7.忍び寄る影
「お前の後ろに控えている侍女は、エマと言ったか」
食事の最中、ふと気づいたように、この国の王がクラウスに声をかけた。
びくっと身体をはねさせたクラウスは、頷く。
「は、はい。父上。……エマ」
「はい」
『挨拶を』という無言の意図を感じ取ったエマは、国王に向き直り、スカートを両手でつまみ、片脚を後ろに引き膝をおる。
「お初にお目にかかります。エマ・アッシュフィールドと申します」
その所作があまりに美しかったのか、王は感嘆の吐息をもらし、穏やかに微笑んだ。
「美しい挨拶をありがとう」
「もったいないお言葉です」
元の姿勢に戻したエマは、一つ頭を下げた。
「それにしても、クラウスに就いて、この約一年間で数週間も持ったのは、君だけだ」
「そう……なのですか?」
実は、知っていた。
この数週間、クラウスの専属の侍女として従えていると、エマとハンナ以外の侍女や従者がクラウスを避けている。
小耳に入った話によると、侍女達は死神王子を恐れて、専属になりたがらない。
一番の理由が、いつ自分の死を告げられるか、怖いのだとか。
「どうだね。クラウスは、良い子にしているかな?」
「はい」
エマは、即答した。
殿方を連れ込んでいる事、クラウスが引きこもりである事、普通の侍女だったら口を滑らせていたかもしれなが。
エマには、害がなかったので。
王は、満足したかのようにうんうんと首を動かす。
「そうかそうか。良い侍女に巡り合えて、良かったな、クラウス」
「は、はい」
それからは、食事をとっていた王妃も弟王子も会話に参加しはじめた。
会話を聞いていると、家族仲は悪くないらしい。
というより、仲がかなり良いことが窺える。
王と王妃は、二人の王子に分け隔てなく慈愛の目を向けているし、クラウスも時折、微笑む。
弟王子は、兄を慕っている。
それにしても。と元の位置に戻り、エマは思う。
毒見役がいないことに、心配になる。
(私の国の王は、これを知っていて毒を盛ったのね……)
何を考えてこの王族に毒を盛ったのか、わからないが。
心配と言えば。とクラウスを見る。
明かりが灯る下で見るクラウスは、日に当たらないせいか不健康に色白で、すぐに病気になってしまいそうで、心配になってくる。
だが、もう一つ、エマの中に感情があった。
手を繋いだ時、知っていたが、クラウスはエマより背が低かった。
だからなのか、可愛いと思ってしまったのだ。
少女のような容姿も相まって、より一層。
(それに、この王城は……いえ。この王族には、問題があるわ)
警備に毒見役。
危機感のなさそうな、王族。
課題に取り掛かるには、難しそうだ。
でも。と家族の温かな団欒を見て改めて思う。
――それでも、この方を……この家族を守ってみせる。
と。
◆ ◆ ◆
食事を終えた後、静まり返った回廊を、クラウスとエマはゆっくりと歩いていた。
手は繋いでいない。
クラウスが怖がる素振りもしていないし、申し出もなく、楽しそうにしているから大丈夫だろうとエマは判断した。
わずかな安らぎ。だが、その平穏は突如として破られる。
気配――それは音でも影でもなく、本能に訴えかける違和感。
「……止まってください、殿下」
エマの声が張りつめた糸のように鋭く響く。
クラウスが足を止めた瞬間、暗がりから複数の黒影が現れた。
前方、さらには後方からも。
あっという間に、二人は取り囲まれてしまった。
「殿下、一つお聞きしたいのですが」
「な、なに?」
「これは、訓練などではないですよね?」
「うん」
その返事を聞く前から、彼女は魔法で短剣を召喚していた。
長剣もあるのだが、クラウスに当たることを恐れたからだ。
