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神凪の鳥  作者: 紫焔
遠出の依頼
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第三十九話

 この大陸には、大小様々な国がある。

 イザーク達が拠点としている国は大陸でも端の方にある、フェイリアスと言う小国だ。

 大陸の中央付近にあるフェイルシアと言う大国の属国であり、妖魔達との戦線に最も近い国である。

 そして、ミシェイレイラ神聖国はこのフェイルシア国よりも少々東にあり、気候も人も穏やかな国と言われている。

 ミシェイレイラ神聖国の初代国王は、エルシルの高位の司祭であった。

 エルシルからの神託を受け、建国したのが始まりとされている。

 この国の王は神官を兼任していたのだが、ある時期から王と神官が分離しそれぞれがそれぞれの役割を果たす事となった。

 政治は王が、神への祈りや儀式は神官が。

 役割分担がされるようになった時期から、この国の神官の最高位は必ず王の血が入っている物でなくてはならないと定められた。

 これによりミシェイレイラ神聖国の最高神官は神聖大公と称され、二代毎に王家の姫か王子が下賜されて正統の血筋を保っていた。

 この様な経緯がある為、神聖大公はエルシルの神官でありながら、王族としての地位も併せ持っているのである。

 連盟と続く神聖大公家に、ある日奇跡のような出来事が起こる。

 神聖大公妃が、双子の女児を産んだ。

 その片方が、女神エルシルの加護が厚い聖女であったのだ。

 生まれつきの聖女はとても希少で、聖女の顕す奇跡は普通の神官や司祭よりも容易く行われる。

 また、怪我をしても直ぐに癒えてしまう程の回復力を持ち、神官戦士としても大成出来る程の素養を兼ね備えていた。

 神聖大公は直ぐに聖女である姉の方を跡取りと定め、ミリエリアと言う名を与え妹にはアリセリアと名付けた。

 これから数年間、双子の姉妹は分け隔てなく暮らしていたが、アリセリアは魔術師の素養があった為に塔の学院へ入学してしまう。

 ミリエリアはとても寂しいと思っていたが、神官としての修行や次期当主としての勉強もあった為それを口に出さずにいた。

 アリセリアが塔の学院へ行ってから一年、ミリエリアが十二歳の時に事件が起きた。

 その日は物凄い雨が降り、雷が鳴っていた。

 ミリエリアはそろそろ社交界にデビューすると言う事で、父からダンスを教わっていた。

 毎日の日課なので、父親が帰ってくるのを楽しみに待っているとにわかに胸騒ぎがしてきた。

 ヒタヒタと這い寄るような、恐ろしい程の不安感。

 屋敷内の空気が酷く濁り、気持ちが悪いような気さえしてくる。

 ミリエリアはそう思い、窓を開けようとするがそれより早く扉が乱暴に開かれる。

「お母様……!」

 いつもならばノックをして、優雅に入室してくる母が乱暴にドレスの裾を払い足早にミリエリアの腕を掴む。

「ミリエリア、直ぐにこの屋敷を出ます。コートを着なさい」

 化粧をしていると言うのに青ざめた顔で、母はミリエリアに告げる。

「え? でも……」

「大丈夫、お父様も直ぐに来てくださるそうよ。だから、早くコートを着て頂戴」

 いつもはもっと優しく促す母が、追い立てるようにミリエリアに指示を出す。

「はい」

 腑に落ちないと思いながらも、ミリエリアは何か急を要するような事態があったのだろうと予想してクローゼットへと向かう。

 いつもは召使が準備をしてくれるのだが、何故か今は誰一人としてミリエリアの部屋に入ってくる様子がない。

 王族でもあるミリエリアは、最低二人は召使を従えて着替えなどをしていた。

 その召使は大抵隣室の召使が待つ部屋にいるはずなのだが、その気配を感じる事が出来ないでいた。

 まるで、この屋敷内には自分と母の二人しかいない様な錯覚に襲われる。

 クローゼットの中からいつも身につけているコートを取り出し、四苦八苦しながら自分で袖を通して母の元へと急いで戻る。

「お母様、着てまいりました」

 ミリエリアは室内で待っていた母に声をかけながら駆け寄ると、彼女はほっと安堵した表情を浮かべて頷く。

「良い子ね、ミリエリア。それでは、行きましょう」

 母はそう言ってミリエリアの手を引こうとするが、その前にと少女は慌てて自分の机に向かう。

 机の上に置いてある小さな化粧箱を開け、中に入っているエルシルの聖印を取り出す。

 初めて一人で神殿に行き、入信した際に司祭から頂いた聖印だ。

 これは、ミリエリアが神官見習いである証しである。

 大切に聖印を持つミリエリアに母は表情を緩ませ、声をかける。

「さ、行きましょう? お父様の方が先に来てしまいますよ」

「はい、お母様!」

 ミリエリアは母の呼びかけに頷き、手を繋いで部屋を出て廊下を歩く。

