第四十六話
志希は、汚い水路の底で大喜びをする。
やっと目当ての物を見つけたのだ。
「やった、やったー! やっと見つけたー!」
子供のように大喜びをして、足取りも軽く通路の上に戻る。
何せ、この指輪を探してあちこち探し歩いたのだから、嬉しくない筈がない。
時間感覚が無いのだが、それでも一日で見つけられたのは僥倖だ。
この指輪を見つけるまで、白いワニや大きなネズミの襲撃を何度か受けていた。
その中には黒光りする巨大なアレもいて、志希は大泣きしながらそいつらを焼いたり真っ二つにしたり溺死させたりして撃退した。
「やっと下水から抜けられるー!」
白いワニや大きなネズミも嫌だが、泣くほど気持ち悪かった巨大なアレから逃れられる事に志希は心底喜ぶ。
「ああもう、嬉しい! 早く帰って終了手続きして、お風呂入りたーい!」
汗をかいたのと、下水にいたと言う事で自分が汚いのではないかと志希は思う。
早く戻ろうと通路を歩きだそうとして、足を止める。
「……なんだろう」
通路の空気が、変わったような気がしたのだ。
水路に水が流れる音が聞こえているのは変わらないのだが、ピリピリとした緊張感が感じられる。
志希は咄嗟に風と光の精霊に頼み姿隠しをかけてもらう。
同時に、光の精霊は姿を消し周囲を暗闇に包む。
精霊達は、この場所から移動した方が良いと警告するので移動しようかと思うのだが、足が床にへばりついたかのように動かない。
なので、必死に自分を押し殺す。
すると、通路の奥の方から仄かな光が見えた。
足音が聞こえないのだが、それは気にしてはいけない。
イザークやカズヤも、足音を立てずに歩く事が出来るからだ。
それに、志希の目には相手が生きている者だと証明する生命力が見える。
明かりが、だんだんと近づいてくる。
遠目から見えたのは炎の精霊だったので、相手の明かりがランタンやそれに属するものである事は予想できた。
しかし、そのランタンを持っているであろう人物は上から下まで黒ずくめである。
イザークも上から下まで黒なのだが、この人物ほど怖いという印象は受けない。
カズヤよりも若干身長が高いであろう相手は、志希より若干離れた場所で不意に足を止める。
何かを探すかのようにぐるりと視線を巡らせ、口を開く。
「誰だか知らんが、足の裏の汚れを綺麗にしてから隠れた方が良いぞ」
その一言に、志希は自分の足元を見て思わずがっくりと床に膝をついてしまう。
いくら姿隠しをしても、足の裏にある汚れを誤魔化せないのであれば丸わかりである。
自分の余りにも情けない状況に半泣きになりながら、こくこくと頷く。
「そんな事より、こんな所で何をしている」
問いかける声音は剣呑で、志希は深いため息をついて口を開く。
「ギルドの依頼で、下水の指輪探しです」
姿を隠したまま答えると、相手はそうかと頷く。
「俺は丁度詰所までいくところだったのだが、一緒に来るか?」
「え?」
「俺も冒険者ギルドに所属している。銀の昇級試験で、この水路に居る生物の調査を依頼されてな……まぁ、それでこうして潜っているわけだ」
上から下まで黒ずくめの相手は肩を竦め、口元を覆う黒い布を下げる。
ランタンのほのかな明かりと彼自身の生命力で見えた顔は、やけに渋い印象を受ける壮年の男性だ。
「あ、はい。それじゃ、失礼してご一緒させていただきます」
志希はそう言って、姿隠しを解いて姿を現す。
男は志希の姿をまじまじと見て、ほぅと小さく声を零す。
「ハーフアルフか?」
「あ、いえ。一応人間です」
そう答え、頭を下げる。
「最近冒険者になったばかりのシキです」
「ああ、俺はバランだ」
男性は名乗り、志希を促す。
志希はありがたく隣に並び、先ほど感じた感覚をバランに問いかける。
「さっきまで、凄い殺気か何か出してませんでした?」
