第四十二話
くすくすと笑い、志希は御者台に行ってしまったカズヤの背中を見送る。
先ほどまでの会話は、二人だけでしていた物だ。
アリアとミリアには聞こえないように風の精霊にお願いをして、音が伝わるのを遮断していたから出来た会話である。
イザークから聞いた、カズヤとの出会いの話。
それをカズヤの視点から聞いてみたかったので、二人に聞こえないようにして問うたのである。
カズヤは志希のお願いに快く応じ、話をしてくれた。
もっとも、その間アリアが物凄くこちらを窺っていたが、全て無視してカズヤと話に興じていたのだ。
そこでふと、アリアが異世界人を見た事がないと言っていたのを思い出す。
「ねぇ、アリアとミリアって異世界人の事をどう思う?」
志希自身も異世界人なわけなのだが、それを差し置いて問いかけてみる。
アリアとミリアもきちんと彼女の身の上を聞いているので異世界人であると言うのは知っているのだが、どうにも実感が持てないでいた。
それ故、唐突な問いに戸惑った表情を浮かべて直ぐには返事を返せない。
「ああ、難しく考えないでいいよ」
志希の言葉に、それならとミリアは口を開く。
「言葉が通じないし、野蛮だっていうのを聞いていたけど……シキを見てそれは偏見だと思ったわね」
「そうですね。シキさんはとても理性的です」
アリアはミリアに同意して頷くが、どちらも志希の事を言っているだけなので思わず本人は苦笑する。
「いや、私じゃなくて異世界人の事なんだけど」
そう言われた双子は、難しい表情を浮かべて考える。
「言葉が通じない。変わった髪色や、目の色をしているくらいでしょうか? あと、ひ弱と言うのもあります。文献などで見た限り、技術士もいるようですけど……その大半は、奴隷にしても長く持たないほど弱いと書かれてありました」
アリアの言葉に、志希は苦笑する。
「そりゃそうだよ。基本的に鍛えている人とか、武術の心得がある人とかは殆どいないからね。あと、向こうの人で黒目黒髪の人は割と計算に強いよ。何せ六歳から教育を必ず受けているから」
志希の言葉に、アリアはえっと声を上げる。
「私が居た世界には、基本的に身分の差別ってなかったの。皆が庶民で、政は国民が投票して頭を選ぶのが主流だった。その中で、子供は六歳から十五歳まで必ず教育をうけるようにと言う決まりがあって、その教育には文字の読み書き、自国の歴史や古い言葉を習ったり計算の勉強をするのよ」
「え、庶民がですか?」
思わずと言った様にアリアが問いかけ、志希は頷く。
「うん、そう。基本的に向こうで……特に、私が生まれ育った国は教育とかに力を入れてたから。六歳から十五歳までは国で義務として教育を施し、その上の学校は任意で進学するようになっているんだ。まぁ、今は十六から十八までの学校はほぼ義務になっているけどね」
「国で教育を施すって、豊かなのね」
「豊かだけど、その分人の心が荒んでたと思うなぁ」
そう言って、小さく溜息を吐く志希。
「こっちみたく妖魔とか亜人達や神様はいなくて、人と人が争う事が多い世界。私の国は六十五年前に戦争に負けてから色々あって、経済的にも成長したりした分……人と人の繋がりが薄くなってね。今、私の国は自殺をする人とか、働かずに家に引きこもる人とかが多いの」
志希の言葉に、アリアは眉を潜める。
「豊かになった分、失われたものが多かったのですね」
「多分、そうなんだと思う。だから、みんな少しづつだけど人と人との繋がりや精神的な豊かさを取り戻したいって行動し始めてはいたんだよね」
「うん、そう言うのって大事だと思います」
アリアは志希の言葉に笑顔を浮かべ、うんうんと頷いていると御者台に座っているカズヤが顔をのぞかせてくる。
「そういや、シキ。ノストラダムスの大予言ってどうなった? シキが元気でいるのを見る限り、当たらなかったと思うんだけどよ」
唐突な問いかけに、志希はきょとんとした表情を浮かべてから首を傾げる。
「ちっちゃい頃にそんな話を聞いた覚えはあるけど……」
「ちっちゃい頃!?」
志希の返事にカズヤが驚き、大きな声を上げる。
「う、うん。だってその話、世紀末に恐怖の大王が降ってくるってやつでしょ?」
