第九十八話
ミリアは内心でゆっくり休む事が出来る志希とイザークを羨みながら、目の前で怒鳴り合いに近い議論をしている司祭や数人の貴族達を見る。
数年前までは当然であったこの地位が、今は酷くうっとおしく感じ溜息を吐く。
「姉さん」
「分かっているわ。あと、話の方向が不穏だしね」
アリアからの咎める声に応えつつ、ミリアは大きく深呼吸をする。
今現在、聖女ミリエリアと言う旗頭の側には貴族やかつての司教が着いて権威を見せつけるべきだという下らない話し合いがされているのだ。
「お話が白熱している所に口を挟ませていただきます」
鋭い声音でミリアは言うと、全員が口論をやめてミリアを見る。
やっと動いたかと言いたげな視線をよこす司祭までいて、ミリアの額に一つ青筋が浮きそうになる。
どうにか平静を装い、ミリアは全員を見据えて口を開く。
「わたしはこの軍の旗頭になるのは引き受けますが、後方に控えてお飾りになるつもりはございません。これまで通り、仲間達と共に王都を目指して駆ける方針です」
「馬鹿な事を!」
「貴女は聖女なのですぞ!?」
ミリアの言葉に、一同が大きな声で非難する。
まるで押さえつけようとするかのその声に、ミリアの額には確実に大きな青筋が浮かんでいる。
「お黙りなさい!」
感情のままに怒鳴り、ミリアはテーブルを叩いて立ち上がる。
「聖女であるからこそ、わたしが先頭に立って戦わなくてはどうするのですか!」
ミリアの言葉と鬼迫に呑まれたように、司祭達からは言葉が出ない。
しかし、それとは反対に貴族の男性は嬉々とした表情で頷く。
「それでこそ、魔と戦う聖女様であられる! では、このまま私の軍へと……」
「それもお断りします。わたしは、わたしをこれまで支えてくれた仲間達と共に進みます。それに貴方たちが勝手についてくるのは自由です。わたしは、国を救いたいからこそ舞い戻ってきた。貴方達の政の道具になるためではない」
出し抜けたとでも言いたげな表情をしていた貴族の男に言い放ち、ミリアは後ろに立っていたカズヤと隣に座っていたアリアに頷きかける。
ミリアの沸点の低さにカズヤは苦笑しながら頷き、アリアは深い溜息を吐くと仕方ないと言いたげに席を立つ。
「お、おまちくださ……」
「こんなところで下らない話し合いをするよりも、わたしは国を救えるであろう行動をします。貴方達は、一体何の為にこの砦に集まったのですか?」
ミリアの怒りを秘めた静かな問いかけに、シンっと静かになる。
その静寂に背を向け、ミリアは荒い足取りで部屋を出る。
「まったく、何なのよあれは!」
「国を救った暁に、何らかの政治的旨みが欲しい奴らの相談だろ?」
ミリアの怒声に、カズヤが律儀に答える。
「そんなのわかってるわよ! だからって、なんでわたしの側に纏わりつくのよ。うっとおしい!」
「姉さん……」
アリアは何とも言えない表情で、思わずミリアを見てしまう。
その視線に気が付いたミリアは、苛立ちから憮然とした表情へと変えてじろりとアリアを睨む。
双子の姉妹のそのやり取りにカズヤは思わず笑いながら、口を開く。
「今の状況で、王都の王族はほとんど絶望的だ。つか、生きていてもミリアが活躍しちまえばどう考えても次の王はミリアになるんじゃねぇ?」
「え!?」
突飛な事を言われたと、ミリアは目を丸くしてカズヤを見る。
しかし。
「姉さん、本当に気が付いてなかったの?」
と、アリアにまで突っ込まれる。
「き、気が付くも何も……わたし、神職よ?」
「でも、それなりの王位継承権持ってんだろ? それに今回は、ミリアの穢れを雪ぐ機会でもあるじゃねぇか。そしたら押しも押されぬ聖女王様の誕生! って事になると思うぜ」
カズヤの更なる言葉に、ミリアは目どころか口まで大きく開けて驚愕している。
「……本当に、思い至ってなかったのか」
「姉さん……鈍すぎます」
「だ、だって……わたし、追放されてるのよ? 王位継承権剥奪されてるし……」
「ヴァンパイア・ロードを倒したら、その辺全部チャラだろ。あいつが元凶なわけだしよ」
「そ、そうか……そうよね……そもそもわたし、貴族の時からそんな事考えてもいなかったから全然思いつきもしなかった」
そうよね、と独り言のように呟くミリアにカズヤは苦笑しつつ背中を叩く。
「今から思い悩んでも仕方ないだろ。とりあえず、目の前にある問題を先に解決しようぜ。それと……さっき啖呵切ったのは格好良かったぜ。あんがとな」
「お礼を言われるような事、言ってないわ。それに、こちらこそありがとう」
ミリアは微笑みながら、カズヤに礼を言い返す。
先ほど言ったのは、まぎれもないミリアの本心だ。
足を止め、ミリアはカズヤの方を向いて彼を見上げる。
