第九十七話
砦に着いてすぐ兵士とは思えない武装をした者達に囲まれたが、奥からやや汚れた鎧を着た男性とエルシルの司祭を示す法衣を纏う男性が現れ馬から降りたミリアの前に膝をついた。
「御帰還、お待ち申し上げておりました」
男性が尊敬と敬愛を全身で表しながら、柔らかな声音でミリアに告げる。
金髪碧眼で、やや甘い顔立ちをした男性の姿にミリアが目を瞠る。
「……フェリクス・オルヴライト様」
思わずと言ったようにミリアは名前を零し、フェリクス・オルヴライトと呼ばれた男性は嬉しげに笑顔を浮かべる。
「覚えておいでですか、ミリエリア様」
「ええ、覚えていないわけはないわ。わたし達の追放を、最後まで反対してくださったのは貴方だったもの」
ミリアは苦笑しながら頷き、次いで表情を改める。
「今のわたしは、ただのエルシルの神官戦士です。どうぞ、お立ちになってください」
「いいえ、エルシル様より啓示が下されました。聖女であるミリエリア・アシェル・ミシェイレイラ姫を助け、ミシェイレイラに巣食う魔を払えと」
男性の言葉にミリアは顔を強張らせ、思わず後ろに控えていた司祭を見る。
司祭の男性もまた涙ぐみ、頷く。
「真でございます、聖女ミリエリア様。貴女の往く道を我々が切り開き、王都を浄化いたしましょう」
この言葉に、ミリアが思わずたたらを踏む。
志希にはその心境が、良くわかる。
神々の啓示が下り、ミリアがミシェイレイラに居座るヴァンパイア・ロードを殲滅せよと言われた。
かなり事が大きくなっている。
下手をすれば、ミシェイレイラと言う国がなくなるかもしれない事態だということだ。
「少し、状況を整理したいわ。中に入れていただいて、よろしいかしら」
ミリアは何かを覚悟した表情で言うが、直ぐにちらりと視線を仲間の方に向けてくる。
一人では心細いのであろうと悟った志希は一緒に行こうと口に出そうとして、やめる。
何も知らない自分が行っても仕方が無いので、そう言うのに強そうな人間に行って貰う方が良いだろうと思い立ったのだ。
なのでイザークを見るが、彼は志希を見ずに口を開く。
「ミリア、カズヤとアリアを連れて行け。俺とシキは、少々休ませてもらう」
「え、オレかよ」
「……分かりました」
嫌そうな声を上げるカズヤに、真剣な表情で頷くアリア。
だが、カズヤはすぐに気持ちを切り替えたのかミリアの隣に立つ。
「とりあえず、さっさと話をしようぜ。事と次第によっちゃ、電撃戦で挑まないとやばい。主にミシェイレイラって国がな」
カズヤの軽口を叩くような言葉に司祭の男性が険しい表情を浮かべて口を開こうとするが、フェリクスが手を上げてそれを制する。
「確かに、エルシル神の信徒はこの国だけではない。一先ず砦の中に入り、これからの事を相談するべきであるのは確かだな。礼を言う、冒険者殿」
フェリクスは静かに頷き、ミリアに目礼をしてからすっくと立ち上がる。
威風堂々とした立ち姿から、彼もまたそれなりの腕を持つ人物なのだと分かる。
ミリアに礼をしてから、司祭と頷き合い砦の中へと入っていく。
「広間を用意しろ!」
良く通る声が指示を出しているのを聞きながら、志希は若干へばり気味で馬の上からよろよろと降りる。
鞍の上とはいえ、馬の筋肉が躍動し上下に揺られるのだから疲れないわけがない。
まして、志希は馬に殆ど慣れていない。
「馬、乗れるようにならないとダメだね……」
「余裕が出来た時に、教えてやろう」
志希の独り言にイザークが応えつつ、馬の手綱を引っ張る。
「シキ、イザーク。馬は預かってくれるらしいから、荷物だけ持って中に入るぞ」
「あ、この馬の荷物は食料なので、降ろしても手を付けないでくださいね」
カズヤが傍に来ている神官に馬の手綱を預けながら呼び、アリアは荷物についての注意をお願いしていた。
ミリアは司祭に何か話しかけられているが、その背中からは困惑が透けて見える。
「はぁい」
志希はカズヤに返事をしながら、何とも言えない心持になる。
元々大事ではあったが、輪をかけて大事になってしまった現状にミリアの気持ちがついて行くかが問題だ。
そんな事を思っている間に、イザークが馬から荷物を降ろし志希に手渡し促す。
志希はイザークの横を歩きながら、重い溜息を吐き砦に入るべく歩く。
「ミリア次第だろうけど、どうするつもりなのかなぁ」
「エルシル神からの啓示が下っている以上、先ほどの貴族や力のある司祭たちは合流するつもりだろう」
「合流すると言われても、相手が相手だからどうにもならないんじゃ」
