第百話
どうしてこうなった、などと考えながら志希は目の前の光景を眺める。
広々とした平原に展開される、かなりの数の兵士。
だが、志希の目にはその兵士の殆どからは生命の精霊が見えない。遠い目をして現実逃避をしてしまうのは、仕方が無いだろう。
目の前に展開されている陣形はただ幅広く敷かれており、人数差で囲い込む事を目的としているのが見える。
そもそもの発端は、昨日唐突に訪れた使者と名乗る人物であった。
ファシス辺境伯の使者が述べた口上は、ミリアを偽の聖女だと断じミリアを旗頭にしている軍勢を反乱軍と言い放った。
偽の聖女ミリアを引き渡し、反乱軍は投降せよと勧告した使者に対しフェリクスはきっぱりと要求を跳ね除けた。
これにより、ファシス軍と大規模なぶつかり合いになる事が決定したのだ。
そして、軍としての形式をとらなくてはならないと言う事で、フェリクスが半ば以上強引にパーティの中に入ってきた。
最初こそ自身の身すら守れない貴族が来ては困るとイザークが手加減抜きで叩きのめしたのだが、根性を出してくらいついてくる為に認めざるを得なくなってしまった。
筋もいい、と言う事でイザークは微妙に気に入っているようだ。
そのフェリクスは、現在ミリアの隣ではなくアリアの隣に馬首を並べている。
カズヤとアリアがミリアを挟むようにして並んでいるのでそうせざるを得ないわけなのだが、それを不服とせず極めて真面目な表情を浮かべている。
志希は貴族であるフェリクスは、戦争後の事を見据えてミリアに何らかのアプローチをかけると予想していたのだが、全くその様子がない事に正直驚いていた。
もっとも、内乱の引き金を引いたも同然なのだから当り前の態度なのかもしれない。
今更ながら、志希はそんな事を考える。
「見るからに酷い事になっているわね」
強張った表情で、ミリアは呟く。
「何が酷い事になっているのですか?」
フェリクスが聞きとがめ、ミリアに問いかける。
アリアはそんなフェリクスに一瞬だけ睨み付けるような視線を流してから、ミリアを見る。
「姉さん、士気を上げるための演説をお願いします」
「……わたしが?」
嫌そうな表情を浮かべ、ミリアはアリアを見る。
「ミリアが総大将だから、仕方ないよ。それに、実戦経験のない司祭様達の士気を上げてもらわないと困る。あれだけの数のリビングデッド、相手にするの普通の冒険者でも辛いよ」
志希はそう、アリアの考えに自身の考えを上乗せする。
フェリクスは志希の言葉にぎょっとした表情を浮かべ、真正面を見る。
「そうね……アンデッドキラーでもない限り、霊気を纏うリビングデッドの軍勢と戦うなんてないものね」
ミリアは志希の言葉に頷き、どうするかと唸る。
「シキ、精霊にこちらの陣営全てに声を届けさせることは可能か?」
「できるよ」
イザークの問いかけに志希は答え、ミリアを見る。
カズヤ越しに志希を見たミリアは、頷く。
「シキ、お願いするわ」
「うん。頑張っていい演説してね」
志希は微笑み、ミリアの要請に従い精霊語で風の精霊に語り掛ける。
魔力が無くとも望みを叶える精霊達は、志希が同じ言葉で語りかけてくれるのが嬉しいと張り切って動き出す。
自身の願いが通った事に志希はミリアに合図を出すと、彼女は深呼吸をして口を開く。
「みなさん、聞こえていますか? わたしはミリエリア・アシェル・ミシェイレイラ。みなさんが聖女と慕ってくれる、今はただの冒険者です」
冒頭の言葉に、フェリクスが口を開こうとするがそれをアリアが体を挟む事で抑える。
下手な事を言えば、全軍の士気が下がってしまう。
何より、貴族代表としてフェリクスが傍についている以上、彼が下手な発言をすれば貴族側の冒険者や兵士が引いてしまいかねない。
ミリアはそんな二人の攻防を横目に見ながら、言葉をつづける。
「エルシル様よりの神託により、皆さんが集まってくださった事に心よりのお礼を言うと共に、お願いがあります。これから戦う敵は、アンデッドの軍勢です。エルシル神の信徒の殆どは、戦う事を苦手としております。ですので、彼らを守り不浄なる者たちを浄化する事が出来るようお力をお貸しください。死した後も苦痛を与えられる彼らを倒し、苦しみから解放する為に……そして、ミシェイレイラと言う国を邪なる者たちの手から守るために」
