第十八話
この後数度にわたり休憩を挟みつつ移動をしていたせいか、気が付けば日が傾いていた。
夕焼け色に染め上げられる木々や道がとても美しく映えている訳なのだが、志希はそれを見る余裕もなく息を切らしている。
「この辺で野営しようぜ」
それに気が付いたのかカズヤは足を止め、振り返るなりそう言う。
「えぇ!?」
ミリアは抗議の声を上げるが、その後ろのイザークは頷く。
「そうだな」
志希がそろそろ限界である事もそうだが、日程などに問題が無いからである。
「何もこんなところで……!」
ミリアの抗議に、カズヤが答える。
「この辺りが、一番丁度良いだろ? これ以上進めば、獣や妖魔が出てくる可能性が高い」
それに、とカズヤは苦笑を浮かべる。
「シキと言うか、アリアさんの方も疲れてぐったりしてるだろ?」
カズヤの指摘に、ミリアは妹を見る。
すると、疲れた表情を浮かべたアリアが小さくごめんなさいと唇を動かす。
アリアは魔術師とはいえ本来は研究者としての側面が強く、基本的には屋内で過ごす事が多かった。
冒険者の割に大半の魔術師という人種の体力がないのは、似たり寄ったりの理由からである。
志希よりも体力があるとはいえ、女性で非力といわれる魔術師故の事だ。
ミリアもそれに思い至り、小さくため息をついてから頷く。
「そう、みたいね」
呆れたような声音で呟くミリアに、カズヤが苦笑する。
「仕方が無いだろ。シキは兎も角、アリアさんは研究する方が主だったみたいだからな。歩き慣れてたら、オレは冒険が好きな魔術師かしょっちゅう金策をする魔術師のどちらかだと思うぜ?」
カズヤの言葉に、ミリアは渋面を浮かべる。
その表情を見たアリアは、慌てて口を開く。
「前回姉さんと二人で遠出した後に古代魔道具の解析のお仕事を頼まれて、しばらく冒険の為の時間が取れなかったんです」
姉を庇おうとしているのか、それとも誤解してほしくないのか分らないが、アリアは大きな声でカズヤに言う。
真っ赤になって言うアリアの姿に、カズヤはまた要らない事を言ってしまったのかと思わず眉をひそめる。
それを見たアリアはとっさに口を閉じて、俯いてしまう。
ミリアはミリアで、何とも言えない表情で妹とカズヤを見ていた。
「ええっと、カズヤ。アリアさんが誤解してるよ?」
やり取りを見ながら足を冷やしていた志希は、カズヤに告げる。
「は?」
カズヤは素っ頓狂な声を上げ、アリアを見る。
少し落ち込んだような表情で俯いているのに気がついたカズヤは、しまったと顔をしかめてから口を開く。
「いや、アリアさんを卑下するつもりとかじゃなくて……オレが聞きかじった事を口にしただけだったんだ。それで不快にしちまったみたいだから、それを反省していただけなんだ。決して、アリアさんのせいじゃないから」
カズヤは若干早口で、アリアに告げる。
「失礼な事を言って、悪かった」
そのうえで、ミリアとアリアにカズヤは頭を下げる。
ミリアはカズヤの言葉に目を丸くし、アリアは大慌てで手を振る。
「い、いえ! 気になさらないでください! こちらこそ、ご迷惑をおかけして……」
「いや、それだったらこっちこそ連れが迷惑かけてるし。気にしないでくれ」
アリアとカズヤは互いに謝ったり、気にしないでくれと言い合う。
それをまったりと眺める志希は、ミリアに目を向ける。
「ミリアさん。色々と迷惑をかけるとは思いますが、改めてどうぞよろしくお願いします」
所在なさげにしていたミリアに、志希はそう言って頭を下げる。
ミリアは突然言われた言葉にさらに面食らい、次いで苦笑を浮かべる。
「そうね。でも、辛ければ言ってちょうだいね? 今はパーティだし……何よりイザークって人、かなり厳しい人みたいだし。体を壊したら、何もならないんだから」
そう言って浮かべた微笑は、豊穣の女神に使える神官らしい慈愛の表情だ。
どこか刺々しかったミリアだったが、志希が挨拶をすると毒気を抜かれた様になってしまった。
一体何がと小首を傾げると、ミリアが志希の隣に腰を下ろす。
「正直ね、あなた達があんまりにものんきすぎて苛々したの。これから枯れているとはいえ遺跡に行って、妖魔や住み着いた生き物を殺さないといけないって言うのに」
ミリアはそう言いながら、背中に背負っている豊穣神の神官戦士だけが持つ大きな鎌を下ろす。
遺跡内で振り回すには不便そうな得物故なのか、ミリアはもう一つ武器を持ってきている。
一般の冒険者が使う長剣で、よく手入れされているのが見て取れる。
志希の視線に気がついて、ミリアはくすりと笑いながら続きを話す。
「でも、よくよく観察してみればカズヤさんもイザークさんも、先を見据えて行動していたわ。さっきの、カズヤさんの言う事ももっともだったし……イザークさんは野営の為にって時々枯れ木や枝を拾って縄でくるんで持って歩いていた。二人は、わたし達なんかよりもずっと旅慣れていた」
だから、とミリアは志希を見る。
「旅にも冒険にも慣れている二人があなたを連れている理由をね、考えてみたの」
