第九十九話
カズヤはやや上等な家具が置かれた部屋を眺めながら、紅茶を自らの手で淹れる男性を眺めていた。
名前はフェリクス・オルヴライト。エルカーティス辺境伯と言う爵位を持つ、生粋の貴族だ。
自身よりも若干身長が高く、がっしりとした体型をしているのは隣を歩いている時に気が付いた。
また、その面立ちは甘く整っているが、それを隠す為か威厳を出す為か、それなりに立派な髭を蓄えている。
やや長い金髪を後ろに撫でつけ、紐で一纏めにしている姿はどこか洗練されているように感じる。
人となりとしては、敬虔なエルシル信徒であるとミリアからは聞いている。
ミリアがまだ神聖大公姫として存在していたころに辺境伯を継ぎ、わざわざ挨拶に出向いてきたという話をされたからだ。
国への忠義が厚く、頭もまわる生粋の貴族だ。
そんな男がしがない冒険者の盗賊風情に何の用があるのか、と勘繰るのも仕方のない事であろう。
彼は静かな表情で二人分の紅茶を同じポットで作り、片方をカズヤの前に置いてから先にカップに口を付ける。
毒など入っていない、と示すかのようだ。
カズヤはそんなフェリクスの態度に肩を竦め、無言で紅茶を湛えているカップを持ち上げ一口飲む。
思ったよりもまろやかな口当たりの紅茶に、カズヤは高級茶葉である事を確信する。
しかし、今はそんな事は関係ない。
「美味い紅茶をご馳走してくれるのは嬉しいが、エルカーティス辺境伯は何がしたくてオレを誘ったのかそろそろ聞かせてくれねぇ?」
単刀直入に、カズヤは問いかける。
紅茶の香りと味を楽しんでいたらしいフェリクスは、性急なカズヤの言葉に苦笑を浮かべカップをテーブルに戻す。
「確かに、ゆっくりしている暇はなかったな。すまない」
冒険者でしかないカズヤに素直に謝辞を表すフェリクスに、カズヤは若干の驚きを覚える。
しかし、それを上手に押し隠しカズヤはフェリクスの顔を見る。
そのカズヤの顔を見返し、フェリクスは静かに口を開く。
「ミリエリア様を……お守りしてほしい。貴族共の思惑からも、神官達の思惑からも」
思いがけないフェリクスの言葉に、カズヤは思わず目を瞠る。
貴族であるフェリクスから、その様な言葉が出てくるなど普通は思わない。
カズヤとしては、ミリアの前から消えろと言う様な事を言われると思っていたのだ。
「正直な話、爵位を持つ貴族としてはミリエリア様を冒険者である貴殿らに委ねるのはあり得ない。だがしかし、私個人の意見としてはそれ以外の道はないと思っている」
そう言ってから、フェリクスは一旦紅茶で喉を潤しカズヤを再び青い目で見据える。
「姫として、聖女として居られた頃よりも冒険者をしている今のミリエリア様の方が輝いておられるように見える。だが、この聖戦を終えられた後はそうはいかない。貴族として、何より女王として国を立て直していただかねばならない。そこに、ミリエリア様の意志が挟まれることはないだろう。姫自身も、現状をしっかりと認識すればそこにたどりつくはずなのだ」
「そうなるだろう、とはオレも思っている。だからこそ、今の時点でミリアに近づき胡麻をする貴族が現れるだろうってのも予想はしてるぜ。だが、なんでオレがそいつらからミリアを守らねぇとダメなんだ?」
聞いているだけで胸が悪くなるような話に、カズヤは表面上は何でもないふりをしながら問いかける。
フェリクスはその問いに答え、言葉を続ける。
「ミリエリア様は、まだ女王ではない。冒険者である、エルシル神の神官ミリア殿だ。私は、貴族の頃のあの方を知っている。継承権を、聖女位を剥奪されたその現場にもいた」
唇を震わせ、フェリクスは言う。