ミリアの心を込めた言葉を、反乱軍と烙印を押された者達は聞く。
そして、其の込められた愛国心と願いに歓声が上がる。
ミリアの名を呼び、聖女と称える声の洪水。
志希はとっさに耳を押さえ、耳鳴りを堪える。
その間にも、ミリアは演説を続ける。
「ですが、死に急がないでください。わたしが望むのはアンデッドたちに慈悲を与えて浄化し、正常な国を取り戻す事。命と引き換えなどと言う愚かな事はせず、皆で生きて邪な者達を退け進軍する。これこそが、わたし達に最も必要でありエルシル神の願いなのです」
柔らかな声音での願いに歓声はますます強く、そして大きくなる。
意図してなのかはわからないが、ミリアの嫋やかな声音は不意に力強い物へと変わる。
「戦が始まりますが、皆さんどうか生きて再びわたしと会ってください。わたしとエルシル様の願いを、忘れずに戦ってください。皆様にエルシル様の加護がありますよう、心から祈ります」
武運を、とは言わずミリアはエルシルに祈りを捧げ演説を締めくくる。
志希は演説が終わったと同時に精霊達に終了の合図を送り、労わりの言葉を精霊語で告げる。
それに喜ぶ精霊達を見ながら、小さく息を吐く。
エルシル神の神託で始まった戦なのだから、当たり前の事ではあるのだろうとは思う。だが、豊穣神に戦の事を祈るのは少々違う気もする志希。
細かい事を気にしても仕方が無いかと志希はすぐに頭を振り、前を見る。
先ほどまで響いていた歓声は既に止み、今は熱い緊張が漲っている。
「ミリエリア様、良い演説でした」
最初の段階で止めようとしていたフェリクスが、敬愛の表情を浮かべてミリアを見る。
アリアはそんな彼に対して相変わらずミリアを傍に寄らせない様にと警戒しながら、口を開く。
「ではなぜ、止めようとしたのですか?」
「それは、一介の冒険者と言う部分がよろしくなかったのです。ミリエリア様は既に聖女と認められているのですから、それを否定なさるような事を言われてはいけません」
「聖女と冒険者は、関係ないのでは? 貴族ではない、姫ではないという意味合いで言っているのは分かるはずです」
アリアは畳みかけるように言い、フェリクスを睨み付ける。
フェリクスはそんなアリアに苦笑を浮かべ、頭を下げる。
「申し訳ない、聖女であるという部分すら否定しているように聞こえたのだ」
あっさりと引き下がったフェリクスにアリアは頷き、分かったと示す。
だが、ミリアとフェリクスを阻んだ形のまま前を見る。
頑ななアリアの姿に、志希は嘆息する。
一応パーティの一員になった人間に、いつまでも冷たい態度をとるのはいただけない。だがしかし、後々の為にミリアに近づきアプローチをしているのであれば排除しなくてはいけない。
二律背反な現状に、志希は頭が痛くなってくる。
そんな志希の嘆息に、後ろのイザークがポンポンと頭を撫でる。
心配するなと言いたげなその手のひらに志希は頷き、口を開く。
「そろそろ、相手方が動くよ。開戦の合図は?」
「合図も何も、向こうが動き出したら突撃するのみよ。どうしても必要っていうなら、アリアが空に向けて光を放てばいいわ」
ミリアの豪胆なセリフに志希は思わず笑い、頷く。
「りょーかい。アリアも、それでいい?」
「大雑把ですけれど、それくらいがいいでしょう。どうせ、エルカーティス辺境伯が色々と戦術を練っているでしょうし。臨機応変に、軍を動かしてくださるでしょう?」
アリアはそう言って、フェリクスの隣に居る騎馬兵を見る。
軍の前面に出ている殆どは、騎馬兵ばかりだ。
冒険者の中で馬を持っている者はあまりいないので、この騎兵隊の殆どはフェリクスやそのほかの貴族達の配下の物だろう。
フェリクスもアリアの言葉を否定せず、苦笑を浮かべる。
「騎馬兵たちはまず、真っ直ぐに突撃し騎馬の兵士たちを叩き落とす役割をします。歩兵たちは後から追い付き、落とした兵士や自由になった馬を捕えるようにと通達しております。無論、相手が生きていればの話ですが」
リビングデッドでは馬を操る事が出来ないので生きている者が殆どなのだが、歩兵の殆どはリビングデッドだ。
