第三十一話
鍛錬を始めてから二日目で、カズヤはミリアとそこそこいい勝負が出来るようになった。
志希とアリアは酷い筋肉痛のせいで、二日目はお休みである。
「うう、だらしないなぁ私」
「わたしも、ちょっと自分が情けないです」
思わずぼやく志希に、アリアも重いため息をつく。
二人は訓練所の椅子に並んで座りカズヤとミリアの勝負を眺めている状態だ。
ちなみに、イザークはその審判をしている。
「元気一杯だなぁ、あっち」
「ですねぇ」
昨日のような元気が無いアリアの声に、志希は思わず隣を見る。
「体力をつけないとやっぱり長旅をする時大変だとは思うのですけど……小さなころから運動が苦手だったんです」
ぽつり、とアリアは呟く。
「ああ、分かるわかる」
志希はこくこくと頷き、苦笑する。
「私も、あんまり得意な方じゃなかったんだけどね……」
今はどうかはわからない、と言いかけて言葉を飲み込む。
自分の体がどれほどのスペックを持っているのか、自分でもわからない等と言うのは普通ないからだ。
普通じゃないとまだアリアに言う気が無い志希は、苦笑を笑顔に変えてアリアを見る。
「それじゃ、一緒に体力づくりしようよ」
「え?」
きょとんとしたアリアに、志希は提案する。
「一応まだ依頼を受けるって言う話が無いみたいだし、毎日街の中をちょっと早足歩こうよ。それだけでも足とかに筋肉付くし、体力もつくしさ。それで、二日か三日に一度くらいお腹と背中、腕の筋肉をつける鍛錬すれば軽く杖も振れると思うよ? あと、体型維持にも良いって聞くし!」
最初の方はほんの少し嫌がっているような表情をしていたアリアが、最後の志希の台詞に目を揺らす。
どうやら、思う所があるようだ。
「そ……それなら、やってみようかな」
小さな声でアリアは呟いてから、志希の目を見て頷く。
「はい。一緒に頑張りましょう、シキさん」
「頑張るのは良いけど、これからは同じパーティなんだからもう少し砕けても良いんだよ?」
アリアの言葉に嬉しそうに笑いながら、志希は一言付け加える。
ミリアはある程度距離を近づけようとするように志希にちゃんをつけて呼ぶが、アリアの場合は距離線を引いたままでいようとするかの様に余所余所しく感じていた
同じパーティであるなら、呼び捨てが出来無くてももう少し打ち解けて欲しいと言う志希の気持ちだ。
もちろん、隠し事をしている状態で信頼されるのは難しいとは思う。
だがしかし、それでももう少しコミュニケーションを取って行かなくてはパーティとして成り立たなくなるのではないかという危機感が志希にあった。
それ故の言葉だったのだが。
「で、でも……わたし、ずうっとこの口調だったのでこれ以上砕けるってどうしたらいいか……」
困り果てたアリアの言葉に、志希はきょとんとした表情を浮かべる。
「その、わたしの家は礼儀作法にうるさい所だったので、お師匠様の所に弟子入りした当初は凄く堅苦しいって言われました。今のわたしの口調は、お師匠様に言われて頑張って崩した結果なのです」
アリアの意外な話を聞いて、志希は成程と納得すると同時に赤面する。
距離を感じていたのは自分だけだったのかと、恥ずかしくなったのだ。
「これでもまだ硬いって、姉さんには言われますのでシキさんが勘違いするのは当然です」
志希の様子に気が付いたアリアが、慌ててそうフォローする。
「ですので、お気になさらないでください」
アリアの言葉に、志希はこくこくと頷きながら両頬を手のひらで隠す。
恥ずかしくて身悶えする志希に、アリアはくすくすと笑う。
「シキさんも、わたしの事を好きに呼んでくださいね」
「う、うん……アリガト」
恥ずかしさで片言になりながら、志希はお礼を言う。
