第百四話
志希は間近に犇めき、結界をひっかくリビングデッド達を顔を顰めながら見ている。
これだけのリビングデッドがいる以上、聖水を使っても触れる事で認識されるため役に立たない。
真正面から、堂々と姿を晒して来いと言う相手側の要求が透けて見えるほどだ。
加護の増幅で邪悪なる結界の効果を軽減できるとはいえ、この数のリビングデッドを戦いながら移動するのは辛い。
それ故、最初の一撃は真っ直ぐに道を作る為のモノだ。
聖結界を張り邪悪な結界を中和する司祭たちの他に、数人の魔術師が待機している。
彼らは塔の学院の者で、本来であれば内乱に近い今回の戦に参加するようなことはない。
だがしかし、国を乗っ取ろうとしているのが魔神に近いヴァンパイアであると聞き、重たい腰を上げたのだ。
最初はヴァンパイアロードに関して懐疑的ではあったが、書き写したミリアの花嫁の印とイザークが以前説明した方便で納得したのだ。
旧く、その存在自体が長く秘匿されていたのであれば知られていないのも仕方なし。
そう結論を出したフェリクスの領内で最も位の高い導師が、協力を確約してくれたのだ。
今は、その導師を筆頭に腕がよく、戦闘経験のある魔術師が聖王都内に突入するパーティのサポートをする事になっていた。
突入するのは四つのパーティで、そのうち一つが志希達である。
ベレントを擁するクルト達のパーティが東から、エルロイを擁する冒険者とフェリクス配下の騎士たちの混合パーティは西から。そして、マリール村で出会ったアントンを擁するバランたちのパーティは北側からだ。
彼らはそれぞれ二人組が組んだだけの即席の四人パーティだったが、マリール村の事件の後に魔術師と戦士の二人を向かい入れ、正式にパーティを組んだのだそうだ。
到着した彼らの説明に、アントンが共にいるのに慣れている仲間達と突入できる事に安堵した。
エルロイは使命があるため、正義感の強いフェリクスの騎士と気が合ったのだろう。冒険者の方とはやや距離があるが、彼らは仕事をしっかりする者達だとイザークが選んだ人物なので間違いはないだろう。
何より、エルロイ自身が己の役割をしっかりと理解しているので間違える事はないはずだ。
実戦は、マリール村でのアンデッドの群れ相手に経験している。
腰が引ける事などなく、しっかりと戦えるだろう。
志希よりは腕の立つ戦士なのだから、その辺りの懸念はない。
それよりも不安なのは、ヴァンパイア・ロードとの戦闘だ。
ミリアは幼い頃、下位の攻撃法術で僅かとはいえヴァンパイア・ロードを害す事が出来ていた。
他の神々が擁する聖の中でも、ミリアの加護は抜きんでて強い物である事は間違いない。
でなければ、ヴァンパイア・ロードの証を受けてなお聖の加護を発揮し続ける事などできはしないだろう。
それが成長した今ならば、対等とは言い難くも如何にかする事が出来るはずなのだ。
だが、それはミリアの加護が十全に発揮されていればの話だ。
ミリアの聖は、おそらく彼女自身の問題によってその力が制限されている状態なのだろう。
それを如何にかしない限り、負ける公算の方が高い。
志希には何となく問題は見えているが、それを口にしたところでミリアにとっては害にしかならないだろう。
彼女自身が気が付き、そして本当の意味で理解しなければいけない事なのだから。
カズヤと二人きりにした後に、僅かにミリアの聖の加護が力を取り戻していたがそれだけでは弱い。
時間をかければおそらくそこそこの状態までは持って行けるが、その時間自体がない。
どうすればいいのだろう、自身にできる事は何だろう。そう己に問いかけている志希に、不意に声がかけられる。
「目の前の事に集中しろ」
静かなイザークの言葉に、志希ははっと息を飲む。
これから突入するというのに、先の心配ばかりしていても意味はない。
まして、自分の手が届く範囲の事ではないのだ。
ミリア自身が気が付かなければ意味がない。
そう理解しているのだから、自分ができる事はただ彼女が気がつけるようにと祈るしかないのだ。
既に突入するための準備は整っており、土壇場でのミリアに期待をするしかない。
もどかしい思いを呑み込み、志希は緊張している神官と魔術師たちに目を移す。
魔術師たちの役割は、魔術で障害を排除して城門までの道を作ることだ。
通常の魔術では届かない為、これから結界中和の儀式をする神官たちと同様に、魔術師たちも詠唱を重ねて術を強化する手筈となっている。
ゆるり、と中央で結界の基点となる法術の高い司教が口を開く。
「慈悲深き、大地の女神エルシルよ」
「大気に宿りし魔力よ」
司教の詠唱から数泊遅れてから、多重詠唱の起点となる魔術師が韻を踏みながら魔術を構築していく。
魔術師と神官達はそれぞれ己が上に立つ者達に続き、詠唱を始める。