「ああ、それそれ」
「それだったら、多分もう十年以上前の話だからあんまり記憶にない。って言うか、世紀末は普通に家族で過ごしていたけど、全然何もなかったよ?」
志希がそう言うと、カズヤが変な表情を浮かべて馬車内に戻ってくる。
「なぁ、シキはいま何歳だ?」
「だから、二十一歳だって言ったよ?」
「オレも二十二歳だ」
「うん」
「……オレは一九七八年の生まれだ」
「はぁ!?」
志希は思わず素っ頓狂な声を上げ、カズヤを凝視する。
「ちょっ!? さ、三十二ぃ!?」
志希の言葉に、カズヤが大慌てで頭を振る。
「いや、待て待て! オレはこう見えても正真正銘二十二歳だ! こっちに来たのは十五、七年過ごしているのは間違いない!」
カズヤの言葉に志希は目を丸くし、喉を鳴らしてから言葉を絞り出す。
「私は、一九八九年の生まれなんだけど……」
志希の言葉にカズヤは頭を抱え、唸り始める。
「マジかよぉ……なんだその、一〇年くらいの違いは」
ぼやくカズヤに、アリアが恐る恐る彼に声をかける。
「ええっと、あの……カズヤさんはもしかして……?」
「ん? ああ、言ってなかったな。オレも異世界人。言っとくけど、ただの異世界人だからな」
カズヤは念を押す様にしつつ答え、苦笑を浮かべる。
「オレも結構苦労したけど、アリア達も随分と苦労してるんだな」
「そ!? そんな事……!」
アリアが慌てて手を振ると、志希は緩く頭を振る。
「苦労してるでしょ。元々は王族だったんだから」
志希の指摘に、ミリアは苦笑する。
「そうね、苦労したわ……知らない事が多かったし、わたし達の常識が通用しない部分も多かった」
「世間知らず、だったんです」
アリアが自嘲する様に苦い笑みを浮かべ、嘆息する。
「それは仕方がねぇだろ。箱入りのお嬢様がいきなり荒っぽい奴らが多い世界に入るんだからよ」
カズヤはアリアとミリアを元気づけるように声をかけ、笑みを浮かべる。
「んで、世間知らずだって事を知ってきちんと色々な事を勉強したのはすげぇって素直に思うぜ」
屈託の無いカズヤの言葉に、アリアとミリアは思わず頬を染める。
「そ、そんな事言われたの、初めてだわ」
ミリアは気恥ずかしそうに視線を逸らし、アリアは真っ赤になりながらはにかんでいる。
志希はきょとんとした表情を浮かべているカズヤをちらりと見て、天然タラシめと胸中で嘯き小さく息を吐く。
何か突っ込みを入れたい気もするのだが、ここで下手な事を言うとアリアに要らぬ誤解を受けるような気がして止めておく志希。
カズヤは呆れ顔の志希に気が付かず話題を変える。
「それで、レッドウルフの毛皮がかなり手に入ったけどどうする?」
「どうするも何も、依頼人に納めるんでしょ?」
志希がそう問いかけると、いやっと御者席のイザークが口を挿む。
「頼まれていた枚数だけ納め、それ以外は売るなり何なりする予定だ。シキの皮のベストとローブがもう使い物にならん事を考えれば、少しでも分け前を多くし互いに強化していかねばならんだろう」
イザークの言葉に、志希はがっくりと肩を落とす。
「あのローブ、気に入ってたのになぁ」
深いため息を零す志希にミリアが小さく笑い、その背中をポンポンと励ますように叩く。
カズヤは励まされている志希とミリアを見て小さく笑ってから、表情を改める。
「まぁ、今回の事でオレ達はまだまだだってのも分かった。ミリアの問題を片づける為にも河岸を変えた方が良いかもしれないな」
「え?」
「この辺は妖魔との前線が近いとはいえ、今は安定しているからよ。それに、今度国営騎士団も派遣されてくるらしい。そうなったら、ますます俺達の出番が少なくなる」
アリアの疑問の声にカズヤはそう答え、腕を組む。
「それに、騎士団の連中が来るとなるとトラブルも多くなりそうで嫌なんだよ。特に、ああ言う変な気位が高い奴らはイザークに難癖つけてくる事が多いんだ。シキの変わった容姿が目に留まれば、一晩貸せとか言いかねないバカな坊ちゃんとかも居るしよ」
「え? そうなの?」
思わず志希が突っ込むと、カズヤが神妙な表情を浮かべて頷く。
「ああ。まぁ、上がまともだったらしっかりと取り締まってくれるはずなんだが……」
