第四十八話
志希は呆然と馬車の椅子に座りながら、硬直していた。
その向かい側には、とても爽やかな笑顔を浮かべている青年が座っている。
「今日一日で終わる依頼だから、そんなに硬くならなくて良いよ」
青年の言葉にしかし、志希は頷く事は出来ない。
「し、しかしですね……金の冒険者で、しかもこの国の第五王子様の前で緊張するなと言うのは、無理なお話なのでして……」
緊張のあまり、志希の言葉遣いはおかしい。
それが面白いのか、青年はくすくすと笑う。
「オーランド、と呼んでくれないかな」
にっこりと笑う青年、オーランドの言葉に志希は困惑するしかない。
何故こんな事になったと志希は深い溜息を吐き、ついオーランドと会った時の事を思い返してしまう。
ある程度の予定を消化し、あと数日で頼んだ鎧が完成する所であった。
志希はこの間にアリアから魔術の基礎を習っていた。
また、アリアは元々指輪と杖の発動体を二つ持つ癖があったらしく、最初に組んだ冒険で手に入れた指輪がある為元々持っていた指輪の発動体が余っていた。
そこで志希の基礎が十分と判断された為、アリアがその発動体を譲ってくれたのである。
志希が普段長棍を持って歩く事を考えれば、指輪の発動体と言うのはとてもありがたい。
取り敢えず右手の人差し指にはめ、予定通り依頼を受ける為に志希は冒険者ギルドに足を運んだのだ。
週に二回小さな依頼を志希が受けまくっていた為、街中での依頼はだいぶん減っていた。
流石に、これ以上街中の依頼を減らすのも悪いと思い、最近は城壁の外に出る採集系の依頼を受けていた。
一日くらいで終わらせられるような依頼があれば、志希は優先的にそちらを受けている。
先日、アリアとミリアも銅の冒険者へと上がった事を考えれば、志希もサクサクと評価を稼ぎ銅冒険者へと上がるべきだと思っているからだ。
もっとも、一日で終わる様な依頼では余り評価は得られない訳なのだが、志希は塵も積もれば何とやらの精神で頑張っている。
それに、どんなに小さな依頼であろうとも依頼人が喜んでくれれば嬉しいのだ。
ミラルダは志希のそんな姿勢に好感を持っているのか、いつも親切にしてくれていた。
それが思わぬ方向に転んだのは、志希がこの日に選んだ薬草採集の依頼をミラルダが見たからだ。
依頼の羊皮紙を見たミラルダは顔を曇らせ、最近この薬草が採集出来ていないと教えてくれた。
以前の場所の物は取りつくされたのか、一日で行き来が出来る場所には無いと言うのだ。
それならば違う依頼を受けようとミラルダに取りやめる様に伝え、他の依頼用紙を見に行こうとした時にオーランドが現れた。
優雅な所作をしつつも、どこか焦った雰囲気を持った彼はミラルダの前に足早に歩いて立ち、教養があり礼儀作法がしっかりしている女性冒険者が居ないかを聞いてきた。
無論、余程の教養を持つ女性冒険者などそうはいない。
この街でそれに該当するのはアリアとミリア、その他高位の冒険者ぐらいである。
だがしかし、ここでミラルダに好印象をもたれていた志希が居た。
教養はどうかは知らないが礼儀作法がしっかりしていると思われる志希が居ると紹介され、オーランドは速攻で志希に決めたのだ。
何が何やらわからないまま志希はオーランドに連れられて馬車に乗せられ、ミラルダはしっかりとオーランドからの依頼書を作り志希がそれを受諾したと言う手続きをしていた。
要するに、二人にはめられたのである。
「その、きちんと依頼を見ていなかったのですが……」
「ああ、話すのも忘れていたからね。申し訳ない」
殆ど人の意見を無視して強行された為、志希にとってはとても大変な依頼である。
にこやかな顔で、オーランドは依頼内容を話し始める。
「とても簡単な仕事だよ。今日の夜、王妃主催の夜会がある。それに、私のパートナーとして出席してもらうだけだ」
「……は?」
思わず、志希は聞き返してしまう。
「夜会のパートナーをしてくれ、と言う話だよ。本来は婚約者に頼むのが筋なのだが、あいにく解消されてしまってね。手近な貴族の娘に頼むのもありだったんだが、ここはひとつ教養のある女性冒険者を連れて行って驚かせてやろうと思ってギルドに頼みに行ったんだ」