志希はミリアの言葉に、キョトンとした表情を浮かべる。
しかし、彼女はそんな様子など見なかったように言葉を続ける。
「実は結構な実力者か……あなたが足手纏いであっても構わないほどの何かを持っているの二択だと思うのだけれど」
ミリアの言葉に、志希は言葉を返せない。
当たっているのかいないのか、自分では全く判断できないからだ。
客観的に見れば足手纏い以外の何物でもない自分を、元金冒険者の弟子二人が面倒を見てくれているとしか言いようがない。
カズヤは同郷のよしみで、イザークは志希を殺した贖罪なのか、責任感なのか少々分らない理由で。
その上、どうやら彼らにとって頭が上がらない存在らしいクルト達に言われた事も大きいのはずだ。
だとすれば、志希は正真正銘役立たずだろう。
そう思った瞬間、自分でも愕然としてしまう。
志希は青褪め、思わず喉を小さく鳴らしてしまう。
ミリアは、志希が突然押し黙ったことに訝しげな表情を浮かべて声をかけようとするが、それより早くイザークが口を開く。
「シキは優秀な精霊使いだと、最初に言ったはずだが?」
ほんの少しだけ刺を潜ませた声で、イザークはミリアに釘を刺す。
「今はまだ駆け出しだが、古株のクルトに保証されている」
イザークの出した名前にミリアは目を丸くして彼を凝視するが、彼は無視をして志希の前に膝をつく。
[要らぬ事で気を揉むな。まずは旅に慣れ、戦闘に慣れろ。自分が出来る事をすれば良いだけの話だという事を思い出せ。お前はまだ、この世界に現れ冒険者になってからの日が浅い]
イザークの低い声音が、すとんと志希の心に落ちる。
初めての事だらけで足手纏いになるのは当たり前だという言葉は、志希の気持ちを軽くする。
[まぁ、オレも此処までなるのに結構時間かかったんだ。だから、そんなに慌てる必要ねぇよ]
カズヤもまた、志希が落ち込んでいたのに気が付きフォロー入れる。
[うん、わかった]
志希は涙ぐみ、何度も頷く。
志希の様子から二人が慰めたのであろうと言う事は、ミリアとアリアにも分かった。
だがしかし、なぜ警戒するように言葉を変えて話をするのかという疑問を、二人は抱く。
二人の訝しげな表情にイザークはいち早く気が付いたが敢えて何も言わず、涙を拭う志希の頭を一つ撫でてから焚き火の準備を始める。
カズヤはイザークが動き出してから、ようやっと空気が微妙な事に気がつく。
志希とカズヤは同郷だという話はしたが、何処という話もしていない上にイザークまで同じ言葉を操る事ができる。
これで、不審を抱くなと言うのも無理な話だろう。
カズヤは一瞬考えるように視線を泳がせてから、笑顔で口を開く。
「ミリアさんもアリアさんも不愉快かも知れねぇけど、気にしないでくれ。シキを落ち着かせる為に、故郷の言葉で宥めてるだけだからさ」
一時凌ぎのパーティで、詳しい事情を話すほどカズヤはお人よしではない。
しかし、不信感を持たれたままだと戦闘などに入った場合にまずい事態になりかねない。
その為、何を話していたのかを通訳したのだ。
カズヤのその表情と笑顔からアリアは素直に信じて納得するが、ミリアは胡乱とした眼をカズヤに向ける。
だがしかし、最初に志希をある意味追い詰めたのはミリアだ。
「余計な事を言わなければ、この様な事にならなかったのを肝に銘じておけ。好奇心は、諸刃の剣だ。余計な詮索をそのまま返すぞ?」
イザークの言葉に、ミリアはぐっと息を詰める。
足手纏いをあるがまま受け入れるのは難しい。
特に、己の身に関係する事柄ともなれば気になるのも当たり前のことだろう。
だがしかし、出会って一日で様々な詮索をして問いかけてくるのは無作法で、相手へ無礼を働いても良いと思っていると受け取られかねない。
一時凌ぎで組んでいるパーティであれば、余計な詮索などせず適度な距離を取るのが礼儀なのだ。
それを失念しているかのようなミリアの行動に、イザークが不快感を示すのも当然なのだ。
いくら志希が新米冒険者であろうとも、パーティの仲間なのだ。
イザークの言い方は角が立つものだが、パーティリーダーとしては当然釘を刺さざるを得なかった。
「今のは……わたしも、姉さんが悪いと思う」
唇を噛んで何も言わない姉に、アリアが小さく声をかける。
アリアの言葉にミリアはかっと頬に血を上らせ、乱暴な所作で立ち上がる。
一つ深呼吸をしてから、ようやくといった様子で口を開く。
「ちょっと、頭を冷やしてくるわ」
震えた声音は激情を抑えているのが、よくわかる。
志希はミリアに何かを言おうとするが、言えば更に要らない事になりそうな気がして出来なかった。
「ああ、気をつけて行けよ。あんまり奥に行くと、魔獣とか出るかも知れねぇからな」
カズヤはわざと明るく声をかけ、注意を促す。
ミリアはカズヤに頷き、無言で森へと足を向けて早足で歩いて行く。
アリアは姉を呼び止めようと手を伸ばすが、その手を握ってただ姉の背中を見送る。
志希はどうして良いのか分らない表情を浮かべたまま背中を見送り、イザークとカズヤは淡々と野営の準備をしているのであった。