第百二話
カズヤが張った中規模の天幕に志希達は入り、腰を落ち着けていた。
車座になり、志希が精霊に願い声が外に漏れぬようにするのと同時にアリアが口火を切る。
「シキさんなら、既にあの結界に関する知識を得ていますよね?」
「うん、あの結界は生きた物が触れるとその生命力を吸い上げ瀕死にまで追い込む事が出来る結界。ヴァンパイアロードだけじゃなく、魔神やそれに準ずる魔物であるならば習得する事が可能な魔術だよ」
志希の説明に、ミリアは問う。
「あの結界を解除する方法は?」
「中心にあるであろう基点を潰さないと解除できないから、結界に穴を開けないといけない。穴を開ける為には聖女・聖人、それに準ずる法力の強い聖職者が複数人いないと無理」
志希の返事に、ミリアは渋面を浮かべる。
イザークは目を細め、口を開く。
「穴を開ける為に儀式が必要と言う事か?」
「そう。結界のすぐ側で強力な正反対の性質を持つ結界を張って中和し、穴を開けるの。そして、その穴を通って中へと入り基点を潰す。地面の中にもこの結界は通ってるから、凄く厄介な結界だよ」
以前の様に、結界の際で地面に穴を掘って入り込むという手段は潰されている。
ヴァンパイアロードが張った結界は大地をも穢し、衰えさせる恐ろしく忌まわしい力を持ったものなのだ。
この結界に穴を開けるという行為自体が、かなりの難易度だと予想される。
「確かに、厄介だな。穴を開けるっつーことは、こっちだけじゃなく向こうもこっちへとなだれ込む事が出来るんだろ? 結界の基点が露わになってる分、こっちがすげぇ不利じゃねぇか」
カズヤはそう言って、腕を組む。
「そうね……そうなると、護衛の人間も必要になる。結界の規模も大きくしなくちゃいけない」
「カズヤさんの言う通り、かなり不利ではあります。でも、できるだけ穴を小さくして侵入する敵の数を減らすという事も出来るのではありませんか?」
ミリアの呟きに、アリアはそう提案する。
だがしかし、イザークはゆるく頭を振りその提案に否を唱える。
「そもそも、何故結界に穴を開けるのか忘れたのか?」
「あっ……その通りですね」
アリアは眉根を寄せ、何とも言えない表情を浮かべる。しかし、直ぐに表情を改め問いかける。
「けれど、あの数のリビングデッドの中をどうやって突破するのですか? ある程度数を減らして、中へ突入するのが一番良いのでは?」
「それもありっちゃありかもしれねぇが……」
カズヤはアリアの提案に腕を組み、唸る。
結界内をひしめく様に蠢いているアンデッド達を突破するなど、かなり難しい。
そして、もう一つ問題があるとカズヤは眉をひそめて口を開く。
「結界の基点がどんなもんかもわかんねぇし、潰し方に規則性があった場合はかなり苦労するだろうしなぁ」
「かなり大規模だから不安があると思うけど、その辺も大丈夫。結界の基点は必ず中心にあって、魔法陣を描いてあるから。潰し方は普通の結界と同様だけど、触媒がある場合はそれを先に取り外すなり浄化するなりして消してしまえば、結界自体は消え去るよ」
志希は結界に関する事柄だけを述べてから、皆の顔を見回す。
正直、戦略などに関しては志希の知識ではどうにもできない。
通り一辺倒な知識は引き出す事は出来たとしても戦術や戦略は水物に近く、経験とセンスが無ければ運用自体が難しい。
志希にはそんな経験もなければ、センスもないのだ。
思い付きで提案を言う事はあっても、それ以上の言動をしないのはそう言う理由である。
だが不意に、志希は喉に小骨が引っ掛かっているような不快な心持ちになる。
何かを出し忘れている。
そんな感覚に眉根を寄せて、口を開く。
「なんか、十分な知識が出てない気がする。あの集団を突破する打開策があったはずなんだけど……」
ど忘れをしている気がすると呟くと、アリアとミリアが小首を傾げる。
「今でも十分ではあるとは、思うのだけれど……?」
「はい、わたしもそう思います。ただ……聖人や聖女、そしてそれに準ずる法力を持つ聖職者を探さなくてはいけないというのは、現状ではかなりの難題がありますが」
アリアが肩を竦めて苦笑しつついうと、志希はポンと手を打つ。
「ありがとうアリア、どうして聖人、聖女が必要なのかを説明し忘れていたんだ!」
うんうんと頷き、志希は笑顔でアリアにお礼を言ってから表情を改め説明を始める。