 いつもはもう少し明るく感じるはずの廊下は薄暗く、窓の外から見える稲光が余計強く感じてしまう。

 窓を叩く雨の音も嫌に響き、ミリエリアは母親の手をきつく握る。

 怯えたその仕草に母親はミリエリアの手をきつく握り返しながら、ほんの少しだけ歩く速度を早くする。

 母もまた、屋敷内の異常に怯えているようだ。

 いつもであれば、この時間は沢山の召使が屋敷内を歩き回っている筈なのだ。

 筆頭執事や、その下に着いている執事達も屋敷内を歩きまわり、召使たちの仕事を見て回ったり、夕食の準備をしている筈だ。

 だと言うのに、屋敷内には母とミリエリアの足音しかしない。

「お母様……」

 震える声で問いかけを発しようとするミリエリアに、母は前を向いたまま告げる。

「今は、お屋敷を出る事だけを考えなさい」

 ぴしゃりとした言葉は、ミリエリアの不安を否応なく掻きたてる。

 母の手をきつく握り、小さく体を震わせながらミリエリアは歩く。

 歩かなくては、母に置いて行かれる。

 歩かなくては、後ろから来る何かに捕らえられて、殺されるような気がするから。

 ミリエリアは泣きそうになりながら母の手を握り、必死で歩いていると明かりが見えた。

 明かりは玄関ホールにつけられているシャンデリアが発している光だろうと気が付き、ミリエリアは思わず顔を輝かせる。

 薄暗い廊下の向こうに見える明るい光は、大丈夫だと語りかけてきているかのようだ。

 ミリエリアは思わず安堵し、思わず母の手を離して駆け出す。

「ミリエリア!」

 母の咎める様な声が聞こえるが、ミリエリアはわき目もふらずに明かりを目指していく。

「待ちなさい、ミリエリア!」

 必死の声音で呼び止める母の声に疑問を抱きながら、ミリエリアは玄関ホールを見降ろすテラスに出る。

 人を安心させるかのような明るさを湛えるシャンデリアの下には、真紅の液体がぶちまけられていた。

 液体の中で浮かぶように、白い腕や足、体の一部が浮いている。

 苦悶を浮かべた沢山の顔が、液体の中を浮き沈みして声の様な物を発していた。

 ミリエリアは自分が見ている物がなんなのか理解できず、その場に立ちすくんで階下を眺める。

 その彼女の眼には、もう一つ奇異なモノが映った。

 真紅の液体の中心辺りに、金の色を持つモノがいた。

 美しく波打つ長い金の髪を首のあたりのリボンで一つまとめ、病的なまでに白い肌を引き立たせるように黒い貴族服を着た男。

 その男が片手で持ち上げているのは、白と緑で彩られた神聖大公の儀礼服を着た栗色の髪の男性だった。

 男は顔を上げて、ミリエリアを見上げて微笑む。

 その顔を見て、ミリエリアは全身に鳥肌を立てる。

 髪と同じ眉は細く優美な弧を描き、切れ長の目は涼やかだ。

 額から顎にかける線は綺麗な卵型で、女性とも男性とも思えるような中性的な顔立ちをしている。

 恐ろしいほどの美しさを持つ男に、ミリエリアは人では無いと直感したのだ。

 まさしく人外の美貌と言えるそのかんばせに、ミリエリアは思わず体を引く。

「逃げ……逃げなさい、ミリエリア! 母様と一緒に、早く!」

 男に掴まれている男性は、ミリエリアに気が付くと叫ぶ。

「貴様に指示を出す権利等与えておらんぞ?」

 男性、ミリエリアの父の言葉に男は不愉快気に眉を潜め、手に力を入れ始める。

 父はその力に苦しげに呻くが、男の手を首から外そうとしていたのを止めて叫ぶ。

「迸れ!」

 この叫びと同時に、父を中心に爆風の様な力が放たれる。

 ミリエリアは追いついた母に庇われて手すりの下に押し倒されるが、男は至近距離でまともに食らう。

「ぬぅ!」

 驚いた様なうめき声と同時に、父は男の腕から解放される。

 下に落ちると同時に、転がるように男の間合いから離れる父。

 床は元の色が分からない程の血液と人体のパーツらしきモノが占めている状態なので服が血塗れになるが、父には構っている余裕がないらしい。

 血に塗れた状態で立ち上がり、肩で息をしながら口を開く。

「不死者が何の用だ」

 低い声音で問いかけるが、男は乱れてしまった服を整えるだけで答えない。

 その姿に父が再度問いかけようとするが、男が手を上げてそれを制す。

「ここ数百年見ていたのだが……神聖国の王家も神聖大公家も、貴族達ですら皆俗物となり果てているとは思わんか?」

 楽しげに嗤いながら、美貌の男は問いかけてくる。

「何を……」

「何を言いたいかは、気が付いているのだろう? この国の神殿の主である神聖大公を差し置き、神官長が神殿内の事すべてを取り仕切っている状態なのだからな」

 クツクツと喉を鳴らし、男は続ける。

「まぁ、おかげでこの国におけるエルシルの加護は随分と衰えた……筈だったのだがなぁ。神聖大公、貴様はなかなかの傑物よ。貴様が神殿内の腐敗を粛清し、真摯に祈ったのが効きエルシルがこの国に対する加護を厚くし始めた。その証として、貴様の娘が生まれながらの聖女となった」

