第十二話
思う存分入浴を楽しんだ志希は、綺麗な服と下着に着替えて新しい靴を履く。
以前履いていた靴はもう一枚持ってきた袋に入れて、持って帰って洗うつもりだ。
外套の方も新しい物に変え、ライルから借りっぱなしの外套も後で一緒に洗濯だ。
額に巻いた布はやや色の濃い青で、下にある証の形が分からない様に少し工夫をした巻き方をしている。
その最中で、右手の証がどうやら誰の目にも留っていないらしい事に気が付いた。
良く考えれば、今までずっと右手を使った生活をしていたのに誰一人として指摘していないのだ。
そう思った時、無意識下に眠っていた知識が浮かびあがってきた。
眠っていた知識曰く、右手の証は『神凪の鳥』にしか見えないらしい。
極稀にそれを見る事が出来る人間も居るが、その者は死後に『神凪の鳥』として目覚める可能性が高い。
本当にごくごく稀な事らしいので隠さなくても良いような気がするが、既に指の無い皮手袋を買っている。
せっかくあるのだからと、志希は両手に手袋をはめる。
ゴムの跡を残すのは嫌なので、髪を丁寧に拭いた後は櫛で梳かすだけにして自然乾燥させる事にする。
帽子を被った方が良いか悩んだが、公衆浴場で売り場の女性に見られているのだ、隠すのも馬鹿らしい。
それでも、外套の帽子を何時でもかぶれる様にして志希は受付の所へ出る。
「おっ……おおう」
カズヤは志希に気が付いて振り返ったが、何故か変な声を上げて仰け反る。
イザークは何事も無かったように頷き、口を開く。
「香油代は足りたか?」
どうやら、イザークが外套のポケットに入れてくれたらしい。
「うん、ありがとう。でも、できれば一言欲しかったな」
志希の言葉にそうかとイザークは返事をして、カズヤと受付を見る。
「いや、驚いた。ハーフアルフか?」
男の問いかけに、志希は小首を傾げる。
「人間だよ、珍しい色だけど」
カズヤは慌てて男にそう言って、志希の所に駆け寄る。
「なんで帽子かぶってねぇンだよ」
「いやだって、何時までも被って隠すもんでもないでしょ。売り場の人にはバッチリ見られてるんだし」
志希の言葉は正論で、カズヤは思わず詰まる。
「そうだ、お風呂代と香油代は出世払いで良いかな? 何時までも、甘えっぱなしはないでしょ?」
志希の言葉にカズヤは肩を竦め、イザークは無言で頷く。
「それじゃ、宿に戻らない? クルトさん達が戻ってるかもしれないし、お腹空いた」
志希の一言に、そう言えばとカズヤがお腹を押さえる。
「朝から何も食ってねぇな」
カズヤの言葉に志希は頷き、イザークを見上げる。
「そうだな」
イザークはあっさり同意したことで、三人は歩き出す。
帰り道を歩いている時、志希が余所見をしない様にとカズヤはしっかりとガードしつつ歩く。
イザークも、それと無く余所見をしそうな時には声をかけて注意を引きもどして歩かせていた。
志希はなんとなく、子供扱いされている様な気がするのだが文句を言うのも大人気ない。
大人しく二人に挟まれて、志希は宿への道を歩く。
その間終始無言だが、カズヤがちらちらと此方を見るのを感じていた。
何がそんなに気になるのかとは思うが、問いかけて藪蛇になるような事態は避けたいので黙って歩く。
そんな志希の様子に気が付いたのか、イザークが口を開く。
「どうやら、カズヤはシキが気になる様だな」
イザークの言葉に、志希は思わず彼を見上げる。
余計な事をと言う意思を込めて見れば、イザークは小さく笑う。
「シキが先程から気になっているのか、そわそわしているぞ」
イザークの指摘に、カズヤはああと声を上げる。
「悪い悪い。オレらみたいなあっさり顔だと、あんまりこの色似合わねぇんじゃねぇかと思ってたんだが……不思議と似合ってるんだよなぁ」
失礼なカズヤの言葉に志希は一瞬ムッとするが、自分が鏡を見た時の事を思い出して首を傾げる。
「そう言えば、そうだよねぇ」
藪蛇を恐れていたが、そうではない不思議な事を教えられて志希は思わず考え込む。
[『神凪の鳥』と言うモノが銀髪金目であるのなら、それになった志希が似合わないという道理はなかろう]
イザークが日本語で、自身の見解を述べる。
大通りで話す内容ではないと判断したからなのであろうが、突然言葉が変わった事に一瞬驚いてしまう志希。
しかし、カズヤは特に動じた様子も見せずに成程と頷く。
[ああ、そりゃ確かにそうだ。日本人なのに黒髪黒目が似合わないとか、違和感を覚えるとかはねぇだろ。アジアのそういう人種でも、大概黒髪黒目が似合わないとかないからなぁ]
後からなったものであろうとも、種族として似合わない事はないと二人は納得している。
[その割に、私の顔ってあんまり変わってないと思うんだけどなぁ……]
志希の呟きに、ふむとイザークが唸る。
[それは、知らぬ間に志希自身の認識を変えられていたのではないのか? それか、自分の顔だと認識する程度の変化なのか。肉体が変わっているのであれば、顔が変わっていてもおかしくはなかろう]
イザークの言葉に、志希は目眩を覚える。
「成程……それは、その通りだわ」
考えもつかなかったと、志希は思わず呟いてしまう。
「大丈夫か?」
カズヤは、顔色が悪くなった志希に問いかける。
「あ、うん。大丈夫。ちょっと、思いもよらない事言われたので目から鱗って感じなだけだから」
そう答えて、志希は歩きながら気を押さえようと胸に手を当てる。
彼女のその仕草に、イザークは不意に二人から離れる。
「おい、イザーク」
カズヤが驚いて声を上げるが、イザークは足早に道の端に露店を開いている果物屋へと向かって行く。
店主らしい女性と何か話をしてから、果物を三つほど手にして戻ってくる。
「プルの実だ、甘いぞ」
そう言いながら手渡してきた果物は、志希が森で木の精霊から貰ったリンゴと同じものだった。
「リンゴじゃないの?」
志希の思わず出た言葉に、カズヤが頷く。
「ああ、こっちではプルの実だ。知らねぇのか?」
カズヤの問いかけに、志希は頷きかけてああと声をかける。
「そうだ、うん。そうだよね」
志希は何度も頷き、納得した様子を見せている。
「経験が伴わない知識は、身に着くまでに時間がかかるって事かぁ」
志希は思わずと言った様にぼやき、小さく頭を振る。
その仕草に、イザークとカズヤは訝し気に志希を見る。
「気にしないで。それより、ありがとう」
志希はイザークに礼を言って、皮を袖で拭いてから齧り付く。
「甘い、美味しい」
口に広がる甘酸っぱさに思わず頬を緩める志希に、イザークは何処か安心したように眼を和ませて自身のプルの実に齧り付いた。