それぞれが全く違う韻を踏んでいるのだというのに、まるでそれ自体が一つの歌のように聞こえてくる。
しかし、歌の片方がふわりと余韻をもって終わる。
後は、力ある言葉を唱えるだけでよい状態だ。
紫色のローブを着た魔術師は拳よりもやや小さい水晶が付いた杖を構え、司教を見る。
司教はその視線を受け、ゆっくりと最後の祈りの言葉を口にする。
「エルシルの加護よ、あれ!」
場に満ちた法力が、明確な形をとる。
目の前にある邪悪なる結界と重なるように緑の結界を張り、人間が二人ほど通れる穴を作り出す。
同時に、その穴めがけて魔術師は杖を振る。
「奔れ! 雷光!」
振りぬかれた杖の先、水晶から轟音と共に太い白雷が迸り中へと侵入してこようとしていたアンデッドを一瞬で蒸発させる。
光の帯は城門まで一直線に伸び、一筋の道を作る。
雷光が消えた瞬間、結界の穴の向こう、城門めがけて志希達は一斉に走り出す。
「風よ! 風の乙女よお願い! 私達と同じようにアンデッドの中を駆ける皆に祝福を!」
志希は叫び、この道が消える前に城門へたどり着く事が出来るようにと風の精霊に願う。
精霊たちは歓喜し、志希の願いを聞き届ける。
風を纏った体は一歩地面を蹴るごとに、飛ぶように前へと進む事が出来る。
唐突な変化であったが、全員戸惑う事無く魔術師たちが開いた道を駆け抜ける。
後ろから聞こえる呻き声は、おそらくアンデッド達が開いた穴へと殺到しているからだろう。
しかし、志希達は振り返る事も、アンデッド達に攻撃を仕掛ける事も無くただただ走る。
今はただ、王都へと入る事だけを考えるべきなのだ。
だが、聖女であるミリアにはそれが難しいのか、僅かに足運びが鈍い。
そんなミリアの後ろ髪を引かれる想いを感じ取ったのか、カズヤが横に並んで叱咤する。
「ミリア、走れ! 立ち止まる方が、あいつらの迷惑だ!」
「分かっているけど……!」
「役目を果たす方が先決だ。何のために、オレ達は走ってると思ってるんだ!?」
カズヤのきつい言葉にミリアはぐっと詰まり、しかし口を閉ざして先ほどより力強く地面を蹴る。
役目がある以上、惑ってはいけない。
そう言われたミリアは、真っ直ぐに城門を目指す。
そうして城門にたどり着いた彼らは、しかしそこで足を止めてしまう。
麗しの聖王都、白亜の聖都と言われたミシェイレイラの王都が、予想以上に濃い瘴気に覆われていたからだ。
白かったはずの壁は煤け、血のような、泥の様なものでべったりと汚されている。
「そんな……」
小さく呟くのは、アリアだ。
血の気の引いた顔で、周囲を見回す。
おそらく、二人が知っている王都とあまりにも違う姿に、本当に王都であるのかという思いが強いのだろう。
「……生存者の確認は、後回しだ。王城へ行くぞ」
アリアとミリアの内心は分かるが、足を止めている場合ではない。
イザークはそう言って、二人を見る。
顔色が悪い二人は彼の言葉に怒りに顔を染め、しかし直ぐに表情を改める。
「感情的になって、やるべき事を忘れてはいけませんね……」
アリアは唇を震わせ、呟く。
その呟きにミリアは頷き、それでもとそっと手を合わせる。
「エルシル様。どうか、どうか……ご加護を」
この王都の中で生きているであろう正常な人に、加護があって欲しいとミリアは祈る。
しかし、直ぐに凛と前を向き、ミリアは王城を見上げる。
「ええ、行くわ。この王都を、わたしとアリアが知る王都に戻す為に」
強い声音でミリアは宣言し、駆け出す。
志希も慌ててその背中を追いかけながら、精霊たちに思念で街の様子を探ってもらう。
急いでいるのは分かるが、生存者がいるかどうかが気になるのだ。
死者の街と言っても過言ではない、生気がほとんどない街中で志希達よりも東の方の一角。そこに、巨大な聖結界が張られているのに気が付いた。
様々な色が混じっているところを見ると、崇める神が違う神官たちが協力して張ったものなのだろう。
そしてその結界の中心である建物には、冒険者ギルドの看板が掛けられていた。
結界の周辺には動かないアンデッドや、結界に取り付くアンデッドの集団などがいる。
おそらく、これのおかげで街中のアンデッド達に気が付かれず王城へと移動する事が出来るのだろう。
志希はとっさに口を開きかけて、やめる。
この結界を如何にかしない限り、アンデッド達を駆逐する事はできない。
何よりも、この国の兵士の鎧を着たアンデッドの中に、一般人らしき普通の服を着たアンデッドもいるのだ。
この結界内で死ねば、強制的にそのような姿にされてしまうのは想像に難くない。ならば、そのアンデッドを作り出す原因である結界を如何にかする方が大事だ。
それでも志希は、救援が来ている事を教えてほしいと誰にともなく祈る。
冒険者ギルドと、その周辺の建物の中にどれほどの人がいるかはわからない。
けれど、微かではあるけれど希望はあるのだと元気づけたかった。