最初の一人が飛びかかる。
その動きに合わせて、エマは半歩引き、敵の腕を掴むと、そのまま回転しながら腰に乗せて投げる。
男の体が空を舞い、背から床に叩きつけられた。
間髪入れず、左右から二人が襲いかかる。
ひとりの蹴りを前腕で受け止め、すぐさま内腿へ低い蹴りを放つ。
敵がよろめいた瞬間、もう片方の男の拳が迫る。
それを紙一重で避け、短剣を逆手に持ち替えると、敵の肩に斬りつける。
悲鳴が響き。血が飛び散った。
四人目が背後から刃を振るう。
エマは気配を察して背中を丸め、前転でかわしながら足払い。
敵はバランスを崩して倒れたところを、倒れた敵の腕を踏みつけて動きを止める。
敵は六人。すでに四人を無力化した――が、彼女の呼吸は乱れてきていた。
次の瞬間、長身の男が鉄の棍棒を振り下ろす。
エマは刃で受け止めたが、重みに押され、膝をつく。
短剣はパキンと音を立てて、真っ二つになった。
「ひょろい死神王子を攫うだけと聞いていたが……こんな侍女が居るとは、油断していたな」
最後の二人が左右から挟み撃ちを狙って迫る。
エマはまた短剣を召喚し、逆手でひとりの脇腹に突き刺す。
姿勢を低くし、鉄の棍棒鉄の棍棒を躱した。
敵とエマの視線が交差して、二人共、じりっと小さく動く。
その時だった、ドドドっと複数の足音が聞こえてきた。
また敵襲か! とエマは身構えたが、目の前の男はチッと舌を打つ。
どうやら、男も予想外だったらしい。
「王子!」
エマの視界に入ったのは、近衛騎士の制服だ。
「くそっ」
それを見た男は、開いていた窓に駆け寄った。
「待て!!」
エマは、男の服を掴もうとしたが、掴みそびれた。
すかさず男へ、短剣を投げる。
「ぐっ!?」
それは、男の肩に突き刺さった。
男は窓の向こう側――ここ三階から地上の闇へと消えて行ってしまった。
「第一騎士団は後を追え!」
「は!」
「残りは、ここの処理だ!」
「は!」
若い騎士――たぶん騎士の団長だろう青年が、テキパキと指示していくのをエマは呆然と見ていた。
「なぜ、近衛騎士団が?」
「――エマ……」
スカートの裾をクイッと引かれ、はっと我に返る。
目の前に居るクラウスの両肩を掴む。
「殿下! お怪我は!?」
「な、ないよ」
びくっと身体を跳ねさせたクラウスに、またもやはっとした。
クラウスを心配するあまり、勢いがつきすぎて触れてしまった。
華奢な両肩に置かれた自分の手を、ばっと離す。
そして、床に片膝を着いた。
「申し訳ございません!」
勢い良く言って、頭を下げる。
沈黙がその場に広がった。
だが、すぐにそれを破ったのは、ジークあるとだった。
「頭をあげろ」
命令のようなそれに、エマは内心驚きつつも、言われた通りにする。
そして、目を見開いた。
クラウスが泣いていたからだ。
「なんで……謝ることがあるんだ」
瞬くたびに、長い睫毛が涙を弾く。
「僕を救ってくれたのに! 何で謝るんだよ!!」
「殿下……」
こういう時、どうすれば良いのか、エマにはわからなかった。
どうしたものか、考えあぐねいていると、クラウスが動く。
「……エマ」
エマは、最初何が起こったのかわからなかった。
目の前が真っ暗で、身動きが取れない。
だが、先ほどそうなる前は、クラウスがエマに近づいてきて……。
(――私、今、殿下に抱きしめられてる……?)
思考が追いついてきて、自分の現状を知った。
「エマ」
「……はい」
「君は、怪我とかないの?」
「はい。ございません」
「良かった。エマが無事でっ……」
くすんとクラウスは、静かに泣き続ける。
(……優しい方ね)
何故か胸が締め付けられて、エマはクラウスを抱きしめ返した。