「あの結界は強力ではあるけれど、穴を開けるには聖人と聖女に準ずる法力を持つ人たちで良いんだ。結界は聖職者を集めて儀式をすれば、力を強める事が出来るから。基点を潰す為に、聖人聖女の力が必要なんだ」
そこまで説明してから喉の渇きを覚え、志希は自身の荷物を手で引っ張り中から水袋を取り出す。
志希の行動でカズヤとアリアが慌ててお茶の準備を始めようと腰を浮かすが、彼女は手を上げてそれを制す。
「説明してからの方が、落ち着くと思うんだ。もう水袋出したし」
苦笑しながら言い添え、こくりと一口水を飲む。
それだけでは喉の渇きが癒えたとは言い難かったので、もう一口含みゆっくりと飲み込む。
本当は甘みのある飲み物が欲しいのだが、それは我儘だと分かっているので取り敢えず会議に必要な情報をしっかりと説明するのを優先する。
「あの結界内は厄介で、ほんの僅かずつ侵入者の体力を奪うんだよ。だから、それを防ぐために聖人と聖女が持つ加護の増幅が必要なんだ」
「加護の増幅?」
志希の言葉に、アリアがおうむ返しに問い返す。
「うん。ミリアのエルシル神の加護を、特定人数に一時的に貸し与えると言うべきかもしれない。ミリアは聖女としては最強の加護を持っているけれど、何かが邪魔していて弱体化してるから大人数は無理。せいぜい、私達に加護を掛ける位だね。で、今のミリアで普通の聖人や聖女の能力だからやっぱり数人いないと無理だとおもう」
「何故、複数必要になる?」
イザークの問いかけに、志希は間髪入れず応える。
「念の為ってやつかな」
志希の答えにイザークはそうかと頷き、ミリアは不快気に眉をひそめる。
今の答えでは、辿りつけないと言われているようなものに感じられたからだろう。
しかし、そのミリアが感じた物はカズヤが口にした言葉で霧散する。
「まぁ、念の為ってぇのは必要だな。おれ達の状況を考えたら、向こうが真っ先に潰しに来るのは確定だろうしよ」
大量のリビングデッドの群れを突破し、かつ基点を潰すために広い王城へと潜入する。
こんな難易度の高い作戦を、たった一組に託すなど無謀以外の何物でもない。まして、結界内に侵入すれば結界の主には伝わるはずだ。
そうなれば、総力を挙げて潰しに来ることは想像に難くない。
ヴァンパイアロードが直接来るとは思えないが、敵の中でもそれなりに実力のあるヴァンパイアが襲ってくるのは確実なはずだ。
その敵に足止めをされてしまえば、その分だけ自軍の兵士たちが苦労する事になる。
ミリアの個人的感情としては自分が全てに決着をつけたいのだろうが、他にいる者達を犠牲にする可能性が高くなるような選択は出来ない。
「そうね……その通りだわ」
感情的にならない様に深呼吸をしてから、ミリアは頷く。苦々しい声音になってしまうのは、仕方のない事だろう。
アリアは姉のその様子に心配そうなそぶりを見せるが、直ぐに表情を改める。
ミリアの心情を慮ってばかりいては、話が進まない。
何よりも最優先するべきは国を悪しき者達から解放し、国民の安寧を取り戻す事なのだ。
「では、とりあえずフェリクス様に軍の中にいる聖職者の方々と、組んでいるであろう人達を集めていただきましょう。このままわたし達だけで話し合いをしていても、良い案は浮かばないかと思います。それでしたら、やれる事を先にやるべきだとわたしは思います」
アリアの強い言葉に、ミリアはゆっくりと頷く。
「アリアの案に、賛成だわ。フェリクス様に負担ばかり押し付けてしまうけれど」
「役割分担だぜ、ミリア。オレ達ではできねぇことをあいつがやれるってだけの事だ。オレ達にしかできねぇ事は、あいつも任せて来てるだろ」
若干不機嫌そうにミリアの言葉にそう反論し、カズヤはさてと腰を上げようとする。
しかし、それに先んじてアリアが立ち上がる。
「それじゃ、わたしはシキさんのしてくれた説明をフェリクス様にしてきます。後をお願いしますね」
有無を言わせずアリアは杖を持ってすたすたと、天幕を出て行く。
イザークもまた、大剣を持って志希を促す。
「え?」
「軽く稽古をつける。今の体裁きでは、まだ少し不安があるからな」
「あ、うん。わかった」
志希は頷き、長棍を持って立ち上がる。
「おい、それならオレも……」
「いや、お前は天幕を張る仕事もしている。それに……ミリアを訪ねて変な輩が来るやもしれん、休憩を兼ねて護衛していろ」
イザークはそう言って、大剣を背負いすっくと立ってさっさと外へと出てしまう。
志希は何故いきなりこんな展開に、と思いながらもイザークの後を追って出口の幕をめくり、振り返る。
