心していた。
ふんわりとしたドレスの裾を捌き、ダンスの練習もコルセットをつけたまましたので最初は死ぬかと思った程だ。
しかし、直ぐに苦しさになれた。
それどころか、数曲踊っているうちに“知識”の奥から浮かんできたのか体が自然と動くようになり、練習時間が終わる頃には足捌きも体捌きも完璧だとダンスの教師に褒められたほどだ。
そのまま調子に乗ったダンス教師に超難易度のダンスを踊らされたのには閉口したが、これはこれで得難い経験だったと志希は思い返す。
「現実逃避は早いですよ」
隣のオーランドがそう声をかけてくるので、志希は正気づく。
「はい、分かってます」
なぜ分かったと突っ込みを入れたい気持ちを抑え、深呼吸をする。
慣れない格好で怖かったのも、最初だけ。
“知識”のおかげでドレスを着た動き方や歩き方が分かり、密かに感謝する。
同時に普段からこれくらい出てきてくれればいいのにと多少恨みがましい気持ちにもなるのだが、今は素直に“知識”に従い顎を引く。
だらしない立ち方も、歩き方もオーランド王子の品位を下げてしまう。
女冒険者だからと舐められているのであれば、彼等の度肝を抜く淑女っぷりを見せてやる。
半ばやけくそで志希はそう腹をくくり、もう片方の手に持つ扇子を握る。
話をする時は、扇子を使い口元を隠すのが貴族のお嬢様の常識だ。
この扇子の使い方など、持たせた侍女は一言も言わなかった。
どこか蔑んだ目をしていた彼女達は、ただオーランド王子の品位に関わる部分だけを繰り返し言って聞かせるだけだった。
それ以外の、志希と言う冒険者に関わる評判などどうでもいいのだろう。
だからこそ、自分の身を守る為に完璧に淑女を演じなくてはいけないのだ。
「いけます、オーランド様」
腹を据え、志希は前を見たままオーランドに告げる。
その言葉に、オーランドは扉脇にいる侍従長に合図を出す。
「第五王子、オーランド・フィドル・フェイリアス様とシキ・フジワラ様ご入場~!」
侍従長の声と同時に両開きの巨大な扉が開き、その向こうに色とりどりのドレスを身にまとった女性達と、軍服や正装した男性達が一斉にオーランドと志希の方を向く。
一瞬足が竦みそうになるが、直ぐに自分を立て直す。
行けると言った以上、後戻りなど出来ないのだから。
オーランド王子と共に足を踏み出し、優雅であろうと意識してドレスの裾を捌きながら背筋を伸ばして歩く。
うつ向いたり、背中を丸めてはダメだと自分に言い聞かせる。
堂々と歩く志希の姿に、一瞬隣のオーランドが戸惑ったような素振りを見せるが直ぐにエスコートをしてくれる。
王妃主催の夜会と言えど、基本は舞踏会と同じだ。
王妃だけでは無く王や他の王子たちもいる。
凛と顔を上げ、仄かに微笑みを浮かべてオーランド王子に手を引かれるまま王族の前に出て女子の礼を取る。
「オーランド、よくぞ参りました」
上段にある椅子に座り、扇子で口元を隠しながら目を細める女性が言う。
隣に座っている壮年の男性は、まじまじと志希を見ている。
「母上からのご招待です。このオーランド、参らぬ筈はありません」
「嬉しい事を言ってくれる」
そんな親子の会話を聞いている志希は、正直早く終わって欲しいと思っている。
何せ、中腰でドレスの裾を両手でつまんでいる状態だ。
この体勢は、正直つらい。
むしろ、自分の根性を試されているのかと小一時間ほど問い詰めたい衝動に駆られている。
その志希の耳に、王から声がかかる。
「ふむ、二人とも楽にせよ」
この言葉に志希は安堵するが、表情や態度には出さない。
まずオーランドが姿勢を正してから、志希が姿勢を正すが顔を上げない。
許されていないからだ。
「良い、娘。顔を上げよ」
ようやく許されたと志希は顔を上げると同時に、オーランドが志希の手を取る。
「今宵、私のパートナーを務めますシキ・フジワラです」
「シキ・フジワラと申します」
もう一度礼をすると、王妃は僅かに目を瞠っている。
王は目を細め、幾度か頷き笑みを浮かべる。
「中々器量の良い娘だが、冒険者と言うのは本当か?」
問いかける声音は確認の物で、志希は何故聞くのかと若干疑問に思いながらはいと頷く。
「いまだ若輩の身ですが、冒険者ギルドにて働いております」
志希の返答にほぉっと声を上げ、王はまた志希をまじまじと見る。
「冒険者ギルドは、成人してからでなくては所属出来ぬ筈だが……シキと言うたな、本当に成人しておるのか?」
どうやら、志希の体格や童顔で冒険者であると言うのが疑われているようだ。
志希は内心またかとうんざりしつつも、笑顔を何とか保ち頷く。
「はい」
「ふうむ……」
まだ疑わしいのか、王がじろじろと見る。
これはさすがに、どうすればいいかと悩むと。