 参ったと言いながらも、その目も表情も楽しげに歪んでいる。

「いや、本当に感心するべき事柄だ。貴様の祈りは素晴らしい! だからこそ、捨て置けんのよ!」

 男の言葉に父の目は見開かれ、母は震えながらミリエリアを抱き上げる。

「ミリエリア、目を瞑っていなさい。母様が良いと言うまで、決して開けてはいけませんよ?」

 母親の強い声音に、ミリエリアは何とか一つ頷き目を瞑る。

「神よ、その御光を我に!」

 母親の祈りと同時に、玄関ホールを眩いばかりの光が照らす。

 そしてそれと同時に、ミリエリアを抱えた母が走り出す。

 高いヒールの靴を履いているとは思えないほどの早さで、母はそのまま玄関ホールを駆け抜けようとした。

 しかし、玄関扉を目前にしながら、母が転んでしまう。

 投げ出してしまわないようにとしっかりミリエリアを抱きしめながら、真紅の液体の中に倒れ込む母。

「なに……ひっ!?」

 突然の衝撃に、思わず目を開けたミリエリアが見たのは、ただのパーツとなっていた腕が母の足をがっしりと掴んでいる様であった。

「この屋敷の者は全て、我の下僕だ」

 ニタリと嗤いながら、男は手を振る。

 それを合図に、真紅の液体の中に浮かんでいた手や足、体、顔が一斉にミリエリアたち三人に向かって這いずりだす。

「奥様……痛いです、奥様……」

「旦那さま、救ってください……旦那様ぁ」

 年若い執事が、召使の老婆が、使用人であった老若男女が救いを求めてくる。

 体の一部が這うその様は余りにも異様で、ミリエリアは恐怖で発狂しかける。

 しかし、そのミリエリアの直ぐ側まで来ていた顔が口を開く。

「お嬢様、逃げてください。わたし達もう人じゃないんです。もう、お仕え出来ないんです」

 その顔は、昔からいる召使夫婦の子で仲良く遊ぶ事が多かった少女の物であった。

 最近、ミリエリアの三人目の召使として教育を受ける為、余り一緒に遊ぶ事が出来なかった少女。

 彼女のその悲しげな表情と凛とした声音に、ミリエリアは目を見開く。

 縋ってくる沢山の死体としか言いようのない物体。

 しかし、元々はこの屋敷の使用人達で、彼等のおかげで屋敷内で心地良く住まわせてもらっていたのだ。

 感謝の気持ちを忘れてはいけないと、父親が言っていた。

 ミリエリアは凛と顔を上げ、悲鳴を上げている母親の腕の中で手を祈りの形に組む。

「エルシル様、お願いします。彼等をお救いください。平穏を、与えてください。こんな姿にされるのは、かわいそうです。彼らには何の罪もありません。お願いします、エルシル様」