「ん? ああ。まぁ、威圧だな。ああしておけば、弱い動物なら寄ってこない。寄ってきたとしても、怖気づいていればあっさり殺せる」
何でもない事のように言うバランに、志希は感心した表情を浮かべる。
「それで、調査は進むんですか?」
「潜った当初は威圧せんで歩いていたからな、続々と姿を現したぞ」
「……それ全部、倒したんですか?」
「ああ。それも、二日前の話だからな。殺した奴の死骸は大概食べられて、水路の底に沈んでるだろ」
「ああ、だから見かけなかったんですね」
なるほど、なるほどっと志希は頷く。
「さて、それはそれとして……シキだったな。君は、ネズミの他に何か見なかったかね?」
「へ?」
バランの問いかけに、志希は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「どうにも、丸二日かけて歩いたのだが大きなネズミしか見なくてな。衛兵の言った通りなのかと思い始めているのだが……」
真剣なバランの説明に、志希は困惑してしまう。
「私、真っ白いワニとか巨大で黒光りしたアレ……虫を見ましたよ」
「何!?」
志希の答えに、バランが目を剥く。
「俺の時はさっぱりでなかったのだが……」
「いやいや、本当ですって。今日だけでかなり襲われましたし」
志希の言葉に、バランはふむと唸り首を傾げる。
そこでふと、志希は気が付く。
ランタンの明かりと、先ほどまで志希が使っていた光の精霊。
明かりに差がある訳なのだが、それがもしかしたら目印になっているのかもしれないと気が付いたのだ。
「ちょっと待ってくださいね。光の精霊よ」
初対面の人の前なので、精霊使いらしく光の精霊を呼び出す。
「明かりを少し先行させて、囮にしてみましょう」
「ほぉ、明かりの差があるのかもしれないと言う事か」
バランは頷き、志希の案に乗る。
暫く光の精霊を先行させて歩いていると、水音を立てて白いワニが水路から姿を現す。
それに釣られるように虫の羽音が響き、詰所の通路がある方から光の精霊の明かりを反射する、黒光りした昆虫が三匹ほど姿を現す。
「うわぁ……」
志希は鳥肌を立てて呻き、バランは絶句する。
「こ、これは確かに……俺の調査不足か」
「いや、純粋に仕方がないんじゃ……」
バランに突っ込みを入れつつ、志希は彼を見る。
「……調査したと言う証明で、部位が必要になる。アレを倒してくるので、君はここで待っていてくれ」
そう言うなり、バランは背に背負っている剣を抜く。
不思議な光沢のあるそれは、剣に見えて違った。
僅かに反りがあり、日本の太刀や青龍刀等の趣がある。
それを両手で構え、バランはまずは白いワニに飛びかかる。
ここにきてまさかの戦闘に志希はあっけに取られ、次いで動く。
流石に、彼一人に戦闘させるのは無茶だと思ったのだ。
ここで選択するのは数匹の動きを止める土の精霊だと思うのだが、自分が希少価値の高い物を持っていると知られるのは余り良くない。
と言う事で、ランタンに居る火の精霊を使う事にする。
「火の精霊よ、あの虫を燃やせ!」
志希の言葉に嬉々として火の精霊は従い、バランに襲いかかろうとした虫に火弾を叩きつける。
志希の気合を受け取っているので、火の精霊はその一撃で虫を燃やしつくす。
バランは一撃で白いワニの頭を綺麗に斬ったので、直ぐに虫の方に向き直る。
志希のアシストのおかげで数が減っているので、かなり楽に戦っている。
虫を二匹相手にしても気にすることなく、攻撃を上手く回避して切って捨てていた。
数分も経たずにワニと虫を退治してしまう腕は確かで、これが銀の実力なのかと感心した表情を浮かべる。
ちなみに、志希の中でイザークは別格だと言う意識がある為比べる対象にはならない。
