幕間
深夜の静寂が支配するその場は、濃厚な血臭と甘くすえた腐敗臭に支配されていた。
森の中で比較的広い場所には大量の血痕と、夥しい死骸が地面や草の上に転がっていた。
ここは、イザーク達がレッドウルフの変異種達と戦った場所であった。
これだけ生臭さを発していれば森の肉食動物などが現れてもおかしくは無いのだが、何故かこの場所には魔獣や野獣の類が全くいない。
それはこの空間に漂い始めた、不吉なほど冷たい冷気のせいである。
月明かり一つないこの場所に、ふわりと金の髪が舞う。
音も無く闇と同じ色のマントが翻り、その場に黒い貴族服を着た金の髪を持つ青年が現れた。
中性的な美貌を僅かに不快そうに歪め、青年は優雅に歩を進める。
皮が剥がされた凄惨なレッドウルフの死骸の中を真っ直ぐに突っ切り、大きな体躯の死骸の前に立つ。
唐竹割りにされたその死骸の前に立った青年は、小さく嘆息を零す。
「我が呼んでいるのに来ぬと思えば、この様な所で果てているとは情けない」
困ったものだ、とでも言う様な声音で青年は足先で大きな死骸を転がす。
断面からどろりと内臓が毀れ、更なる異臭を周囲に振りまく。
「それなりに力を与えたのだが、これほど見事に斬られているのは驚きだな」
断面をまじまじと観察しながら大した感慨を抱かずに呟き、ゆっくりと頭を振る。
「知能もつき言葉も話せるのは中々出来なかった故、気に入っていたのだがなぁ」
残念と言う呟きはしかし、全く何の感情も抱いていないのが聞いて取れる。
そのまま変異種であったモノの頭に向け、人差し指を向ける。
「まったく……使い魔にこの様な手間をかけさせられるのも、考え物だな」
青年が呟いた瞬間、その人差し指の爪が一瞬で伸び、変異種の眼球に突き刺さりその奥にある脳にまで達する。
目を閉じて何かを考えるそぶりを見せていた青年は、不意に口角を釣り上げる。
「いや、使い物にならんと思っていたが意外だな」
嬉しげに、楽しげに青年は呟く。
「死してなお我の役に立ったこと、褒めてやろう」
既に死しているその亡骸に、青年は囁く。
ゆっくりと爪を引き抜き、爪に付着しているどろりとした体液を払いながら青年は嗤う。
「まったく、我が花嫁殿は中々に小賢しいが……美しく育った」
喉を慣らし、青年はかつて使い魔であったモノに背を向ける。
ゆっくりと歩を進めながら、青年は様々な考えを巡らせる。
歩いているのは、その考えを纏めるためだ。
とても愉快そうな表情を浮かべた青年は、ゆっくりと口を開く。
「取り敢えず、我を倒す等と言う思い上がりを叩き潰すのが楽しそうだな。その為には、ある程度の経験を積ませねばなるまい。そう思わんか?」
不意に、青年は直ぐ側の茂みに問いかける。
「経験を積ませ、能力が上がったと錯覚させ、その錯覚を打ち砕く。確かに楽しそうではありますね」
青年よりも幾分か低い声音が、茂みの闇から同意を示す。
「ああ。我の証しを無粋なエルシルの印で封じている罰も兼ね、アレの妹や仲間達を贄として宴を開くのが良かろうと思うてな。その為に、少々世間を騒がせてやるのも面白かろう?」
ゆっくりと、青年は笑う。
「では、その役目を私にと言う事でしょうか?」
幾分か低い声音の問いかけに、青年はああと頷く。
「お前が一番、動き易かろう。我は城で知らせを待つ故、お前は好きなように世間を騒がせよ。ただし、我が花嫁とその贄を殺すのは許さん」
「花嫁殿以外の贄で、私が下賜を願えば頂けますかな?」
間髪いれずの問いかけで、青年は僅かに片眉を上げる。
何かを考えるようなそぶりを見せてから、一つ頷く。
「良かろう、許す。余興として十分であろう」
愉悦に顔を歪ませ、青年は許可を出す。
「は、ありがたき幸せ」
暗闇の中で人影が姿を現し、優雅な所作でお辞儀をする。
「心にもない事を……しかし、貴様のその闇は心地よい」
真紅の瞳を細め、青年は三日月の様な笑みを浮かべる。
ばさりと漆黒のマントを翻した瞬間、青年の姿がその場から掻き消える。
「我の楽しみの為、貴様の望みの為にしっかりと働くのだぞ」
「は、仰せのままに。我らが王よ」
姿を見せないままその場に声を響かせ、青年は命令を残す。
命じられた方は、ゆっくりと闇の中からその姿を見せた。
青年とは違う薄い金の髪を持ち、吸血鬼の証しである赤い目を持っていた。
「さて、ではどうするか……」
やや厳つさを見せる男は小さく呟きながら、腰に下げた小さな杖を手に取る。
「王と仰いだ時から思うのだが、あの方はいつも気まぐれが過ぎる。私の立場と言う物も少々考えていただきたいな」
愚痴のような呟きを残して、男は小さな杖を一振りする。
その瞬間には、男の姿はその場に無かった。
主である青年と同じ様に、男はどこかへと立ち去ったのだろう。
この場には森の静寂と、動物の死体が放つ腐敗臭だけが取り残される。
だが直ぐに、茂みを鳴らして魔獣や野生の動物が姿を現す。
まるで、青年と男が立ち去るのを待っていたかのようだ。
臭いにつられて姿を現した肉食獣達は、最も強い魔獣の食べ残しや離れた場所にある死体を喰らう為に争いを始めるのであった。