「無垢であった少女が、虚脱し青白い顔をして立っていた。それを醜い顔をして責め立てる王族や貴族達の表情……あの時の光景を、私は忘れられない。だが今は、乙女らしい表情を浮かべ貴殿と楽しげに会話をしている。仲間達を信頼し、前を向いておられる。私はあの方が聖女王に相応しいと思うと同時に、幸せになっていただきたいのだ」
フェリクスは恐ろしいほど真剣な表情で、カズヤの焦げ茶の瞳を見つめる。
「カズヤ殿。ひと時でいい、姫を一人の人間としてその御心を守って欲しい」
この言葉の意味に気が付いた瞬間、カズヤは険しい表情を浮かべる。
「……てめぇ、ミリアの一時の恋人になれってオレに言ってるのか?」
「貴殿では、王配になる事は出来ぬ」
きっぱりとフェリクスに言われたカズヤは思わず拳を握るが、それ以上の行動はせず落ち着くために深く息を吐く。
「オレもミリアも、てめぇの駒じゃねぇ」
カズヤはそう言い捨て、立ち上がる。憤った表情を浮かべながら扉の前に立ち、開けようとして動きが止まる。
「てめぇに言われなくても、ミリアの事を守るのは当然だ。いちいち口を挟んで、オレ達を引っ掻き回すな」
低い声音はわずかに震えており、怒りを押さえているのが分かる。
そのままカズヤは乱暴に扉を叩きつけるように開けて、部屋を出ていくのであった。
部屋に入ったミリアとアリアは、思わずくすりと笑う。
何せ、部屋にある一脚だけおいてあるソファーにイザークが腕を組んで座りながら寝ており、その太腿には幸せそうな寝顔の志希が頭を乗せているのだ。
微笑ましいその光景にくすくすと笑いながら、ミリアとアリアは頷き合う。
カズヤが戻ってくるまで、二人を寝かせる事にしたのだ。
二人は空いている椅子に腰を下ろし、眠っている志希とイザークを眺める。
「本当に、仲がいいわね」
「はい。まるで、雛鳥を守る親鳥の様です」
小さな声でアリアとミリアは感想を述べて、思わず吐息のような笑い声を零してしまう。
ほんの僅かな和む時間に、ミリアは相好を崩していたが直ぐにそれが消える。
思いつめる様な表情を浮かべながら、ゆっくりと口を開く。
「アリア、ごめんなさい」
唐突な謝罪に、アリアは姉を思わず見る。
ミリアは真剣な表情を浮かべ、アリアを見つめていた。
やや青ざめた顔色で、まるで懺悔を求めるかのような表情で囁くように告げる。
「わたし、カズヤが異性として好きだわ」
アリアは姉の小声での告白に、仄かな苦笑を浮かべてしまう。
「知っていました。姉さん、大分前からカズヤさんの事目で追っていましたから」
「知っていたってっ」
ミリアは絶句して顔を赤くし、次いで暗い表情を浮かべて俯く。
「怒っても、いいのよ?」
アリアがカズヤに好意を抱いているのは、パーティの皆が知っている。
今までのバランスを崩すような事を言っていると自覚しているミリアは、アリアに怒られても仕方が無いと思っているのだ。
しかし。
「どうしてですか? 人を好きになるのは理屈じゃないのですから、怒ったって仕方が無いですよ」
「でも、アリアの方が先にカズヤを好きになったじゃない」
あまりにもからりとした態度をとるアリアに、思わずミリアは言ってしまう。
その言葉にアリアは目を瞬かせ、次いで困ったように微笑む。
「ええ、好きでした」
アリアの過去形での言葉に、今度はミリアがきょとんとした表情を浮かべる。
その姉の表情にくすりと笑ってから、アリアは告白する。
「わたしのカズヤさんへの想いは、憧れだったんだと最近気が付いたんです」
「憧れ?」
「はい。わたしが危なかった時に助けてくれた、カズヤさん。その後偶然お会いした時は、運命だと思いました。だから、わたしなりに一生懸命アプローチしようと思っていたんです。でも……」
一旦言葉を切り、アリアはミリアから視線を離し床を見る。