「わたし、本当は怖かったの。ヴァンパイア・ロードの事を教えられた時。でも、シキやイザーク、カズヤのおかげで怖いだけじゃダメだって立ち直れた。その後もずっと、貴方の言葉や態度に助けて貰えてた……だから、寄りかかるだけじゃないつもりだけど、傍に居て欲しいの」
ミリアのこの言葉にカズヤは目を丸くし、次いで照れたように頬を赤く染めて視線を逸らす。
その仕草に、ミリアが自分が彼に告げた言葉が物凄く恥ずかしい物であるのに気が付き顔が真っ赤になる。
何か言おうとするがミリアは言葉が出てこず、気だけが焦って口を開いては閉じるという状況だ。
カズヤも動揺しているのか、軽口が全く出てこない。
そんな中、一人生ぬるい笑みを浮かべていたアリアが口を開く。
「とりあえず、部屋に戻ってイザークさんとシキさんに色々と報告して出発する用意してきますから。二人はここで思う存分、照れててください」
「あ、アリアっ!?」
「お、おい!」
二人から出る抗議の声に、アリアはにっこりと笑う。
「時間が惜しいとは思いますけど、意思疎通は大事ですから」
若干やさぐれた様な声音で言い、二人に背中を向けようとしてアリアは気が付く。廊下を小走りで走る身長の高い男性が、自分たちの方に向かってきている事に。
アリアの表情が変わった事でミリアとカズヤもそれに気が付き、背後を振り返る。
そこでちょうど、廊下に備え付けてあるランタンの明かりの中に相手が入ってきた。
「フェリクス様」
思わずミリアが呟くと、彼は若干息を切らせながら安堵の表情を見せ、彼女の前に跪く。
「ミリエリア様。申し訳、ございませんでした」
謝罪しながらも、彼は真っ直ぐにミリアを見つめ言葉を紡ぐ。
「先ほどの言葉に、私が何故この場にいるのを改めて考え直す良い機会となりました。そして、ミリエリア様が思うとおりに動く事こそがエルシル神の御心に沿う事だと改めて思い至りました」
敬愛を湛えた表情と眼差しに、ミリアは思わずたじろいでしまう。それを見抜いたのか、フェリクスの表情が真剣な物へと変わる。
「しかしミリエリア様、貴方様もご自分のお立場をご理解ください。このたびの神託で、他の国に居るエルシル信徒達にもミシェイレイラ神聖国が邪なる魔物に支配されていると周知されました。諸外国はこれを機会にミシェイレイラと言う国を解体すべし、と言い出す可能性もあります。ミリエリア様が邪なる魔物を打倒し、国を浄化した後は御身が聖女王となられる以外、この国の存続は難しいのです」
カズヤに指摘された以上の事態を告げられ、ミリアは思わず眩暈を感じてしまう。
その体を隣に居たカズヤがさっと支え、フェリクスに告げる。
「とりあえず、今はミリアがその邪なる魔物とやらと戦う為の気構えが必要だ。先の事を見るのはいいが、目の前の問題を解決する事の方に今は集中するべきだと思うぜ」
カズヤの言葉にフェリクスは眉を潜めるが、直ぐに然りと頷く。
何せ、問題の本人が事の大きさに若干青ざめているのだ。
その彼女を抱き寄せる様に、守るようにしているカズヤを見ながらフェリクスは立ち上がり、問いかける。
「貴殿、名は?」
「カズヤ」
端的に名前だけを応えるカズヤに、フェリクスはゆっくりと瞬きをする。
「ではカズヤ殿、少々お時間を頂きたい。ミリエリア様とアリエリア様は、お仲間の所でお待ちください。それと……くれぐれも、貴族にはお気を付けください」
「ちょっと待ってちょうだい。わたし達はこれから出発をする予定なの、カズヤもそうよ。それを……」
カズヤをどこかへ連れて行こうとするのに抗議しようとするミリアだが、それをカズヤ自身が制する。
「いや、オレもちょっとこの人と話をしてぇと思ってたんだ。これから勝手についてくるっつー話をしてるんだから、こっちの予定も教えておかねぇとダメだろ」
若干の休憩時間でみんなの方針は決まっているので、決定事項としておそらく貴族や神官達を纏めているであろうフェリクスに話を通しておこうとカズヤは思っていたらしい。
ミリアは憮然とした表情を浮かべ、嘆息する。
「分かったわ。でも、せめて仲間の所まで送ってくれないかしら?」
「そうですね。それと、カズヤさんに≪印≫を付けておきますので変な事をすればすぐわかります」
アリアは宣言してから、杖を少しだけ揺らして呪文を唱える。
魔術が完成すると同時にアリアの手の甲に青の小さな印が現れる。
「この印はカズヤさんが怪我をすると赤く、死んでしまうと黒くなります。どこか遠くへ飛ばされても直ぐに見つける事が出来ますので、下手な事はしないでくださいね」
アリアの警告の言葉に真剣な表情で頷き、フェリクスはカズヤを見る。
「んじゃ、いやな話を済ませる為にミリアとアリアを送って行くか」
若干投げやりに聞こえるカズヤの声にミリアは苦笑しつつ、彼のエスコートで部屋へと戻るのであった。