 真摯に、真剣にミリエリアは祈る。

 すると、ふわりと柔らかな緑の光がミリエリアを包む。

 ミリエリアの気持ちを表すかのような優しい光が玄関ホールを覆う真紅の液体を蒸発させ、死体としか言いようの無かった使用人たちの姿を解けさせて行く。

「お嬢様、ありがとうございます」

 光に触れた使用人達は安らいだ声で礼を言って、召されて行った。

 ミリエリアは祈りの形にしていた手を解き、凛とした表情のまま母親の腕から抜け出し己の足でしっかりと立つ。

「エルシル様の御心により、わたしは貴方に救いを与えます」

 武器一つない状態だと言うのに、しっかりと貴族服の男を見てミリエリアは告げる。

 ミリエリアの言葉に男は一瞬目を見開き、次いでクツクツと嗤いだす。

「くっ……幼い聖女如きが、我に救いだと? 余り笑わせるな」

 優雅な所作で男は嗤いながら、ゆっくりとミリエリアの方へと足を踏み出す。

 茫然とした表情でミリエリアが起こした奇跡を見ていた父と母ははっと正気に戻り、咄嗟に動く。

「力よ弾け!」

 手を突き出し、力強く奇跡の言霊を紡ぐ父。

 突き出した手から純粋な力が迸り、貴族服の男に命中する。

 男は僅かに歩調を乱すが、それだけである。

「エルシルよ、命の摂理を乱す者に女神のお力を示しください」

 母が言霊を紡ぎ、両手で何かを握り構える。

 瞬間、緑の光がエルシルの象徴である武器の形を取り、母の手に握られる。

 いつもは淑女と言った佇まいの母は、ドレスとヒールと言う姿でありながら凛とした母親の表情を浮かべてミリエリアの前に立っていた。

「既に命を失い、生命の摂理から外れた者よ。全ての命を司る大地母神エルシルの慈悲に触れ、赦しを受けるが良い」

 父は厳かに男に向けて言葉を放つ。

 彼もまた、その手に母と同じ光の武器を作り出し構えている。

「ふむ……子を守る為に戦うか」

 貴族服の男は愉悦に唇を歪ませ、目を細める。

「それもまた、面白い。いつまでその姿を貫けるか試してやろう」

 音もなく、貴族服の男の爪が鋭く伸びる。

 その姿を見て、ミリエリアはやっと気が付く。

 目の前にいる男こそ、不死者でも高位に位置する吸血鬼である事に。

 歪んだ唇から覗く犬歯は鋭く、ぬらりとした光沢を持っている。

「貴様らが聖職者としての仮面を脱ぎ捨て、命乞いをする様を娘に見せるが良い」

 言葉と同時に、嘲りの笑みを浮かべていた男は母親の前に移動していた。

 余りにも早いその動きに母は驚愕するが、光の大鎌が母の体を操るように動き、突き出された手を防ぐ。

 大鎌に触れた男の手は炎に焙られた様な音が鳴り、病的に白い肌に火ぶくれが出来る。

 通常であれば激痛に悲鳴を上げる程の火傷なのだが、男は眉を少し動かすだけだ。

 しかも、光の大鎌の柄に押し付ける様に、じりじりと力を入れていく。

「くっ」

 小さく母は呻き、男の力に押されていく。

 吸血鬼は、人の何倍もの力の強さを持つ。

 母は元々神官で、戦士としての技量等無い。

 それでも何とか吸血鬼の攻撃を防げたのは、現在行使している奇跡のおかげだ。

 奇跡を行使して作られた武器は、使い手に危機が迫った時には体を操り攻撃を防ぐ効果がある。

