紅歴3125年夏 ハドリア公会堂 - 再会
私とミードの再会は思わぬ場所での事だった。
その日私は学友達と連れ立って、昨今各種報道媒体で取り沙汰されている会の主催する講演会に足を運んでいた。私自身はそこまで興味が無く、また最近まで精神的に不安定な所があったため、最初は断わろうとした。だが、そんな私を心配した学友達が気晴らしにと誘ってくれたのだ。私はその気持ちを大切にしようと参加を決めたのだった。
会場となったハドリア公会堂は、神殿と建物を共有している様で、整然と並ぶ柱や神像の彫刻等、素人の私が見ても、美しい、と感嘆する物ばかりだった。これだけでも来た甲斐があったと思った。
開演を告げる係員の声に従って広い講堂の様な場所に入る。
何列も並ぶ長椅子の向こうに演壇があり、その向こうに威厳と慈悲の表情を浮べた大地母神である女神像が鎮座していた。高窓から差し込む遅い午後の日差しが、幾つもの光の筋を描いている様子も相俟って、講堂内は神聖な雰囲気に溢れていた。
この雰囲気を堪能しようと、私と学友達は後ろの方の長椅子に並んで座ることにした。
開演時間丁度に舞台袖に司会が現れる。
「これから先生による講演を始めます」
彼はそう一言告げて袖に消え、代って一人の女性が演壇へと進んでいった。演壇に辿り着いた女性が聴衆へと向き直る。その顔に既視
感を覚えた私は、じっくりと観察していく。
多分、化粧のせいで印象が違うのだと思う。化粧を落した顔を想像していく内に、脳裏に浮んだのは、一年前に失踪した親友、ミードの大人びた顔だった。
フリギウス国立科学研究所へ十六歳という最年少で入所を果した親友ミードは、その一年後、誰にも何も告げずに失踪したのだった。失踪前まで、良く顔を合せていた私にも、警察や研究所の方々が調査に来ていたのだ。
私には一言の相談も無い失踪だった。それが私の心を傷付けたのだろう。親友だと思っていたのは私だけだったのか、と。その日から鬱屈とした日々が続いていたのだった。
それが失踪から一年後の今日、こんな形で再会するなんて。何故何も言わずに失踪したのか、何故こんな会の主催をするようになったのか、問い質したい事が次から次へと溢れ出てきた。
そして一番聞きたくて、怖くて聞けない事。何故私に何も言ってくれなかったのか。
そんな事が頭の中をグルグルと巡っていた私は、彼女が何を語っていたのか、聞く心の余裕が全然無かったのだった。
講堂内に差し込む日差しが薄橙色に染まる頃、彼女の講演は終了した。
私は、居ても立ってもいられず席を立ち上がり、講堂を出て行こうとする聴衆を押し分けて舞台袖へと向っていた。後ろからは私を呼び止める学友達の声が聞こえていたが構ってはいられなかった。
舞台袖に飛び込んだ私は吃驚して口を開けた人々に迎えられた。
「あのっ、会の方ですかっ。ミードは、ミードは今何処にっ。彼女に会わせて下さいっ」
ミードに会う事しか頭になかった私に、落ち着きを取り戻した一人の男性が声を掛けてくる。
「私は会で先生の下で勉強させて頂いているロイと申します。先ずは貴女のお名前を伺っても宜しいでしょうか」
ロイという男性の相手を落ち着いた口調に宥められた私は、恥しさに少し頬を染めながら応える。
「し、失礼いたしました。私はゾーイと申します。ミード、多分先生とは……幼馴染でした」
私は親友と名乗るべきか迷って口籠った。何故ならあの時、彼女は相談一つしてくれなかったのだから。親友等と口走れば彼女を嫌な気分にさせるかもしれない。
「先生からは昔のお話等、お聞きした事がございませんので判断が付きません。何か共通の思い出があればお伺いしたいのですが」
私は、女の子としては珍しい共通の趣味、生き物の事について話した。二人で水棲動物を追い掛けた事や、昆虫の卵の孵化を観察した事等、詳細に話した。
「それでは、先生に確認して参りますので、此処でお待ち下さい」
余り女の子らしくないエピソードの数々に、愉快そうな含み笑いを漏らしながらロイは舞台袖から出ていったのだった。
どれ位の時間が経ったのだろう。彼女に会えるという期待と緊張で体感時間がおかしくなっていた様だ。
恐縮そうな表情をしたロイが戻って来たのはそれから間もなくの事だった。その表情に不安に駆られた私にロイが言う。