「助かった。新人冒険者だと言っていたからな、慣れていないと思っていた」
「いやあ、慣れてなかったらこの道中で死んでますよー」
志希は苦笑しながら言い、バランも然りと頷く。
「さて、もう少々待っていてくれ」
そう言って、バランは太刀を懐から出した布で拭いてから鞘にしまい、腰に差している小刀で部位証明になりそうな部分を切り出している。
昆虫は触覚と翅を、ワニは頭の皮部分を取ってきた。
志希は何とも微妙な顔をして、バランから若干距離を取る。
その事にバランは若干不思議そうな表情を浮かべ、志希を見る。
「ごめんなさい、私その虫ダメなんです」
「ああ、それは悪かった。しかし、あまり好き嫌いをしていると大変だぞ」
「分かってますけど、こればっかりはどうも……」
志希はそう返事をして、光の精霊に先導させながら帰り道を歩きだす。
「ああ、道は分かっているのか?」
「はい。私、今日潜ったばっかりでしたから」
「ほう!? それで、指輪は見つかったのか?」
「水の精霊に手伝ってもらったので」
志希の返事に、バランは成程と頷く。
「俺の知っている精霊使いは、余りこの手の事に精霊を使わなかったからな……新鮮な返答だ」
この言葉に、志希はひやりとする。
基本的に、志希がお願いした事は精霊達は叶えてくれる。
この手の探し物や索敵、下手をしたら鉱脈まで見つけてくれそうなほどだ。
だがしかし、精霊使いがこのような用途で精霊を使役した例は知らないので何処まで出来るのかが全く分からない。
なので、誤魔化す事にした。
「まぁ、機嫌が良かったから協力してくれたんだと思うんですけどね。所で、バランさんはいつもお一人なんですか?」
「いや、俺は二人パーティだな。シキはどうなんだ?」
「私は、五人パーティです。私と神官、魔術師の二人が鉄なんですけど……どうやら、この二人は昇格するらしくて、私以外の皆が銅になる予定です」
「ああ、なるほど。銅の人間に色々と教わっているのか」
バランは納得したように頷き、微笑む。
「さっきのアシストは、見事だった。本当に助かった、ありがとう」
いきなり褒められて、志希は何やらむずかゆい気持ちになる。
「いえいえ、こちらこそ前に立ってくださりありがとうございました」
志希はそうお礼を返すと、バランが苦笑する。
「俺は前に立つのが仕事だからな、礼を言われると思わなかった」
「いやでも、助かったのは本当ですから」
「そうか」
和やかに会話をし、二人はそのままてくてくと歩く。
今のバランは敵に対して威圧をかけ、格下の敵を退けながら歩いているため平和である。
志希は若干息苦しく感じる訳なのだが、黒光りした巨大なアレに遭遇しないのであればその辺に文句を言うつもりはない。
それなりに会話をしている内に詰所に繋がる階段を見つけ、二人は上にあがって行く。
「お、バランじゃねぇか。どうだった?」
詰所で一番に出迎えた男が笑顔でバランに声をかけ、後ろに志希が居るのに気が付く。
「お嬢ちゃん、今日はもう上がりか?」
「はい、と言うより見つけたので今日で終わりです」
志希の言葉に、衛兵の男は驚いた表情を浮かべる。
「おいおい、マジかよ!? 普通、その手の依頼は一週間から半月はかかるぜ!?」
衛兵の言葉に、志希はきょとんとした表情を浮かべてから俯く。
もしかしてやらかしてしまったのかもしれないと、心配になる。
「まぁ、それだけ優秀だったと言う事で良いじゃないか。それじゃ、ギルドに行くからまた後でな」
「あ、私もギルドに行きますので。お疲れ様でした」
衛兵の男に声をかけ、志希は早々に詰所を出る。
バランも同じように詰所を出て、志希に並んでギルドへと向かう道を歩く。
向かう場所が一緒だと言う事で、二人は雑談をしながら歩いて行くのであった。