アリアは微笑んだまま頷くと同時に、甲高い金属音が響く。
「くそ!」
「もう少し、だったわね」
少しだけ息を弾ませたミリアが、無手のカズヤの胸に切っ先を当てていた。
「カズヤは少し、手元に意識が行きすぎだ。小剣の時はもう少し周囲に意識を割いていただろう」
イザークが今回のカズヤの戦い方に一言注意をする。
「分かってんだけどよ……間合いが違うからそっちに意識行っちまう」
「それじゃ、間合いに慣れていつも通りに意識を避けるようにするのが重要ね」
カズヤの言葉に、ミリアは課題を口にする。
「そう言うことだ。俺が相手をすると、カズヤが嫌がるからな。アリアには悪いが、暫くミリアにはカズヤにつきっきりでいてもらう」
イザークはちらりとアリアを見てからカズヤとミリアの二人に告げ、もう一度試合をしろと目で促す。
「うぇ、少しくらい休憩させろよ」
「そうね。少し、喉が渇いたわ」
二人の言葉に、仕方が無いとイザークは頷く。
「では、少し休憩するか。シキ達も退屈だろうしな」
見学している二人をちらりと見た言葉に、ミリアは元気に頷く。
「そうよね。暇よねぇ……筋肉痛でただ見てるだけなんて!」
ミリアの言葉に、カズヤは物凄く羨ましいと眼だけで二人に訴えていた。
カズヤは筋肉痛などには全くなっていない状況なのだが、純粋にゆっくりと座っているだけの二人が物凄く羨ましいのだ。
それはそうだろう。
休みなく動き、ミリアにしごかれ続けているのだ。
それでもミリアは時折休憩を申し出てくれるからありがたいのだが、イザークの場合はカズヤの体力が尽きる寸前までしごくのだ。
「いや、マジ勘弁して欲しい。休憩なしでこれは、きつい」
「イザークの鍛錬って、こんなにきついんだ」
ふらふらとアリアのすぐ横に腰を下ろしたカズヤに、志希が尋ねる。
「これ、ミリアが居る分まだマシだ。オレとイザークの二人だったら、休憩なんか挟んでくんねぇ」
ぐったりとしたカズヤの答えに、志希の頬が小さく引きつる。
今自分の目の前に居るのは、もしかしたら未来の自分の姿なのではないのだろうか? 等と考え、静かに戦慄する。
すると。
「シキは精霊使いだ。棍術に重きを置く戦闘をするわけではないからな、本当に護身用程度になるから安心しろ」
イザークが志希の慄きを感じ取ったのか、補足の説明をしてくれた。
「アリアも同様だ。積極的に前に出るのでなければ、護身術程度に武器を扱えれば御の字と言う所だからな。カズヤは基本は盗賊だが、近接戦闘となれば前衛の一人だ。きちんとした鍛錬をして体を作らなければ、カズヤ本人だけではなく後衛も危険にさらす事になる」
イザークの言葉に成程と納得するアリアだが、くたびれ切ったカズヤを見るとそれでもと言ってしまう。
「でも、あまり体を酷使しすぎるのも良くないと思います。適度な休憩をはさんだ方が、集中力も持続すると思いますし……」
「言われてみれば、そうだな」
アリアに言われ、イザークはしばし考えて頷く。
「まめにとは言わんが、半刻過ぎたら休憩を挟むようにするか。それに、そうだな……カズヤは人間だ。俺の一族でやる鍛錬法はきつすぎるな」
イザークのぼそりと言った言葉に、目を剥くのはカズヤだ。
「ちょっと待て! お前の一族って、休憩なしにぶっ通しで鍛錬すんのかよ!?」
カズヤの突っ込みに、イザークは頷く。
「元々アールヴの中でも戦闘に特化していると言われているからな、俺の一族は。以前、他のアールヴの友人にこの鍛錬法で剣技を教えた時、カズヤと同じ反応をされたのを今思い出した」
普通のアールヴでさえ驚く鍛錬法でしごかれていたカズヤは、深い溜息を吐く。
「マジかよ~……」
「これでも軽めにはしていたつもりだったのだが……悪かったな、カズヤ」