「個々の力ではな。だが、向こうは何年この国に居た?」
イザークの指摘に、志希はぐっと詰まる。
意識体でいる時には気が付かなかったが、この砦のややフェイルシア側の領域から結界が出来ている。
この結界の効果は、ミシェイレイラ国内に蔓延する血生臭い霊気を遮断する物だったはずだ。
それがさらに、この結界内から外へ出る事が出来ないモノへと強化されている。
エステル司祭が村人を連れて出て直ぐに、強化されたのだろう。
その意味は、志希にもわかる。
「国の何割かの人間は、既にアンデッド化してる?」
「可能性は皆無ではないだろうな」
「最悪だ……」
志希は思わず零し、天を仰ぎ見る。
事前情報から、まともな貴族や一般人達も洗脳したり魅了して手ごまにしている可能性もある。
「エルシル神からの神託だもん、それくらい予想してしかるべきだよね」
生きていれば、洗脳などから解放する事はできる。
だがしかし、アンデッド化していた場合は浄化と言う手段で殺してやらなくてはならない。
国のどれだけの人間が、その様な目にあわされているか考えるのも恐ろしい。
しかも、アンデッドといっても様々な種類がいる。
また、ソラヤの例を考えれば魔道具を使うヴァンパイアやグワルが居てもおかしくはない。
国の中枢がヴァンパイアの餌食になっている以上、この国の行く先が非常に心配になってしまう。
「ミリアとアリア、大変だなぁ……」
「自分の心配を先にしろ」
志希の呟きに、イザークがさらりと突っ込む。
これから先、貴族やエルシル信徒だけではなく冒険者たちも今以上に合流してくるのは間違いない。
となれば、志希の特異性が明るみに出てもおかしくはない。
正直勘弁してほしい訳だが、出し惜しみなどしていられない。
魔神に近い魔物と戦うのだから、死力を振り絞らなくてはならないのだ。
「……できるだけ、目立たないように頑張ります」
「それ以上に、生き残れ。瀕死の怪我だけは、追わない様にしろ」
イザークの言葉に、志希はこくりと頷く。
魔術や精霊術などは、ある程度誤魔化しが利く。しかし、死んで生き返るのを見られては誤魔化しようがない。
神官などは神の神託が来れば、納得させられる。
だがしかし、それ以外の者達を納得させる事は難しい。
目立たない事を考えるのではなく、死なない事を優先させろと言うのはその為なのだ。
「頑張る、としか言いようがないなぁ」
「……ならば、俺の側から離れるな。大概の事からは、守る」
イザークの強い言葉に志希は言葉に詰まり、動揺で耳まで真っ赤になる。
仲間として言ってくれているのだろうとは思うが、好きな人にそんな事を言われて冷静ではいられない。
嬉しいが、必死でそれを誤魔化そうとこくこくと頷く。
口を開けば、奇声を発してしまいそうだ。
そんな落ち付かない志希の頭を、イザークがポンポンと撫でる。
子ども扱いをされていると感じるが、今はその方が良いと必死で自分に言い聞かせる。
これから大変な事になるのだから、色恋に気を取られるわけにはいかない。
取り敢えず深呼吸をして気を落ち着けた志希は、改めて周囲を見る。
イザークと話をしている内に砦内部に入っていたので、周囲は石壁になっていた。
それなりに広い廊下を人が行き来しており、ミリアの前を歩いていた司祭がちょうど前の方で一行に気が付き、廊下の端で頭を下げていた神官に声をかける。
「ちょうどよかった。空いている部屋はありますか?」
「はい、司祭様」
「そうか、ではこちらのお方をご案内してください。くれぐれも、粗相の無いように」
司祭の言葉に神官は深々と頭を下げ承ったと返事をし、司祭の次の言葉を待つ。
「こちらの準備もございますゆえ、一先ずお休みください。ご用命の際には、この者をお使いくださいませ」
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
穏やかな声音で神官は言い、司祭はミリアに頭を下げて早足に奥へと去って行く。
三時間かかる道程を二時間ほどで走って来た為、志希だけではなく地味に皆疲れている。
それを見通しての言葉なのだろうと、とりあえず志希は好意的に受け取る。
ミリアを聖女と言わずに仲間と一まとめにするのは、何らかの意図があるのだろう。
だが、それを突っ込むよりも今は仲間内での意見を纏める事が出来る方が良いし、疲れを癒す為の時間もとれるだろう。
時間をくれてありがとう、と志希は思いつつ神官の案内に従ってついて行くのであった。