 だが、防ぐだけではらちが明かない。

「はぁ!」

 母が押されているのを見て、父が気合を入れて光の大鎌を振る。

 しかし、男はもう片方の手を使ってそれを止め、楽しげに笑うだけだ。

「武器を殆ど握った事もない神聖大公が攻撃を仕掛けてくるとはな」

 嘲りの声を上げ、二人に向けた指を僅かに動かそうとした瞬間。

「力よ弾け!」

 母の背後からミリエリアが姿を現し、自身が出来る最大の攻撃を仕掛ける。

 幼い子供が放つ攻撃魔法は、本来なら彼に何の痛痒も与えない筈であった。

 しかしミリエリアが渾身の力で放ったそれは男の胸に命中し、僅かに男の動きを鈍らせ感嘆の声を上げさせる。

「素晴らしい、ただ殺すのは惜しい娘だ」

 そう言いながら、男は父と母の武器を握る。

 ジュウっと言う音が鳴り、煙と肉が焼ける臭いが漂う。

 その臭いに思わず顔を顰める母だったが、武器が音もなく砕け散った事に目を丸くする。

 同時に、男の赤い爪が母の胸に突き刺さる。

 驚いた顔で己の胸を見る母は、不意に震えて弛緩する。

「貴様!」

 父は怒鳴り、武器に体重を乗せて男に少しでも傷を与えようとするが、その腕はびくとも動かない。

「安心しろ、まだ殺してはいない。体が麻痺して、動かぬだけだ」

 そう言いながら、母の腕から爪を引き抜き男は嗤う。

 支えを失った母は人形の様に床に倒れ、目だけがぎょろぎょろと動く。

「お母様!」

 物凄い音を立てて倒れた母の体に触れ、エルシルに治癒の祈りを捧げるが麻痺を治す事が出来ない。

 神官としてはまだ低位なミリエリアは、麻痺や毒を癒す奇跡は使えないのだ。

 ミリエリアはそうと分かっていても、母を助ける為に必死になる。

 その姿を目の端に止めた父は、娘と妻の為にと口を開く。

「ちかっ……!?」

 力を叩きつける言霊を唱えようとしたが、腹に加えられた衝撃に言葉に詰まる。

 その上、体が痺れたように力が抜け、自由が効かなくなった事に愕然とする。

「さて、こうして遊んでいたいのは山々だが……貴様の口を割らせるのは骨が折れそうだ。貴様の死体から直接、アレの場所を聞きだす事にしよう」

 父の腹に爪を突き刺した男は嘲笑を浮かべながら、父の手が離れた光の鎌を床に落とし、足で踏み砕く。

 音もなく砕け、緑の残光を残して鎌が消えさるのを父と母は絶望した目で見る。

「だがその前に、貴様らに面白い余興を見せてやろう」

 父の腹から爪を抜き、男はその頸部を掴んで歩きだす。

 ずるずると法衣が床とこすれ合う音が聞こえ、ミリエリアは顔を上げて立ち上がる。

 己のの方へと歩み寄ってくる、底知れぬ闇を秘めた吸血鬼を強く睨みつけ手を突き出す。

「お父様を離せ! 力よ弾け!」

 ミリエリアは自身が出来る最大の攻撃を放つが、男はそれを片手で弾くだけで止める。

 男のその行動にミリエリアは一瞬動きが止まるが、諦めずに何度も純粋な力を撃ち出し攻撃を繰り返す。

「無駄な事をする、と言っても……止めぬか。諦めが悪い」

 クツクツと嗤いながら、男はミリエリアにゆっくりと近づく。

 この純粋な力を撃ちだす魔法は、未熟な子供のミリエリアには負担が大きい。

 法力と精神力を削られ、顔色がどんどんと悪くなっている。