笑顔のオーランドの台詞に、志希は絶句してしまう。
何処の世界に庶民どころかごろつきに近い女性冒険者を連れて王妃主催の夜会に出る人間が居るのか、突っ込みどころが満載である。
ぽかんとした表情を浮かべる志希に、オーランドはくすくすと笑う。
「なに、君が金や白金の冒険者になった時の練習だと思えばいい。高位の冒険者は、王族からの招待で夜会や舞踏会に招待される事もあるからね」
「い、いえいえ。私にはまだ先と言うか遥か遠くと言うか凄く早いと言うか、無理と言うか……」
手を振り、志希が必死で断りたいと言うオーラを放つ。
だがしかし、にっこりと笑うオーランドから放たれる黒いオーラに圧倒され、思わず口どころか息を止めてしまう志希。
「きちんと君のパーティの人に連絡を入れる様にミラルダに言いつけてあるから、安心して欲しい。お礼も少ないけれど出すからね」
だから断るなんて言うなよ、と言われた気がする志希。
「は……はい」
泣く泣く頷き、ぐったりと馬車の背もたれに体を預ける志希。
心の中でこの場に居ないイザークに助けを求めるが、来る筈もない。
「それじゃ、今日一日の予定を教えるから頭に叩き込んでくれるかい?」
優しげな声音で確認するかのような問いかけはしかし、命令している。
むしろ、それが出来なければどうなるか分かっているかと脅されている様な心持になってしまうほどだ。
志希はこくこくと頷き、居住まいを正してオーランドを見る。
その志希の姿に満足げにオーランドは頷き、口を開く。
「まず、城に入ってすぐドレスの試着をしてもらう。その後でダンスの練習だ。もちろん、練習用のドレスと靴でね。君と私では少々身長差があり過ぎるが、まぁなんとかなるだろう」
うん、とオーランドは頷き質問は無いかと志希を見る。
「ええっと、ご飯は食べさせていただけるんでしょうか?」
志希の素朴な疑問に、ああと笑顔になる。
「もちろんだ。合間の休憩で、軽食や菓子を摘む事になると思ってくれ」
オーランドの返事に、志希はほっと安堵した表情を浮かべる。
基本的に、志希は三食食べたい人間なのである。
そんな子供の様な仕草をした志希に小さく笑ってから、オーランドはふっと気がついたように口を開く。
「君のその額の布は、何か意味があるのかい?」
オーランドの問いかけに、志希ははたっと気がつく。
額には『神凪の鳥』の証しがある。
この布を取った場合、気味悪がられたり異端視される事があるのだ。
「ええっと、ここにはちょっと酷い傷がありまして。前髪とかで隠れていても、見られたら嫌なので隠しているんです」
志希の言葉に、なるほどとオーランドは頷く。
「冒険者には傷がつき物、とはいえ女性だからな。特に、そんな目立つ所にあれば気にもなる人間はいる。良ければ、エルシルの司教に癒してもらってはどうだ?」
オーランドの親切心からの言葉に、志希はしかし大慌てで頭を振る。
「い、いえ! これは自分が精霊使いとして腕を上げた時に治すと心を決めているので!」
エルシルの司教で神の奇跡が使えると言う事は、確実に神の声が聞ける人間である。
そんな人間に見られて変な具合に目をつけられてはかなわないと、志希はいつも口にして居る方便を言う。
「そ、そうか」
強く言った事で驚いた表情を浮かべたオーランドは、次いでくすりと笑う。
「腕を上げた時に治す、という目標があるか。中々面白い」
興味津々と言った表情を浮かべ、オーランドは志希を見る。
志希はそんなオーランドに戦々恐々と言った表情を浮かべ、口を開く。
「ですから、その……私では無くて別の女性をですね、お誘いくださるのが一番いいと思うのですけど」
「いや、心配する事は無い。それならば、任意の所に幻覚を張りつける事が出来る魔道具がある。それを貸すから安心してくれ」
要りません。
志希は心の中でそう反論するが、オーランドはにっこりと笑って志希を見ている。
実際口に出して言っても、オーランドは華麗に無視をするのだろう。
なぜ、どうしてこうなった。
志希は心からそう思い、深いため息をつくのであった。