「カズヤさんが、姉さんやシキさんの事を構うのあまり嫌じゃなかったんです」
「それは……仲間だからでしょう?」
「仲間であるというのを差し引いても、自分以外の女性と一緒に居るのを見ても嫌ではなかったという事です。それに気が付いたのは、カズヤさんが姉さんを女性として気遣ったのを見た時です」
アリアはそう言って、深い溜息を吐く。彼女の脳裏に浮かぶのは、マリール村でミリアがカズヤに横抱きをされた時の姿だ。
「カズヤさんが姉さんを横抱きにした姿を見た時、わたし羨ましかった。でも、妬ましいとは思わなかったんです。まるで王子様とお姫様の一枚の絵の様で、お似合いだと感じました」
ミリアはアリアの言葉にあの時の事を思い出し、頬を染めながらも反論しようと口を開こうとする。
だが、アリアはそれを遮るように告げる。
「恋愛って、凄く激しい部分があると思うんです。その例としてソラヤさんを挙げるのはちょっと極端すぎますが、あの行動の根本にはやっぱり恋があったんだと思います。だって、本当に好きになると自分以外の異性に優しくしたり、笑いかけたりするのを見たくないって思いますから」
恋愛小説の知識ですけれど、と小さく笑いながらアリアはミリアを見る。
ミリアは想像できないのか微妙な表情を浮かべ、アリアを見返している。
鈍感な姉のその姿にアリアは苦笑し、口を開く。
「カズヤさんが、姉さん以外の女性……フェイリアスのギルド受付をしていたミラルダさん。彼女と個人的に食事に言ったり、二人きりで買い物をしていたりしたらどう感じますか?」
アリアの問いかけに、ミリアは想像する。
ミラルダはギルド受付をするだけあって、整った容貌をしていた。
話好きな彼女と、楽しそうに会話するカズヤを思い浮かべると胸が痛い様な、ムカつくような感覚を覚える。
想像の中のカズヤはミラルダと手を繋ぎ、買い物をする姿まで思い浮かべてしまいミリアは思わず法衣の胸の部分を掴んでしまう。
物凄く、胸が痛い。
切なく疼くような感覚に思わず深呼吸をすると、アリアがくすりと笑う。
「わたしは姉さんが今抱いている様な痛みを、感情をカズヤさんに抱けなかった。だから、姉さんがカズヤさんの事を好きだと自覚して、きちんと恋しているのを確認できてよかったです」
「……勝手に満足されて、わたしのこのもやもやした気持ちはどうしたらいいのかしら」
アリアの満足げな言葉に、ミリアが憮然と呟く。
「そう言う感情を抱く相手もいないわたしの意趣返し、と思ってください」
ふふふと人の悪い笑みを浮かべてアリアは言い、ミリアは憮然と溜息を吐く。
何とも言えない緩んだような空気の中、こんこんと扉がノックされる。
ミリアが返事をするより先に扉が開き、若干表情が険しいカズヤが入って来る。
怒気を纏ったと言っても大げさではないカズヤの雰囲気にミリアもアリアも声をかけようとして、戸惑ってしまう。
カズヤはそんな二人の雰囲気に気が付き、目を閉じて深呼吸をする。
それで、カズヤにあった棘のような雰囲気が和らぐ。
「悪い。ちょっとムカつく事言われてよ、それを引きずってたんだ。それより、さっさと出発しようぜ。おい、イザークとシキも起きろ」
カズヤがイザークの肩を揺らして起こし、志希に声をかける。
イザークはすっと目を開け、志希も目を擦りながら体を起こす。
「ん……しゅっぱつ?」
寝ぼけた声を上げた志希の問いかけに、ああとイザークが返事をする。
それを聞きながら、アリアとミリアは荷物を持ちながらカズヤの雰囲気が刺々しかった理由を考える。
正直、話を聞きたいと思った。
だがしかし、カズヤの様子がそれを拒んでいるので問いかける事が出来ない。
ミリアは彼の憂いに胸を痛めながら、無言で志希の支度の準備を手伝うのであった。