 しかし、それでも父と母を助けようと無謀だと分かっても攻撃を繰り返す。

 男はそんなミリエリアの姿に悦楽を覚えているかのように笑い、ふらふらになっている彼女の前に立つ。

「良いぞ、小娘。気に入った」

 赤い目を細め、男は美しい貌に傲慢な笑みを浮かべる。

 真紅の目は得体のしれない光に濡れ、傲慢な笑みが毒々しい程に蠱惑的になる。

 その表情にミリエリアは知らず小さな悲鳴を上げ、思わず一歩下がってしまう。

「逃げるな、聖女」

 そう言って父をその場に捨て、ミリエリアの腕を掴み引き寄せる男。

 本能的な恐怖に声を出す事も出来ず、ミリエリアは男を見上げると。彼は愉しげに笑う。

 片腕でミリエリアを引き寄せ、捕まえた男はもう片方の手でミリエリアの襟元を摘む。

 そして、物凄い音を立ててドレスの背面部分を引き裂き白く滑らかな背中を露出させた。

「何……何を!?」

 ミリエリアは男の腕で暴れようとするが、片腕で男はそれを押さえつけ愉悦の表情を浮かべたまま床に転がる夫妻を見る。

 口元がだらしなく開き、涎を垂らしながらもその目だけは射殺さんばかりに男を睨みつけている。

「さぁ、婚約だ聖女。今はまだ幼く、若すぎるからな。優しく、花嫁の証しをこの白く美しい背中に刻んでやろう」

 睨みつける夫妻を嗤いながら、男はそう言って優しくミリエリアの背中を指先で撫でる。

 その瞬間、背筋を走る不快な感覚にミリエリアは体を震わせ、次いで目を見開く。

 男が撫でた場所から、ジワリとした冷たさを感じた。

 だがそれは直ぐに激痛となり、背中に広がって行く。

「いああああ!!?」

 背を弓なりに反らせ、ミリエリアは悲鳴を上げる。

 床に倒れている夫妻に見せつける様に、男は長い指を愛おしげに背中に這わせながら己の赤い唇を舌で舐める。

 その間にも、ミリエリアの悲痛な悲鳴は響く。

 目を閉じる事も出来ない夫妻は、自分達の目の前で娘の背中に刻まれるヴァンパイアの花嫁の証しに絶望の色を濃くする。

「聖女、お前が十七になったら迎えに来よう。エルシルの加護の厚いお前を闇に貶め、我の与える快楽に酔わせてやろう」

 クツクツと嗤い、悲鳴を上げ続けるミリエリアを床に降ろし夫妻の前に立つ。

「安心するが良い。貴様らの愛おしい娘は、我の永遠の花嫁にしてやろう。これほどの力に溢れているのだ、我との間に出来る子はさぞ強かろう」

 夫妻の絶望を深くしながら、男は父を持ちあげその首に齧りつく。

 肉と骨を噛み砕きながら血を啜り、空いた手で母を持ちあげる。

 その瞬間、男の体がほんの僅か揺らぐ。

 誰かに押されたかのような動きだったのだが、男にはそれをなしたのが誰なのか分かっていた。

 血塗れになりながら、男は振り返る。

「やぁ……めぇ……」

 床にうつ伏せになり、ミリエリアが腕を突き出し悲鳴を噛み殺しながら言葉を紡ぐ。

 十二歳という年齢でありながら、強靭な精神力を持っている少女に吸血鬼の唇がきゅっとつり上がる。

 しかし、ミリエリアはこれが限界だったのかパタリと腕を落とし、気を失ってしまった。

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