「カズヤも疲れてるだろうし、ミリアと一緒にゆっくり休憩してね。ほら、ミリアも総大将としてずーっと気を張ってるから、疲れてるだろうしね」
「そ、そんなに疲れてなんかいないのだけれど……そう見えるのかしら?」
「まぁ、確かに疲れてるしな。また会議の呼び出しが来るまで、ミリアを労わってるぜ」
志希の言葉にミリアとカズヤは苦笑しつつも頷き、手を振る。
軽くとはいえイザークの特訓をこれから受ける志希に同情しているのだろう。
ひきつった笑みを浮かべて志希は手を振り返し、天幕を出る。直ぐ側で待っていたイザークは、志希が来たのを見て陣の外を向いて歩き出す。
「しかし、聖人や聖女が必要とはずいぶん無茶な話だ」
「そう思うけど……そう言う性質のモノだから仕方ないと思う」
イザークの言葉に、志希はそう返す。
この聖都に進軍している間も各地の力ある聖職者や冒険者たちが合流し、聖女軍はかなりの人数に膨れ上がっている。
それは、陣を張って足を止めている現在でも戦う事を決めて合流してくる者達が居る状態だ。
しかし、大規模な聖女軍の中に聖人や聖女がいるかと言うと、皆無である可能性が高い。
聖人や聖女と言う存在は、神々が気に入り加護を与えた存在だ。
彼らのそれまでの行いや志によって増した魂の輝きを、神々が魅了されて加護を与えるのだ。
そして、そう言う存在は一握りと言っても過言ではない。
生まれつき加護を得る魂は神々が気に入る輝きを放っているか、神々の苑にいるかつての聖人や聖女が転生した魂である。
もっとも、神々が気に入る魂はそうそう生まれる事は無いし、神々の苑に居る聖人・聖女の魂が転生する事は殆どない。
だからこそ、生まれついての聖人・聖女は稀有な存在なのである。
その稀有な存在であるミリアがいるだけでも奇跡的であるが、更に結界に包まれたミシェイレイラと言う国内に聖職者の中で一握り程度しかいないであろう聖人・聖女が居る可能性など零に近い。
だがそれでも、居てくれなければこちらが苦労する事になるのだ。
何もかもをミリア一人に背負わせるのは本意ではないと、全員が思っているのだ。
それでなくともミリアは自身が聖女としての力を発揮していない事を気にしており、悩んでいる。
無論、そこいらの神官よりもかなり高い法力を持っている。だがしかし、それだけでしかない状態だ。
法力が高く、普通の神官のよりも数段上の法術を操る事が出来る。それは、修行すれば至れる場所だ。
聖と付く者達は、そことは次元の違う法術を扱う事が出来る。
その一つが他者に対する加護の付与なのだが、ミリアの本来の力であれば一軍に付与を施す事が出来るはずなのだ。
精神的なものが何らかの障害になっているのはわかっていても、それを如何にかできるほど互いに気を許しているわけではない。
それ以上に、ミリア自身が乗り越えるべき試練なのだ。
志希が出来る事は、皆無と言っていい。
「……凄く確率が低くても聖人とか聖女とか他に二人居てくれると嬉しいし、三人くらいいてくれると助かるんだけどなぁ」
「国内にそれだけの聖が居れば、ミシェイレイラはここまで酷い事に放っていないだろう」
イザークの突込みに、志希は嘆息交じりに頷く。
「うん、そうなんだけどね。やっぱりね、居てくれると助かるっていう気持ちが強いの」
正直、アンデットの群れに五人で飛び込むなど狂気の沙汰だ。
襲ってくるであろう敵の事を考えても、どうしたって数の暴力に押される事は想像に難くない。
膠着状態になれば、それだけこのミシェイレイラと言う国の存亡自体が危うくなる。
色々な難題に思いを馳せていると、イザークに頭をやや乱暴に撫でられる。
何事かと顔を上げて彼を見ると、金の目をやや和ませて口を開く。
「まだ探してもいない事で、気を揉んでいても仕方あるまい」
無茶な注文である事は確かではあるが、今から後ろを向いていても士気が下がるだけで良い事は無いと諭され、志希は頷く。
これから探して、いなかったらその時にどうするべきかを考えればいいのだ。
志希はこくりと頷いてから、改めてこれから始まる訓練へと気を引き締める。
軽くとはいえこれから訓練するのだから、気持ちを切り替えなくてはいけない。
明日に疲れが残らないように配慮をしてくれるだろうけれど、それに甘えていては成長は無い。
気合を入れ、志希はイザークが見繕ったのであろう空き地へと力強く足を踏み入れるのであった。