馬に乗って操っているアンデッドの場合はグワルになっているか、ヴァンパイアになっているかのどちらかだ。
この場合は馬もアンデッド化しているのが殆どである。
馬は基本的に臆病なので、不死者達を背中に乗せて平然とする事などできないのだ。
「馬はできるだけ生け捕り出来るように、努力するように伝えていただけるかしら?」
ミリアの問いかけに、フェリクスは御意と答え傍の騎馬兵に全軍に伝えに行かせる。
その間に、真正面に対峙している軍の最奥の方で動きが見えた。
志希がそちらを注視していると空に向かって矢が放たれ、甲高い音があたりに響き渡る。
「鏑矢とは、また随分古風な」
フェリクスの呟きが聞こえたと同時に、ミリアが背中に背負っている大鎌を掲げ叫ぶ。
「みなにエルシル神の加護を!」
ミリアの祈りと同時に、周囲の人間達の武器に緑の光が宿る。それは、エルシルの加護を付与した証だ。
そしてそのままミリアは馬を駆けさせ、先陣を切る。
すぐさまその後ろをアリアとカズヤ、そしてイザークが続く。
一拍遅れてフェリクスも馬を走らせ、叫ぶ。
「事前の作戦を忘れるな! 生者は捕え、アンデッドは浄化だ! 行け!」
軍師的な立ち位置にいるフェリクスの言葉に従い、騎馬兵たちはそれぞれ作戦行動に出る。
それを見ながら、志希は精霊語で願う。
『風の精霊達、敵の矢をこちらに当たらないように妨害してね。土の精霊達は、生きている人が地面に落ちた時にけがをしない様にできるだけ配慮してあげて』
志希の願いに頼まれた精霊達は嬉しげに請け負い、それぞれが役目を果たしに行く。
それを見送りながら出来るだけ人が死なないで欲しいと思いながら、志希は真っ直ぐに前を見て口を開く。
『光と炎の精霊達、アンデッド達にその力を見せつけて!』
志希の願いに出番を待っていた光と炎の精霊達は歓声を上げ、同じような指示を出された精霊達と共にアンデッドのど真ん中に炎の渦を発現させ、光を炸裂させる。
派手なその攻撃に、背後の冒険者や兵士たちから大きな歓声が上がる。
怒号のような声を背負いながら、間近に迫った騎馬兵の姿を志希は凝視する。
志希は今回、武器を持たせてもらっていない。
イザークと相乗りをするので、志希の長物では邪魔になるのだ。
そして、長棍はいまイザークが手にしている。
「頭を下げろ」
イザークの指示に従い、志希は体を伏せる。
そのすぐ上を空気を切る音を鳴らして長棍が通り過ぎ、直ぐ近くに来ていた騎馬兵を叩き落とす。
悲鳴を上げて騎馬兵は馬から転げ落ち、後続の騎馬兵が上げる土煙の中に消える。
そちらを見る余裕など、今の志希には無い。
イザークが近寄ってくる騎馬兵を長棍で薙ぎ払い、叩き落していくのを見ながら早口で精霊語で指示を出す。
『闇の精霊は、生きている人達に恐怖を与えて撤退させて! ただし、決して後を引くような恐怖を与えてはダメ!』
志希の指示に闇の精霊は動き、最初のぶつかり合いをしのいだ敵の騎馬兵へと覆いかぶさっていく。
闇の精霊の術に抗えなかった敵兵は悲鳴を上げて逃げ出し、正気を保って居る敵兵はわずかしかいない。
彼らは逃げ出し始めた仲間たちの姿に驚き、大きな声を上げて陣形を保つように呼びかけるが、その間に歩兵の中に居たレンジャーたちの一斉射撃を受け落馬していく。
敵の騎馬兵が攻撃を受けている間に、馬に乗っていた人間は素早く下馬する。
これから、乱戦が始まるのだ。
下馬しない騎兵達は仲間の馬を率いて自陣へと戻る事になっている。
「馬の手綱を!」
フェリクスの傍に控えていた騎兵の一人が叫び、志希もイザークと共に下馬し直ぐに手綱を渡す。
彼は他にミリアとアリア、そしてカズヤの馬の手綱を持って素早く戦線を離脱していく。
その騎兵達を守るため、志希は精霊に願う。
『水・風・土・炎の精霊達、馬を連れて離脱していく騎兵達が陣に帰るまで守ってあげて!』
志希の願いに精霊達は応え、この場にいる精霊の一部が守護する為に散っていく。
それを見送る暇もなく、志希はイザークから長棍を受け取り構える。
目前にまで迫るリビングデッドの大群に腰が引けそうになる自分を必死で叱咤し、志希はイザークの後ろを駆けるのであった。