第1話
大人は笑っていないと死ぬんだろうか。
谷さんを見ていると、いつもこの疑問が頭をもたげた。
郊外にある地上10階建て、築30年のビジネスホテル。
周辺にある主な施設といえば大型のドラッグストアとスーパーマーケットぐらいだ。こんな場所にあるビジネスホテルに誰が泊まりに来るんだと思っていたら、数年前、最寄り駅から6駅先に文化ホールが完成した。
その影響で、今では「ちょっと離れるけど電車一本で来られる距離にある、安くて穴場なホテル」として意外と需要があるらしい。安いのに朝ごはんは無料でついてくるし、夜12時までは大浴場も使える。なんなら主な駅まで送迎付きだ。
そんな田舎のビジネスホテルが無駄にサービス精神を振舞った結果、皺寄せは従業員に来た。
「ちょっと、陸。あんた、ホテルの部屋に置いてる冷蔵庫の中、チェックして回るバイトやらない?」
客室清掃に従事していた母親からそう持ち掛けられたのは、高校2年の秋のことだった。
「え。俺来年受験生なんだけど。そんなヤツにバイト勧める親、いる?」
「ここにいるわよ。もうこっちじゃそこまで手が回んないのよね。本当、なんでもかんでも仕事振ってくんの、やめて欲しいわ。社員さんにはもう話通してるから週末どっちかだけでもいいし、入ってくれたら助かる」
「俺の意思どこいった」
「時給1200円出すってさ」
「任せろ」
提示された時給がクラスの友達より70円高いというだけでOKしたが、いざやってみるとこれがなかなか快適な仕事だった。
冷蔵庫には水と緑茶のペットボトルがそれぞれ2本ずつ、缶入りのコーラやオレンジジュースなどが各1本の、合わせて10本がセットされている。客は飲んだ分だけ用紙に記入し、チェックアウトの時にフロントで清算する仕組みだ。
令和の時代になんというアナログ手法。
聞いた話じゃ冷蔵庫から抜き取った瞬間に自動でカウントされたり、初めから何も入れず、宿泊客が持ち込んだものを自由に入れられるようにしているところもあるようだが、色々な事情ですぐにシステムを変えるのは難しいらしい。