第百五話
風の精霊の力添えで、それほど体力を消耗する事なく何とか王城前にたどり着いた五人は開け放たれている門扉を見上げる。
本来なら締め切られていてしかるべきその門が、何故開いているのかは想像に難くない。
「……私達を、招いているのね」
ミリアは悔しげに呟き、拳を握る。
結界に穴をあけた時点で、術者であるヴァンパイアロードには結界内に進入者がいる事に気が付いているはずだ。
だというのに迎撃するどころか、招き入れるような真似をしている。
「人の抗いを楽しんでいるようにも思えて、不快ですね」
アリアは不愉快だという声音を隠しもせず呟き、杖をきつく握る。
「まぁ、舐めてるんだろうよ。魔神に近い、伝説の化け物様だからな」
おどけた様に言いながら肩を竦め、カズヤは笑う。
「でもまぁ、舐めてるやつに痛い目を見せてやろうぜ。大口を叩いてる自覚はあるけどよ、それでも……ここ一番って時に物を言うのは気の持ちようだ。呑まれて今までのような動きが出来なけりゃ、そこで終わる」
カズヤの言葉にイザークはふっと笑い、彼の頭をくしゃりと撫でる。
「おいっ!?」
「言うようになったな」
カズヤが冒険者になった頃から共にいるイザークの言葉に、カズヤは若干恥ずかしそうな表情を浮かべて口を尖らす。
「お前がいつも、オレに口を酸っぱくして言ってた言葉じゃねぇか。で、実際そうだと実感してる。なら、後輩にいい教訓を伝えていかねぇと駄目だろ」
拗ねたような物言いにイザークは笑みを深め、そうだなと頷く。
どこか緊張感がないこのやり取りで、ミリアもアリアも肩に入っていた力が抜ける。
同じように、志希もまた緊張が少し解れほっと息を吐く事が出来た。
少しだけ持てた余裕で、そっと周囲を見回す志希。
立派であった門扉には建国の神話の一部が彫られているようだったが、赤黒く穢されているうえにエルシル神の姿を無残に打ち砕かれている。
まるで子供が悪戯で壊したかのようなその様相に、志希は眉を潜めてしまう。
志希以上に不快であろうミリアはしかし、冷静に門扉から視線を外す。
「とりあえず、いつまでもここに居ても仕方ないわ。先行して、結界の基点を探しましょう」
ミリアはそう言って、一同を見回す。
「ああ、構わないぜ」
「もちろんです」
「後続を待っている暇はない」
「そうだね。急ぐべきだよ、街の人達の為にも」
志希は真っ直ぐにミリアを見て言い、言葉を受けたミリアは志希が誰にも何も言わず、街の様子を精霊で探ってきていてくれた事に気が付き目を瞠る。
街の事を知りたいと言い出したいだろうに、ミリアはそれを押さえ別の言葉を口にする。
「なら、行きましょう。多分、結界の基点となりえる場所は王の儀式場である謁見の間の辺りだと思うわ」
「そうですね……玉座に法力を貯め、王都を守るための大儀式が出来るように設計されていましたしね」
アリアは幼いころ見ただけの謁見の間を脳裏に浮かべ、ミリアの推測を確信へと近づける。
むしろ、大規模な儀式場として機能する場所を、みすみす遊ばせておくことなどしないだろう。
そうアリアが確信した瞬間、最も重要な事を思い出し先頭を歩こうとするミリアとカズヤを呼び止める。
「ちょっと待ってください。もし儀式場を使用しているんでしたら、拙いかも知れません」
「何がだ?」
カズヤが訝し気に問いかけると、アリアは話す事を纏めるために間を置いてから口を開く。
「儀式場を使用して結界を張っているとしたら、基点の他に結界を増強するための陣も使用している可能性があります。その陣を使用していた場合、結界の基点を崩すのが非常に難しくなります」
「……結界の基点を守る何かがあるの?」
志希の問いに、アリアは頷く。
「はい。たしか、儀式場を守る為に強力な障壁が張られ、余程の魔術でなければ穴すら開けられないとかつてこちらの学院で伺いました」
アリアの発言に、イザークは眉を潜める。
「増強陣とやらが、結界の効果を上げつつ基点を守っているという事か。数はいくつだ?」
「陣の数は三つ。儀式場を中心に配し、正三角形に配置されているはずです」
「……そう」
アリアの詳し説明にミリアは頷き、悩ましい現状にきりっと唇を噛む。
今の情報は、他のパーティにも伝えた方が良い事は間違いない。
結界の基点を壊しに来ているのだから、誰かが基点にたどり着いても手も足も出ない状況は困るのだ。
「もっと早く、思い出すべきだったわ」
重要な情報なのだから、突入する前に他の聖人達にも教えなくてはいけない物であったのだ。
同じように、アリアも悔やんでいる。
だが、彼女は直ぐに思考を切り替える。
「前言撤回します。一度、他のパーティの人達と合流するべきです」
アリアの提案にミリアの眉根が寄るが、直ぐに頷く。
気持ちが逸っているのであろうことは見て取れるが、それでも理性が働いているのだろう。
ここで反対しても、結局は他のパーティと合流しなくてはならないのだ。
「でも、どうやって他のパーティと合流するつもり? この結界内では、使い魔を使うのは無理よ」
生物である以上、この瘴気の中では生きて活動するのが難しい。
それならばと、志希は手を上げる。
「私が行く。精神体になるから皆に負担を掛けるけど、他のパーティの人達とどこで合流すればいいのかを指示できるし」