あんまり悪いとも思っていないイザークの言葉に、カズヤは胡乱とした表情を浮かべる。
「明日からは、もう少し軽くしてくれ」
「分かった」
イザークが頷き約束すると、ミリアが身を乗り出す。
「でも、イザークのおかげでカズヤはあそこまで凄い動きが出来るのね。戦士にしては身軽すぎるし、盗賊にしては鋭いもの。イザークの鍛錬のおかげで、かなり体力が付いているのね」
感心したミリアの言葉に、嬉しいのか嬉しくないのか複雑な表情を浮かべてカズヤは曖昧に笑う。
「何はともあれ、お疲れ様です。カズヤさん、こちら蜂蜜とレモーヌで味付けした良く冷やしたお水です。疲れが取れますよ」
そう言いながら、アリアはカズヤに水筒を差し出す。
こちらの世界では、意外な事に保温の魔法を刻んだ魔法瓶が普及している。
古代文明の技術を応用して、ずいぶん昔に発明されたらしい。
「おお、わりぃな」
そう言って、カズヤは水筒を受け取りゆっくりと飲む。
あんまり急に飲むと体がびっくりするので、それを防ぐための処置である。
「あら、お姉ちゃんには渡してくれないのかしら?」
からかう様なミリアに、アリアはあっと声を上げて顔を赤らめるが。
「はい、ミリアさんお疲れ様。アリアじゃなくて私からだけど、良いかな?」
もう一本の水筒を志希がミリアに差し出す。
「悪いわけ無いわ、ありがとうシキちゃん。嬉しいわ」
笑顔でミリアは受け取り、ふたを開けてゆっくりと味わう様に飲む。
「そう言えば、この間の遺跡で拾ったあれ……どうするの?」
ふと思い出したように、ミリアが問いかけてくる。
「あ、あれはまだ持っているんだけど、どういう形にして持ち歩けばいいのか悩んでいます」
志希は思わず背筋を正し、敬語で話してしまう。
「ふーん……あ、わたしの事呼び捨てで良いわよ。そんなに硬くなる必要もないから」
水筒の水を飲みながら、ミリアは装飾品について考えながら話す。
「落さないのを前提だったら、指輪の方が良いわ。貴族や王族が印章を指輪にして持っているのは、落さないからなのよ。首飾りや耳飾りでも良いかもしれないけど、そっちはちょっと落としやすいわ。でも、一番良いのはつけていて楽って言うのかもね」
ミリアの言葉に、志希は成程と頷く。
「一番無難なのは指輪かぁ」
嘆息交じりに呟くと、ミリアはでもと言葉を続ける。
「腕の良い彫金師に頼まないと、どんな形にしても宝石が取れたりするのよね。あと、土台にする貴金属に不純物混ぜたりしてお金だけふんだくる職人もいるから、頼むんだったらドワーンのリージアン信者に頼む方が確実よ」
芸術神を信仰するドワーンであれば、手先も器用な上に詐欺紛いの仕事もしない。
「あれ? 神官じゃダメなの?」
信者より神官の方がより信頼度が高いはずだと、志希が呟くと。
「あぁ~……信頼度は高いけど、物が物だから止めておいたほうが良いわ」
聖遺物と並ぶ希少品を神官に預ければ、神の名のもとに接収される可能性があるとミリアは頭を振る。
「あと、芸術神の神官は自分の作った物を手元に置きたがるのよ。出来が良い物を手元に置いて悦に入るっていうやつ? だから、過剰に装飾されたりするから実用一辺倒な物が欲しいなら信者で職人の人に頼んだ方が遥かに良いのよ」
「なるほどぉ」
志希は思わず感心していると。
「辛辣だな。まぁ、間違っているとは言わんがそこまで酷い奴はいないだろう」
イザークがミリアの言葉に水を差す。
「まぁね。でも、用心に越した事は無いわ。特に、物が物だから本当に信頼できる彫金師にお願いする方が良い」
神官のミリアは、真面目な表情で言う。
「……ふむ、そうだな」
イザークは頷き、考えるそぶりを見せる。