「申し訳ありません。先生はゾーイさんという女性に心当たりが無いそうです」
「そんな筈……」
私は思わず絶句してしまった。
何度も「もう一度確かめて下さい」とお願いしたが、申し訳なさそうな顔をしながらもきっぱりとした態度でロイは拒絶した。
「申し訳ございませんが、どうぞ、もうお帰り下さい」
自宅への帰り道、私は余っ程酷い顔をしていたに違いない。待っていてくれた学友達も心配そうな、声も掛け辛そうな表情で私を見ていたのだと思う。私は自分の事で精一杯で周りの事を見ている余裕が無かった。
付き添ってくれた学友達に自宅前で別れを告げる。訳あって一人暮らしをしている私は、真っ直ぐに寝室へと向かった。ベッドに飛び込み顔を枕に埋めると独りでに涙が溢れてくる。
嗚咽と共に出てくる言葉は、何故、の一言だけだった。
何時しか寝てしまったのだろう。翌朝、目を覚ました私は、重い頭を抱えて憂鬱になった。少しはましになったと思っていた、ミードの失踪以来の懊悩が又繰り返されるのか、と思うと何もやる気が出て来なかった。
なけ無しの気力を振り絞って身支度をし、朝食を摂る。
昨日見たミードは、とても大人びた顔をしていた。一体、何があったのだろう。知らない振りをされた事にはとても傷ついた。今でも憂鬱になる程傷深くついている。しかしそれよりも何故、僅か一年で、先生と呼ばれるようになったのか。ロイというあの男性も見せ掛けではない尊敬を彼女に抱いているようだった。たかが十八の少女へ抱く感情としては有り得ないと思う。
そう、それにキュベレさんはこの事を知っているのだろうか。ミードとは不仲の姉キュベレさんだが教えておいても良いだろう。ひょっとしたら既に知っていて、事情を教えてもらえるかも知れない。
そう思い付いた私は、今日の予定を取り止めて、キュベレさんの家を訪問する事にした。
久し振りに顔を合せたキュベレさんは、とても険のある表情で私を出迎えてくれた。
分野は違うが、彼女もフリギウス国立科学研究所の所員だ。小さな頃から仲が良かったとは言えない姉妹だったが、その不仲が決定的になったのは、入所を妹に先を越されたからだろう。とは言えキュベレさんも当時最年少での入所だったのだが、ミードの方が優秀過ぎたのだ。激しい嫉妬に取り憑かれたキュベレさんは、ミードの親友だった(と思っていた)私との付き合いも遠ざけ疎遠になってしまった。
玄関先で出迎えたキュベレさんは「何の用」とぶっきらぼうに言い捨てた。
「昨日、ハドリア公会堂でミードを見かけました。最近話題の例の会で先生と呼ばれていました。キュベレさんは何か聞いてませんか。知ってる事があれば教えて欲しくて、今日はお邪魔しに来ました」
私の話を聞いていたキュベレさんは何故か一瞬だけ泣きそうな顔をした様に見えたが見間違いだったのだろうか。
「連絡も無いし、何も聞いてないわ。用件は他に無いの。だったらもう帰りなさい。話す事は何も無いから」
家に上げてもらう事もなく追い払われた私はこれからどうしようかと途方に暮れた。
暫く歩きながら考えた私は図書館へ行こうと思い付いた。あそこなら利用申請すれば情報端末が使えて、各媒体のバックナンバーや公開情報などの検索もできる。
図書館に着いた私は先ず、バックナンバーの検索から始めた。あの会はここ半年程で急速に知名度を上げたらしい。ただ会の主張や講演の内容などについては、どの媒体も曖昧な事しか書かれていなかった。歴史書にも無いような災害に遭遇した時、何如にして生き延びるか等の生存術について説いているらしいことが分った程度だ。紙面の大半は、先生と呼ばれるミードの美貌と彼女についてのゴシップだけだった。
総じて彼女と会を貶める、為にする記事が殆どと判断した所で、会自体の検索に切り替える。会の所在地や主宰者の名前が見付かる。主宰者はメディアと言うらしい。ミードでは無いようだ。だとしたら彼女は何故先生等と呼ばれているのだろう。不思議な事もある物だ。
公にされている情報がそれ位だったので、所在地を控えた私は図書館を後にした。これからどうしよう。この住所の所へ行って面会を求めたとして、昨日の二の舞になるのは明かだった。
考えながら歩いていたのが悪かったのだろう。気付いたら人通りの無い路地へ迷い込んでいた。慌てて元の道へ引き返そうと振り返る。
正面にロイという昨日の男性が立っていた。