「シキ自ら行くのはやめておけ。不測の事態があった場合、立て直しに時間を要する事になる」
志希の提案を、イザークはバッサリと切る。
精神体の時に精神攻撃を食らえば大ダメージを食らう。それは以前、バンシーと遭遇した時に経験した事だ。
「アンデッドがこんだけいるなら、バンシーがいる可能性もあるって事か」
「そうだ」
カズヤの言葉に志希は反論しようとして言葉に詰まり、悄然と黙り込む。
イザークの心配は杞憂ではないと言い切れないし、合流するのを急ぐのであれば下手を打つわけにはいかない。
ここ一番という時に役に立たない自分に苛立ちを感じていると、アリアが宥める様に志希の背中を撫でながら代案を提示する。
「それなら精霊に伝言をお願いしてはいかがでしょう? もちろん、最初に飛ばすのは事情を知っているクルトさんからです。後は、クルトさんの指示に従って他のパーティにも精霊による伝言をお願いすればいいと思います」
そうすれば、後々困った時にクルトが仲間と連携して志希の異能を誤魔化す事が出来るだろう。
アリアはそう言う考えを含めた案を、皆に提示する。
クルトにかなりの負担をかけてしまうが、今は他パーティに変な疑念を持たれ無い様にするのが先決だ。
志希が信頼できないとこの作戦から他のパーティが外れてしまえば、かなり厳しい状況になってしまう。
それを懸念しているのが読み取れる代案に、志希は迷惑をかけていると気持ちが少し沈んでしまう。
「それで行くべきね。今は様々な事に気を取られているべきではないし、できる事をしていかなくてはいけないわ」
ミリアはアリアの案に頷き、志希を見る。
彼女の言葉は厳しいが、事実その通りだ。
志希はミリアの言葉に頷き、気持ちを立て直してからチョーカーの宝珠を指先で撫でる。
〈風の精霊にお願い。クルトを探して、一旦合流したいって伝言してからここまで案内して欲しい〉
クルトの姿を思い浮かべながら精霊語で告げると、チョーカーの宝珠からふわりと風の精霊が現れ笑顔で志希の頬に口づけし、素早く外へと飛んでいく。
それを見送りながら、志希は嘆息を零す。
「精霊がもう少し長い伝言を覚えられるか、声を長距離に居る人だけに届ける事が出来ればいいんだけどなぁ」
「ない物ねだりをしても仕方が無いわ。それよりも、今は……」
ミリアは志希の願望をばっさりと切り捨てつつ、周囲を見回す。
王城の広い廊下は、生物どころか死者達が動いているような気配もない。
「どのあたりで合流をするべきか、というところね。ここは王城の正門へと続く廊下だけれど、他のパーティがどこから来るか全くわからないし」
「精霊は私を目印にするからいいと思うけど……分かりやすい所にいた方が良いと思う」
志希の言葉に確かにと頷くミリアを見て、カズヤが提案する。
「この辺の壁を背にして待とうぜ。ついでに、休憩を取るでもいいんじゃねぇ?」
「そうね……しびれを切らして相手が襲ってくるかもしれない事を考えたら先に行った方が良いような気もするけど、仕方が無いわよね」
嘆息しつつ、ミリアは聖印を握って聖女の加護を強める。
城内ではあるが、結界の効力は有効だ。
生きた者の生命力を吸い上げ、衰弱させるそれをミリアの加護でもって遮断しているのである。
簡易的に結界を張ってもいいのだが、それをするとここに居ると敵に声高に宣伝するようなものになってしまう。なので、控えざるを得ないのだ。
カズヤが壁に何の仕掛けもない事を確認してから、アリアが魔法的な罠が無いのを調べてやっと全員が背中を預ける。
志希はついそのままペタリと座り込み、深い溜息を吐き出してしまう。
気を張り続けるのは難しく、一息付ける時にはつい気だけではなく体も緩めてしまうのだ。
そんな志希にミリアとアリアもクスリと笑い、次いで隣に腰を落とす。
集中するのも、気を張り続けるのも限界だ。特に、ミリアは結界の瘴気から全員を守っている。誰よりも疲れているはずなのだ。
志希はそっとミリアを伺うと、彼女は微笑みを浮かべて小首をかしげる。
あまり負担になっていない様子にホッと安堵の息を零すと、ミリアの横にカズヤが立ち声をかける。
「少し水でも飲んで、しっかりと休んで置けよ。ミリアが一番疲れてるはずだからな」
「あまり疲れているような感じではないけれど、了解よ。少し、喉が渇いてきたところだし」
そう言いながら、ミリアは荷物から水袋を取り出し口を付ける。
喉と唇を湿らせる程度の水を含んだミリアは水袋を荷物にしまい、小さく溜息を吐く。
ミリア自身が気が付かなかった疲労が、思わず零れたかのような感じだ。
彼女が疲れているのを見抜けなかった己に若干落ち込むが、すぐにそんな場合ではないと志希は自分に気合を入れる。
それに、ミリアとて志希に指摘されるよりもカズヤに指摘される方が良い事なはずだ。ほんの少しだけ言葉を交わしているだけなのに、ミリアの疲れを癒して気持ちまで上向きにしているのだから。
志希はミリアに倣って水を飲み、壁に頭を付けて目を閉じる。
クルトからの返事が来るまでの間、全身の疲れを少しでも取れるようにとリラックスする為だ。
精霊たちは周囲を飛び回り、彼女の代わりに周囲を警戒している。何かがあれば直ぐにでも知らせてくれるようになって居るのだから、無駄に緊張して疲れるのは得策ではない。
ほんの僅かな休憩に、志希は精神と体を休ませようと努力をするのであった。