「辺境に派遣される騎士の頭が、まともとは思えない。と言うやつだ」
「なるほど」
志希はうんうんと頷いて納得をしていると、アリアとミリアは何とも言えない表情を浮かべている。
「なんだか、ごめんなさいね」
「物凄く、申し訳ない気持ちになります」
「おいおい、気にすんなって。オレらは騎士団が気にいらねぇって話してるんだからよ。で、オレの意見はどうよ?」
カズヤはイザークを含めて全員に問いかけると、志希が手を上げる。
「私はまだ分からない事が多いけど、強くなる為に場所を変えるには賛成。私の精神修行の為にも、色々な経験は積まないといけないと思うから」
「俺も、河岸を変えるのに異論はない。シキが知識を“知る”為に中央のフェイルシアか、その隣国の魔術王国と言われるミールに行く事を考えていた。ミールの大図書館には、様々な知識が眠ると言われているからな」
大陸中央付近にある大国フェイルシアは、貿易で栄える国だ。
そして、魔術王国と呼ばれているミールは魔術師と知識神クミルを信奉する神官が多く住み、日々魔道具の研究に明け暮れている。
ミールにある塔の学院は、世界で初めて作られた魔術師の学院なのだ。
各国にある塔の学院はミールの魔術師が派遣され、冒険者ギルドとは違う形態で作られたのである。
その為、各国の塔の学院に所属する魔術師が見つけ出した魔道具や遺失呪文などは全てミールにある塔の学院に行ったん納められる事習わしがある。
イザークのお勧めの国は、確かに志希が様々な知識に触れ“知る”事が出来るだろう。
同時に、辺境の国に居るアリア自身もまだ知らぬ知識に触れる事が出来るかもしれないとミリアが思った瞬間、アリアは一つ頷く。
「確かに、良い事だと思います。あちらの蔵書はかなりありますから、わたしの復習にももってこいです」
アリアの言葉に、ミリアが目を丸くする。
それに気が付いたアリアは、苦笑を浮かべて姉を見る。
「姉さんったら、忘れてしまったの? わたしが最初に入った場所はミールの塔の学院ですよ? でも、神聖大公家が潰れたからとこちらの方に移動させられたのですよ。でも、それが姉さんと再会できるきっかけだったので、とても良かったと思います」
満面の笑顔でアリアはミリアに言い、カズヤを見る。
「わたしも、移動するのは賛成です」
「んじゃ、ミリアはどうする?」
一番重要なのは、聖女であり花嫁であるミリアだ。
「……反対する訳無いじゃない。わたしの為だけじゃないし、ね」
肩を竦め、ミリアはそう微笑む。
「じゃ、これで決まりだな」
カズヤはにやりと笑い、全員を見回す。
このパーティのリーダーはイザークだが、彼は依頼や戦闘などの基本方針を決める方が主なので、この様な仕切りの殆どはカズヤに任せているきらいがある。
カズヤとイザークの二人はこうやって、互いに得意な分野を分担しているのがよく分かるやり取りだ。
志希は小さく嘆息して、何やら胸のあたりがもやっとしてしまう。
このもやっとした物はなんだろうと首を傾げてから、気にしない事にする。
「取り敢えず、街を離れるのは私が防具を揃えてから?」
「ああ。道中、何が起こるか分からないからな」
イザークが答え、志希はそうかと頷く。
そこに、ミリアがポンと手を打ち笑顔でいう。
「レッドウルフの毛皮を何枚か使って、ちょっと早いけどシキの外套を作ったら?」
笑顔のミリアの提案に、志希はうっと声を詰まらせる。
流石に、自分が殺した魔獣の毛皮を纏うのはどうかと言う気持ちがあるからだ。
それを察したのか、それとも天然でなのかカズヤがいやいやと頭を振る。
「その辺りは、道々ゆっくりと相談しようぜ」
「そうね、もしかしたら移動費に消えるかもしれないものね」
カズヤの言葉にミリアは肩を竦めて頷き、志希は思わず安堵の息を吐く。
その間にも話題は変わり、志希はそれを右から左に聞き流しながら風の精霊に頼み周囲を警戒してもらいながら目を閉じる。
体の内側が治り、吐き気の類はすっかりおさまったのだが、体力が戻っていないのか眠気が襲って来たのだ。
志希は眠気に抗わず、そのまますとんと眠りに落ちるのであった。