「どうやら、遠い先祖にアルフが居る様子。その為、成長が少々遅いのではないのでしょうか? また見事な銀髪と金の目が、何よりの証拠でしょう」
そう、オーランド王子が志希の代わりに応える。
正直でっち上げ以外の何物でもないのだが、王は成程と頷いている。
騙されるなよ! と思わず突っ込みたい衝動に駆られるが、突っ込んだら依頼が失敗する様な気がするので黙っている。
「なるほど、中々面白い娘を見つけてきたな。オーランド」
王の言葉に笑みを浮かべるオーランドに、志希は一抹の不安を覚える。
もしかして、この依頼は別の裏があったのではないのかと思い始めたのだ。
しかし、深く考える暇などない。
「さて、では娘。今宵は存分に楽しんでいくが良い」
王妃は扇で口元を隠し、何故か敵意すら感じられる目で告げられる。
「はい、ありがたく存じます」
そう返事をすると、王妃は目を眇めて頷く。
志希としては出来るだけ丁寧に話をしているつもりなのだが、何か気に入らないのだろうかと内心大焦りである。
しかし、そんな志希を無視して王妃は口を開く。
「では皆の者、存分に楽しむが良い」
王妃は扇を一度振り、傍にいる楽団がそれを見て音楽を奏で始める。
それに合わせて周囲の男女が大きく空いたフロアへと手を取り合い、入って行く。
オーランドもそれに合わせる様に志希の手を取り、エスコートしてフロアの真ん中へと入って行く。
志希の腰を抱き、そのままリードして踊り始める。
リードに体を合わせ微笑みを浮かべながら、志希は目の前で爽やかに笑む腹黒王子に問いかける。
「これ、ただの依頼じゃないですよね?」
「まぁ、君と私の今後に響く依頼である事は確かだよ。最低ランクで銀の位が必要なんだけど、君なら大丈夫かなっと思ってね」
笑顔を全く崩さず、オーランドは言う。
志希は一瞬表情を引きつらせるが、直ぐにそれを取りつくろう。
「笑顔で、このまま頑張ってくれると嬉しいな。この後、母上が怒涛の勢いで躍らせるしね」
「何でそんな……」
「これはね、私がいつまでも冒険者をしているのが気に入らない母上の妨害工作なんだ。年に一度国に帰ってから、母上が開く夜会に礼儀と教養がある女冒険者を連れてこいって言うね」
オーランドの語る言葉に、志希は動揺の余り表情が崩れそうになるが彼の笑顔で何とか立て直す。
相手が笑顔で話をしているのに、自分が動揺で表情を変えるのはなんだから悔しいのだ。
「連れてこられた女冒険者は、母上の目で礼儀と教養を計られる。その教養の中にダンスも含まれているんだ。それで満点を取る女冒険者が居たら、来年からはこのテストが無くなる。だが、母上の定めた合格点を下回ったら、即座に私の冒険者資格を剥奪させるというものだよ。これを条件として冒険者になった訳なのだけど、母上の点数は辛くてね。金で貴族の教養のある女性を連れて来た事もあったんだけど、凄く難しいのを踊らされてねぇ。全く、母上には困ったものだよ」
「そんな怖い世界に、強制的に連れてこないで下さいよ」
「良いじゃないか。点数次第では君を銅に上げるようにギルドと交渉しても良い」
「なんか、それはズルしている様な気がするんですけど……」
声音は憮然と、顔は艶やかに笑いながら志希は言う。
「ズルではないよ。依頼人の私が、君の教養に高評価をつけるだけなんだから。教養がある、と言うだけで貴族関係の依頼を受けやすくもなる。君にとって、良い事だと思うけど?」
「いえ、私貴族関係には触るつもりは全くないんですよ。この通り、変わった容姿してますから」
「それは勿体無い。これだけ大きな夜会に堂々と背筋を伸ばして歩く女冒険者は、貴族出身以外では余り居ない。君だったら、夜会のパートナーを務めながら貴族の護衛をすると言う依頼もいけると思うよ?」
それに、とオーランドはちらりと志希の首元を見る。
志希は今も、チョーカーをしっかりと身につけている。
この様な場につけても違和感がない程、このチョーカーのデザインは良いものなのである。
たまたまこのチョーカーに合うドレスもあったので、オーランドが選んで身に着けさせたのである。
そして彼は、このチョーカーが精霊の揺り籠だと見抜いているのだ。
「面倒くさいので、嫌です」
にっこり笑顔で志希は斬って捨てると、オーランドはくすりと笑う。
「欲が無いね」
「私はまず、実力をつけたいので」
「良い経験になると思うんだけどな」
オーランドの惜しいという言葉を聞き流していると、一曲目が終わる。
そのまま次の曲が始まり、それが今踊ったモノよりも二段階ほど難易度が上がっているのに気が付き、志希は小さく嘆息を零す。
「さぁ、頑張ろう」
「……はい」
嫌々と分かる声音で返事をして、志希はオーランドの腕に再び体を委ねた。