「まぁ、いざとなればお守り袋のまま持ち歩くって言うのも手だと思うんだけど……」
志希の言葉に、ミリアとアリアが目を剥く。
「ダメですよ。女の子なんですから、少しはお洒落しないと!」
「そうそう。折角だもの、少しは宝飾品を身に付けた方が良いわよ? シキちゃんまったくその辺の物持ってないんだから、いざと言うとき困るわよ?」
唐突に力説を始めた双子に挟まれ、志希は引きしながら首を傾げる。
「い、いざってどういう時?」
志希の問いかけに、二人は当然のように言い放つ。
「ほら、好きな人とデートとか!」
「好きな人と過ごす時に、少しでも自分を綺麗に見せてもらいたいじゃないですか!」
息ぴったりに迫ってくる二人に、志希はこくこくと頷く。
納得と言うか、言葉の意味に関して吟味している余裕が無いので頷くしかできないのである。
そんな志希の前で双子は楽しそうに会話をする。
「やっぱり、好きな人と一緒に居るなら少しでも綺麗な自分で居たいじゃない?」
ミリアはねぇ? と、アリアに同意を求めると、彼女はうんうんと頷く。
「本当は服とかも新調した方が良いとは思うのですが、明確な拠点を持っていないのでしたら荷物になってしまいます。その点、宝飾品でしたら小さい物が多いですしあまり嵩張りませんからね」
アリアはそう言って、微笑む。
「なるほど~」
志希はこくこくと頷き、納得する。
好きな人には綺麗な自分を見せたいと言う、アリアとミリアの言葉には物凄く納得できる。
だがしかし、志希は全くと言って良いほど恋愛などしていなかった為、酷く遠い出来事の話をされている様な気がしていた。
しかし、それを口に出すとアリアとミリアに猛然と何かを言われる様な気がするので、志希は口を閉ざして大人しく話を聞く体勢に入る。
「腕の良い彫金師はだいたいが大きな宝飾店の専門なのよねぇ……」
「そうですよねぇ。お仕事をお願いするんでしたら、コネが無いと難しいとおもいます」
何故か、アリアとミリアは未だ宝飾品の話をしている。
「当てもコネもある」
そんな二人に、さらりとイザークが告げる。
「え?」
異口同音に声を上げ、双子は彼を見上げる。
「ああ、ベレントの伝手か。あの人なら安心だな」
カズヤもだいぶん疲れが取れたのか、落ち着いた表情で水筒に口をつけている。
それを見たイザークは頷きながら、ゆっくりと腰を上げる。
「まぁな。それより、そろそろ休憩は終わりにしようと思うのだが」
イザークの台詞に、カズヤは物凄く嫌そうな表情を浮かべる。
「良いじゃねぇか、もう少し休ませてくれてもよ」
カズヤの文句に、うんうんとミリアとアリアも頷く。
「あまり体を冷やすのも良くない。それに、あまりゆっくりしていると時間が来てしまうからな」
イザークの言葉に、成程と頷くミリア。
鍛錬所を借りられる時間は二刻が限界なので、休憩を取ったのが一刻ほど経ってからだ。
結構な時間動いていた事になるが、休憩を始めてから既に四半刻経っている。
「まぁ、休憩としては妥当な時間ね。明日からは、半刻ごとに四半刻の休憩でしょう?」
ミリアの問いにイザークは頷くと、カズヤははたと問いかける。
「明日からだから……今日はもしかして、何時もどおりなのか?」
「無論。明日からだと言っただろう?」
あくまで、ミリアの言った日程は明日から。
今日は当てはまらないとイザークは言い放ち、カズヤを見て僅かに口角を上げる。
「後一刻の辛抱だ、我慢しろ」
イザークの一言に、カズヤはがっくりと肩を落とし立ち上がる。
「が、がんばれ~」
「頑張ってください、カズヤさん。姉さん!」
志希とアリアは二人を励まし、練習用の長剣片手に先ほどまで使っていた場所へと戻って行くのを見送るのであった。